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真空恐怖、あるいは驚愕と驚異
前回も参照した『アダム・スミス 修辞学・文学講義』には他にもシェイクスピアを批判する文章があるのだが、その中にひっかかりを感じる箇所がある。その部分は訳注にもあるように、全体としては一七世紀後半のシェイクスピア批判の潮流であった、アリストテレス『詩学』における時と所と行為の三一致を守っていない、というものに乗っかっている。「ラシーヌは、じっさいの行為にかかる時間が、演出の時間よりながいとはけっして想定しない。他方でシェイクスピアはしばしば、ひとつの場面からつぎの場面までのあいだに三年か四年がすぎたと想定する」と、アダム・スミスは始める。
場面をつなぐ行為がないという空白のわるい効果について、一般にあたえられる理由は、それはわれわれがだまされるのを妨げるということで、われわれが劇場に四分の一時間しかいないのに二年や三年がすぎてしまったとは、想定できないというのである。しかし実際には、われわれはけっして、そのようにだまされているのではない。われわれは、自分たちが劇場にいること、われわれのまえにいる人物は役者であること、演出されているものごとは、まえにおこったことか、おそらくけっしておこったことではないということを、知っている。演劇の上映中におけるわれわれのたのしみは、絵を見ているときのたのしみとおなじく、だまされていることから生じるのではない。(中略)それはむしろ、それだけながい時間におこったことについて、知らされないままにされたわれわれが感じる不安からくるのである。目のまえの場面で、直前にわれわれが見たのから三年か四年たったと想定されるばあい、われわれはただちに、そのあいだに何がおこったかを知ろうとして不安になる。*1(強調は引用者)
欺瞞を評価しないアダム・スミスの美学が一貫しているのがわかるが、それに代わって提示される理由にアダム・スミスがあげるのは「不安」である。演劇はその外部すなわちわれわれの日常生活と同様に時間と空間をもっており、そのことは役者とそれをとりまく舞台が日常世界と類似する形態をもつことによってアダム・スミスの目に説明のごとく飛び込んでくるだろう。わたしにはこの「不安」の感覚がどうにも当時の一般的な感覚だったように思えず、むしろアダム・スミスが個人的に強く感じていた感覚のように思える。かれの「不安」は、アダム・スミスが演劇世界に あの「捧げ銃」のように 没入していたからこそ生まれてきたものではないか。舞台上の時間を日常生活の時間と質的に同じものとして認識したうえでそこに没入しているからこそ、日常ではありえない時間の飛躍が起こった時、彼は「ただちに」不安、それも知的な不安を覚えるのである。この空隙に対する知的な不安そしてその原初の形態である恐怖は、芸術にとどまらずアダム・スミスの知的営為を考えるうえで根幹に位置するものだったのではないか。かの遺稿『哲学論文集』に収録されたある論文に目を向けよう。それは「哲学的研究を導き指導する諸原理 天文学の歴史によって例証される」、通称「天文学史」である。
アダム・スミスの「天文学史」は、通称だけ見ると勘違いしてしまうが天文学史を主題とする論文ではない。「天文学の歴史」と題されるのは第四節である。原題の通り、天文学の歴史は後半の分量にも関わらず「哲学的研究を導き指導する諸原理」を例証するものとしてあげられるわけである。では何から始めるのか。それは「驚き」についての考察である。冒頭を見よう。
驚異 wonder、驚愕 surprise、驚嘆 admirationは、しばしば混同されるけれども、われわれの言語では、たしかに同類でありながらいくつかの点で異なっていて、相互に区別される、諸感情を示す語である。新奇で珍しいことは、厳密な適切さをもって驚異とよばれる感情を喚起する。意外なことが驚愕を、荘大なこと、または美しいことが驚嘆を喚起する。
われわれが驚異するのは、異常で、普通でないすべての対象、かなりまれなすべての自然のできごと、流星、彗星、食、珍しい動植物であり、要するに、これまでわれわれがほとんどあるいはまったく知らなかった、あらゆる事物である。しかも、これから見るべきことについて、あらかじめ注意していても、なお驚異するのである。
われわれは、たびたび見たことがある諸事物であっても、それらに会うとはほとんど予期しなかった場所で出くわすと驚愕する。われわれは、何回となく会ったことがあるが、そこで会うことになろうとは想像していなかった友人の突然の出現に驚愕する。
われわれは、平原の美しさや山の壮大さに驚嘆する。それらを以前にたびたび見たことがあるにもかかわらず、そしてそのいずれにもわれわれが確実に見ると予期していたもの以外は、何もないように見えるにもかかわらず、われわれは驚嘆するのである。*2
彼は驚きを三種類に分類し、それらが組み合わさることで一層その効果を高めると述べることになるが、ここで注目すべきは彼によって「他のすべての情動から区別される独立の種類の本源的な情動とみなされるべきではない」とされた驚愕である。「どんな種類の情動でも、精神を突然おそう時に、それが精神にもたらす激しい突然の変化が、驚愕の全本性を構成する*3」とあるように、驚愕は情動の一部ではなく、情動の変化のモードを表すメタレベルのラベルとして現れている。
驚愕とは意外性によって生まれる。意外性の程度はいわば標準からの逸脱の度合いであるが、生という連続性の中で標準が維持される形式は、慣れと予測である。それを認識する頻度が多ければ多いほど、それは標準的なものになる。だが未だ起こっていないことについてはどうか。見慣れないものすべてにわれわれは驚愕するわけではない。それはなぜかといえば、我々はある程度経験していない事象についても、何らかの予測をすることができるからである。次の部分は、予測のうちに現れる対象とその外から現れる対象を前に起こる情動の変化をアダム・スミスが描写するところだが、ここを読んでいるときにわれわれが感じるのは、「驚愕そのものに対する恐怖」とでもいうべき恐れをアダム・スミスが抱いていたのではないか、ということである。
どんな種類の対象でも、それが、しばらく前から予期され予知されていて現れる時には、それがほんらい喚起して然るべき情動が何であっても、精神はあらかじめそれに対する準備をし、ある程度までそれを思い描きさえするに違いない。なぜなら、その対象の観念は、精神にずっと前から現れているので、対象自身が喚起するであろうのと同じ情動を、あらかじめ喚起するに違いないからである。したがって、それが現れる時に生じる変化は大きさを減じているし、それが喚起する情動または情念は、衝撃、苦痛、困難なしに、段々と容易に心にすべりこんでいく。
しかし、対象が意外なものである時には、すべてこれと反対のことが起こる。その場合には、情念は、心に突如として流れ込み、情念が強烈なものであれば、心は最も激しい発作的な情動に投げこまれるのであって、それは時には直接に死を引き起こすようなものであり、また時には突然の忘我状態によって想像力の全機構が完全に解体され、そのため以前の調子と落ち着きをその後ついに取りもどせずに、精神錯乱や恒常的な狂気におちいるようなものである。そして、それは、ほとんどすべての場合に、理性の一時的喪失とか、自分達の立場や義務から要求される他のことへの注意の、一時的喪失ということを起こすほどのものである。*4(強調は引用者)
「突然の忘我状態」がここに含まれていることは、彼の「放心癖」のいくつかを思い出した時、彼が放心から帰還したあとで自分の身に起きた事態をどのように振り返っていたのかを伺わせるものがある。驚愕の効果の一帰結を描写する際にここまで極端な事態を書き重ねられるアダム・スミスの感受性がどのような傾向を持っていたかは、精密な描写を含む次の部分を見れば明らかである。
しかし、ある情念、ある強い情念が、突然精神をおそうだけでなく、精神がそれを思い描くのに最もふさわしくない気分にある時にそうすれば、その場合には驚愕が最大になる。精神が悲嘆にうち沈んでいる時の歓喜の驚愕、および、歓喜で揚々としている時の悲嘆の驚愕が最も耐えがたい。この場合の変化は、可能な限り最大である。強烈な情念が、突然思い描かれるだけではなく、それは、前に魂を占めていた情念と正反対のものなのだ。陽気さと歓喜でいっぱいに広がり、有頂天になっている心を悲しみの重みが突然おそう時、それは、心を息づまらせ、圧迫するだけでなく、現実に重いものが、身体をおしつぶし、つきくだくように、心をほとんどおしつぶし、つきくだくように思われる。これとは逆に、悲嘆と悲しみにうちひしがれ、意気阻喪している時に、予期せぬ運命の変化から、心に不意に歓喜の潮が、言わば突然わき上ってくるように思われる時には、まるで激しい抵抗不可能な力でいきなり心を広げられ、持ち上げられたように感じ、あらゆる苦痛のうちでも最も激しいものにかき乱される。そして、それは、ほとんどいつも気絶や一時的精神錯乱を生じさせ、時には即死させる。すなわち、つぎのことはのべておく値打ちがあるかもしれない。悲嘆は歓喜より激しい情念であり、たしかにすべての不快な感じは、当然、反対の快い感じよりもするどいのであるが、しかし両者のうちでは、歓喜の驚愕の方が悲嘆のそれより、はるかに耐え難いのである。*5(強調は引用者)
悲嘆の驚愕より歓喜の驚愕をこそ恐れるアダム・スミス。ここから『ローマ史』に描かれた、歓喜の驚愕によって即死した女性の例があげられ、悲嘆の情動が効果を発揮するのに時間を要すること、一方歓喜の場合は即時的かつ激しい効果をもたらすことなどが語られたのち、段落はこのように締められていく。
労をおしまずに記憶をたどることのできるたいていの人は、突然の悲嘆でよりも、突然の歓喜で死んだり錯乱したりした人の話の方を、多く聞いたことがあることに気がつこう。だが、人事の本性から言って、前者の方が、後者よりはるかに頻度が高いにちがいない。人が足を失ったり、息子をなくしたりすることは、いずれについても何の警告なしにもありうるが、何が起こりそうかといういくらかの予見なしに、法外な幸運事に出くわすことはめったにない。*6
率直に言って、ここで比較されるどちらの事態もあまりに例外的なものであり、「突然の悲嘆と突然の歓喜、どちらによって人はより即死しやすいか」などという問題にここまでアダム・スミスがこだわるその熱意が読者には伝わらない。だが、彼が「驚愕そのものに対する恐怖」を抱いているとしたならば、この理由もなんとなく理解されてくる。驚愕による即死という事態そのものがあまりにも例外的なものであるため、この概念自体が驚愕の要素を保持しているのである。あまりにも起こりそうにないことであるがゆえ、そしてその結果もたらされうる事態に死という最悪のものが含まれていることによって、このような事態がありうるということそのものが彼に恐怖をもたらす。ここで、アダム・スミスが直接そうは書かなかった科学者の定義の一側面が明らかになる。アダム・スミスにとって(少なくともその無意識において)、科学者とはまずなによりも治療者、それも自己治療者なのである。
「哲学の起源について」と題された第三節で、彼は科学へと向かう人間の心理史というべきものを記述している。「人類は、法、秩序、安全が確立される前の社会の初期の時代には、自然の一見ばらばらな諸現象を統合している、諸事象のかくれた鎖を発見しようとする好奇心をあまりもたなかった*7」。人類の黎明期はその下部構造が人類の生存にとって脆弱であり、好奇心は弱く、それゆえ科学的思考によってこれらを説明しようとする理性的な勇気もその余裕もまた欠如していた。結果として「野蛮人」たちは「臆病」となり、「彗星、食、雷、稲妻やその他の大気現象」にたいして「畏れ」の感情を抱くことになる。マルブランシュに導かれ、「われわれの情念は、すべて自己を正当化する。つまり、われわれにそれらを正当化する見解を示唆する」という認識から、「野蛮人」たちは彼らが抱く畏れの要因として、諸大気現象の裏側に、知的な存在の復讐やふきげんのしるしを見出す。アダム・スミスはここに多神教の起源を見ている。「異教的古代の初期時代と同様に、野蛮人の間でも、すべての多神教的宗教において、彼らの神々の働きと力に帰せられるのは、不規則な自然事象だけ」というアダム・スミスにおいて、神話的なものは人間の自然認識のレイヤーに還元されている。やがて文明化が起こり始める。ここでアダム・スミスは人間の科学へと向かう性向の第一原理について語るわけだが、文明化以前の世界において語られていたこととの連続性を考えれば、素直に首肯するわけにはいかない。
だが、法が秩序と安全を確立し、生計の不安がなくなると、人類の好奇心が増大し、恐れは減少する。今や彼らが享受できる余暇が、彼らを自然諸現象にまえより注意深くさせ、最もとるに足りない不規則性にさえ気づかせ、それらすべてを連接している鎖が何であるかを一層知りたがるようにする。彼らは必然的に、一見ばらばらなすべての自然のできごとの間に、そうした鎖が存在することを思い描くようになる。自己の弱さを感じる機会はほとんどなく、強さと安全を意識する機会がきわめて多い、文明社会で育った寛容なすべての人々が身につけている寛大と快活さは、この結合の鎖として、彼らの粗野な先祖の恐れと無知が生み出した、見えない諸存在を採用する気持を減少させる。仕事にも快楽にもあまり多くの注意をうばわれないゆたかな財産をもった人々が、日常生活の事柄からこうして解放された想像力の空隙を満たしうるには、自分のまわりで起こる一連の事象に注意を向ける以外に方法がない。自然の壮大な諸対象が、こうして、彼らの前を通り過ぎて査閲をうける時、多くの事物は、彼らの見慣れぬ順序で起こる。安心と喜びをもって自然の規則的進行についていく彼らの想像力は、それらの外観上の不一致に停止させられ、当惑させられる。それらは、彼らの驚異を喚起する。そしてそれらは、それらを前に起こった何かと結合し、そうして宇宙の全行程を一貫させひと続きにさせる中間的事象の鎖を、必要とするように思われる。だから人類を、哲学、つまり、自然の様々な現象を結合している隠された関連を解明しようとする科学の、研究に駆り立てる第一原理は、その発見から得られる何らかの期待ではなく、驚異である。*8(強調は引用者)
驚異が人類を哲学研究すなわち自然科学へとモチベートしていく。それは文明化によって法が安全と秩序をもたらし、生計の不安がなくなるという下部構造の改善によってもたらされる事態であるが、神話時代と同様に人間の認識は身の回りの世界すなわち自然に向けられ続ける。ここで彼の意識からまったく欠落しているのが文学的想像力であり、想像力が人間の内面へ向くという選択肢ははなから想定されていないかのようだ。*9下部構造の改善によって余裕を与えられた想像力が、かつてのように自然に向けられていた部分を含め再編成されてもいいはずだが彼はそのところを一切書かない。論文の題目から外れるからということだけがその理由なのであろうか。そうは思えない。「日常生活の事柄からこうして解放された想像力の空隙を満たしうるには、自分のまわりで起こる一連の事象に注意を向ける以外に方法がない」と書くのであるから。なぜか。その手前の部分、「文明社会で育った寛容なすべての人々が身につけている寛大と快活さは、この結合の鎖として、彼らの粗野な先祖の恐れと無知が生み出した、見えない諸存在を採用する気持を減少させる」に注目しよう。「野蛮人」たちも当然人間であるから情動の構成は文明化されようが変わるわけではない。なぜ彼らは海の神、大地の神、酒の神などを生み出したか。その大元となった自然現象に対する彼らの畏れ、恐怖の情動がわきおこったことに対して、その説明を自然に要求することになったからである。そもそもなぜ恐怖の情動がわきおこったか。それは自然の不規則な現象、連続性を突如としてかき乱す現象によって驚愕が生まれたからである。そういった特異な現象が引き起こす驚愕という構造は、人間が文明化しようがしまいが一切揺らぐことがないのであり、あの畏れの大元は静かに息づき続けている。なぜ彼は「消滅させる」ではなく「減少させる」と書いたか。端的に、消滅していないからである。文明化してもなお、多神教的宗教的思考から生まれた神々という概念が生き続けていた場所があり、それは芸術という場所である。この論文において一切フォローされることのない芸術の起源と発展という領域は、影のようにしてアダム・スミスの科学史観の中で抑圧されたもののありかを指し示すことになる。
自然誌家は、自分の目の前に現われる珍しい植物や珍しい化石を、なんと好奇心にみちた注意力で調べることだろう。(中略)しかし、彼が、その驚異から、つまり、その珍しい外観と、それまで観察したすべての対象との相違とによって喚起される不確実感と不安な好奇心から解放されうるには、それを既知の諸対象のあれこれの種類に帰属させねばならず、それと既知の諸対象の間になんらかの類似を見つけ出さねばならない。*10(強調は引用者)
彼らは、各天球について、その中心からは、それらすべてが完全に等速に見える、均等円とよばれる新しい円を考案した。つまり、彼らは、それらの天球の速度を調節して、個々の天球の回転はそれ自身の中心から見渡すと不規則に見えるが、円周内部にある点がふくまれていて、そこからは、その天球の運動が、同一時間に均等円の同一部分を切りとるように見え、その点が均等円の中心であるというようにした。
この均等円の創案ほど、想像力のやすらぎと平穏が哲学の究極の目的であるということを、明白に示しうるものはない。天体の諸運動は、速度と方向の双方で一定ではなく、不規則に見えていた。そのため、それらを想像力が追跡しようとする時にはいつも、それらに当惑、混乱させられがちであった。離心天球、周転円、離心天球の中心の回転という創案は、この混乱をしずめ、それらのばらばらの諸現象を結合し、諸天体の運動についての人間精神の概念に、調和と秩序を導入するのに役立った。*11(強調は引用者)
こうして、この仮説(引用者註:コペルニクスの体系)は、五惑星を、すべてのもののうちでわれわれが最もなじんでいる対象と、同じ種類の事物に類別することによって、それらの外観が見なれぬ独特のものであることが喚起する驚異と不確実感を除去した。それは、この点でもまた、哲学の偉大な目的によりよく適っていた。
しかし、この体系の美しさと単純さだけが想像力に訴えたのではなかった。それが空想に明示した自然観の新奇性と意外性は、最も不思議な諸現象よりも、驚異と驚愕を喚起した。それらの現象を自然でなじんだものにするために、それは創案されたのだが、驚異と驚愕の感情が、それへの愛着を一層高めたのだ。なぜなら、たしかに哲学の目的は、普通でなく一見ばらばらな自然諸現象が喚起する驚異をしずめることにあるが、それでもそのことが最もうまくいくのは以下のような時だからである。つまり、それ自体ではおそらくとるに足りない少数の諸対象を結合するために、たしかにより自然で、より容易に想像力がついていけるが、現象それ自身のどれよりも、目新しく、また、通常の意見や予期に反する、諸事物のちがった構成を、それがいわば創造した時のことである。*12(強調は引用者)
文明化によって、自然現象が人類へもたらす情動は、驚愕から驚異へ、恐怖から不安や困惑、混乱へと変形させられ、和らげられている、と言えるか。ある面ではそうである。科学へと駆り立てる第一原理としてアダム・スミスが驚愕ではなく驚異を挙げるのは、科学がそもそも好奇心の活動が活発になされうるような社会条件の整備なしにはありえないという認識からすれば当然のことである。だがこの表現には一つのごまかしがある。アダム・スミス自身が述べている通り、驚愕は独立した個別の情動の一種ではないからである。驚愕はアダム・スミスに(時には)死の恐怖を喚起させるほどのメタ情動であり、あの恐怖こそが異教的古代人たち、あるいは野蛮人たちに神々を呼び起こさせたのであった。情動をレイヤーの異なるメタ情動へ変形することはできない。確かに、アダム・スミスが驚異と驚嘆を説明する部分においては、諸情動が死をもたらすという描写は見られないものの、驚愕がもたらす種々の害の面影を思い起こさせるところは存在する。驚異は「新奇で珍しいこと」から発生する。その様態はいくつかあるが、その一つに「事象の普通でない順序での継起」がある。それについて語る部分を見よう。
想像力が、普通でない順序で連続する二つの事象について進む時に、ほんとうに困難を感じることは、多くの明白な観察によって確認されよう。想像力が、一定の時間をこえてこの種の長い系列に注意を向けていようとすると、それがひとつの対象から他の対象へ移行し、そうして継起の進行を追跡するために払うことを強いられる継続的努力は、すぐに想像力を疲れさせ、それがあまりに頻繁に繰り返されるならば、想像力の全機構は乱され解体されてしまう。こういうわけで、研究にあまりにきびしく励むと、時に精神異常や狂乱に陥るのであり、それは特に、年はいくらかとっているがそのことに従事するのが遅すぎたために、その想像力が抽象科学の推論に容易についていけるようになる習慣を獲得していない人々におこる。老練な専門家にとっては全く自然で容易な証明の一歩一歩も、彼らには思考の極度の集中を必要とする。しかし、彼らは野心または主題に対する驚嘆に駆り立てられて、なおも思考を続け、まず混乱し、次に目まいを感じ、遂には錯乱にいたる。*13(強調は引用者)
神々は天文学史の外、すなわち文学に代表される芸術の領野において静かに生き続けていた。確かに科学へと、認識へと向かう人間の原動力の第一は驚異となったのだろう。だがその影には、認識をもたらす恐怖、驚愕をもたらす世界が張り付いている。「想像力のやすらぎと平穏が哲学の究極の目的である」、「哲学の目的は、普通でなく一見ばらばらな自然諸現象が喚起する驚異をしずめることにある」とアダム・スミスが書くとき、はからずも彼は、野蛮時代の人間たちが自然に行っていたであろうこと、すなわち自己治癒としての神話の構成という仕事に、哲学もまた(高度に洗練された形であるとはいえ)従事していることを明らかにしている。恐怖を刻印され、またかつてその原因としての神々を刻印したという形で繋げられた、人間と自然の間の呪われた絆は、想像力が余裕を得た後もその翼を自由に広げさせることなく、その道行きを拘束することとなった。哲学者の顔の裏には、恐怖にこわばったもうひとつの顔があるのである。
引力と性格
ここまでわれわれはアダム・スミスの記述から「自己治癒者としての哲学者」を引き出したが、アダム・スミス自身は直接的にはそのような角度から哲学を、哲学者を眺めていたわけではない。彼が哲学とは何かを明白に書いている次の部分を見よう。
哲学は、自然の結合諸原理の科学である。自然は、通常の観察で習得しうるう最大限の経験をもってしても、孤立していて先行するすべての事象と矛盾するように見える事象に、みちみちているようにみえる。したがって、それらは、想像力の円滑な運動を妨げ、いわば、不規則な突発と爆発で、想像力の諸観念を継起させ、そのため、幾分か、われわれが前に述べた混乱と錯乱を導きいれる傾向がある。哲学は、これらすべてのばらばらな対象をいっしょにする見えない鎖を示すことによって、この不協和で支離滅裂な諸現象の混乱状態に、秩序を導入し、想像力のこの乱れをしずめ、そして、想像力が宇宙の大回転をながめる時には、それ自体で最も快適で想像力の本性に最もふさわしい、平穏と落ち着きの調子を取り戻させようと努力する。それ故、哲学は、想像力に語りかける学芸のひとつとみなされよう。そして、その理由から、哲学の理論と歴史は、適切に、われわれの主題の範囲内に含まれる。*14
ここにはアダム・スミスの哲学観のみならずこの論文で表出している問題のほぼすべてが集約されているといってよい。「われわれの主題」とは、第一節の直前に書かれている「この論文の企図は、これらの感情(引用者注:驚異、驚愕、驚嘆のこと)それぞれの性質と原因を個々に考察することにある」*15のであり、想像力へのアートとしての哲学が、見かけ上の自然がもたらす想像力の混乱、錯乱を鎮め、平穏と落ち着きへと導くという運動、そしてこの運動に(意識的にせよ無意識的にせよ)従事する哲学者=自然科学者の生態が描出される。主題の優位により、哲学の本質がこの治療的営為に奉仕していることは明らかである。つなげることで、おさまる。不規則性、突発、爆発が乱す連続性が、「諸事象の見えない鎖」によって再び繋げられることで、ふたたび連続性のなかへ還帰していく。この中で「秩序を導入し」と書かれているところは重要であり、アダム・スミスは基本的に驚異をもたらす自然現象のイレギュラー性についても、それが見かけ上のものであるということ、それを説明する体系もまた「想像力の考案物」であって「諸事象の真の見えない鎖」ではないと考えている。しかしニュートンの体系を評価するにあたって、アダム・スミスの姿勢はゆらぐことになる。
われわれは、すべての哲学体系を、そうでなければばらばらで不調和な自然のできごとを結合するための、単なる想像力の考案物として表示しようと心がけてきたが、そのわれわれでさえ、知らず知らずのうちに、この[ニュートン]体系の結合諸原理を表している言葉を、まるでそれらの原理が、自然が自分の個々の作用を連結するのに使用している真の鎖であるかのように使ってきた。したがって、以下のことは、それほど驚くにはあたらないのである。すなわち、その体系が人類の一般的で、全面的な是認を獲得したということ、そして今や想像上で天空のできごとを結合するひとつのくわだてとしてではなく、人類によってこれまでになされた最も偉大な発見、すなわち、われわれが毎日その現実性を経験しているひとつの主要な事実によってすべてが密接に結合されている、最も重要で最も崇高な諸原理の、広大な鎖の発見とみなされていることだ。*16(強調は引用者)
「くわだて」と「発見」の違いはそのまま表現と存在の違いである。哲学の運動が想像力によって想像力を癒やすという循環的な形を取る中で、存在の法、存在そのものに触れ得たという瞬間が到来したとき、治療する力としての法は想像力の限界を突破する。アダム・スミスにとってニュートン体系の衝撃は大きかった。*17『修辞学・文学講義』にたびたび出現する「性格」という概念は、そのことを傍証する。
このまえの講義で言葉と文のあやについて考察し、文体の美しさは古代の修辞家たちが想像したようにそれらの使用にあるのではないということを、示そうとつとめておいた。私は、文章にじっさいに美しさをあたえるのは、なんであるかを指摘した。それはすなわち、記述されるべきものごとを言葉がむだなく適切に表現し、著者がそのものごとについて心にいだき同感によって聞き手に伝達したいとおもった感情を、つたえているばあいには、その表現は、言語が表現にあたえうる美のすべてをもっているのだということである。私はまた、その文体の形式は、なにか特定の観点に限定されるべきではないということを、示そうとつとめた。著者の見解とかれがその目的を達成するためにとる手段とによって、さまざまな対象の記述において、あるいはさまざまな意見の表明において、文体がかわるにちがいないだけでなく、対象と意見が同一であっても、そうにちがいない。感情がさまざまであるように文体もさまざまである。そのほかに私は、他のすべての事情が同様なばあいには、著者の性格が文体をちがったものにするにちがいないことを、示そうとつとめた。重厚な型の精神をもった人は、それより軽快な人とはひじょうにちがうやりかたで、対象を叙述するだろう。率直な人は、単純な人とはひじょうにちがった文体をとるだろう。 しかしながら、われわれが尊重するなにかひとつの特定の文体があるのではなく、多くのものがひとしく快適なのである。*18(強調は引用者)
対象一般の記述についていくらか考察し、内的あるいは外的な単純対象の記述のための指示をいくつかあたえたので、私はつぎに、もっと複雑な諸対象を記述するための適切なやりかたを、いくらか考察しよう。そういう諸対象とは、人びとの性格であるか、あるいは人びとの比較的壮大で重要な諸行動や行動である。私は最初のものからはじめよう。なぜなら、人の独自の行動と態度をひきおこすのは、主としてかれの性格と気質なのであり、前者を記述するやりかたは、はじめにその原因を考察するほうが、よく理解されるだろうからである。*19(強調は引用者)
また『道徳感情論』の第二部第三篇は「運が人間の感情に及ぼす影響について 行為の功績と欠点を中心に」と題されているが、その序論の冒頭を読めば、アダム・スミスが人間を観察する際の基本姿勢が、道徳感情を分析する際にも貫徹されていることがわかる。
1 賞賛や非難が、ある特定の行為のせいだと言えるかどうかは、第一に、その起点となる心がもつ意図や心的傾向に、第二に、このような心的傾向が引き起こす身体の外面的な活動や運動に、そして最後に、実際に つまり、事実として その後につづく、良かったり悪かったりする結果に、それぞれ依存するはずである。このような三つの異なった事柄が、行為の本質と状況の全体を形成しており、そして、そこに含まれるあらゆる資質の基礎であるに違いない。
2 この三つの事情のうち、後の二つが、およそ賞賛や非難の基礎でありえないことはまったく明らかだし、その逆を主張してきた人物も、今まで誰もいない。身体の表面的な活動と運動は、もっとも罪のない行為だけでなく、もっとも非難に値する行為においても同一であることが多い。鳥を撃つ者も、人間を狙撃する者も、ともに同一の外面的な動作 それぞれ、鉄砲の引き金を引く を行っている。何らかの行為に引き続いて、実際に、つまり事実として生じる結果は、身体の表面的な動きと較べてさえ 較べられたらの話だが 賞賛や非難のいずれとも、さらに無関係である。結果は、作用するものによってではなく、運があるかどうか次第で決まるから、それは、行為者の名声と行為を対象にする感情の適切な基礎にはなりえない。
3 意図されたものや、行為の出発点となった本心の快適、あるいは不快な性質をかろうじて表示するのは、行為者が責任をもつことができるだけでなく、その行為によって何らかの是認や否認を受ける結果だけである。それゆえ、賞賛や非難のすべて、つまり、あらゆる行為に対して正しく与えうる是認や否認のすべて 種類を問わず は、究極的に本心がもつ意図や心的傾向、適合性や不適合性、構想の有益さや有害さに含まれているはずである。*20
人間の、身体的動作を伴う行為とそれがもたらす結果は必然によって結びついておらず、そこには常に運が介在している。しかし、人間がそれを快適に思ったり不快に思ったりする、すなわち共感が成功したり失敗する場というものは行為によって常に発生しうるように見える。このギャップを埋めるのが行為の意図や心的傾向というファクターであるが、そもそも意図や心的傾向というものは直接観察することはできず、「行為者の責任」が少なくとも仮構されうる、是認や否認の対象になりうる結果によって「かろうじて表示」されるものである。賞賛や非難は、責任を認定することが可能な行為とその結果なしにはあり得ないが、その行為と結果のいずれにも、直接賞賛や非難の源泉を求めることはできず、その源泉は、賞賛や非難のきっかけとなる結果をもたらしたとされる行為によってかろうじて表示されたものとして、行為や結果から遡行的に追跡された本心に求める他ない。この二段構えの構図から見えるのは、アダム・スミスが「社会科学者」というより「人間物理学者」というべきものに近いということである。天体の運動を説明する原理として引力という見えない力がニュートンによって提示され、おそらくそのことを真面目すぎるほど真面目に引き受けたアダム・スミスは、人間の動作原理として提示されるものもまた見えない力のレベルまで遡らなければならないと考えたのであろう。
これまでの講義のなかで何回か、われわれは、イングランドで最良の散文の書き手たちのうちのある人びとについて、ひとつの性格を提示し、かれらのさまざまなやりかたを比較した。それらすべての結果も、われわれが設定した規則もともに、以下のとおりである。すなわち文体の完全さは、著者の思想をもっとも簡潔、適切、正確なやりかたで表現することにあり、その思想がかれに作用するかあるいは作用するとかれが主張し、かれが自分の読者に伝達しようとくわだてる、感情、情念、愛着を、もっともよく伝えるやりかたにある、ということである。
諸君はこのことを、常識にすぎないというだろうし、たしかに、そうであるにすぎない。しかし、もし諸君がそれに注目するならば、批評と良俗の諸規則はすべて、その基礎まで辿ってみれば、各人が同意する常識のある諸原理だということがわかる。それらの学芸の仕事はすべて、これらの規則をさまざまな主題に適用し、そうしたばあいのそれらの帰結がなんであるかを、示すことである。*21(強調は引用者)
目立たないがここには自然科学が彼に残した刻印がはっきりと刻まれている。まだその名で呼ばれるようになるのは先になるが、自然科学における自然の斉一性という原理に対応するものとして、社会科学における「社会の斉一性」とでもいうべきものが「常識」の名で提出されているのである。常識とは、ある社会において、その構成員全体から承認されていると構成員の各々によって認識されているゆるやかな判断の集合であるが、ここから、ある社会において常識とされている判断は、その社会のどこにおいても常識とみなされる、と言うことができる。これが「社会の斉一性」であり、判断たる「すべての批評と良俗」はこの基礎において成り立つことになる。*22
アダム・スミスがここ以外でも表現を代えて繰り返す主張、すなわち「文体の完全さは、著者の思想をもっとも簡潔、適切、正確なやりかたで表現することにある」という主張は、現代からすればそのあまりの単純素朴さを嘲笑されかねないものだが、アダム・スミスがニュートン以前の天文学体系とニュートンのそれに与えた評価の違いを思い出すならば、彼がそのような主張をする理由も分かってくる。つまり、自然(および個々の自然物)の真の法則を人間はほとんど見出すことができないが、見かけ上の自然の不規則性は、自然哲学者たちの「想像上の考案物」たる法則体系によって解消される。その「見えない鎖」は極稀に「真の鎖」と見まごうほどのものになるわけだが、これを人間社会に置き換えた時、そこには容易に並行関係を見出すことができる。つまり、人間の真の思想を当人以外の人間はほとんど見出すことができない。かれが話すこと、書くことが、かれの本当に思っていること、感じていることを十全に反映しているとはついに保証されないからである(ここから、お互いの真の思想がお互いにほとんど隠されてしまうということを基礎にして成立する社会の真の法則もまたほとんど見出されえないことが帰結しよう)。しかし、個々の文章には優劣があるとしても、どんな文章であってもそこにはかれの思想がいくらかでも表出しているに違いない。この前提において、最も優れた文章というものがあるとするならば、ニュートンの体系のように、かれの真の思想を完全に表現している(と感じられる)ものということになるだろう。人間の内心が他者にとって原理的に不可知であるということが、アダム・スミスの文体論における天文学との相同性を逆向きに保証するものとして現れるわけだ。彼にとって人間とは文字通り「地上の星」なのである。
天文学の領域に限らず、人間の領域においてもその原理に見えない力を見出そうとするアダム・スミスの姿勢は『道徳感情論』という浩瀚な記念碑に結実することになるが、先走る前に考えねばならないことがある。社会科学のモデルとして自然科学に憧れることはできるだろうが、なぜ社会を、人間の諸相を、自然科学的に考察することが実際に可能であると思えたのか、ということである。
ヒントはすでに出ていた。これまでに引用してきたアダム・スミスの表現。「生じる変化は大きさを減じている」、「段々と容易に」、「変化は、可能な限り最大」、「法が秩序と安全を確立し、生計の不安がなくなると、人類の好奇心が増大し、恐れは減少する。」「天文学史」の他の部分では、「対照的な諸感情の対抗がそれらの鮮烈さを高めるように、互いに直接連続しあう諸感情の類似は、それらをより不鮮明で生気のないものにする」といった表現がある。そもそもアダム・スミスには心理、感情分析をする際に数量的語彙をしようすることにためらいがなかったのである。感情の形態は波として、より踏み込んでいえば連続で微分可能な曲線のようなものとして捉えられているように思われる。平穏、安らぎへの回帰を志向するアダム・スミスの心的システムは、平衡状態の条件である秩序の外側から現れ、驚愕(文明化され環境の安全が増した状態ではほぼ驚異に置き換わる)によるショックをもたらす現象を、秩序の中に包摂し(自然法則の発見)、未知を減少させ予測可能な範囲を広げることによって、感情の波の係数の絶対値を最小化させようとするサイクルであるということができる。端的にいえば、アダム・スミスの心的システムは、予測によって驚きや未知を減少させる方向に作動する志向性をもつ。*23次の部分はその極端な帰結の一つである。
本や詩を繰り返し読んでしまうと、我々はそれを読んでもまったく楽しめなくなるが、同席者にそれを読み聞かせることには、まだ喜びを感じられる。同席者にとって、それは新しいという長所を丸ごともっている。我々は、読み聞かせることが彼のなかで自然に引き起こす驚きや賞賛をくみ取りはするが、しかし読むこと自体は、我々のなかでもはや興奮させる力をもっていない。*24(強調は引用者 )
のちに「限界効用逓減の法則」の名で生まれるであろう概念の萌芽が、ここでは文学との関わりにおいて記述されている。根源的恐怖によって駆動する「人間物理学者」にとって、いったい文学とは何だったのだろうか。ともかくも、すでにしてアダム・スミスは心的なものの分析に数量的な語彙を使っていたのであり、天体の法則と人間の法則が全く相容れないものとは思っていなかっただろう。「心的なものの記述における数量的・数学的語彙の増減に関する計量文献学的研究」というような課題はわたしの力量を大きく超えるものであり、このような特徴がすでに特徴と言えるようなものではなく、同時代の社会全体に広く受け入れられていたのか、また、アダム・スミスにそのような記述の仕方へと向かわせたものが何であったかなどを明らかにすることはできない。資本主義社会の黎明期、魔力を増す貨幣の数的な力が思考にまで浸透した、といってみても証明することはできない。ただ、彼の時代までに現れた文学がことごとく何度も読み返すに値しないようなものであったのかと問われれば、私は否という。少なくともあの『ドン・キホーテ』は既にあったのだし、彼も『修辞学・文学講義』でこの作品に言及している。その彼が「本や詩を繰り返し読んでしまうと、我々はそれを読んでもまったく楽しめなくなる」というのだとしたら、この心的システムはいったい、どのように文学を読むことになるだろうか。「天文学史」にはその記述はない。
「哲学的研究を導き指導する諸原理 古代物理学の歴史のよって例証される」、通称「古代天文学史」の冒頭で描写されるイメージは、天文学から人間科学、社会科学へと下りてゆく手前で消失する「降下する視線」をわれわれに強く印象付ける。
哲学は、天空についての体系を整序し秩序づけることから、自然のより下位の部分すなわち地球やそれを直接に取り囲んでいる諸物体の考察へと降下していった。ここで視界に現れた諸対象が、偉大さや美しさにおいて劣っており、それ故、精神の注目を引きつけることが少なかったとしても、一旦注目されるようになると、それらは種類の多様さや継起の法則・順序の複雑さや見かけの不規則性によって、精神を当惑させ困らせがちなことではまさっていた。天空の諸対象の種類は、数が少ない。往時の哲学者たちが識別しえたのは、太陽と月と惑星と恒星で全てである。それらの諸天体にとにかく観察される変化も、全て明白にそれぞれの運動の速度と方向の相違から生じている。ところが、雲、虹、雷、稲妻、風、雨、あられ、雪という大気中の気象現象の多様さは、それよりはるかに大きいし、それらの継起の順序は、より一層不規則であり非恒常的であるように思える。水中や地表近くで見られる化石、鉱物、植物、動物の種類は、さらに一層複雑にわかれている。また、もしわれわれが、それらの産出のさまざまなあり様や、それらが互いに変化させたり、破壊したり、助けたりする相互作用に注意するならば、それらの継起の順序は、ほとんんど無限の多様性を許容するように見える。したがって想像力が、天空の諸現象を考察した時にしばしば困らされ、その自然の行路から投げ出されたのなら、それは、地球が呈示する諸対象に注意を向けた時、それらの推移と継起的変革を跡づけようと努力した時には、はるかに多く同様の当惑にさらされることになったであろう。*25(強調は引用者)
天空から視線が下降して行くに従って、対象の多様さと諸対象を取り結ぶ関係の複雑さは増していく。対象のより少ない領域よりもより多い領域のほうがその知的理解は困難となる。列挙される対象物の末尾を飾るのが「動物」であり、人間ではない。だがこの原則に真っ直ぐに従って、アダム・スミスは自著の執筆を進めていったように見える。人間は同時に二人以上の人間に対して共感することは出来ない。スミスの著述が『道徳感情論』から『国富論』、そして構想のままに終わった『法学の理論』という順に進んでいったことは、その説明が包摂する人間の数量的増大(あなたとわたし→社会経済→普遍的正義)に対応していることを示している(正確に言えば最後のものは量的位相を超脱する)。無数の当惑と戦いながら、彼は自身の研究を進めていただろう。
ただやはり、降下する視線に捉えられたどのような対象も、偉大さや美しさの点で天空に劣るとアダム・スミスが書くとき、こう思わざるを得ない。アダム・スミスはなぜ天文学者にならなかったのか、と。
なぜアダム・スミスは天文学者にならなかったか。科学者のモデルのような科学者であった、ありすぎたアダム・スミスは、世界が自分にもたらす恐怖を鎮めるために駆動し続ける。その際モデルとなったのはニュートン体系だった。「作り話」の領域を超えた説得力をもつ、まるでそれが自然の真の法則そのものにさえ思えるようなその体系は、恐怖を鎮めうる最高度の哲学的モデルとしてアダム・スミスに鮮烈な印象を残しただろう。しかし降下する視線のことを思い出せば分かるように、天体から動植物の領域まで視線が下りてきたにも関わらず、その視線は人類にまでは到達しない。そこで降下が停止したこと、そこから彼の人間への、社会への視線が始まったように思われる。人間社会が彼にもたらす不安と恐怖は、自然科学によっては決して解消されることはない。ここから彼の「社会科学」がはじまるのだが、それは「人間物理学」と呼んでもいいほどに自然科学、ことにニュートン体系を範として仰いでいただろう。その理想があまりに遠かったとしてもである。『道徳感情論』は今日では経済学より神経科学や進化生物学など自然科学の分野においてより重視されているように思われるが、それも故なきことではなかろう。
文学や芸術がアダム・スミスを重視したことなどなかった。一つにはマルクス(とエンゲルス)に存在するようなポップさが、アダム・スミスには絶無であるということもあろう。『資本論』の長大さに屈したとしても悪口は面白いし、何よりマルクスらには『共産党宣言』という、おそらく人類史上最も成功したパンフレットがある。ポップであることの重要な条件の一つは短いことである。アダム・スミスは短く楽しい文章を残さなかったし、どう考えても『共産党宣言』のようなパンフレットを書く気質の持ち主ではない。しかしそれ以上に根源的なところで彼の世界観は芸術のそれと相容れないものではなかったか。グローバル資本主義世界が冷戦後新たな段階に入ろうという現在、ポップさがなければほとんど生き残ることすら叶わない芸術の完全な衰弱期において、現在の世界の源流を辿ろうとすれば、アダム・スミスという男まで立ち戻ることもあるだろう。だが彼と、彼の世界観と「戦おう」としてみるとき、手応えがないのを感じる。マルクスやマルクス本が読まれることは理解できる。それらはポップだからである。ここでは、必ずしもポップでありえないわれわれの拳が殴りつけようとする男もまたポップさを全く欠いているのであり、それは霧同士が戦うのに似ている。
わたしはアダム・スミスの世界観・人間観と「戦い」たくはない。それはUFOの着陸跡地、古戦場で残像と「戦う」ようなことにしかなるまい。新しい言葉が必要であり、それを考える続けるための条件は通路を閉ざさないことである。文学や芸術の視線は、音楽的なものにおいてアダム・スミスへ到達する道を残しているだろう。『道徳感情論』のそこかしこに存在する音楽の比喩が、その標識である。
*1:アダム・スミス著、アダム・スミスの会監修、水田洋・松原慶子訳『アダム・スミス 修辞学・文学講義』pp212-213, 名古屋大学出版会, 2004
*2:アダム・スミス著、アダム・スミスの会監修、水田洋ほか訳『アダム・スミス哲学論文集』pp6-7,名古屋大学出版会, 1993
*3:同上, p10
*4:同上, pp8-9
*5:同上,pp10-11
*6:同上, p12
*7:同上, p28
*8:同上, pp31-32
*9:『修辞学・文学講義』において、アダム・スミスが小説に言及した箇所は極めて少ない。
「現代のたいていの歴史家とすべての騎士物語の書き手が、かれらの叙述を興味深くするためにとる、ひとつの方法は、事件を未解決のままにしておくことである。話が重大な事件にさしかかるとかれらはつねになにかほかのことに転じ、この手段によってわれわれにいくつもの退屈で意味のない話を読み続けさせる。われわれの好奇心はわれわれを、重大事件に辿りつけとせきたてる。〈『狂えるオルランド』におけるアリオスト〉のようにである。この方法を古代の人びとはけっして利用しなかった。(中略)
小説においては新しさだけが、値打ちであり、好奇心だけがそれらをわれわれに読ませる動機なのだから、書き手たちはそれを保持するために、未解決にしておくという方法を使用する必要にせまられる。現実をとりあつかうのでない古代の詩人たちでさえ、この方法にたよらない。叙述の重要性がわれわれの関心を維持するだろうと、かれらは信じている。ウェルギリウスは『アエイネス』のはじめにおいて、ホメロスはかれの英雄詩の双方において、全体で語られる主要事件を、われわれにはじめにつげている。」(アダム・スミス著、アダム・スミスの会監修、水田洋・松原慶子訳『アダム・スミス 修辞学・文学講義』pp166-167, 名古屋大学出版会, 2004)
「最初の詩人たちとおなじく最初の歴史家たちは、驚嘆すべきものごとを主題として選んだ。なぜなら、それが粗野で無知な民衆をよろこばせる可能性がもっとも大きかったからである。驚異は、そういう民衆のなかに、もっともかきたてやすい情念である。かれらの無知は、かれらを信じやすくだまされやすくするのであり、この信じやすさのためにかれらは、もっと知識のある人々なら好まないであろう何でもない寓話を、よろこぶのである。したがって、知識が改良されて人びとが、かれらの祖先たちの娯楽であった寓話的物語をほとんど信用しないほどに、啓蒙されたときには、書き手たちは、何かほかの主題をとりあげなければならなくなったことを、知るのがつねであった。すなわち、驚異的であるということのほかには何もとりえのないものは、信じられもしないし、よろこばれることもありえないからである。それは今日われわれが、魔女や妖精の話が無知な大衆によって待ちかまえたように吸収され、かれらより知識のある人びとに軽蔑されるのを見るのとおなじである。驚嘆すべきものごとが、もはやよろこばせられなかったので、著者たちは、おおいによろこばせ興味をひくだろうと想像したものにたよった。それはすなわち、それら自体で感動的であったり、人の心の微妙な感じをあらわしているのでもっとも興味をひきそうな、諸行為、諸情念を表現することである。こうして悲劇が、最初の冒険譚の主題であった英雄や半人半馬神やさまざまな怪物たちについての寓話的な説話の、あとをついたのであり、また同じようにして、ヨーロッパにおけるわれわれの祖先の最初の作品であった乱暴で途方もない騎士物語のあとを、小説がついだのであって、小説は登場人物たちの、やさしい情動やもっともはげしい情念を、あきらかにするのである。」(同上、pp194-195)
小説に対する、突き放すようなアダム・スミスの態度は、『道徳感情論』において、世評との関係によって著述家の性質に違いが現れる部分を記述した次の部分によってより鮮明になるかもしれない。
「22 数学者や自然哲学者は世論から独立しているため、自分自身の名声を維持し、競争相手を意気消沈させるために、党派や派閥を結成しようという誘惑をもつことがほとんどない。彼らは、ほとんどいつでも気取った態度をとらない、もっとも友好的な人間であり、互いによく協和して生活し、他者の名声の擁護者であり、世間の賞賛を確保するための陰謀に荷担せず、無視されたときに激しく苛立ったり、怒ったりせず、彼らの業績が認められれば喜ぶような人間である。
23 詩人、あるいは、みごとな著述と呼ばれることを自慢する人々の場合、事情は必ずしも同じではない。彼らは一種の文学上の党派に分かれる傾向がきわめて強く、それぞれの派閥は、しばしば公然と、しかもほぼ必ず秘密裏に、あらゆる他の派閥の名声を不倶戴天の敵とし、自分が所属する派閥構成員の作品を世論が好むように偏見を抱かせるために、陰謀や誘惑など、あらゆる卑劣な手段を用いる。」(アダム・スミス著、高哲男訳『道徳感情論』pp236-237, 講談社, 2013)
この記述が現代において、いや当時においてさえ妥当であったかは措くとしても、アダム・スミスがこのように科学者と文学者を理解していたということは押さえておかければならない。真理は真理自体として驚異的に、自然からもたらされた驚異による想像力の混乱、錯乱を鎮めるものであって、真理の外側の助けを求めるものではない。芸術家が貴族や教会によって庇護され、世評に煩わされる心配の少なかった時代から、彼ら旧世代の庇護者から自由になりうるものの、世評の影響力がいや増すようになる市民社会が形成されはじめていたアダム・スミスの時代にあって、絵画や演劇において「欺瞞」を否定する彼の目には、自然科学者に比べ、諸芸術、文学に携わる者たちがよりいかがわしいものとして映ったであろうことは想像に難くない(アダム・スミスの没年はフランス革命勃発の翌年である)。彼が芸術に対して、文学に対してどのような存在としてあるのか、彼に対してどのように応答できるのかを考えることは現代においても無益ではあるまい。
後述するように、アダム・スミスにおける科学者は、対象の数が少ない、ゆえにもっとも把握しやすい領域から体系化をすすめるよう自然に促される。アダム・スミスが示す機械と言語と科学体系に共通する法則とは「最初は単純な構成から複雑な様相を呈し、それが進展していくにつれて複雑な構成から単純な様相を呈するようになる」というものであり、『天文学史』においてはコペルニクスとニュートンの登場がそれを革新的に推し進めたことになっている。一方で諸芸術、とくに個人的な創造の領域にあっては、それらが発するメタメッセージは「私はここに存在する」「ここに一つの視点が存在する」というきわめて単純なものであるが(もちろん、芸術のメッセージはこのメタメッセージのレイヤーを乗り越えて「真理」へ到達しようとすることは言うまでもない)、これらは全体として、世界に認識できる対象の多様性を増加させるように働く。「最初の詩人たちとおなじく最初の歴史家たちは、驚嘆すべきものごとを主題として選んだ」というアダム・スミスの記述は意味深長である。そもそも自然哲学者の営みが、自然がもたらす想像力の混乱、錯乱を適切な説明によって鎮めることにあるとするアダム・スミスの基本認識は、世界における驚嘆および驚異の強度と多様の増加を目指したであろう、原初の「創作者」たちの姿勢と対極に位置するものである。もちろん大規模な視覚芸術、大編成の音楽、建築そして映画といった集合的創造のメタメッセージについては、「わたし」というものの位置づけが異なるがゆえに、小規模な視覚芸術や文学や器楽といった個人的創造のそれと単純に同一視するわけにはいかない。だとしても、アダム・スミスの姿勢は神話期段階の世界認識からすでにして芸術的・文学的なものの認識と対立しているのであり、この亀裂が時を経るにつれて深まっていったことは、「科学者」と「詩人」がいかに調和しうるか、その原点を探すという課題へとわれわれを否応なくいざなうことになるだろう。
*10:同上, p17
*11:同上, p45
*12:同上, pp62-63
*13:同上, p22
*14:同上, pp25-26
*15:同上, p8
*16:同上, p103
*17:ニュートンが思春期にラテン語を学習した際の学習帳が残されているが、そこで選ばれた例文は「僕が座る場所はない」「誰も僕を理解してくれない」「何をしたらよいか分からない」といった、読んでいて心配になるような悲惨なものであることは注目に値する。自然科学者、数量化を志向する自然科学者全体に敷衍することはできないだろうが、ニュートンとアダム・スミスはどちらも癒やされることが必要な者として、すなわちある意味で病んだ、傷を負った者としてあったということは重要である(繰り返しになるが幼少期にアダム・スミスは誘拐されているし、彼の驚愕に対する怖れはここまで十分に書いたつもりである)。自己治癒者として科学者を定義するならば、彼らは科学者として巨大な資質に恵まれたというべきであろう。さきに「科学者」と「詩人」がいかに調和しうるか、その原点を探すという課題について述べたが、この課題の探求において重要となる問いの一つは、人間にとって恐怖とは何か、われわれは恐怖にどう向き合っていけばよいのか、ということになろう。ニュートンのエピソードについてはモリス・バーマン著、柴田元幸訳『デカルトからベイトソンへ 世界の再魔術化』を参照。
*18:アダム・スミス著、アダム・スミスの会監修、水田洋・松原慶子訳『アダム・スミス 修辞学・文学講義』pp70-71, 名古屋大学出版会, 2004
*19:同上, p136
*20:アダム・スミス著、高哲男訳『道徳感情論』pp180-181, 講談社, 2013
*21:アダム・スミス著、アダム・スミスの会監修、水田洋・松原慶子訳『アダム・スミス 修辞学・文学講義』p96, 名古屋大学出版会, 2004
*22:無論自然の斉一性と「社会の斉一性」は厳密には対応しない。自然科学における自然はたまたま(今のところ)この宇宙にただひとつしか存在しないが、社会は複数存在する上に、共通部分を持ったり階層性をもったりする。この困難をアダム・スミスが理解していないはずはなく、だからこそ『道徳感情論』にせよ『国富論』にせよ、死の直前まで改訂がなされつづけたわけである。
*23:カール・フリストンの自由エネルギー原理は、予測誤差の最小化というコアによって知覚と運動を同時に説明できる強力さから近年認知科学の分野で注目を増しているが、これは神経レベルの計算論的理論であり、人間の意志や思考が影響を(少なくとも直接的因果的には)与えられる領域ではない(認知的侵襲可能性は肯定的に検討されうるものだが、「Aを見る」と意識すれば「Aを知覚できる」といった無制限なものではありえないだろう)。だが、「自然科学者の心理学」の趣をもつ「天文学史」に現れる人間のありようは、意識的・心理的なレベルにおいても自由エネルギー原理と相似するシステムが存在するのではないかと思わせる。根源的恐怖に該当するものが神経細胞レベルにおいても見出されるものかどうかは筆者の力量の及ぶところではないが。自由エネルギー原理については、乾敏郎・阪口豊著『脳の大統一理論 自由エネルギー原理とはなにか』(岩波書店,2020)およびヤコブ・ホーヴィ著、佐藤亮司監訳、太田陽・次田瞬・林禅之・三品由紀子訳『予測する心』(勁草書房,2021)を参照。
*24:アダム・スミス著、高哲男『道徳感情論』p39, 講談社, 2013
*25:アダム・スミス著、アダム・スミスの会監修、水田洋ほか訳『アダム・スミス哲学論文集』pp112-113,名古屋大学出版会, 1993