エルンスト・ユンガー『労働者』読書ノート 第3節(第2章のつづき)

前回(第3回)はこちら。

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このシリーズでは

・川合全弘訳『労働者 支配と形態』(月曜社, 2013)を使用する。この訳では底本として1932年の初版が使用されている。脚注において特に言及がない場合は本書のページ数を参照する。

 

 

・各記事につき一節分のノートとする。全80節あるため、「まえがき」を含め全81回の予定。

・無理では?

 

「第3節(第2章 市民的世界の鏡に映じた労働者アルバイター像)」ノート

 『労働者』の政治的側面に注目した読解ではないため、際立って掘り下げるべき語句、文脈を超越して広がっていくような語句というものはこの節には存在していない。「利害の仮面」といった語句が「市民という衣装」にディティールを与えているが、第1節のところで一旦通過した「国家」と「社会」の非リベラリズム的峻別をより丁寧に行うにはまだ材料が不足している。

 それでもいくつかの語句を拾うことで、この後の展開を理解するための助けとすることはできるだろう。冒頭。

 

 焦点のぼやけた視線から生じる見方は、まず労働者層と第四身分との同一視である。

 機械的な表象に馴染んだ精神にとってのみ、支配の継起という出来事は次のように映る。すなわち、あたかも時計の針が文字盤の上に次々とその影を投じていくのと同様に、ある身分に続いて別の身分が権力の舞台を通過する一方で、後ろの方ではすでに新しい階級が自己意識を持ち始める、というように。*1

 

 後年ユンガーは『砂時計の書』というエッセイを著しているが(原著1954年)、そこでは時計の形態が、単なる時間の計測を超えた意味の啓示的表出として捉えられている。ここで現れる時計は歯車時計の形態からとられていると思われる。「機械的な表象」の語句がそれを補強する。

 歯車時計以前、時計には大きく二つに分けて「宇宙的コスミシュ時計」と「地球的テルーリシュ時計」

に分類された。前者は宇宙の要素(光)、星辰の循環的歩みを写し取るものであり(日時計)、後者は地球の要素エレメント(地、水、火、風)、直線的に一方向に流れゆくものに物差しを当てることによって成り立つものである(砂時計、水時計、火時計)。前者は太陽の光を必要とするが、後者には必要ない。これら二つの時計は「宇宙旅行」の場において無力化される。無重力空間において砂時計は機能せず、太陽はそれ本来の場すなわち無重力空間において循環から開放され、殺人光線を放ち続ける永遠となり、やはり時の徴としては失陥する。「要するに、父なる天空の光と母なる大地の重力とにおいて、天空の時間と大地の時間とがわたしたちに働きかけているのである。わたしたちはこのふたつの時間をわたしたちの内部で統一しなければならない。」*2とあるように、天の循環的要素と地の直線的(重力と落下)が地球における時間の容貌を規定してきた。

 ところが歯車時計はこの二つの時間のいずれにも触れない。いうまでもなく歯車時計は太陽の光を必要としていないし、その機構は地球の根源力である重力と自然な関係を持たない。歯車時計は「知性的時計」なのであり、根源力から隔たった時計である。無論この時計は「宇宙旅行」の場においても利用可能なものである。*3

 長々と脱線したかに見えるが、このことは次の部分を読む際の補助線として活きてくる。

 

 むしろ最も我々の注意を惹くものは、市民と労働者との間に、単に年齢の差ばかりでなく、なかんずく地位の差が認められる、という事実である。すなわち労働者は、市民がその存在すら全く知らないような、根源的エレメンタールな力との関わりを有しているのである。*4

 

 ユンガーの観察した「労働者」は繰り返しになるが1932年の「ベルリン」から/への視座に限定されており、そのことは「年齢の差」という語句が現れることに明らかである。現在時においての「労働者」の追跡においては、市民-知性という連関に対し労働者-根源力という連関が対置されることを念頭に置く必要がある。知性によって把握された第一〜第四身分という観念及び権力の舞台における主役の推移というものは、市民における特殊な身分の把握であること、この身分の把握は身分それ自身の根源的なものから切り離された利害関係として規定=定義しなおされていること、これらがすべて「機械時計」の世界に属することを把握しておけば十分である。

 

 そしてもう一つ、「話し合い」という語句に注目してこの節を終わろう。

 

 それゆえ労働者層が一つの身分として解釈されるのは、市民的な視角からなのであり、このような解釈の基礎には、新しい主張を、話し合いの継続が可能となる古い枠組みの中にはめ込もうとする、無意識の策略がある。というのも、市民は、話し合うことができ、交渉することができるときに、安全だからである。*5

 

 市民においてコミュニケーションは単なる人間行動の一つにとどまらず、社会を成立させうる基盤的なものとして現れる。「労働者」はこの認識を共有していない。前節の最後を思い出すべきである。「しかし本当に新しいものは、激動の中に生じるという強調を必要とせず、それの最高の危険性は、それがただそこにあるという事実に基づく。」*6語る必要のないものは、コミュニケーションをもまた必要としていない。

 

次回

 

*1:pp19-29

*2:エルンスト・ユンガー著・今村孝訳『砂時計の書』p71, 講談社, 1990

*3:轟孝夫『ハイデガーの超-政治』(明石書店,2020)でさりげなく顔を出した、人類の宇宙進出に対するハイデガーレヴィナスの決定的対立は、この根源的な力をめぐる信仰の対立でもある。あるいは「スターチャイルド」や、部分的だが「スペースノイド」のようなSFが提示する存在の一類型は、地球に生まれつくという人間の運命に対する対照群としてもあらわれる。無重力を故郷とすることは、生まれてくることの運命の形式が、地球人とは全く異なるということを意味している。彼らにとって天空と大地はもはや根源的なものではない。荒涼とした船外にあって、ただ知性的なもの=宇宙船によってのみ生存が許されるという状態は、故郷や運命(そしてもしかしたら神もまた)というものに対する全く異なる認識をもたらすことになるだろう。

*4:p20

*5:p20

*6:p19

エルンスト・ユンガー『労働者』読書ノート 第2節(第2章 市民的世界の鏡に映じた労働者(アルバイター)像)

 

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このシリーズでは

・川合全弘訳『労働者 支配と形態』(月曜社, 2013)を使用する。この訳では底本として1932年の初版が使用されている。脚注において特に言及がない場合は本書のページ数を参照する。

 

 

・各記事につき一節分のノートとする。全80節あるため、「まえがき」を含め全81回の予定。

・無理では?

 

「第2節(第2章 市民的世界の鏡に映じた労働者アルバイター像)」ノート

 

 第一段落で改めて登場する「労働者」の語になされた原注を見よう。

 

*「労働者」という語は、他の語と同様、本書では有機的な概念として用いられる。すなわち、それは考察の経過の中で、後から振り返って初めてその全体を見渡すことができるような諸々の変化を被ることになる。*1

 

 しばしば著述に使用される「有機的」という概念は曖昧である。それはときにはネットワーク状、自生的、サイバネティックといった語に似るが、そのどれもが微妙に含意を共有していない。「無機的」と対照をなせるのか怪しい場合さえある。*2しかしここでのユンガーの定義は明白である。書物という特性上、線形性によって拘束されてはいるが、部分から全体へと向かう運動であること、運動において変化を被ること、定義から開始しないこと、以上の三点である。

 概念から記述へ拡張を図ることにより、記述の全体像には二つの様式があることが見えてくる。一つが有機的な記述である。もう一つを仮に公理的な記述と呼ぼう。公理的な記述は有機的な記述と明白な対照をなす。公理的な記述の代表は証明である。公理的な記述は定義から開始される(その背景に控えているのが公理系という全体である)。記述の運動において定義されたものは変化を被らない。そして、記述は定義されたものが内に持つ様々な萌芽のうち、ある一つの方向を取り上げ一点へ向かって収束していく。いわば、全体から部分へ、というわけだ。この時期のユンガーという素材の探照灯には、ドイツ/フランスというフィルターがかかっている。極めて大まかにいって、有機的な記述をドイツ的、公理的な記述をフランス的といってもよいかもしれない。

 この有機的な記述のありようは実は「まえがき」から現れていた。「リヴァイアサンひれを目に見えるようにすることができさえすれば、あとは読者自身がおのずと独自の発見へと突き進めよう」*3というのがそれである。この状況を文字通り考えてみよう。リヴァイアサンの鰭が目に見えるようになった状態でリヴァイアサンの全体が目に入っていないというのはどういう状態だろうか。あまりに近すぎのである。

 遠く離れて全体を一望するという手がある。視界は全体性に属している。目を開けば一気に見えるのであって、実は徐々に見えるということはない。一般的にいわれる「だんだん見えてくる」という状態は、「見えにくい全体」が一瞬にして掴み取られ、そこから変化していく全体の経過を一瞬一瞬に掴めている状態のことであり、ここでも見えることの全体性は揺らいでいないのである。「見落とす」というのは「見えているのに見ていなかった」ということである。「見える」は全体性に属するが、「見る」はそうではなく、意識の集中を必要とする。

 この意識の集中という観点から考えると、遠く離れるほかにもう一つの手が考えられる。それは目を使わず、手で触れていくことによって、感覚と想像のうちに全体性を構築していくやりかたである。ヘレン・ケラー的な、といったら言い過ぎだろうか。この方が有機的な記述を考えるうえでは有益である。少しずつ触れることによって全体があらわれてくるというこのありようは、部分から全体へという有機性の形式にまさに合致している。第一次世界大戦で使用された毒ガスは大量の兵士を失明させた。考えてみれば「見ることの実演」であるはずの『労働者』の第1節はドイツ史から始まったのである。歴史は目に見えない。『労働者』は最初から「見えないものを見る演習」として開始されたのであり、その意味でも、ここで要請されているのは物理的な目というより「手の目」であろうことが窺えるのである。

 

 有機的な記述は当然ながらこの第2節でも遂行されている。「労働者」の観察は定義から始めることが出来ない。なぜならそれは始まる前からすでに始まってしまっていたからであり、しかもその始まり方は「労働者」にとって満足の行く仕方ではなかったからだ。

 

 我々は、この運動に対して公正な態度で望むことができるよう、それの初期の様相から十分な距離を取らなければならない。ひとは自らの性格が形成される学校を選ぶことができない。というのも、学校は父によって決められるからである。*4

 

 父の語にドイツ的性格が負荷されているにしても、大筋は普遍的に理解可能である。まっさらなところから始めうるのは定義の世界とフィクションの世界だけである。生まれるということは、すでに始まってしまっているということのただなかに生まれるということであり、成長の過程において、すでに始まってしまっていた言語が着用させられる。学校という語の含意は、生まれたことそれ自体における運命と、生の過程における運命との微妙な峻別を要求する。語ることはここでは学校すなわち後者の運命に関連している。

 

そして、労働者の手段が闘争の中で成立してきたこと、闘争においてはどんな立場も敵の影響に晒されることが、十分に考慮されるべきである。もし労働者に対して、彼らの現状が高純度に精錬される前の金属さながら市民的な価値観の残滓を帯び、間違いなく二十世紀に属するその言語が十九世紀の問題設定を通じて形成された多くの概念をなお含んでいる、という非難が浴びせられるとするならば、それはあまりにも安直にすぎる非難であろう。というのも、労働者は、自ら語り始めた当初、自分の言い分を相手に分からせるためにそのような概念の使用に頼らざるをえず、それゆえ労働者の主張は敵の主張によって限界づけられたからである。*5

 

 ひとは自らの言語を学ぶ前にその内容を選別することはできない。それはまさに「高純度に精錬される前の金属」であり、雑種であり、汚染されたものであり、はじめのうちはそれを使用するほかない。「精錬」の語が、そしてこの後に出てくる「異分子」「固有の要素でない」「有害物の排出によって除去されよう」といった表現が、この後の道行きを不穏に暗示している。ともあれ源泉の言語は生得的なものではなく、獲得されるものであり、したがって血の言語はありえないということはいえよう。

 この運動においてまたしても衣服の比喩が現れることには注意せねばならない。衣服は着せられうるが、皮膚や血(そして魂?)はそうではない(二つの運命の峻別)。語ることの拘束条件は「衣服」へ重ね合わされる。

 

このように労働者は、あたかもお仕着せの市民的な衣装が最後にはち切れるような仕方で、ゆっくりと成長してきたのであり、労働者がこのような成長の仕方の痕跡をとどめていることには何の不思議もないのである。*6

 

 労働者の自己主張は、学校におけるお仕着せの言語の習得という限界を、この限界のうちに学ばれた言語も使用しつつ破砕することによって成り立つ。ここに労働者の純粋な言語が現れるだろう。

 この労働者という歴史的存在は、それに至る歴史を持ち(フランス革命と、ドイツにおけるその反復の挫折)、その道行きは学校という個々人の経歴において通過される場所の比喩を使用して語られている。ここに「個体発生は系統発生を反復する」というヘッケルの学説との遠い相似がうかがえる、と言いたくなる。ヘッケルはドイツの生物学者であり1919年に亡くなる。まさにユンガーの同時代人であるからますますその思いは募る。しかし革命は反復ではない。清教徒革命とアメリカ革命は似ておらず、フランス革命、ドイツ革命、ロシア革命、中国革命、キューバ革命イラン革命、どの顔も似ていない。革命はその都度すべての革命をも革命する。この節では、いうなれば「労働者は語ることができるか」ということが主題であるように思われるが、次の部分はそのような段階を超えている。

 

しかし、歴史的な出来事がそっくり再現されることは、その活き活きとした内容の伝達と同様、ほとんどありえない。それゆえ、ドイツで革命的な活動が行なわれようとしても、常に革命のお芝居が演じられるという結果に終わったのであり、他方また、静かな部屋の中においてであれ、戦闘の弾幕の下に隠れてであれ、本来の変革は人知れず遂行される、ということになったのである。

 しかし本当に新しいものは、激動の中に生じるという強調を必要とせず、それの最高の危険性は、それがただそこにあるという事実に基づく。*7

 

 すなわち「本当に新しいもの」、革命的なものは語ることすら必要としないからであり、「ただそこにあるという事実」だけで十分だからである。そして「ただそこにある」ことは静かだ。

 前回「静けさの危機」について書いた。静けさの獲得は単に聞き取りやすい聴覚的環境というだけでは足りないこと、五感にわたる静けさが要請されることについて書いた。しかしこの部分に出てくる「静かな部屋の中で」「戦闘の弾幕の下に隠れて」というフレーズを見ていると、つまりこの静けさの条件は五感に深く関わっていながらまったく物理的なものとは関係をもたないこと、言い換えれば外部に原因を求める必要がないことがわかる。*8田舎への隠棲も「ガス室」もいらないのである。物理的刺激を必然とする五感ではない五感が働くところでは、いかなる環境においても「静けさ」との遭遇がありうる。

 ただあるということの静けさは、環境に関する条件を一切課されていない。「激動の中に生じるという強調」を必要としない、すなわち演出は必要ではなく、それどころかコンテクストさえ必要ではない。新しさは新規性を必要としない。むしろここから無数のコンテクストが芽吹いていく。「最高の危険性」とは必ずしも攻撃的な相貌を持つものではない。たとえばイエス・キリストの存在そのものがこれに該当する。必ずしも奇跡の行いが重要なのではない。存在することそのものによって世界が変わってしまうことが、病気の治癒よりも奇跡的ではないかという言い方だってありうるだろう。このことはキリストや、ユンガーが書き連ねているような巨大なパースペクティブに限定されるようなことではない。各々これまでに経験してきた出会いを思い出してみるとよい。世界が(よかれ悪しかれ)変わってしまうような出会いというのはそう珍しいことではない。ここまでくると「危険な生」よりも「生という危険」のほうが前面に出てくるが、なぜ「新しさ」は「危険性」と結びつけられたのかといえば、それは「革命」が現実において省察されているというコンテクストによるものであり、そろそろ「ベルリン」に戻らねばならないのだろう。その前にもう一言だけ脱線したい。新しさの危険性が必ずしも危険な顔貌をしていないのだとしたら、こうも言えよう。静けさは必ずしも静けさの顔貌をしていない。

 

次回

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*1:p17, 強調は原文ママ

*2: 『広辞苑第七版』から引く。「有機的」から見よう。「【有機的】(【有機】の追込項目)有機体のように、多くの部分が集まって一個の物を作り、その各部分の間に緊密な統一があって、部分と全体とが必然的関係を有しているさま。」一方「無機的」はそもそも項目がない。「無機」の項目を見ると「【無機】(生命力がない意)無機化学または無機化合物の略。」となっている。「有機」は「【有機】(生命力を有する意)有機化学または有機化合物の略。」とあるから、根本的な対比は生命力の有無に存しよう。「有機的」の語は生命の構造を観察することから発展した比喩であるように思われるが、無機は有機の否定概念に過ぎないため、「生命でないものの構造」の統合的な理解が難しく、共通理解を構築し得ていない結果、豊かな意味をもつことができないでいるのかもしれない。

*3:p8

*4:p17

*5:pp17-18, 強調は原文ママ

*6:p18

*7:p19

*8:しつこく繰り返して恐縮だが、あの『論理哲学論考』の草稿もまた「戦闘の弾幕の下に隠れて」書かれたのである。

エルンスト・ユンガー『労働者』読書ノート 第1節(第1章 見せ掛けの支配の時代としての第三身分の時代)

 

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・各記事につき一節分のノートとする。全80節あるため、「まえがき」を含め全81回の予定。

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「第1節(第1章 見せ掛けの支配の時代としての第三身分の時代)」ノート 

 

 前回の「まえがき」*1を思い出そう。「個々人の必然的に限定された視野と特殊な経験」を素材とした、見ることの実演。そこで見られる労働者の形態は「貧困の要素でなく充溢の要素を伴う」。「リヴァイアサンひれを目に見えるようにすることができさえすれば、あとは読者自身がおのずと独自の発見へと突き進めよう」にあらわれるリヴァイアサンはむろん国家の化身であるが、この充溢が、現実の国境線を容器の縁として限定する全体性に関わるに過ぎないならば、(ドイツ研究の専門家や、自らをドイツ人と勘違いしている妄想家でもなければ)2020年代の東洋の島国に生きる「黄色い猿」にとって、第一次大戦を前線で戦い抜き帰ってきたドイツ人極右による「ベルリン*2からの眺望に限定された「見ることの実演」なぞに付き合うことは時間の浪費でしかない。*3もし「黄色い猿」にも読む価値のある何かを『労働者』から読み取りうるとするなら、それはこの充溢が現実のドイツの国境線とは本質的な関係を持たないことによって、書物を通じた魔術的な共同作業の力は「血」の力による断絶を超えていることへの信念によってである。すなわち、当節の冒頭の段落に登場する「我々」が、すでに存在するワイマールのドイツ人極右が想定するドイツ人たちを指すのみならず、それを超える  それを(来たるべき)「労働者」と読んで良いのだろうか?  ものを指し示す一人称複数として読みうるという信念によってである。

 

 第三身分の支配が、生の豊かさと力と充溢を規定するあの最も内奥の核心に触れることは、ドイツではこれまで一度もなかった。ドイツ史を一世紀余り振り返って、誇りをもって告白できることは、我々が悪しき市民であったということ、これである。市民の衣服は我々の体型に合わせて裁断されていなかった。いまやそれはぼろぼろに擦り切れてしまい、すでにそのぼろ切れの隙間から、あの市民的性質  時代が孕む民主主義の大いなる劇を感傷的な音色によって早くから予告しながら、結局その幕を開くことができなかった市民的性質  よりも、もっと野性的でもっと無垢な本性がすでにその姿を覗かせている。*4 

 

 身体的な要素、まず「衣服」について考えよう。「まえがき」で「新しい現実」は「新しい思想や新しい体系」と対比するように使われていたことが思い出される。「市民の衣服」はもっと正確にいえば「市民という衣服」であり、すなわちここには思想に対立する身体、それも「生の豊かさと力と充溢を規定するあの最も内奥の核心」を抱えた身体との対立という思考が提示されている。衣服は人工物であり、その本性は「野性的」でも「無垢」でもない。これによって『労働者』の視野から見た市民の規定がなされよう。市民とは「理性」的思想という衣服と一体化した身体であり、服を着ていることを忘れた裸体である。

 そして当然のことながら、衣服は脱ぎ着することができる。ある思想に対して「衣服」の比喩を充てた段階で、ユンガーの思索においてはフランス由来の人権思想のみならず、様々な思想が「衣服」のように選択可能であること、そして「衣服」的な思想は決して身体の持続性・統一性を侵襲することはできないということが明らかになる。

 

 この身体を巡るものが、前の引用に続く段落に登場する。二つ目の身体的な要素、すなわち「血」である。

 

 全くもってドイツ人は良き市民ではなかった。ドイツ人が最も強かったときは、ドイツ人が市民たること最も少なかったときである。思索が最も深く最も大胆に展開され、感情が最も生き生きと迸り、戦いが最も徹底的に行なわれたときには常に、理性の大独立宣言によって旗印として掲げられた諸価値に対する反乱が紛れもなく認められる。しかしながら、人びとが独創的精神と呼ぶあの直接的責任の担い手たちが、このときほど孤立し、このときほど自らの仕事と影響力を脅かされることもなかった。また、英雄的人格の純粋な展開を培う土壌がこのときほど貧弱なこともなかった。抗いがたい力を言葉に与える、血と精神のあの魔術的統一が横たわる源泉へと到達するために、根は不毛の地面を貫いて深く下ろされなければならなかった。同様に、異邦人と比べた自らの独自性を法則の地位へと高める力と法のあのもう一つの統一を、意志が獲得することも困難であった。*5

 

 ドイツの右翼思想における有名な標語は「血と土」であり、当節の後半に「言い換えれば、我々の自由が最も力強い仕方で表明されるのは、常に、自由とは封土レーエンであるという意識によって自由が担われるときである」*6と出てくるのを見れば、ここで「血」と組み合わされるのが「土」でなく「精神」であることは一見意外であるように思えるかもしれない。彼の思索において「理性」と「精神」は同一物として提示されていない。そればかりか「血」と「精神」さえもが同一のものではなく、それらは「魔術的統一」によってようやく統一され、「源泉」に横たわるのである。もっともなことではある。血は思考しない。

 ここでもう少し血について考えよう。「血」という言葉には何が背負わされているか。遺伝、血統、家族、血族、民族、人種……これらの側面はすべて生まれてきたことによって、生まれながらに背負うこととなる制約条件、強い言葉で言えば運命に関わる側面であり、民族主義的思想が「血」の言葉に付託するのは主にこの側面である。しかし「血」という言葉が持つ表情はそればかりではない。「精神にとっての勝敗とは異なる独自の勝敗の中に血が自己の確証を見出さざるをえないような戦闘」*7というユンガーの表現がその側面を示唆する。血には身体の中を巡る血と、身体の外へ流れ出る血がある。血で償う、贖うという表現が存在する。しかし(売血が存在した頃を別にすれば)血は財産ではないしましてや貨幣でもない。ときに血は貨幣が決して弁済しえないものを弁済しうる。血は賭けうるのだが、敗北が死をもたらすのに対して、勝利は決して支払った血を取り戻すことはできない。流血における「血」は、証明、それも個体の生命を超えたものを証明することにしか用いることの出来ない金、金を超えた金として現れる。*8

 このふたつの「血」がユンガーの思索には流れている。ふたたび当該箇所を読もう。「抗いがたい力を言葉に与える、あの血と精神の魔術的統一が横たわる源泉」という表現から、「あの最も内奥の核心」が対応するのは「血」ではなく「源泉」であろうことがうかがえる。血は最も本質的なものではない。なぜならそれは必ずしも終生抱えるものではないからであり、運命において流される、支払われる必要に迫られうるからである。血の血統的側面について言えば、ユンガーにおいてはそれほど重視されているように思われない。「異邦人と比べた自らの独自性を法則の地位へと高める力と法のあのもう一つの統一」という表現からも分かるように、ユンガーにおいて「自らの独自性(=ドイツの本質?)」は「異邦人」との差異によって、そしてそれを精錬することによって得られるものであり、比較を絶して成立するような単独性を持つものではない。とはいえ「血」の語はやはり必要なものであったろう。精神の実在の形式は曖昧である。しかし衣服が触れるのは皮膚であり、それが血に触れることは決してない。

 

 「源泉」は「抗いがたい力を言葉に与える」ものである。ここで最後の身体的な要素、「聴くこと」が前面に現れる。ユンガーはドイツにおける秩序-責任-服従-自由という鋼鉄の鎖を提示するが、次の部分にはその核心が明確に現れている。

 

 数ある中でもとりわけてドイツ人の特徴と目されている属性、すなわち秩序は、もしひとがそれのうちに自由の鋼鉄のごとき映像を見て取ることができないとすれば、あまりにも矮小に評価されてしまうことになる。服従〔Gehorsam〕、それは聴く〔hören〕術であり、そして秩序とは言葉を聴く用意、稲妻のごとく頂上から根元へと発せられる命令を受け取る用意である。誰もが、そしてあらゆるものが封土秩序の中にあり、指導者が本物と認められるのは、彼が第一の下僕、第一の兵士、第一の労働者であることによってである。それゆえ自由も秩序も社会とではなく、国家と関係づけられるのであり、あらゆる編制の模範は軍隊編制であって、社会契約ではない。したがって我々の強さの最高状態が達成されるのは、指導と服従についていささかの疑いも存在しないときである。*9

 

 したがって最高の自由とは最もよく聴く用意を整えることである。この部分における政治的な含意と緊張についてはいくらでも語り得るだろう。だが今は聴くことに集中していきたい。ドイツ語圏には時折「聴くこと」の思想が顔をのぞかせる。晩期のハイデガーのそれが有名であろうが、ヴィトゲンシュタインにも次のような文章が見られる。

 

 明日(聖金曜日に)私は断食をすべきだという考えがやってきた、そして、私はそうする、と考えた。だがすぐさま命令のように、自分は断食をしなければならない、と私には思えてきた、そして私はこれに抵抗した。「心からそう思えたなら私はそうしようとするのであり、命令されたからそうするのではない」と私は言った。だがこれではまったく服従にならないのだ! 心から思っていることをするというのは断念にはならないのだ(それが晴れやかで、ある意味では敬虔であるとしても)。結局お前はそこで死んではいないのだ。それに対して命令に服従するとき、まさにお前は純粋な服従から死ぬのである。それは死の苦しみだ。だがそれは敬虔な死の苦しみでありうるし、そうでなければならないのだ。少なくとも私は事をこう理解する。だがこう理解するのは私自身なのだ!   それがより高貴なことだとわかっているのに、死んでしまいたくないと自分は思っている、と告白します。*10

 

 この時期に点々として現れる「聴くこと」に関する思索にはなぜ独特の光輝があるのか。第一次世界大戦には数々の新兵器が投入されたが、その一つが機関銃であった。まだ黎明期であり、命中率も低かった機関銃は、銃弾による殺傷という目的もさることながら、それによって発せられる轟音そして硝煙がもたらす混乱の効果が重要視されていた。今では兵士のPTSDといったほうが通りが良く、そこにまとめられるであろう「シェルショック」もこの戦争で認識されることになる。轟音に閃光、毒ガスや硝煙。帰還した兵士たちを待つのは狂騒の20年代である。いわば戦後世界には「静けさの危機」があった。むろん重工業や照明、鉄道や自動車の誕生がすでに静けさをじわじわと侵食していただろうが、第一次世界大戦の戦場はそれまでの歴史上比肩するもののないほどに静寂を破滅の淵に追いやったのである。*11

 戦場の「うるささ」は単に聴覚的なものだけではなく、五感全体にわたっている。だからこそよく聴くことがなされうるとき、そこからは光輝が、晴れやかな感じが伝わってくる。ただ音波が鼓膜を震わせるだけでは足りないのである。硝煙が、毒ガスが、暗雲が晴れ、清明な天空が突き抜けるように地上の目に飛び込んでこなければならない。そのとき初めて「静けさ」が「頭の中に戦争を捕まえた」者たちの元へ帰ってくるだろう。静けさは快晴の稲妻、青天の霹靂である。戦場は無秩序であり、戦闘中など隣の人間の声が聞き取れるかさえおぼつかないように思える。しかし一見無秩序に見えるところにも秩序を発見すること、到底「聴く用意」ができるとは思えない場所においても秩序を見出すことが、ユンガーにおいての自由であり、その意志である。

 しかし、静寂は必ずしもそのようにして獲得されようとするものではない。

 ガス室とは静寂を生産する装置であり、システムである。それはひらけた天を持たず、ガスが漏れないように工夫された密室である。銃殺の場合、銃声が天高く響き渡ることになるが、ガス室の場合はそうではない。

 「まえがき」に書かれた日付は1932年7月14日である。同月1932年7月31日、ナチ党は国会選挙で第一党に躍進した。ヴィトゲンシュタインハイデガーと同じ1889年に生まれたアドルフ・ヒトラーは演説において絶叫する。それは聴くものではなく聴かせるもののやり方である。「指導者が本物と認められるのは、彼が第一の下僕、第一の兵士、第一の労働者であることによってである」というユンガーの記述は両義的であり、危険な表現であったろう。わたしはヒトラーの頭の中で鳴り響く轟音が止んだことは死ぬまでなかったと想像する。そして「ガス室」という発想は、その轟音の原因が外部にあるという認識、「黙らせろ」という発想に接続する。ラジオ、そしてPA。大音量と広範な拡散。黙らせるための声は自らの耳にも届き、結果として静寂は遂に彼のもとへもたらされることはない。

 

 ここまで三つの身体的な要素、すなわち衣服、血、聴くことを中心に見てきたが、これらを一つに結ぶアイデアが存在する。軍服である。そのことは「自由も秩序も社会とではなく、国家と関係づけられるのであり、あらゆる編制の模範は軍隊編制であって、社会契約ではない」というユンガーの筆に明瞭である。だがそれはドイツ帝国の軍服ではない。ドイツ帝国は滅んだからである。そしておそらくそれはナチス・ドイツの軍服でもない。それはまだ顕れていない国家、充溢しつつあるリヴァイアサンの軍服である。ここで、リベラリズムの視座からは理解不可能な「国家」と「社会」の峻別およびそれらと労働との関係を書くことは、当節の記述量からしても適当ではないだろう。最後に軍服についての考察を置いて終わりとしたい。

 軍服は制服の部分集合であるからまず制服を捉え、のちにその差異を取ることにする。衣服の持つメタ象徴機能は自己表示と帰属表示であり、私服が前者、制服が後者に属する。*12小学校の制服、コンビニ店員の制服、消防隊員や警察官の制服など、制服は個人の識別ではなくその個人が所属する組織の識別に関与する。軍服もまた制服ではある。では軍服と他の制服とを決定的に分かつ点はどこに存在するのか。

 軍服は、あらゆる服の中で唯一、それを着る肉体と命運をともにしている服である。軍服が死ぬとき、着用者もまた死ぬのである。言い換えれば、軍服は着用者の血に触れることが予期された制服にほかならない。そしてこのことによって「思想という衣服」において軍服が特権的な地位を占めることが明らかになる。着脱可能の謂としての衣服という比喩は、軍服が代入されたときにその意味を変える。それは血によって身体と結合された思想であり、その成否を流血の危険を伴う試練に問わなければならない思想であり、あの「源泉」において魔術的に統一された血と精神を抱える肉体を防護する思想であり、この思想を共有する諸身体の運命共同体を表示する思想である。このアクロバットによって思想と現実を結合しうるというのが、ユンガーにおける「軍服の思想」である。

 通常、軍服は選別の要素を持つ。軍隊の外には軍隊に属さない集団が存在するからである。しかしこれはそれほど自明なことではない。

 

次回

ajisimidaikon.hatenablog.jp

 

 

 

 

*1:p8

*2:p9, 強調は原文ママ

*3: 前回取り上げたヴィトゲンシュタインも、第一次世界大戦勃発に際し母国オーストリア=ハンガリー帝国の志願兵として前線での戦闘および捕虜の状態を経験している。戦後、ヴィトゲンシュタインは甥との会話の中で、「戦争が私の命を救ったのだ。それがなかったら私は何をしたか見当もつかない」といったという。燃え盛る無意味の溶鉱炉に投げ込まれるようなものだった第一次世界大戦の戦場をくぐり抜けたユンガーとヴィトゲンシュタインのふたりとも、戦場から何か核心的なものを持ち帰っているように思われる。丸山空大ほか『ウィトゲンシュタイン「秘密の日記」 第一次世界大戦と「論理哲学論考」』(春秋社, 2016)などを参照のこと。

 また、ワイマール共和国におけるベルリンは、革命と反動、そして没落が決定的でありながらもまだ息絶えてはいない市民的=第三身分的なもののエネルギーに満ちあふれていた。創造と破壊。リヒャルト・シュトラウスの絢爛とバウハウスの静閑、キャバレーや映画の光と影、そして酒場に、街頭に満ち溢れる暴力。この時期のベルリンに関する書物は多いが、例えば長澤均+パピエ・コレ『錯乱の都市ベルリン』(大陸書房, 1986)や、原田昌博『政治的暴力の共和国』(名古屋大学出版会, 2021)などが有益であろう。

*4:p12, 強調は原文ママ

*5:pp12-13

*6:p15

*7:p13

*8:この「流血としての『血』の思想」は「血脈としての『血』の思想」とは異なり、男性と女性において無視し得ない差異を持つ。いうまでもなく月経の有無がそれである。それこそ「血」の条件として、流血が生活の自然なサイクルに組み込まれている女性の身体がここで提示される流血の思想を眺めるとき、それは大仰なもの、滑稽なものに映りうるだろう。たかが流血に過ぎないからである。この条件を通過してふたたび男性の身体を眺めるとき、男性の身体は「傷つくことによってしか血を流さない身体」として現れる。男性の身体において、血は循環すると同時に「蓄積」されている。ここから「血で支払う」という発想が男性的な世界において有意味に流通しうる余地が発生する。

*9:p15

*10:イルゼ・ゾマフィラ編・鬼界彰夫訳『ヴィトゲンシュタイン 哲学宗教日記』p152, 講談社, 2005, 傍線は引用元ママ。

*11:「静けさの危機」はドイツ語圏に特有のものではない。近年発見されたルイ=フェルディナン・セリーヌの小説草稿『戦争』は轟音から始まり、「おれはこの頭の中に戦争を捕まえたんだ」という地点にまで達する。ルイ=フェルディナン・セリーヌ著、森澤友一朗訳『戦争』幻戯書房, 2023を参照。

*12:ところで私服はいかなる意味でも制服ではないのだろうか。ファッション史、特に流行の誕生、万人が着飾りうる社会の誕生、ファスト・ファッションの意味とその変遷などを追うことは筆者の力量をはるかに超える。しかし少なくとも先述の定義を受け入れるならば、自己表示を機能とする私服は、「自己表示せよ」という社会においては一種の制服として機能する。「個性的」なものがなんら個性的でないのはこのゆえんである。『労働者』を読み進めたあとで浮上してくる問いの一つは、この「制服としての私服」が「軍服」の位置にまで到達しているか、ということである。

エルンスト・ユンガー『労働者』読書ノート まえがき

 

このシリーズでは

・川合全弘訳『労働者 支配と形態』(月曜社, 2013)を使用する。この訳では底本として1932年の初版が使用されている。脚注において特に言及がない場合は本書のページ数を参照する。

 

 

・各記事につき一節分のノートとする。全80節あるため、「まえがき」を含め全81回の予定。

・無理では?

 

「まえがき」ノート

 日本語訳にしてほぼ1ページにおさまる簡潔なまえがきである。全文引用してしまおう。

 

 本書の企図は、理論を超え、党派対立を超え、予断を超えて、労働者の形態ゲシュタルトを、すでに歴史に力強く食い込み、変化した世界の諸々の形フォルメンを有無を言わせぬ仕方で規定しつつある活動的な力として、目に見えるようにすることにある。ここでは新しい思想や新しい体系でなく、むしろ新しい現実が主題となっているので、全ては、囚われのない十分な視力を備えた目を前提とする、記述の鮮明さにかかっている。

 この根本的な意図は恐らく本書のどの一文にも現れていると思われるが、他方そこで提示される素材は、個々人の必然的に限定された視野と特殊な経験とに見合うものとならざるをえない。とはいえ、労働者の形態は貧困の要素でなく充溢の要素を伴うので、リヴァイアサンひれを目に見えるようにすることができさえすれば、あとは読者自身がおのずと独自の発見へと突き進めよう。

 本書で試みたのは、この重要な共同作業を、努めて基本教練の規則に従う実演という方法によって支援することである。基本教練において様々な素材は、常に同一の体得ができるよう反復練習するための機会として利用される。重要なものは諸々の機会でなく、むしろ体得の直観的な確実性である。

 

ベルリン、一九三二年七月一四日

                       エルンスト・ユンガー*1

(強調は原文ママ

 

 前提が存在する。現実を新たに鋳造する力としての「労働者」はまだ読者にとって目に見えるものではないという前提である。「視力」などに代表される目の比喩の頻出は、この本の目標が「労働者の形態を目に見えるようにすること」の一点に集約されることに沿っているが、この「見ること」は静的な観察、ましてや鑑賞ではない。労働者は学校や美術館とは関係なく存在する。労働者は美術品ではないしプレパラートでもない。

 これを裏付けるのが「実演」「基本教練」というように頻出する軍事用語であり、座学は実演ではない。「新しい思想や新しい体系」は認識に即するが、「新しい現実」は認識のレベルを超えている存在の次元を示唆する。「体得」という語がこの「見えるようにすること」の内実を表している。「労働者の形態を目に見えるようにすること」とは「労働者の形態が目に見えるような身体を獲得すること」であって「労働者の概念を理解すること」ではない。

 個々人という限界において経験された素材は、この目標の達成に向けた反復練習をするための機会として捉えられている。「重要なものは諸々の機会でなく、むしろ体得の直観的な確実性である」という文章は、素材=機会という等号によってすでにこの「見えるようになった目」の特徴を垣間見させる。この目にはもはや世界の諸々の事物や事態それそのものは重要ではない。いずれの素材も「反復」練習を通じ、世界を鋳造する力としての労働者という形態ゲシュタルトへと視線を到達させるための機会であるから、ここには教官の実演とそれを見学する新米兵士たちの身体だけが、素材の世界という地に対する図として浮き上がってくる。

 このようにして最終段落の「実演という方法によって支援する」は読まれる必要がある。言い換えれば、ここにはユンガーが世界を見ている様子と、その視線を共有する読者だけが存在するのである。ふたつの身体が等号で接続される魔術を信じることが、この「教育」を可能にするための必要不可欠な前提である。この共同作業は魔術的である。

 

 実演と基本教練というからには実戦が自然に想定される。いつまでも練習しているわけにはいかない。それだけではなく、人間はとうぜん食ったり寝たりしなくてはならない。ここで思い出されるのはヴィトゲンシュタインの『論理哲学論考』の6.54節である。

 

 私を理解する人は、私の命題を通り抜け  その上に立ち  それを乗り越え、最後にそれがナンセンスであると気づく。そのようにして私の諸命題は解明を行なう。(いわば、梯子はしごをのぼりきった者は梯子を投げ棄てねばならない。)*2

 

 わたしたちは「目の使い方」といったような本を片手に日々を生きなくてもものが見えるし、それゆえそのような本を必要としていない。同様にして「労働者の形態が目に見えるようになった身体」にとって「労働者の形態を目に見えるようにすること」を目標とする本は必要ではない(「あとは読者自身がおのずと独自の発見へと突き進めよう」)。小学六年生の授業では小学六年生用の教科書が使われるのであり、それ以前の学習過程の教科書は使用されない。とはいえ各々が復習をすることはあろう。梯子を登りきっていないものが梯子を投げ棄てることはルイス・キャロルの世界に属するし、基本教練は必要に応じて行われるだろう。

 『労働者』の初版は1932年、『論理哲学論考』は1918年に成立する。第一次世界大戦末期から第二次世界大戦前にかけての時期、ほぼ戦間期といってよい時期に登場したふたつの文書は、似たものを共有している。前に引用した6.54節の冒頭「私を理解する人は」の「私」は、「まえがき」でなされる、視線の実演を通じたふたつの身体の魔術的な結合と同相な志向をもっていないだろうか。『論理哲学論考』を書いたとき、ヴィトゲンシュタインは哲学の問題は解決したと考え、小学校教師に転向する。ユンガーの『労働者』において、経験からなる素材はそのすべてが労働者の形態に到達するための扉となる。

 ふたりの文書はいわば世界の天蓋に到達するものとして現れる。ここで「労働者の形態は貧困の要素でなく充溢の要素を伴う」という記述における「充溢」があらためて目を引く。充溢は満ち溢れるということであり、これは容器と内容物の関係を想像するのが適当である。つまり充溢と氾濫は異なるのであり、際限なく境界を飲み込んでいく氾濫に対して、充溢はある秩序だった世界、限りある世界を前提とする。充溢は全体性に属し、氾濫は無限に属する。『労働者』と『論理哲学論考』がどちらに属するかはいうまでもない。

 

 二つの文章は「この文章の外側」を指し示すメタメッセージを発しているが、これは「書を捨てよ、町へ出よう」というメッセージとは異なっている。「書を捨てよ、町へ出よう」が捨てよというのは一般化された書物であり、この文字列自体はその命令を発したという特権的な地位を占めることになる。『労働者』と『論理哲学論考』が発するのは「この本を捨てよ」というメッセージであり、それは同時に「この本を捨てられるようになるまでは繰り返し読め」というメッセージでもある。

 繰り返し読むということと、その本を読む必要がなくなるということの関係は必然的ではない。その反例としての文学が存在する。繰り返し読む、読んでしまう詩や小説に対し、読者は愛着を覚え、懐かしさを感じ、英気を養われ、ときには耽溺することもあろう。十分にその内容を体得していてなお、帰ってくるということがありうる。ひとによってはそのような書物を「故郷」という言葉で呼ぶかもしれない。『労働者』も『論理哲学論考』もその相貌を拒む。その拒絶を乗り越えてくる愛郷者はいるかもしれないが、少なくともヴィトゲンシュタインの場合、その「帰郷」は牧歌的なものではなかった。

 なお、すべての文学がこのような反例であるわけではない。必ずしも文学は「故郷」であることを望むものではない。

 

 この「まえがき」で、ユンガーは世界を鋳造する力としての労働者の形態ゲシュタルトを目に見えるようにすることを目標に据えた。この目が「労働者」の目であるのかは明らかでない。

 

次回

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宇宙人アダム・スミス ④そしてわたしたちがふたたびはじめてはなしはじめられるようになるために(完)

 

第三回はこちら。

 

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小林  つまり、荒川さんが最初におっしゃったことに引きつけて言うなら、三つの「場」がある。私は荒川さんとも下條さんとも違う立場ですが、言説を成り立たせている言語の場というものを考えると、これは非常にミステリアスで、どうしても明確にできないんです。でも、私は言語の側に立つ人間だから、謎めいたままにしておいた方がいい、明確にしなくていいと思っているんです。荒川さんは、それを絶対的に明確にしないかぎりわれわれは救われないということをはっきり言っている。また下條さんは科学者だから、それは絶対に明確にすべきだと思っていると思うんです。

 実証科学がその認識対象として前提している世界という場と、非常にミステリアスな言語の場、この二つだけだと処理ができない。そこで出てきたのが行為だと思うんです。行為はそのどちらでもない、つまり言語でもなく、また必ずしも世界でもない。その行為の場というのは何かというのが、J・L・オースティンのスピーチ・アクトといった個別的な問題を超えて、非常に大きなトピックになってきた。それが荒川さんの最大の問題だと思うんです。つまり、荒川さんは意味の方から入って、言語の謎めいた場に対する問いかけをずっとなさってきて、それを突き抜けてしまった。普通のアーティストだったらそこで世界の方にいくのですが、荒川さんはそうではなく、時間と空間が一緒になった行為の場というのは何なのかを徹底的に明晰にするというテーマに向かわれた。そういうふうに見えるんです。

荒川  今日は意外にきみに賛成するところがある。(笑)言語にある程度の柔軟性を持たせるためには、言語というのはこういうものだと決して突き詰めて言わない方がいい。詩的言語がある以上、すべて詩的行為です。

小林  そこを残しておきたい。

荒川  というより、常にどこまでいっても残ってしまうんです、、、、、、、、、。その詩的行為が大きければ大きいほど残る。また、たとえば名詞に不思議なものが残るのは当り前だけれども、述語にも大変な抽象が含まれている。そうであるかぎり、どのように言語を使っても、最終的にこうだという公式を立てることはできないだろうと思うんです。言い換えれば、人間がつくり上げた自由という言葉は生と死の問題が解決すれば逆に計算して出てくるだろうけれども、それが解決しないかいぎりは永遠に語れないし、しかも決して説明のできない場が残る。また永遠、時間、空間、本質、希望といった言葉が明確にならないかぎり……。

 

    荒川修作小林康夫『幽霊の真理 絶対自由に向かうために』「場それ自身が行為であり出来事なんだ」*1

 

 

「おとうさん。

 さいごだからなにか言って」

 

 

 

「おはよう!

 おはよう!」

 

     高橋源一郎虹の彼方にオーヴァー・ザ・レインボウ*2

 

類似性、親和性、模倣

 

 遺稿『哲学論文集』に収録されている「外部感覚について」でアダム・スミスは、生まれつき両目に白内障を患っていた青年がチェスルデンの白内障圧下法によって視力を回復した事例について語っているが、青年が視力回復後はじめて絵画を眼にしたとき、彼が絵の中の事物の手触りと、その絵が指示する事物の手触りの違いに驚いたエピソードを引いて書いた次の部分は、アダム・スミスが絵画における遠近法を「欺瞞」と感じていただろうことを補強する。

 

 絵画は、自然がわれわれの目に提示する可視的諸対象において用いるものと同じような光と陰の組み合わせによって、それらの対象を模倣しようと努めるけれども、それはけっして自然の遠近法に匹敵しえず、その製作物に、自然がみずからの製作物に付与しているあの力強く明確な浮彫りや投影を与ええなかった。その青年紳士が、力強く明確な自然の遠近法をちょうど理解しはじめたとき、ぼんやりとした弱々しい絵画の遠近法は、彼に何らの印象も与えず、得は、彼には実際にそのあるがままに、さまざまな色彩で塗りたてられた平面として見えた。彼が自然の遠近法にもっとなじみ深くなったとき、絵画の遠近法の劣等性は、彼がそれと自然の遠近法との類似性を発見する妨げにはならなかった。自然の遠近法において、彼はつねに可触的・被表示的諸対象の位置と距離は、可視的・表示的諸対象が彼に示唆するものと正確に一致することを見いだした。彼は同じことを、絵画の、劣りはするが類似した遠近法においても見いだすことを期待したが、可視的対象と可触的対象は、この場合、それらの通常の対応関係をもたないということが分かって失望したのである。*3(強調は引用者)

 

 この青年は当初、「強い光のもとでは、黒と白と真紅」の色彩を識別できたものの、形状はまったく識別できなかった。チェスルデンによる治療後、視覚と触覚の語彙を取り違えるような最初の「見る」体験をし(あらゆる対象が「目にさわった」)、知識と視覚的な対象を少しずつ一致させ(触感では識別できたが、視覚だけでは犬と猫を間違えることがあった)、ついにはエプソム高原に連れて行かれた際、そこに広がる光景を見て、「新しい種類の視覚だ」と感嘆をもらすまでになる。ここでアダム・スミスは、彼が今や彼が「視覚の言語」を完全に理解するに至ったこと、生まれつき失っていた視覚の習得は「だれでも成年に達した人物がどれかの外国語を完全に習得することのできる期間」よりも明らかに早い一年という期間で成し遂げられたこと、これは「視覚の偉大な諸原理が前もって彼の精神に深く刻印されて」いたから起きたことかもしれないことなどを述べているが、この生得的性向説と並べてもう一つの説明として提示されるその次の部分を見よう。

 

しかし、この急速な進歩は、おそらく、すでに言及された可視的諸対象と可触的諸対象とのあいだのあの表示の適合性から、説明されるかもしれない。この自然の言語においては、どんな人間の言語における場合よりも、類似は完全であり、語源、語形変化、および活用形と呼びうるものは規則的であるといってよい。規則はより少なく、それらの規則は例外を認めないのである。(強調は引用者)*4

 

 視覚はある種の言語、「自然の言語」として語られるが、それは「どんな人間の言語」よりも「完全な言語」として現れる。これは「絵画の遠近法」と「自然の遠近法」の関係と並行関係を持っている。人間による自然の模倣から生まれた技術としての遠近法が、その模倣自身を完全な本質として自然に与え返すわけだ。これは前回取り上げた「悲嘆や歓喜からの転調を音楽が忠実に模倣した場合」という表現と構造を等しくしている。

 アダム・スミスは可触的諸対象(触覚)と可視的諸対象(視覚)の関係と言語における「言葉や音声」と「それらが表示するもの」の関係を、バークリの先行研究を引きつつ明らかにしていく。まず「言葉や音声はそれらが表す事物となんの類似性ももたない」ように、「可視的諸対象は、それらが表示する可触的対象と何の類似性ももたないで、可触的対象の、われわれ自身との、またそれら相互間の、相対的位置について、われわれに情報を提供する」ことが確認される。しかし「記号と事物」と「視覚と触覚」のあいだには、重要な違いもある。「ほとんどどの言葉も、どれか他の意味よりもある特定の意味を表現するのに、本性上適しているということはないけれども、ある種の可視的諸対象は、ある種の可触的諸対象を表示するのに、他のものよりも適している」というのがそれである。可触的方形を表示するのには、可視的円形よりも可視的方形のほうが適している。この関係は、「可視的諸対象と可触的諸対象とのあいだには何の類似性もないとはいえ、両者の間にはある親和性と対応関係がある」という言い方で示唆されている。この「言葉・音声 - 事物」と「視覚 - 触覚」の類似と差異を説明した後で、アダム・スミスはバークリの解釈に異を挟み込んでいく。

 

 バークリ博士は、めったに欠かしたことのない巧妙な例証によって、次のように述べている。すなわち、以上のことは、実際に通常の言語において生じていることがらにすぎない。諸文字は、それらが表す言葉とは何らの類似性ももたないけれども、ある言葉を表示する諸文字の同じ組み合わせが、必ずしも他の言葉を表示するのに適しているとはかぎらず、それぞれの言葉は、つねにそれ自体に固有の諸文字の組み合わせによって最もよく表示されていると。しかしながら、この場合には、比較はまったく変更されていると言わねばならない。可視的諸対象と可触的諸対象とのあいだの関係が、まず音声言語とその音声言語がわれわれに示唆する意味や観念とのあいだのそれと比較されることによって例証されたが、それが今や、これとはまったく異なる、文字言語と音声言語のとのあいだの関係によって例証されている。そのうえ、この第二の例証でさえも、この事例には完全には当てはまらないであろう。なるほど、慣習がそれぞれの文字の力能を完全に確定したとき、すなわち、それが、たとえばアルファベットの最初の文字はつねにこういう音声を表示し、二番目の文字は別のこういう音声を表示するのだということを確定したとき、それぞれの単語は、一定の書かれた文字や記号の組み合わせによるほうが、どれか他の組み合わせによる場合よりも、適正に表示されるようになるであろう。しかしそれでもやはり、諸記号そのものはまったく恣意的であり、それらが表す明瞭な音声とは何らの親和性や対応関係ももたない。たとえばアルファベットの最初の文字を表す記号は、もしそのようにきめるならば、われわれが現在二番目の文字に付与している音声を表現するために、そして二番目の文字の記号は、われわれが現在最初の文字に付与している音声を表現するために、完全な適切さをもって用いられたかもしれない。しかし可触的球体をわれわれの目に表示する可視的記号は、そのようにうまくは可触的立方体を表示しえないであろうし、また可触的立方体を表示する可視的記号は、そのように正確には可触的球体を表示しえないであろう。したがって、それぞれの可視的対象とまさにそれによって表象される特定の可触的対象とのあいだには、文字言語と音声言語とのあいだに、あるいは音声言語とそれが示唆する観念や意味との間に生じるものよりも、ずっと高度な一定の親和性と対応関係が存在することがあきらかである。自然がわれわれの目に語りかける言語は、あきらかに、表示の適合性、すなわちまさにそれが表す特定の事物を意味する能力、をもっており、しかもこれは、人間の技術と創意がこれまでに発明しえたどんな人為的言語のそれよりも、はるかにすぐれたものである。*5(強調は引用者)

 

 アダム・スミスは、記号の恣意性を強調することで、バークリの論証の不正確性を突く。バークリは、本質的に類似していないものがもう一方を表示できることを、記号と意味の関係において、人間の言語には一見存在しないかに見える可視的対象と可触的対象の親和性や対応関係を、文字記号と音声記号の関係において説明しようとした。アダム・スミスの批判はこのどちらの説明の仕方をも揺るがすかに思えるが、アダム・スミスはそれでも言語の比喩を捨て去るつもりはない。「人為的言語」という表現がその証左であり、「自然がわれわれの目に語りかける言語」がいかなる「人為的言語」よりも優れている点は、「表示の適合性」によって端的に表されるだろう。感覚論、文体論、道徳論がこの「表示の適合性」によって接続するとき、アダム・スミスの問題系が、言語をいかに考えるかということによって支えられていることがわかる。「模倣芸術について」がアダム・スミスの感性の核心であったとするならば、「言語の最初の形成、および本源的ならびに複合的な言語のさまざまな特質に関する考察」、通称「言語起源論」は、アダム・スミスの思考の核心である。

 

 アダム・スミスの「言語起源論」においてまず誕生する品詞は名詞であるが、それはもともとすべて「固有な名称」すなわち「固有名詞」として現れる。何が「固有名詞」として生まれたものを名詞へ導くのか。それは類似によってである。冒頭を見ていこう。

 

1 特定の対象を指示するために特定の名称を割り当てること、すなわち、名詞相当語の開始は、おそらく、言語の形成に向けた最初の第一歩の一つであっただろう。話すことを学ばず、しかし、人間の社会から隔離されて育った二人の未開人は、彼らが一定の対象物を指示したいと思いさえすれば、相互の必要を互いに理解できるようにしようと試みるような言語を、何かの音を発することによって、自然に形成し始めるだろう。彼らにもっともなじみ深く、頻繁に言及する機会がある対象物だけが、特定の名称をそれに割り当てられるだろう。覆われていることによって、彼らが悪天候から守られる特別の洞窟、彼らの飢えを救う果実をつける特定の樹木、彼らの喉の渇きを鎮める水をたたえた特定の泉は、最初に、cave[洞窟]、tree[木]、fountain[泉]という言葉で、あるいは、未開人の仲間言葉で、彼らがそれを特徴づけるのに適していると考えるような、他の名称で呼ばれるだろう。後に、このような未開人の敬虔が視野のさらなる拡大を導き、また、彼らにとって不可避な必要性が、他の洞窟、木や泉に言及せざるをえないようにしたとき、彼らは、このような新しい対象物のそれぞれに、最初に学んだものに類似した対象を表し慣れてきたものと同じ名称を、自然に与えたことだろう。新しい対象物は、どれもそれ自体の名称をもたなかったが、それぞれが、そのような名称をもっていた他の対象物と、正確に類似していたのである。このような未開人が、古い対象物  また、新しい対象物との厳密な類似性を保持する、古い対象物の名前  を思い出さずに、新しい対象物を眺めることなどできるはずはなかった。それゆえ、彼らが新しい対象物のどれかに言及し、互いに指摘する機会があれば、古い対象物に似た名称  その瞬間に、その印象が、彼らの記憶のなかにもっとも強く、かつ生き生きとした仕方で必ず現れる  を、自然に発しただろう。そしてこのようにして、もともと個体それぞれに固有な名称であった言葉ワードが、それぞれ、気づかないうちに大勢のものの共通の名称になったであろう。*6

 

 ここにはあまりにたくさんのトピックが含まれているが、まずは類似に注目してみていこう。最初は「固有名詞」として「人間の社会から隔離されて育った二人の未開人」の間で共同的に名付けられたものが、ふたたび似たものを目にした時、その名指したもの、名称の記憶として不可避に呼び覚まされる。触覚 - 視覚の親和性によって、ものに強固に結びついたイメージとして刻印された記憶は、「新しい対象物を眺める」ことによって、即座にいま目の前にあるものと等価な視覚 - 触覚のイメージへと解凍される(未開人の生活において、触覚より視覚が先行しうる場面は、真っ暗闇などを除いてほとんどない)。そこへ親和性の結合力には劣るが、それでも緩やかな結合力をもった類似性が、イメージのラベルとしての名詞を呼び起こす。類似性と名詞の記憶をめぐるこの動きは「互いに指摘する機会」を持ちうることになる他者との関わりによってより強められるわけだが、このようにして「固有名詞」から名詞への一段回目の抽象化が行われる。言語の発展は抽象化においてなされるが、その抽象化を推し進める働きは、類似、もっと言えば類似の想起である。この二つの類似するものは、現に今目の前に揃っていなくてもよいからである。この働きは、ジエネラスピーシズといったカテゴリーを生み出す。

 

2 そもそもこのような仕分けや分類  スコラ哲学者ザ・スクールズ[一般的には中世起源の大学に属する学者という意味だが、大部分がスコラ哲学者と呼ばれた]の間ではジエネラスピーシズと呼ばており、独創的で筆がたつジュネーヴのルソー[Jean Jacques Rousseau, 1712-78. スイス生まれのフランスの社会思想家・哲学者]氏が、その起源の説明を試みて、まったく途方に暮れてしまった  の形成をもたらしたのは、その類似性が、当の個体とそれが表示する名称に関する観念を自然に想起させる多数の対象物に対して、一つの個体の名称を、このように当てはめたことにある、種を形づくるのは、互いにある程度の類似性をもつ  そのゆえに単一の名称で呼ばれ、含まれるすべてを表すように用いることが可能な  多数の対象物にすぎないのである。*7


名詞における類似の働きはさらに逆向きにも展開され、「現在では全く必要がない」とアダム・スミスが考えている「換称アンタナメイジャ」すなわち換喩をも生み出す 。換喩は無知や他の類似物に接する経験の不足から抽象化された名詞と固有名詞を取り違えるということに可能性の起源を持っている。ここではテムズ川と川(the river)を取り違えるという例があげられているが、そそれはまわりまわって「テムズのような川」(a Themes)を生み出す。このことは決して年代がわからないほど遠い古語や慣用句の領域に収まるものではなく、スペインによるメキシコの植民地化にも適用される。

 

スペイン人は、彼らが最初にメキシコの海岸にたどり着き、そのすばらしい国の富、人口の多さ、住まいが、彼らが以前に訪れてきた未開の国よりもずっと優れていることを発見したとき、これはもう一つのスペインだ、と叫んだ。この故に、それはニュー・スペインと呼ばれたのであり、それ以降、この名前がその不運な国に纏わり付いてきた。*8

 

 「固有名詞」の名詞への一般化は、逆に、それによってまとめて呼称されるおのおのの対象の差異を曖昧にしてしまう。ここから、対象を特定するための方途として、それ自身がもつ特別の資質と、他との関係という概念が見出され、結果として、資質を表示する品詞としての形容詞、関係を表示する品詞としての前置詞が誕生する。

 アダム・スミスは抽象化の困難さを、言語発展の時系列を推測するにあたって重視している。最初は他の木よりも若々しく生き生きとした色彩に満ちる葉を茂らせた木を特別に「緑樹 greentree」と呼ぶような仕方で、具体物に規定された付加が起きていたかもしれない。しかしここから「緑の green」を呼び起こすには、逆に木ではないものにも「緑性 greenness」という一段抽象化された類似性があることを見抜く能力が必要になるだろう。「緑の green」の発見はまだ複数の具体物の観察に根ざしているが、それを駆動させるために潜在的に活動しなければならない「緑性 greenness」をそれ自体言語として発見することはもはや具体物の観察の領域を超えている。したがってまず具体物(それも必要性と親密さに根差した)名詞が、ついで形容詞が、そのあとに抽象的な名詞が誕生するというのがアダム・スミスの見立てである。

 

もっとも単純な形容詞の発明でさえ、しばしば我々が気づくよりも、ずっと多くの形而上学を必要とするはずである。配置や分類、比較、および抽象というさまざまな精神活動は、あらゆる形容詞のうちでもっとも形而上学的ではない、異なった色彩の名称が設定される以前でさえ、すべて用いられていたに違いない。以上のすべてから引き出される私の推測は、言語が形成されはじめたとき、形容詞は、決して最初期に発明された単語ではなかっただろうということである。*9

 

 形容詞の誕生についてさえ「形而上学」が必要だとするアダム・スミスだが、前置詞はさらに輪をかけて発明されるのが困難なものとして現れる。

 

12 そもそも形容詞の発明がこれほど多くの困難を伴っていたとすれば、前置詞のそれは、さらに多くの困難を伴っていたことだろう。すでに指摘したように、前置詞はすべて相関的な対象物を構成する一部だと捉えられた、何らかの関係を表す。(中略)語句の意味を完全なものにするために、前置詞は、その後にくる何か別の単語をつねに必要とする。だから私は、そもそもそのような単語を発明することは、形容詞のそれに較べ、抽象化や一般化という点でさらに大きな努力を必要とする、と言いたい。関係というものは、何よりもまず、それ自体が資質よりもはるかに形而上学的な対象である。誰であろうと、資質として意味されているものを説明し損なうことはありえないが、関係として理解されていることをきわめて明確に表示できると自覚できる人物は、ごくまれにしかいない。資質は、ほとんどいつでも我々の外部感覚の対象物であるが、関係はそうではない。それゆえ、前者に属する対象物が、後者のそれよりもずっと分かりやすいはずだとしても、驚くようなことではない。*10

 

 前置詞は、「関係を意味しているのであって、関係以外には何も意味しない」*11。外部に対応する対象を一切もたない前置詞的なものは、それゆえ感覚できるものではなく、純粋に抽象しなければ出てこない。その上、ギリシア語やラテン語といった原始的な言語には格という方法があった。名詞やそれにともなう形容詞や動詞などの語尾を変化させることで、前置詞を誕生させずとも話者が表したい関係を十分に表現することができた。これらすべてを乗り越えたところに前置詞は生まれる。

 

10 古代語における格の代理をするこのような現代の言語における前置詞は、とくに、最も一般的で、抽象的でしかも形而上学的であること、だから、結果的に最後に発明されたものであろうと指摘しておくことは、おそらく無駄ではあるまい。普通の鋭さを備えた人物に、 above[上の]という前置詞によって表されている関係は何か、と尋ねてみよ。その人物は即座に、 superiority[優越性]という関係だと答えるだろう。 below[下の]という前置詞についてはどうか? 彼はすぐに inferiority[劣等性]のそれだと返答するだろう。だが、前置詞 of[の]によって表される関係とは何かと彼に尋ねた場合、あらかじめこのような対象物に多くの思考を費やしていないかぎり、返答の内容を考えるために、彼に一週間の猶予を与えても差し支えないだろう。*12 (強調は引用者)

 

 前置詞、最後に来たる者。そしてその中でももっとも高い抽象度を与えられるもの、したがって「現代」の言語つまり英語のうちでもっとも深遠で形而上学的なものこそが「の of」である。

 

前置詞 of[の]は、相関的な対象物を構成する一部として考えた場合の一般的な関係を表示している。それは、それに先行する名詞が、その後に来る名詞と少し違って関係していることを指示するが、前置詞 above[上に]によってなされるように、その関係にかかわる特定の資質が何であるかを確定するようなものは、何も含んでいない。それゆえ、我々はしばしば真反対の関係を表現するために、それを用いる。というのは、真反対の関係は、関係についての一般的な思考や本質をそれぞれの内部に含むということを、その点に関するかぎり、容認するからである。我々は、 the father of the son[息子の父]とか the son of the father[父の息子]、the fir-trees of the forest[森のモミの木]とか the forest of the fir-tree[モミの木の森]という。父親が息子に対してもつ関係は、息子が父親に対してもつ関係とまったく反対のそれであること、すなわち、そこでは部分が全体に対してもつ関係は、全体が部分に対してもつ関係とはまったく反対であるということ、これは明らかである。しかしながら、前置詞の of は、それ自体が特定の関係を指示するものを何も含んでいないため、このような関係のすべてを指示するのにきわめて好都合であり、また、ある特定の関係がそのような表現から推察されるかぎり、それは、前置詞そのものからではなく、その間に前置詞が挿入される複数の主体の性質や配置から、マインドによって推測されるのである。

20 私が前置詞 of[の]について述べてきたことは、ある程度まで to[へ]、for[ために]、with[ともに]、by[によって]という前置詞に、さらにまた、古代言語における格に代わるものを与えるために現代の言語で用いられている、他のあらゆる前置詞に適用できるだろう。そのすべてが、きわめて抽象的で形而上学的な関係を表現しており、それを試みる苦労を引き受ける人物は誰でも、名詞を用いることによって、前置詞 above[上に]を用いたり superiority[優越性]という名詞を用いたりして指示する関係を表現するのと同じ方法で表現するのは、絶望的に困難だと分かるだろう。しかしながら、そのすべてはある特定の関係を表現するし、したがって結果的に、そのどれも前置詞 of[の]  あらゆる前置詞のなかで、もっとも形而上学的である点で突出していると見なして良い  ほど、抽象的ではないのである。*13(強調は引用者。)

 

 こうして前置詞 of は英語の発展における極限として現れる。デリダが「と et」の人であったとしたら、アダム・スミスは「の of」の人であった。前後が等置関係にある「と et」はそれゆえ二項関係に階層関係を与えないが、これが文脈の中に投げ込まれた際、そこには等置関係があるがゆえに順序というべつの階層性が導入される余地が生まれる。二項対立を表現するにあたって「と et」が「/(スラッシュ)」によく置き換えられるのは、「と et」の等置関係を弱めて順序の階層性を高めるためであろう。一方でアダム・スミスの場合、of の極端な抽象性は文明の発展をなぞるように捉えられるだろう。属格、所有格という完璧な表現は、所有を人類史において決定的に重要で不可欠な要素として認識するようにアダム・スミスを導き、結果『国富論』という、所有における世界像を書かせるところまで至るだろう。前回、私はアダム・スミスにおける文体の美しさが音楽性、それも器楽としての音楽性に強く結びついていることを主張した。器楽は「模倣芸術について」では特異な位置、模倣芸術としての芸術の終端にあるものであった。こうした、あるカテゴリーにおける極限的な概念を基盤として、アダム・スミスは人間という現象を認識するのである。結果、器楽と前置詞 of という、芸術と言語それぞれのうちでもっとも「形而上学的」といってよいものがアダム・スミスの全思考を規定するのである。

 

 アダム・スミスの「言語起源論」において、名詞と同様原始的な位置を占めるのが動詞である。

 

27 動詞は、必然的に、言語の形成に向かう初期のすべての試みと同じくらい、古いものだったはずである。いかなる主張も、何らかの動詞の助けなしに表現できるはずがない。我々は、何かが存在するとか、しないとかいう意見を表明するためでなければ、けっして話などしない。だが、我々の主張の対象物である出来事や厳然たる事実マター・オヴ・ファクトを指示する単語は、つねに動詞でなければならない。*14

 

 アダム・スミスは、最初に現れた動詞は非人称動詞であっただろうとし、それが最初の単語でさえあっただろうという。「雨が降る it rains」といった動詞がそれである。だが英語においてはすでに「it」が獲得されてしまっている。非人称動詞がどのようにして人称を得るようになる過程を見てみよう。

 

29 このような非人称動詞が、言語の発展過程で人称を示すようになったはずだということは、たやすく理解できる。たとえば、単語の venit[来る]、つまり it comes[来る]は、もともと非人称動詞であったこと、さらに、それは現在のように、一般的に何かが来るということを指すのではなく、たとえば the Lion[ライオン]といった特定の対象物がやってくることを意味した、と想定してみよう。言語の最初の野蛮な発見者は、我々の想定によれば、彼らがこの獰猛な動物の接近を知った時、互いに venit[来る]すなわち the lion comes[ライオンが来る]と大声をあげる習慣をもっていて、この単語は、他のいかなる単語の助けを求めることなく、事象の全体をこのように表現したと想定するとしよう。後に、言語がさらに発展して、彼らが特定の個体に名称をつけ始めたとき、何か別の恐ろしい対象物の接近に気づくたびに、彼らは自然にその対象物の名称と単語 venit[来る]とを合体させ、そして venit ursus[雄熊が来る]とか venit lupus[オオカミが来る]と叫んだことだろう。次第に単語 venit[来る]は、こうして、たんにライオンが来ることだけでなく、何か恐ろしい対象物が来ることを意味するようになったのだろう。したがってそれは、今や特定の対象物が来ることではなく、特定の種類の対象物が来ることを表現した。その意味するところがより一般的になってきたため、それは、もはや何ら特定の明確な事象を、それ自体として、さらにはその意味を確定したり、定めたりするのに役立つような名詞の助けを借りずして、表すことは不可能になった。それゆえ、今やそれは非人称動詞の代わりに、人称動詞になった。*15(強調は引用者)

 

 例示として選ばれたのは come に対応するラテン語 venit であったが、それが恐怖とともにやってくるということは、第二回で私が主張した、科学者の原動力としての恐怖という概念をすぐに想起させるだろう。「野蛮人」もまた原初的な科学者である。ともあれこのようにして非人称動詞、それも「固有名詞」同様、固有な現象に結びついた非人称動詞が人称動詞へと変化していく。そして抽象化の先に、もう一つの抽象化の極限の極限、すなわち代名詞における「わたし I」が誕生する。

 

単語 I[私]は、きわめて特殊な種類の単語である。話すものは何であれ、それ自体がこの人称名詞によって表示できるだろう。それゆえ、単語 I[私]は一般的な単語であり、論理学者が言うように、無限に多様な対象について断言されるものでありうる。しかしながら、それが他の一般的な単語と異なるのは以下の点、つまり、それについて断言されうる対象物が、他のすべてのものから区別される特定の種類の対象物を構成しない、という点である。単語 I[私]は、単語 man[人間]のような、それ自体の特定の資質によって他のすべてから区分される、特定の部類の対象を指示することはない。それは種の名称であるとはとても言えないが、しかし逆に、それが使われるときはつねに正確な個体を、すなわち、そのとき話している特定の人物をつねに指示している。同時にそれは、論理学者が単数と呼ぶものと、格変化を持たない名辞コモン・タームと呼ぶものの両方に関して成り立つのであって、だからその意味のなかに、外見的に真反対の資質、つまり、もっとも厳密な個別性をもつものと、もっとも広範な一般化とを合体している、と言って良いだろう。それゆえ、これほど抽象的で形而上学的な観念を表現している単語が、言語の最初の形成者の手中で、苦もなく容易に生じたとは思えないだろう。*16(強調は引用者)

 

 説明を省いたもう一つの抽象の極限としての数・数詞を除けば、これで「言語起源論」において起源を辿られた品詞の要素がほぼすべて出揃ったことになる。まず非人称動詞と具体名詞が現れる。それらは身近でそれを捉えることが必要な具体物およびその運動に根差した、個別特殊的なものとしてあらわれた。それらは類似によって一般化され、名詞においてはその差異を再度認識し直すものとして形容詞が、そして抽象的な一般名詞が生まれ、その関係の表示というところに至り前置詞が登場する。動詞においては非人称動詞から人称動詞が生まれ、代名詞を生み出すに至る。この全体的な動きの中で、人間は何をしているのかといえば、よく見れば類似の発見において一貫しているのである。最初は二つのものが、時間をまたいで、記憶と今をまたぐ形で結び付けられる。次に、その結び付けたラベルどうしでのより抽象的な関係が結び付けられる。言語の発展において、人間はひたすらに結び付ける。

 この動きを端的に表した前置詞、あるいは形容詞がある。「ような like」がそれである。英語の奇跡は、この単語が同時に「好きである like」をも表示するということである。人間は世界の事物、動きにたいして、 like の橋を架ける。「I like you」が「わたしはあなたのことが好きである」であると同時に「あなたのようなわたし」ではないと言い切れるだろうか。長年連れ添った夫婦の顔が似てくるというあの俗論は、すくなくとも英語の神秘的な場所において支えられている。類似の世界、like の世界は、物同士の、現象同士のある種親密な関係を表しており、それは sympathy としての共感に比肩するものである。人間は言語を生み出すというはたらきにおいて、それらの触媒としての役割を果たしている。

 そして、この動きをおこなう「わたし I」がすでに「like ような/好きだ」的なのである。名詞は「彼らにもっともなじみ深く、頻繁に言及する機会がある対象物」を名付けることから始まったのだ。「わたし」が「I」として現れる前に、すでに「わたし」は模倣している。音楽が感情を模倣し、感情が音楽を模倣する運動をわれわれは先に見た。「つなげる」ことにおいて、「わたし」はすでに like であった。「つなげる」であって「つながる」ではない。「わたし I」は消えているものとして、世界においてものとものをつなげる、というのが触媒の論理である。「わたし」はすでに模倣として世界に生まれたところから「わたし I」へ変身していく。

 だがわたしがさらに言いたいのは、love は一体どんな前置詞なのか、形容詞なのか、ということである。love はどうしていまだ  like のような前置詞や形容詞でもあるということになっていないのだろうか。love もまた明らかに何かをつなげている。だがそれはいかなる種類の「つなげる」ことなのだろうか。触媒のように「わたし」が消える運動ではないようにも思える。

 もしかしたら上の「世界」は、「自然」や「宇宙」に書き直したほうが良いのかもしれない。like とはまさしく「自然の言語」であり、「宇宙の言語」、この宇宙のつながりを表している最初の「似ている」かもしれない。ルイス・カーンはこのように書いている。

 

 どのような知識のかけらもつねに断片的なものですから、アインシュタインのような真の洞察者にとっては充分ではありませんでした。かれは知識が全知識に属さないかぎり、それを受けいれようとはしませんでした。それゆえにかれは相対性についての美しい公式を容易に書き上げることができます。かれの公式は、すべての知識が真に応答するオーダーについての一層大きな畏敬の感覚へとわれわれを導くものを端的に示す方法でした。人は知識が人間的なものに属するものとは見なしません。知識は自然に関わるものだけに属するということです。だとすれば知識は宇宙に属しますが、しかしそれは永遠なるものには属さないのではないのでしょうか。宇宙と永遠なるもの、そこには大きな相違があります。*17

 

アインシュタインについて私がもっとも敬服している本質的特質は、かれがバイオリン弾きだということです。このことからかれは普遍なるものについての多くの感覚を引き出しました。あるいはむしろつぎのようにいえます。つまりユニヴァーサル・オーダー(宇宙秩序)は、永遠なるものの感覚からやってきた事柄であって、たんなる数学の知識や科学の知識からのものではないのだと。すべての人に浸透するはずの宇宙秩序の感覚が、知識をもっていたにもかかわらず他の科学者のところへ到達しなかったのはいったいなぜでしょう。知識は手に入れることのできるものです。それは、他のものに属していた知識がたまたまその人のものになっただけで、したがって知識は誰のものにもなります。知識はあきらかにその人自身の仕方でそれぞれの人に属するものです。人間のために知識の書物は書き尽くされてはいないし、これからも書き尽くされることはないでしょう。自然は知識の書物をけっして必要としません。それは自然のためにすでに書き尽くされているからです。*18

 

 一方には、宇宙 - 自然 - 科学者 - sympathy - like の領域が存在している。そしてもし、 「愛している love」が前置詞として、形容詞としてある領域が存在するなら、それはおそらく、世界 - 永遠 - 詩人 - empathy - love という連関をえがいているのではないだろうか。

 

言語と機械   混合と言語の「完全性」

 

「言語起源論」はある特定の言語の起源と発展を記した論文ではなく、言語そのものの起源と発展を記した論文である。ここに複数の言語、そして言語の完全性・不完全性という問題があらわれる。

 

20 一つの単語で出来事の始終を表現し、その表現のなかに完全な単一性やまとまりを維持し、対象物や観念のなかにつねに存在するだけでなく、出来事を、形而上学的に何らの抽象観念、主語や限定語といったいくつかの構成要素に区分したり、抽象化したりすることをまったく想定しない非人称動詞が、十中八九、最初に発見された種類の動詞であっただろう。動詞 pluit[雨が降る]つまり it rains[雨が降る]、ningit[雪が降る]つまり it snows[雪が降る]、tonat[雷が鳴る]つまり it thunders[雷が鳴る]、lucet[昼である]つまり it is day[昼である]、turbatur[混乱している]つまり there is a confusion[混乱がある]などは、それぞれ一つの完結した主張、つまり、心がそれを現実に感じる完全な単純性やまとまりをもつ事象全体である。これとは逆に、 Alexander ambulat[アレクサンダーが歩く]つまり Alexander walks[アレクサンダーが歩く]、Pertus sedet[ピーターが座る]つまり Peter sits[ピーターが座る]という語句は、事象をあたかも二つの部分に、つまり人称ないし主語とその限定詞、あるいはその主語によって確定された厳然たる事実とに分割している。だが現実には、歩いているアレクサンダーという思考や概念は、歩いていないアレクサンダーのそれと同様に、完全かつ完結した一つの概念である。それゆえ、このような事象の二つの部分への分割は、まったく人工的なものであり、言語が不完全である結果であって、この場合も他の多くの場合と同様に、いくつかの単語を用いて、確定されようとしている厳然たる事実の全体を一度に表現できる言葉の不足を、補充するのである。*19(強調は引用者)

 

対象、概念の全体性、完結性、単一性に対して分割された言葉を対応させることに、アダム・スミスは人工性、言語の不完全性の臭いをかぎつける。それはここに明らかなように文字の誕生にも及ぶ。先に引用した「ライオンが来る」に引き続く箇所、非人称動詞が人称動詞へと変容する過程で、中国語が、そしてあるていど日本語もまた、アダム・スミスの体系から脱落していくだろう。

 

30 ほとんどすべての動詞が人称動詞的になったのは、また、ほとんどすべての事象を、極めて多数の形而上学的部分  さまざまな部分から成り立つ発言によって表現され、あらゆる語句や文章からなる異なった構成要素のなかに、さまざまに結合された部分  に分離して分けることを次第に人類が学んだのは、おそらく、このような方法においてのことであっただろう。同じような種類の進歩は、表記の技法と同様に、発音の技法でもなされたように思われる。人類がその着想を書くことによって表現しようと最初に試み始めたとき、どの文字キャラクターも、単語をまるごと表していた。だが、単語数は無限にあるから、覚えておく必要がある文字の多さによって、記憶がやたら詰め込まれ、すっかり圧迫されることがおのずと分かった。必要は、それゆえ人類に対して、単語をその要素に分けること、さらに、単語それ自体ではなく、単語を構成する要素を表す文字を発明すること、これを教えた。*20

  

 アダム・スミスの論文は(おそらく彼の母国語としての、という限定もあっただろうが)、英語を最後にその発展運動を止める。ギリシア語などの古代語から英語に至る発展は、いかにしてなされたか。それは「国民の混淆」によってである。言語の発展を眺めるアダム・スミスの視点は、文明の発展や「利己心」を眺めるときにもにた両義性の印象を我々に与える。

 

33 言語は、いくつかの言語が互いに入り混じった  異なった国民の混合によって引き起こされる  結果、構文がより複雑化しなかったら、おそらくそれは、あらゆる国でこのように持続的に発展していただろうし、名詞や形容詞の語形変化や動詞の格変化の点で、よりいっそう単純化することはなかっただろう。*21

 

 アダム・スミスは古代語における性と格変化を、単純で自然にかなったものと見なした。「男性の/女性の/性のない」を表す形容詞という概念を新しく作るより、「ラテン語では lupus[オオカミ]と lupa[雌オオカミ]、equus[馬]と equa[雌馬]」*22のように、単語の一部を規則的に変えれば済むし、同様に前置詞なる概念を発明する難しさに比べれば、対応する語尾変化によって、主格、属格、対格、与格のような関係性の概念を充分に表現することができた。「名詞の異なった組成は、しばらくの間、形容詞の発明を未然に防ぐことができたかもしれないが、このような必要性を、完全に未然に防御し尽くすことはできなかった」*23という表現には、言語の変化に対するアダム・スミスの基本姿勢が透けて見える。形容詞が生まれてからも、それは名詞の語尾変化に同調する変化をすることで、「一定の音の類似性、一定の種類の押韻ライム」は守られた。

 

形容詞が発明されたとき、それが、名詞に対する  形容辞とか、限定として用いられるはずの  一定の類似性をもって形成されただろうということは、道理にかなっていた。人間は、最初につけた実体物と同じ接尾辞ターミネーションを、そのようなものに対して自然に与えたことであろうし、また、音の類似性を好むこと、さらには、同じ音節の繰り返し  それは、あらゆる言語における類似性の基礎である  を喜ぶことが原因になって、同じ形容詞の接尾辞を、男性、女性あるいは中性の主体に対してつける機会をもつのに応じて、人間はそれをしばしば変えていったことだろう。*24(強調は引用者)

 

 だが、もはや英語にはそのような文法的な保護は残されていない。前置詞が格変化にとって代わり、名詞の語尾変化は、複数形と三人称単数を残すのみとなった。音の類似性は文法の気にするところではなくなってしまった。この文法的な抽象度の増加と同時にある種の単純化が起こる理由こそ、先に上げた異なる国民の混合である。見知らぬ言語の複雑な格変化や語形変化を母国語話者のように覚えるのは困難であり、適当な前置詞によってそれを代替していくということが起こる。この異種混淆は「征服」や「移民」によって「余儀なく」されるものである。こうしてラテン語ギリシャ語と古代トスカナ語の混合物であり、フランス語はラテン語と古代フランク族の言語、イタリア語はラテン語と古代ロンバルディア人の言語の混淆から起り、そして英語はフランス語と古代サクソン人の言語の混合物として生まれる(この運動は新しい言語から古い言語に逆流することもあり、アダム・スミストルコ人によるコンスタンチノープルの奪取以降、ギリシャ語でも前置詞がうまれたと書いている)。

 両義性というのは、これらの運動全体をアダム・スミスが機械の進歩と比較するところで明白になる。

 

40 英語はフランス語と古代サクソン人の言語の合成物である。フランス語はノルマン人による征服によってイギリスに持ち込まれ、エドワード三世[Edward III, 1312-77]の時代まで、唯一の法律用語であるだけでなく、宮廷における主要な言語であり続けた。後に話されるようになり、今もなお話され続けている英語は、古代のサクソン語とこのノルマンディーのフランス語との混合物である。それゆえ、英語は、その構成の点でフランス語やイタリア語のそれよりもより複雑であるから、したがって同様に、名詞や形容詞の格変化や動詞の格変化においては、より単純化されている。少なくとも、この二つの言語は一部の男女の区別を残しており、さらに形容詞は、男性あるいは女性の名詞に適用されるのに応じて、その接尾辞を変化させる。だが、英語にはそのような区別はなく、その形容詞はいかなる接尾辞の変化も容認しない。(中略)

41 言語が、その構造がよりいっそう複雑になるのとまさに比例して、その基礎と原理プリンシプルの点でより単純なものになるのは、このような方法においてであり、機械装置について一般的に生じるのと同じことが、言語においても生じてきた。あらゆる機械は、最初に発明されたときには、一般的にその原動力プリンシプルに関して極端に複雑であり、それが遂行するように意図された特定の運動に対して、特定の運動の原動力が存在することが多い。それ以後の改良で観察されるのは、一つの原動力が、このようないくつかの運動を生みだすように利用されることであり、こうして機会が一般的にますます単純になって、その効果を、より少ない数の回転盤と、より少ない運動の原動力を用いて生みだす、ということである。言語においても、同じような方法で、あらゆる名詞のすべての格と、あらゆる動詞のすべての時制は、これ以外の目的には使えない特定の明確な単語で、もともと表現されていた。だが、続いて起きたことを観察して分かったことは、一組の単語が、その不定形の数すべての代わりを提供できること、および、四つか五つの前置詞、半ダースの助動詞が、古代言語におけるあらゆる名詞や形容詞の語形変化と動詞の格変化がもつ目的をかなえることができる、ということであった。 

42 だが、この言語の単純化は、おそらく似たような理由から生じるとはいえ、対応する機械の単純化と似た効果をまったくもっていない。機械の単純化は、機械をよりいっそう完全なものにするが、しかし、言語の未発展な状態におけるこの単純化は、それをますます不完全で、言語がもつ目的の多くにとって、さらに不適切なものにする。*25(強調は引用者)

 美しさをシステムに見出すアダム・スミスにおいて、英語の「基礎、原理=原動力プリンシプル」における単純化と構造の複雑さは、美しい発展として映らなかった。不適切な理由として、アダム・スミスは冗長さ(たとえばラテン語ではDei[神の]とDeo[神に]をそれぞれ一語で言えるところ、英語は of God[神の]、to God[神へ]と二語使わなければならない)、音の快適さの低下(連動する語尾変化が失われたことにより明らかである)、配列の不自由さ(第◯文型というあの教育を思い出せばよい)を挙げる。この三つはすべて英語において美しい表現を困難にするものとして理解されている。簡素さ、そしてなにより音の美しさを、英語の構文は失わせてしまった。それはノルマン・コンクエストという「征服」によって「余儀なく」されたものであった、というのがアダム・スミスの基本的な英語に対する理解であろう。

 

「言語の未発展な状態における」という条件が英語という単純化に当てはまったとしよう。しかしいったいいつ、言語は適切な単純化を可能とするような発展状態を迎えるのだろうか。すでにしてラテン語の段階で、言語は一つの単語ですべてを説明することの出来ない不完全性を抱え込んでいた。そのような意味での完全性へ、いかなる「進歩」なら到達しうるというのか。そしてなによりも、ここにあらわれた言語の混合と不完全性に関するアダム・スミスの主張は、かれ自身が言語の起源において記述した事態とどういった関係にあるのか。アダム・スミスは言語の最初の形成を記述するにあたって、一番最初に「二人の未開人」の出会いを記していたではないか。出会いから生まれた言語が、出会いによって色褪せていくということがあるのだろうか。ここでふたたび我々は冒頭、はじまりに戻る必要がある。

 

ひとりとふたり   言語の生まれる場

 

 アダム・スミスとルソーは核心的な部分でしばしば対立している。例えば所有はアダム・スミスにおいて「殺してはならない」の次点にくる、「所有財産、所有物は保護されなければならない」という正義の法によって保護される人間の根幹であるが、ルソーにとっては人間の自然的でない一切の不平等の源泉である。ルソーはホッブズに反対する形で、自然状態の人間は必要最小限の理性しか持たず、情念の感ずるままにあり、満ち足りていたと想像する。ルソーが想像するこの自然状態は、たとえ歴史上どこにも実在しなかったとしてもルソーにとってはそれを思考することが必要で意味のあるものである。一方のアダム・スミスはといえば、自然状態という概念そのものに意味を見出していない。

 

 聖職者たちは、徳にかんするこの危険な学説[引用者注:ホッブズの学説]に反対することが、自分たちの義務だと考え、自然状態は戦争状態ではなく、社会は政治制度がなくても、それほど融和的な状態ではないが存続しうることを、示そうと努力することによって、それを攻撃した。かれらは、人間がこの状態において、自分の身体、自分の労働の果実、契約の履行にたいする権利というように、自分に属する一定の権利をもっていることを、示そうと努力した。この意図をもってプーフェンドルフは、かれの大論説を書いた。それの第一部の唯一の目的は、ホッブズを論駁することにあったが、自然状態というようなものは存在しないのだから、そこで成立するだろうという諸法を論じたり、どのような手段で所有の継承が行われたかを論じたりしても、じっさいには何の役にもたたないのである。*26(強調は引用者)

 

 アダム・スミスが言及した『人間不平等起源論』においては、言語の起源は「人間の最初の言語、このうえなく普遍的で、このうえなく力強く、会衆を説得しなければならなくなる以前に必要とされた唯一の言語は、自然に基づいた叫び声」*27であり、『言語起源論』の方ではまず身振りの言語が生まれ、次に情念、「生きる必要によって互いに避け合う人間たちを、すべての情念が近づける」ところの情念、「愛、憎しみ、憐憫れんびんの情、怒り」といった情念から言語が生まれ、それもまず「文彩」からはじまる(「人間がことばを話す最初の動機となったのは情念だったので、人間の最初の表現は文彩だった」*28)。アダム・スミスは『修辞学・文学講義』で文のあや、文彩について極めて低い評価を下している(たとえば、「それで、全体として、あやは、文体になにも美しさをあたえない。われわれがそれを称賛するのは、表現が話し手の意味と愛情に適合しているときである」*29など)。のっけから噛み合わない。「われわれに知られている最も古い言語であるオリエントの諸言語の精髄は、その形成において想像される学術的な歩みとは相いれない。それらの言語は、方法的で理論的なものが何もない。その諸言語は、生き生きとしていて比喩に富んでいる。最初の人間の言語を幾何学者の言語のようなものとする人がいるが、詩人の言語だったことがわかる」*30とルソーは書く。『人間不平等起源論』でルソーが言語の起源についての考察を短く切り上げてしまったことにはアダム・スミスも言及した通りの理由があったであろうが、ここで「幾何学者の言語」が槍玉に挙げられていることは、第一回で引用した、アダム・スミスの死後ある人が彼を評した言葉「かれは良俗的な美と卓越については、もっともただしい理解力をもっていたにもかかわらず、多くの趣味をもつには幾何学者でありすぎました」を思い出すとなかなか鮮烈な対照に映る。

 

 だが、しばしばアダム・スミスとルソーは同じような位置にも立っている。先にあげた 「venit 来る」をめぐるアダム・スミスの思考には恐怖が滑り込んでいたが、ルソーにも似たシーンがある。

 

 野生人は別の野生人に出会ったらまず恐怖に陥るだろう。恐怖によってその人たちが自分より大きく強いように思えただろう。そこで彼は彼らを巨人、、と名づけた。多くの経験の後、彼は、自分が巨人と名づけた者たちが自分より大きくも強くもないことを認め、彼らの体格は巨人という後に最初に結びつけた観念にまったく適さないことを認めた。そこで野生人は彼らと彼に共通の名前、たとえば人間、、を発明し、巨人、、という名前は幻想の間彼に印象を与えた間違った対象のために残しておいた。こうして情念がわれわれの目をくらませ、情念によって与えられる最初の観念が真理のものではないとき、比喩的な語は本来の〔意味の〕語よりも先に誕生する。私が語や名前について言ったことは、言い回しについても何の問題もない。情念によって提示された幻想のイメージは最初に示されるので、それに対応する言語も最初に発明された。精神が啓蒙されその最初の間違いを認め、誤りを生み出したのと同じ情念でのみそれらの表現を使うようになり、その言語はそれから比喩的なものになった。*31(強調は引用者)

 

 見知らぬ他人と出会うということは野生人にとって恐怖であった。「来る」はその起源からして二人にとって恐怖を起源としている。この二人の言語の起源は本当に、どうしようもないほどに異なっているのか。コミュニケーションとしての言語と詩としての言語は、それほどにまで遠かったのだろうか。

 

 もう一度アダム・スミスの「言語起源論」の冒頭に戻ろう。

 

1 特定の対象を指示するために特定の名称を割り当てること、すなわち、名詞相当語の開始は、おそらく、言語の形成に向けた最初の第一歩の一つであっただろう。話すことを学ばず、しかし、人間の社会から隔離されて育った二人の未開人は、彼らが一定の対象物を指示したいと思いさえすれば、相互の必要を互いに理解できるようにしようと試みるような言語を、何かの音を発することによって、自然に形成し始めるだろう。彼らにもっともなじみ深く、頻繁に言及する機会がある対象物だけが、特定の名称をそれに割り当てられるだろう。

 

 これが、講義録である『修辞学・文学講義』第三回では次のようになっている。

 

 実在するあるものを表示して、われわれが名詞とよぶ単語が、言語を創造しつつあった人びとが、はじめて案出したもののなかにあっただろうということは、もっともであるように思われる。出あっておなじ場所に住居をさだめた、ふたりの未開人は、ほとんどただちに、ひじょうに頻繁に発生してかれらがひじょうに関心をもった対象を表示する、記号をもつように努力しただろう。*32(強調は引用者)

 

 この講義ノートは1762年から1763年にかけて行われた講義の記録であり(1763年にアダム・スミスは母校グラスゴー大学を辞する)、「言語起源論」が『道徳感情論』の最後に追加された第三稿が1767年であるから、この講義を通過したうえでアダム・スミスは「言語起源論」を出版したことになる。この二つの間に、出会いにまつわる微妙だが重要な違いが現れている。まず講義においては「人間の社会から隔離されて育った」という要素が見られない。『人間不平等起源論』には、言語の起源についての哲学者の考察は「まさに私が疑問としていること、すなわち言語を発明した人たちの間にある種の社会がすでにうちたてられていることを前提にしてしまっている」*33という批判がなされており、これを受け止めたという可能性がある。もう一つの違いは、「おなじ場所に住居をさだめた」と講義録にはあったものが、「言語起源論」においては消滅していることである。実はここにおいてアダム・スミスとルソーは同じ思想を共有しているのである。

 アダム・スミスは動詞の起源を語るところで、「我々は、何かが存在するとか、しないとかいう意見を表明するためでなければ、けっして話などしない」と書いていた。ここは見過ごせないところである。話さなければならないほどのきっかけがなければ言語は生まれないという話であるかに見えるが、文字通り読む限り、ここには雑談の余地がない。人間は積極的に話をするようにはできていないというのがアダム・スミスの隠された基盤になっている。『人間不平等起源論』における、先の批判のそのすこし後を見てみよう。

 

最初にあらわれる疑問は、いったいどのようにして言語が必要になりえたのかを想像することである。なぜなら、人間たちの間にはいかなる交渉もなく、交渉をもちたいという欲求などまったくないのだから、言語がなくてはならないものでなかったならば、言語を発明する必要も、言語を発明する可能性も、想像するだにできないからである。他の多くの人たちと同じように、父親と母親と子供たちからなる家庭内のつきあいから言語が生まれたのだといえるものならいいたい。しかし、それでは、異論を解消できないばかりか、社会の中で得られた諸々の観念を自然状態に持ち込んだうえで自然状態について推論する人たちと同じ過ちを犯すことになってしまうだろう。すなわち、数多くの共通する利害が家族の構成員を結びつけている私たちと同じように、家族の構成員が親密で継続的な結合を保って、ひとつ屋根の下に集まって暮らしているとみなしていることになる。ところが、この原初的状態にあっては、家も小屋もいかなる財産もなく、各人が偶然にまかせて居を定め、しばしばたったひとりで夜を過ごすのである。偶然の出会い、きっかけ、欲望にまかせて、雄と雌はたまたま結ばれ、互いに伝え合うべきことをどうしても言葉にしなければならないということもなかった。別れるのも同じように簡単だった。母親が子供たちに授乳するのも、はじめは自分自身の欲求を満たすためだった。やがて習慣から子供たちがかわいくなり、子供たちの欲求を満たすために養うようになる。餌を自分で探せるようになるやいなや、子供たちはやがて母親さえ見捨てた。ふたたび会うためには、見失わずにいるほかに手段がなかったから、やがてお互いに親子であることがわからなくなってしまった。いっそう注意してみるべきことがある。子供は自分のあらゆる欲求を説明しなければならないので、その結果、母親が子供に対する以上に、子供は母親に対していうべきことがあるのだから、言葉を発明するのに子供の方がいっそう骨を折るに違いなし、子供が使う言葉の大部分は自分自身でつくったものになるはずだということである。このため、言語を話す個人の数だけ言語の数が増えていくことになる。すみかを定めない放浪生活をしているため、いかなる慣用表現も定着する暇をもたない。子供があれこれと母親にせがむために用いるはずの言葉は、母親が子供に教えるのだ、などといってみても、それはすでにできあがった言語をどのように教えるのかを示しているだけで、母親がどのようにその言葉をつくったのかはなにも示していない。*34(強調は引用者)

 

 ルソーにおいて、(自然状態の)人間は他人と交渉を持ちたいという欲求がまったくなく、したがって話しはじめようとする積極的な理由がまったくない。そしてそれを家族に求めることはできない。これは社会を言語の誕生の前提にするという転倒の帰結でもあるが、同時に自然状態という仮定から出される帰結でもある。しかし、そもそも自然状態なるものは存在しないし考慮する意味もないというアダム・スミスにとって、これをそっくりそのまま受け入れる必要はなかったはずである。母親への言及があればなおさらである。アダム・スミスは父無し子であり、一時期フランスやスイスに旅行したものの、終生母親と一緒に暮らした。一方ルソーは母無し子であり、ヨーロッパじゅうを放浪した。このような「自然状態」をアダム・スミスが受けいれられただろうか。しかしそれでも「言語起源論」における言語の起源からは講義録にあった共に住むという要素、家族につながる要素が消滅しているのは確かである。

 動物には群れをつくるものもつくらないものもいる。遊牧民とまではいかずとも、複数の家族が集団的に狩猟採集を繰り返しながら移動するという発想もありえたはずである。自然状態はそれが現実においてどうであったかが問題なのではなく、それを通して現れる、筆者にとっての人間の原初の捉え方が重要なのだ。ルソーにとっては孤独が自然だったが、アダム・スミスにとってはルソーの孤独もホッブズの闘争状態も等しくフィクションであるというだけでなく、等しく受け入れがたいものではなかったか。「言語起源論」において家族は言語の誕生する場所としては消えてしまったが、それは原初において家族が存在しなかったという主張もないということである。名詞の起源のところで、アダム・スミスは「今まさに話し始めた子供は、家に入ってくる人物をすべてパパやママと呼ぶのであって、こうして、二つの個体に対してつけるように教えられた名称を、種全体に与える」*35と書き、個体としての人間の言語習得に、言語の起源の痕跡を読み取ろうとしている。

 よく考えればアダム・スミスの「人間の原初」の捉え方は異様なものである。人間は存在しはじめた原初の段階から自然と切り離されている。自然状態が存在しないとはそういうことである。しかし「言語の起源」があるということは、人間には「言語以前」があるということである。しかし言語なしに社会はありえない。アダム・スミスにおいて「人間の原初」は、自然も社会もないということにならざるをえない。ではいったいなにがあるというのか。家族である。ルソーの批判通り、社会から言語が生まれるというのは転倒であり、したがって社会化された家族を前提としてそこから言語が生まれることは主張し得ないだろう。だがそのことは、言語の起源の段階において家族が存在しなかったということを含意しない。家族はあっても、家族において話しはじめる必要がなかった、したがって「社会ではない家族」がありうる、社会がなくとも家族はありうる、と考えればいいのである。「言語起源論」におけるアダム・スミスの記述は、このルートを残している。

 アメリカの特異な経済学者フランク・ナイトは、「自由社会と倫理」と題された講義の中で、「およそ文字通りの意味での個人主義的社会といった発想全体には、基本的な誤信ファラシーがあります。個人主義と呼ばれているものは、家族主義と呼ばれるべきなのであって、最も決定的な自由とは、家庭生活に関わる自由なのです」*36と書いている。幼児に家計管理はできないし、契約も結ぶことができない。それは保護者によってなされる。人間は動物の中でもきわめて未成熟な状態で生まれる生物であるが、そのことは純粋で完全な意味での個人主義が不可能であることを意味する。おそらくこの考え方にはアダム・スミスの考えが静かに浸透している。「人間の社会から隔絶されて育った二人の未開人」はどこで育ったか。十分に成長していれば一人で生活できるかもしれないが、ここで問題なのは「育った」である。原初の段階において人間が集団的な生活を営んでいたとしても、子供が生まれた途端に母親を集団からパージするような集団というのは考えられない(スパルタはもはや原初というには原初から離れすぎている)。集団的でなければなおさらである。よって、原初における子供は(広い意味で)家族において育つ以外にない。ルソーでさえ母親は「習慣から子供たちがかわいくなり、子供たちの欲求を満たすために養うようになる」と書いている。母子家庭も父子家庭も「家庭」であるかどうか。この関係をどう見つめるか。アダム・スミスとルソーの根本的な対立点はおそらくここに見えてくる。一方には「しばしばたったひとりで夜をすごす」ルソーの沈黙がある。もう一方には、(もしかしたら母と)ふたり、何かを話す必要もなくただじっと共に夜を過ごしている、アダム・スミスの沈黙がある。根本的な対立、それは「ひとりかふたりか」ということにほかならない。

 

 スタロバンスキーによるルソー論のタイトルは『透明と障害』であったが、このタイトルはまたアダム・スミスにも当てはまるものだろう。ルソーは不平等の起源に所有を見出したが、次の箇所を見てみると、彼の絶望はもっと深いように思われる。

 

 人間たちが粗末な小屋で満足していた限り、着るものを植物のとげや魚の骨で縫い、鳥の羽や貝殻で身を飾り、身体にさまざまな色を塗り、弓矢を美しく仕上げ、よく切れる石で釣り舟や簡単な楽器などをつくったりするにとどまっていた限り、要するに、自分ひとりの手でつくることができる、複数の人間たちの手の協力を必要としない技芸だけに励んでいた限り、人間たちはその本性によって可能な限り自由、健康、善良、幸福に生き、独立した者たちの交際がもたらす心地よさを享受し続けていた。ところが、他の誰かの助けを必要とするようになったとたん、ひとりで二人分の食料を手にすることが有益だと気づく者が現れたとたん、平等は消え失せ、所有権が導入され、労働が必要不可欠になった。*37(強調は引用者)

 

 もはや社会が誕生してしまった段階で、所有権への道は指一本触れるだけでドミノ倒しに到達するような危ういものでしかない。言語はこの道へ続く禁断の扉を開けるものとなる。「自然に帰る」とき、おそらく彼は一人で森の中に消える。その森が消えてしまったなら、彼は社会において消滅したものとして生きていくか、あるいは社会を消滅させるか、選択を迫られることになるだろう。この消滅はもちろん比喩である。

 

 アダム・スミスが『国富論』において「牧羊者の羊毛刈り取り用の大鋏」を作るために必要な労働を列挙する部分を見てみよう。

 

船員の船、縮絨工の圧搾機、さらには織布工の織り機という複雑な機械はさておき、ここではきわめて簡単な機械、つまり牧羊者の羊毛刈り取り用の大鋏を作るのに要する労働がいかに多様であるか、これに絞って考察してみよう。

 鉱山業者、溶鉱炉建設業者、木材伐採業者、製鉄業者が使用する木炭の炭焼工、レンガ製造工、さらに、溶鉱炉の世話をする機械組立工、鍛鉄工、鍛冶屋などすべての労働者は、大鋏を生産するためにさまざまな技術を残らず結合する必要がある。くわえて、牧羊者の衣類や家具の大部分、つまり、直に肌にふれる粗い麻の下着、靴、ベッド、寝具、食事を調理する台所の火床、地下から掘り出され、おそらく長距離の海運と陸運を経て運び込まれた調理用の石炭、その他のあらゆる台所用品、食事を取り分ける陶製や錫合金製の皿、ナイフやフォークといったあらゆる食卓用品、パンとビールを造るのに使用された他人の労力、暖と採光をもたらし、風雨を防いでくれるガラス窓  この美しくて幸福な発明を生み出すために必要なすべての知識と技術をもってしても、これなしでは、地球の北部地域をきわめて快適な居住場所にできなかったであろう物  に加え、このようなさまざまな便宜品を生産するために用いられたさまざまな労働者の道具も、すべて同様に調査してみる(以下略)*38(強調は引用者)

 

 この労働のネットワークを網羅的に浚いあげるような記述の中で、特権的な言及がなされているものが「ガラス窓」である。それは「美しくて幸福な発明」であり、それを作るために必要なすべての知識と技術があったとしても、それがなければ「地球の北部地域をきわめて快適な居住場所にできなかったであろう物」である。「文明」や「進歩」を記述し、人間の「徳」や「正義」を記述し、芸術の「美しさ」を記述したアダム・スミス。彼は人間の観察に努め、その成果を、そのどこにも彼自身がいるように見えない文体によって書き残した。地球は必ずしも彼にとって居心地のいい場所ではなかった。自然の恐怖をニュートン体系がある程度解決したにせよ、人間という新たな現象、驚異、驚愕をもたらす不可解な現象が発見され、かれをひっきりなしに襲う。それらはどのように動くかわからない。内側に「心」があるということは分かるが、それがいったいどのような行為へ、運動へとそれらを導いていくのか、容易には判別しがたい。文体の美しさ、感情、道徳にまたがる音楽性は、向こう側からこちら側へ、こちら側から向こう側へ、伝わろうとするもののノイズを限りなく減少させることを志向した結果現れたものでもあろう。それは希望であり、現実社会においてノイズはそう易々となくなることはない。アダム・スミスは自然に帰ったりなどしない。文明がガラス窓を生み出した。われわれは最初に帰ってくる。「すぐまえの人の署名をそっくり写し」たアダム・スミス。ガラス窓に魅了されるアダム・スミス。おそらく自身口にしたことも書いたこともない希望の中で、美しく幸福な物質的透明として、彼は文字通り消滅する。

 

アダム・スミスのあとで(そしてわたしたちがふたたびはじめてはなしはじめられるようになるために)

 

 『現代詩手帖 1991年7月号』の特集は「詩になにができるか」と題され、巻頭には谷川俊太郎稲川方人の対談が掲載されている。タイトルは「ディスコミュニケーションをめぐって」である。湾岸戦争、そしてそれに呼応した『鳩よ!』の湾岸戦争詩特集をひとつのきっかけとして交わされる対談。選択される言葉の差異。「リアリティ」を巡る差異。現代詩の歴史的状況とメディア環境の状況に目を配りつつ、「人間」のディスコミュニケーションに関心を寄せる稲川と、「僕と稲川さん」のディスコミュニケーションに関心を寄せる谷川。

 

稲川 (前略)本質的に今回の問題というのは言葉のディスコミュニケーションを巡る問題だと思わざるを得なかった、ということがあります。

谷川 そのディスコミュニケーションというのは、例えば僕と稲川さんとの間のディスコミュニケーション、それから詩を書いている人間と読者との間のディスコミュニケーション、もっと一般的に言えば、現代の状況の中で人間同志が言葉によってはなかなかうまくコミュニケーションが出来ないという事ですか?

稲川 はい。「人間」のディスコミュニケーションが一番大きな前提となっているのではないかと思います。クロニカルな区分をしますと、六〇年代後期から七〇年代中葉にかけて、言葉のコミュニケーションを巡る「空白」を露呈していたとすると、八〇年代はそれがどういう方向であれ、その「空白」地帯から言葉が動き始めたと思うんです。現代詩だけに限って良いますと、戦後詩的な理念の規範が解体したという、まあ一般的な言い方デマゴーグですが、現代詩の言葉が低迷していた状況に対して執拗にベクトルを与え始めた時代だったと思うんです。言葉が動き始めた時代、そこには、今、谷川さんがおっしゃった詩とか文学という枠に留まらない、人間の、ホモ・サピエンスディスコミュニケーションといいますか、それが世界的に露わになってきたという状況が一つ、大きな背景としてあるんではないかと思います。(中略)地球的にと言わざるを得ないかもしれませんけど、八〇年代には、それまで潜在的だった大きな前提が露わになって、それが感覚的にも「湾岸戦争」に集約されて、われわれにとって、とりわけ先進国の人間にとって、と言っていいんじゃないかと僕は考えてみるのですが、アメリカ・イギリス・フランスとか、当然その最たる日本とか、人間の自己同一性が際立って混沌とし始めている国の人間にとっては、「湾岸戦争」は単なる戦争のイメージ以上のものを持った、という感じがするのです。

谷川 僕も話が通じないというのが今回話題になると思ってきたんだけれど、僕の場合は割と大きな話じゃなくてね、僕と稲川さんと間でどこまで話が通じるのか、通じない場合には去年の末の座談でいわれていたような、何か世代的な対立があるんじゃないか、とかね。(中略)僕なんか正直言って、例えば稲川さんたちが話されたり書かれたりしている事、それが評論であれ、あるいは座談であれ、詩もそこに含めてもいいんだけれど、本当は詩と座談とか評論とは分けて考えなきゃいけないとは思ってるんですけどね、何かちょっと外国語みたいに思えるところがある。翻訳してもらわないと解らないみたいなさ、そういう感覚と言うのは僕が不勉強というところもあるのだけれど、何か稲川さんたちが使っている言葉を自分では使いたくない。できるだけ使わずに考えていきたいし、話していきたいし、書いていきたい、というのは確かにあるんですね。*39(強調は引用者)

 

 アダム・スミスの「外国語」と、谷川の「外国語」。アダム・スミスにおいて「外国語」は言語をますます不完全に、不適切にする「進歩」をもたらす。一方、谷川の「外国語」は「母語」のなかに発見されるのだが、それはアダム・スミス的な純粋性の問題ではない。「母語」のうちにすでに「外国語」がある。翻訳しなくても解る言葉としての「母語」。母の言葉。ここには透明性の言葉、ガラスの言葉へと向かおうとする詩人の視線がある。しかしはたして、「外国語」は、「翻訳しなければ解らない」言葉は、ポップでない言葉は、通じにくいにしても、通じないというところまでいってしまうのだろうか。

 

『鳩よ!』から送られてきたウミウの写真。湾岸戦争を扱った詩をウミウの写真につけるという発想を谷川は「あんまり好きじゃなかったし、そういうことでかえって何か、詩を書く人を限定してしまうような気がしたし、始めは表紙にアレをつかうなんて言っていたから、そんなのやめた方がいいんじゃないかなあ」*40と考えていた。一方稲川はどうだったか。

 

稲川 『鳩よ!』からウミウの写真が送られてきまして、依頼文が付いていたんですけど、受け取った時からやれるとはちっとも思ってなかったですね。受け取った時に非常に腹がたったですね。冗談じゃねえ、と大声を出しました。つまり、雑誌ごときがというのもおかしいんですが、人間の立場を強要していいのか、と生理的な反発があった。しばらく前でしたら、そんなモノは唾棄すれば、捨てればよかった。しかし、自分でも不思議な気がするんですが、僕はしばらく、三ヶ月くらいあの写真をずっと持っていたんですね。倫理的なこだわりがあって持っていたんでもないんですね。さっきから言っているような、どうも価値的な選択で示されたものではない構造をもっている、それは何だろうかと、そこに引っ掛かってずっとあのウミウの写真を持ってたような気がするんですね。捨てることが出来なかった。もちろん今でも結論はついてないんですが、とりあえず非常に抽象的な言い方になってちょっと誤解されてしまうかもしれませんけど、あの声明文、高橋源一郎たちの「私は日本が湾岸戦争に加担することに反対する」という非常に明瞭な、爽快なといいますか、声明文が持っっていたものは何なのか、あるいは『鳩よ!』で様々な立場で、あるいは、様様な言葉のレベルで書かれた詩によって恐らくあのウミウの写真は「湾岸戦争」のメイン・イメージとして世界中に共有されたと思いますが  一つのイメージからどれだけ飛躍できるか試みた詩人たちが一冊構成した訳ですけど、それは多分、湾岸戦争に反対するとか、あるいはアメリカという国家の政治に反対するとか、そういう事ではない機能を持っているんじゃないか、と考えたんですね。

 それは何かとずっと悪い頭で考えてですね、平和とか反戦とかが二価値的な言葉の範疇で収まりきらないとすると、それは別の言葉を求めているように思ったわけです。厳密に言いますけれど、そしてそれは「愛」なんだと思った訳です。つまり平和というのは「愛」のメタファーであり、反戦というのも「愛」のメタファーである。今の世界の構造が持っている政治的な力学に、「愛」のメタファーとして機能しはじめたんだ、と思ったんです。ウミウの写真を見たときのあるわだかまり。どんな状況であの原油が流されてですね、環境破壊が進んで、環境破壊をキイとした批判、立場の価値は、僕にとってリアリティがない。しかし、写真を見たときのわだかまりというのは、「愛」のメタファーに自分の言葉がこれ以後かかわり始めるのかな、という漠然とした思いだったかのかもしれません。まあ話は進まないかも知れないけれど。

谷川 いやいや、その愛というのはかっこいいじゃないですか(笑)。あいまいどころじゃなくて極めてクリアーな発言だと思うけれど。*41(強調は引用者)

 

 怒り、叫び、わだかまり、漠然。思考のリアリティと感覚のリアリティがぶつかりあう中で、捨てられなかった写真、ウミウの写真が求める別の言葉、「」を見出した稲川。アダム・スミスの sympathy は即時性を要とする。編集部から届いたウミウの写真に稲川は腹が立ち、冗談じゃねえ、と大声を出す。それで捨てればよかった。だが彼はその後三ヶ月もの間、ウミウの写真を持っていた。捨てられなかった。それはもう sympathy の領域ではない。アダム・スミスは「我々は、何かが存在するとか、しないとかいう意見を表明するためでなければ、けっして話などしない」と書いた。それは「何も進まない話はしない」ということになろう。だが稲川が「まあ話は進まないかもしれないけど」と自分では言った話を、谷川は「あいまいどころか極めてクリアーな発言」として受け止める。ここでの稲川の発言の中にも、そしてここ以外においても、谷川なら使わない、使いたくないだろう言葉は現れている。だが谷川は受け止めた。

 

 アダム・スミスはモデル過ぎるほどの「科学者」であり、ゆえにそれは理想的な「詩人」のネガである。このネガはいったいどのような「詩人」を浮かび上がらせるだろう。すでにいくつかのヒントは出ている。

「科学者」が驚愕 - 驚異由来の恐怖を原動力とし、その恐怖を鎮める自己治癒者として、そして結果的に自分以外をも治癒する治療者として現れるとしたら、「詩人」はおそらく恐怖以外のものを原動力とするだろう。それは手段としての恐怖を使わないということを意味しない(この意味でホラー、恐ろしいものにも「詩」への道はひらかれている)。が、結果として、それはおそらく恐怖する者に「怖くないよ」と声を掛ける者、治療するというよりも、恐怖に怯える者のそばにただいる者として現れるのではなかろうか。empathy とは「感じたい」という心の動き、声を掛ける動き、「必要か」どうかにかかわらず「助けたい」という気持ち、物質的直感ではなく根底的信頼の直感においてはたらく愛の動きであるように思われる。「世界 - 永遠 - 詩人 - empathy - love」という連関は、一見神秘的で手の届かないところに結ばれた星座に見えるが、実のところその手からすでに繋がっている。

 

 無論、これらは詩人が取りうるいくつもの可能性の一つに過ぎないのではないか、ということをわたしは否定しない。そもそも「科学者」が必ずしも科学者ではないように、「詩人」も必ずしも詩人ではない。「詩人」の科学者、「科学者」の詩人というありようは当然ありうることである。わたしはここで「詩人とは〇〇である(べきだ)」とか「詩は〇〇である(べきだ)」といいたいのではない。そうではなく、世界を恐ろしいものだと思いたくないのに思ってしまう人に、「怖くないよ」と言いたいだけだ。そして多分、わたしも「怖くないよ」と言ってほしいのだと思う。

 

 アダム・スミスの「言語起源論」とルソーの「言語起源論」そのどちらにおいても起源としてとりあげられなかったものがある。それは人間の名前すなわち固有名詞と、あいさつである。「わたし I」のもつ「もっとも厳密な個別性」は、「わたし I」でない「わたし I」が名指すことのできない個別性である。いつから人間が「わたし」は「わたし」しかいないと思い始めたのかは定かでないが、「あなた you」が、したがって「わたし I」が生まれる前夜にはすでにそうなっていただろう。だが、いくらたくさんの形容詞を束ねてみても、目のまえの「あなた you」ではないあの人を名指すことはできない。生まれた子供が親を「パパ」「ママ」と名付ける。だが成長すれば、「パパ」や「ママ」は他にも、子供の数だけいることに気がつく。しかしそうだとして名前などいるのか。「わたしのパパ」、「わたしのママ」と呼べばいいのではないか。それはできない。それは属格の、所有格の対象として呼びかけるべきものではないからだ。「わたしの息子」、「わたしの娘」も同様である。たぶんそのことに、どこかで気づいた人間がいたとわたしは思う。そうして、それ以上絶対に抽象化することの出来ない名付け、文字通り名前を付けるということが、この地点でようやく起こる。「わたし I」は、原理的にそれ以上抽象化出来ない、最終的な抽象としてあらわれただろう。固有名詞は、それ以上抽象化してはならないもの、所有されてはならないものがあるという段階に達した時、初めて生まれただろう。

 

 地平線の向こうから誰かが「来る」。二人の想定する野生人はどちらも臆病であり、視界に捉えられたお互いは、声も届かぬ距離のうちから接触を避けるために離れていく。ルソーの方ならそこで「巨人」が生まれたかもしれない。しかし、近くの丘の向こうから小さな頭が現れる。すでに声は届いてしまう距離であり、周りには助けを求められる者もいない。相手と自分どちらの足が速いか、どちらのほうが強いか、それもわからない。

 だが、必ずしも逃げなくていいはずなのだ。ルソーは「身振り」が「言語」より先に生まれると書いていた。二人の野生人は(おそるおそるかもしれないが)手を振る。そしてそのとき、「おーい」と、「やあ」と、声をかけるということがなかっただろうか。そうして朝がやってきて、「おはよう!」ということが、本当になかっただろうか。自然状態があったかはわからないが、朝は絶対に存在する。

 

*1:荒川修作小林康夫『幽霊の真理 絶対自由に向かうために』pp88-89, 水声社, 2015

*2:高橋源一郎著『虹の彼方にオーヴァー・ザ・レインボウ』pp194-195, 新潮文庫, 1988。この引用は不正確である。このページには英隆による写真が見開きで挿入されており、ここで引用したカギカッコで囲われた二つの文章は写真の上に重ねられるようにして、それぞれのページに一文ずつ挿入されている。正確に引用するためにはページ自体をスキャンして引用可能なデータに置き換えるしかない。さらに、ページ数も正確と言っていいのか不明である。昭和六三年発行新潮文庫版の『虹の彼方にオーヴァー・ザ・レインボウ』は、「第一話 虹の彼方に」の章題ページ(ここに『オズの魔法使い』の引用がなされる)の次ページから打たれ、そのページ番号は9である。よくある装丁だが、問題は最終ページである。この引用文は小説の最後の最後だが、見開き2ページにわたるそれにはページ番号が振られておらず、その直前のページ番号が193であることから、引用ページを194から195とした。これが文庫化に際しての著者の意志かといわれれば微妙なところである。たとえば私の手元にある同じく新潮文庫、昭和五十七発行の安部公房箱男』には、途中写真を含むページがいくつか存在するが(そのページはわざわざ紙を変えてある)、同様にページ番号が振られていないため、これは新潮文庫が写真を含むページを組版する際のルールを適用したものだと考えるのが自然だろう。それでもこの組版には読む者に言い過ぎたくさせるものがある。『虹の彼方にオーヴァー・ザ・レインボウ』は、はじめること、はじめなおすことを巡る小説であり、そんな小説の本文の冒頭、例の章題ページの次ページ冒頭が「そしてわたしが話す番になった。」となっているとおり、すでにはじまってしまっていたことからはじまるところに面白さがある。この小説がある種の息苦しさをもつのは、「の彼方にオーヴァー」が絶え間なく挫折し、入れ子状の循環から出られないような形があるからだ。それは当然のことだ。この小説のほとんどは、「今までのテープをPLAY BACK」したものだからだ。再生=反復に超越はない。だが、章題ページの前のページにある写真と、最後の見開きページの写真、同じ部屋を映した写真が載ったどちらのページにもページ番号が打たれていないのを見るとき、あの一見投げ槍じみた、しかしよく考えてみれば真っ当な、「もう頁がないから」この小説は終わる、という結末への急激な加速が、この自我じみた牢獄的小説の外部へと接続する、という風に読みたくなる。「第一話 虹の彼方に」と記された章題ページの下には、次のような引用がある。

 

「いったいどこから帰って来たんだい」

「オズの国からよ」ドロシーは、おごそかに答えました。

ライマン・F・ボーム『オズの魔法使い

 

 扉のドロシーは、「どこかへ」のエネルギーに満ち満ちた小説の中で鮮烈な輝きを放つ「どこから」であり、彼女は灰色のカンザスから竜巻によってオズの国へたどり着き、またふたたびカンザスへと帰ってくる。帰ってきたカンザスが何色であったか、小説ではわからない。映画版、ジュディ・ガーランドが『虹の彼方にオーヴァー・ザ・レインボウ』を歌う(この歌も小説にはない)「オズの魔法使い」では、帰ってきたカンザスは行きのカンザスと同じ灰色、というよりセピア色である。オズの国というカラフルな場所から帰ってきたドロシーはセピア色の家に「帰ってきた」あと、「やっぱり家がいちばんThere is no place like home」と言う。基本的に小説はモノクロの印刷によって書かれる。だがそのことは小説がモノクロであることを意味しない。たしかに『虹の彼方にオーヴァー・ザ・レインボウ』にドロシーはやってこない。だが、「伊藤整の『日本文壇史』」が、「金子光晴」が、「『カール・マルクス』」が、色彩がめまぐるしくうつりかわる「PLAY BACK」の終わりに、小説は「わたしたちが話をしていた」ことにふたたび戻ってくる。最初のモノクロ写真と最後のモノクロ写真の違い。ドロシーの代わりにやってくるもの、それは朝である。

*3:アダム・スミス著、アダム・スミスの会監修、水田洋ほか訳『アダム・スミス 哲学論文集』p271, 名古屋大学出版会, 1993

*4:同上,p272

*5:同上, pp266-262

*6:アダム・スミス著、高哲男訳『道徳感情論』pp633-634, 講談社, 2013

*7:同上, p636

*8:同上, p635

*9:同上, p639。「あらゆる形容詞のうちで最も形而上学的ではない」とされる色彩だが、ヴィトゲンシュタインが最晩年に到達したのは色彩であった(『色彩について』参照)。色彩は、言語と対象という関係の閾に立っており、諸対象のネットワークと対象の間の関係に言語にも似た論理関係が成り立っている、というより、対象そのもののうちに諸対象のネットワークとしての論理が内在しているというべき特異な領域である。色彩を表す形容詞が「あらゆる形容詞のうちで最も形而上学的ではない」としたら、抽象の困難度に応じて誕生の時期を配列するアダム・スミスの考えからして、おそらくそれが最初に誕生した形容詞の一群ということになるだろう。色彩は形容詞という論理の誕生であり、そうなると色彩について問うことは、形容詞という論理の起源、もしかしたら差異の論理の起源を追うことでもあるだろう。「洞窟」や「木」や「泉」の差異の濃度と、「赤」と「緑」の差異の濃度は異なる。起源から見てみれば、前者はそれぞれ「木や泉でない」、「洞窟や泉でない」といった、リテラルに排他的な差異のみを内包するに過ぎないが、後者はそれに加えて「補色」という関係、いうなれば差異の距離についても包含している差異である。色彩という形容詞のシステムは、この差異の距離という概念をそれ自体に閉じた形でもっている。前掲『幽霊の真理』では、荒川修作が「人間が形容詞について語るのは五十年早い」とかつて言ったことがあることが示唆されているが、おそらくこの発言が言わんとしていたことは、形容詞という論理は人間の理性による純粋な抽象化の能力だけでは決して誕生しなかったということ、この論理はむしろもっとも形而下に近い位置にある論理、人間が名称を与える世界の側に、人間による世界の構成にわずかに先立ってあった論理ではないかということであり、人間と世界の論理を結ぶ蝶番として形容詞が生まれたのだとしたら、この事態そのものを思考するための枠組みというものを、いまだ人類は手にしていない、ということではないだろうか。

*10:同上, pp643-644

*11:同上,p644

*12:同上, p648

*13:同上, pp648-650。

*14:同上, p654

*15:同上, pp656-657

*16:同上, p660。アダム・スミスの前置詞を巡る思考を、吉本隆明の『言語にとって美とはなにか』と対照させてみるのも面白いだろう。吉本は表現としての言語、詩としての言語を、指示表出と自己表出の織物と見なし、指示表出の極限に名詞を、自己表出の極限に「てにをは」、すなわち助詞をおいた。吉本の言語起源の神話はコミュニケーション型のアダム・スミスより、情念と詩をとるルソー型に近いものであるし、アダム・スミスは「言語起源論」に自己表現としての言語という観点をほとんど容れていない。にもかかわらず、極点という部分でアダム・スミスの前置詞と吉本の「てにをは」は合流する。一方は形而上学的なものの極限として、一方は自己表出の極限としてである。ここでアダム・スミスの「わたし I」に関する考察と合わせて考えると、ロマン主義的なものにアダム・スミスが好意を持つとは思えないものの、詩が到来する言語の場所は突端から来るということについては、合意し得るのではないかという気がする。「わたし」はすでに最も形而上学的であり、あの接続するものたちがそこへ下りてきて通り抜けていくのか、それとも「わたし」から突端が噴出してくるのか、それは定かではないが。

*17:ルイス・カーン著、前田忠直訳『ルイス・カーン建築論集』p20, 鹿島出版会, 2008

*18:同上, pp108-109

*19:アダム・スミス著、高哲男訳『道徳感情論』pp654-655, 講談社, 2013

*20:同上, p657。この文字論を日本語からどう眺めればいいだろう。日本語はかな文字を持つものの、いまだ記憶の重荷となる漢字を捨て去ることなく身につけている。かな文字によって失われた発音もあろう。記憶がなければ言葉が生まれえなかったのは確かだろう。その記憶が重荷となって言葉にものしかかる。有限の生の外側に「永遠」としての蓄積を、記憶を築き上げる、これは「科学」の営為である。では「詩」は? どうして「詩」はしばしばちゃぶ台をひっくり返そうとするのか、はじめからやりなおしたくなったりするのか。音楽史は音楽ではなく、美術史は美術ではなく、文学史は文学ではない。「詩」は蓄積でも記憶でもない(蓄積されるのは書かれた紙であり、ほとんんどありえないが印刷という文化が滅びたとしても、メタファーとして今後も蓄積し続けるだろう)。では「詩」とはなにか? 一言ではとてもいえないが、たとえば重荷に気づき、それを受け止め、書き下ろす重力としての詩があるだろう。重荷に抗う、反重力としての詩があるだろう。重力など存在しないかのようにただよい、うかび、あそぶ、無重力としての詩があるだろう。どれも詩ではあるだろう。ただ、わたしには重力、反重力、無重力、そのどれからも遠いところに場所にある「詩」というものがある気がする。それは宇宙の外側で輝く星のようなものだと思う。

*21:同上, p662

*22:同上, p640

*23:同上, pp641-642

*24:同上, p642

*25:同上, pp668-669

*26:アダム・スミス著、水田洋『法学講義』p21, 岩波書店, 2005

*27:ジャン=ジャック・ルソー著、坂倉裕治訳『人間不平等起源論 付「戦争法原理」』p70, 講談社, 2016

*28:ジャン=ジャック・ルソー著、増田真訳『言語起源論 旋律と音楽的模倣について』p26, 岩波書店, 2016

*29:アダム・スミスの会監修、水田洋・松原慶子訳『アダム・スミス 修辞学・文学講義』p58, 名古屋大学出版会, 2004

*30:ジャン=ジャック・ルソー著、増田真訳『言語起源論 旋律と音楽的模倣について』p23, 岩波書店, 2016

*31:ジャン=ジャック・ルソー著、増田真訳『言語起源論 旋律と音楽的模倣について』pp26-27, 岩波文庫, 2016

*32:アダム・スミスの会監修、水田洋・松原慶子訳『アダム・スミス 修辞学・文学講義』p15, 名古屋大学出版会, 2004

*33:ジャン=ジャック・ルソー著、坂倉裕治訳『人間不平等起源論 付「戦争法原理」』p67, 講談社, 2016

*34:同上, pp67-68

*35:アダム・スミス著、高哲男訳『道徳感情論』p634, 講談社, 2013

*36:フランク・ナイト著、黒木亮訳『フランク・ナイト 社会哲学を語る 講義録 知性と民主的行動』p193, ミネルヴァ書房, 2012

*37:ジャン=ジャック・ルソー著、坂倉裕司訳『人間不平等起源論 付「戦争法原理」』p107, 講談社, 2016

*38:アダム・スミス著、高哲男訳『国富論 上』pp41-42, 講談社, 2020

*39:谷川俊太郎稲川方人ディスコミュニケーションをめぐって」『現代詩手帖 1991年7月号』pp9-10, 思潮社

*40:同上, p17

*41:同上, p18。「持っって」、「様々」と「様様」は原文ママ

宇宙人アダム・スミス ③「共感」の位相 ──重力下における天球の音楽

前回(第二回)の記事はこちら

 

ajisimidaikon.hatenablog.jp

 

Sympathy と Empathy

 

 内海健自閉症スペクトラムの精神病理』において、共感はASD自閉症スペクトラム症)者を考えるうえで、定型者のそれと表出の傾向が相違する重要なポイントの一つである。

 

 フリスは、本能的 instinctive な共感と、志向的 intentional な共感を区別して, 前者を sympathy, 後者を empathy と呼んでいる. 前者は「こころ」を介さない無媒介なものである. つまりは地続き的な共感である. むしろ「共鳴」, あるいはより即物的に「共振」といった方が実情に近い. それに対して, 後者は他者の心に対する「共感」である. *1(強調は引用者)

 

 定型者の場合、他者の(すなわち母の)まなざしによって超越論的〈Φ〉が形成され(視線触発)、そこから自己が形成され、やがては心を直観する能力を身に着けていくことになる。ASD者とはこの、他者からの志向性に触発されない障害をもつ者である。ASD者の場合、他者からのまなざしによって〈Φ〉が形成されず、したがって自己が形成されず、他者の心を直観することができない(「心の理論」は定型者が心の直観に失敗した場合にようやく持ち出されることもある技術の一つであるが、ASD者の場合、それは直観することのできない心を推論するための重要な技術の一つであり、意義も価値の重み付けもまったく異なる。そこから「心の理論」は「心の理論」ではないという批判が行われる)。empathy は他者の志向性に対する志向性によって成り立つわけだから、ASD者はここに困難をもつ。だがしかし sympathyの方はそうではない。それは本能的なものであり、自己を前提とするものですらないからである。

 

 あるいは神田橋條治の語る共感はどうか。『神田橋條治 精神科講義』に収録された「共感について」では、「共感」を理解するうえでの重要な鍵概念として、「人間同士は通じ合える、分かり合える」あるいは「命あるものは通じ合える」と、「他人のことはわからない。人は人、自分は自分なんだから、わからん」が挙げられる。*2通常、医師の診療場面に限らず、人が人の話を聞いている時、あるいは赤ちゃんの泣き声に対する時の姿勢は「思い入れ」である。これは言語以前のフィーリングに対する「共鳴」「共振」である。それが高まっていくと、相手のフィーリングとこちら側の理解が合っている「思い入れ」の状態を超えて、「こっが勝手に思う」、すなわち「思い込み」の状態になる。

 

「思い入れ」と「思い込み」のときには、その不幸な人の全体を自分が包み込んで、この人全体を理解し、共鳴し、共振れしているような感じが起こります。こちら側にね。そんなときは入れ込んどる状態です。その人に対する理解が、一面同じ色になったような、「はあ、そうだったか、こりゃとにかく、なんとかしちゃらにゃならん」とか、「もう憎たらしいやっちゃ」とか、一色になった状態。それが「思い込み」「思い入れ」の状態です。*3(強調は引用者)

 

 赤ちゃんが言語を獲得すると、フィーリングは言語によってまとめられるようになり、そのようにして現れたものを神田橋は「体験」と呼ぶ。この相に入ってはじめて、フィーリングを体験化し、他人にコミュニケートする、伝えるといったことが可能になり、それを理解しようという意図のもとに聞き取るという段になってようやく「共感」が可能になる。フィーリングに依拠する「思い入れ」「思い込み」から生まれる(特に医療現場の場合にあっては致命的にもなりうる)思い違いが、言語というレベルによってあたらしい形で受け止められるようになる。上の引用の続きを見よう。

 

 それがズレが見つかって、「ああ、なんだ」となるとどうなるかといいますと、この患者というひとりの人について、「この人のこういうところは分かる。だけど、こういうところはちょっと分からん。異質だ。やはり、生まれも育ちも違うから私とは別だ」というふうに、自分とは異質のところがたくさん見えてくる。そして、異質のところが見えながら、ある部分について、今までの思い込みのときとは異なった、ジーンとするような感じが出てくる。言葉になりにくいこちらの感情が、患者が話す体験のある部分に対してだけ、焦点的に起こってきます。これが「共感の体験」です。

 そして、「ああ、そうだったのか」から分かるように、これは「洞察の体験」なの。つまり、共感は洞察の体験なのです。*4

 

 「共感」は「思い入れ」によって作られていた「ズレ」、謬見が晴れた時に初めて起こるものだが、その「共感」は「思い入れ」へと向かっていくエネルギーと同じものによって駆動していくため、「共感」への手続きは「思い入れ」→「ズレ」→「共感」の順番をどうしても踏まざるを得ない。この図式はヘーゲルの即自→対他→対自という弁証法的機構を強く想起させるが、ここでその名で現れる「共感」とは、論文の序盤で挙げられていたオットー・カンバーグとの対話において、カンバーグの発言として「『共感』(エンパシー)」と表記されていることから empathy であろうことが推察される。

 高哲男訳のアダム・スミス道徳感情論』、その第一部第一篇第一章の表題は、「共感シンパシーについて」である。

 アダム・スミスは empathy ではなく sympathy において道徳の基盤としての道徳感情の分析を行った。このことは、『道徳感情論』を規範的研究ではなく記述的研究だとするアダム・スミスの立場(これについては最後にもう一度取り上げるが)において、重要な「共感のレベルの峻別」が行われていることを意味する。ここでとりあげられる事例に共通する共感の性質は即時性である。神田橋の語る共感エンパシーのような、ある一定の時間を必要とするものではない。とくに共感という事態そのものを記述する前半部分において、音楽的な比喩が顔を覗かせることはそのことと無関係ではない。

 

観察者の情動は、苦しんでいる人物が感じる激しさに及ばない場合が大半であろう。人間は生まれつき共感的であるが、他人の身に生じた事柄について、主たる関心の対象になっている人物を自然に駆り立てているような強い激情を抱くことは、けっして生じない。そのような想像上の立場の交換が共感の基礎であることは確かだが、それはまったく瞬間的なものだ。自分自身は安全だという考え、つまり自分は本当の被害者ではないという考えが、絶え間なく押し寄せる。また、それは、彼らが被害者とある程度似た激情を感じる妨げにはならないが、同程度の激しさに匹敵するようなものを感受することは妨害する。主要な関心の的にされている人物は、このことに敏感であるだけでなく、さらに完全に共感するように望む。観察者と彼の心的傾向が完全に一致したときだけしか得られない救済が、彼が望んでやまないことなのだ。猛烈で不快なほど強い激情のなかで、観察者の心を占めている情動が、あらゆる点で彼自身のそれと拍子を合わせているのを眺めることが、彼にとって比類のない慰めになる。だが、これを確保する望みは、観察者が拍子をとりながら合わせられる音の高さまで彼の激情を下げなければ、かなえることができない。周囲の人々の情動と調和し、一致するような程度に引き下げるためには、本来の口調がもつ甲高さシャープネスを引き下げる必要がある、と言い換えられよう。実際、観察者が感じることは、関心の的である当事者が感じることといつもいくつかの点で異なっており、したがって、同情コンパッションがそもそもの悲哀とまったく同一であることなど、けっしてありえない。というのは、共感的感情の発生原因である立場の転換は想像上の事柄にすぎないというひそかな意識が、類似性の程度を低下させるだけでなく、多少ともその性質を変化させ、まったく異質の変更を施すからである。しかし、この二様の感情の間の類似性は、社会の調和をもたらすためなら明らかにそれで十分である、と言うことができるだろう。両者の音程や旋律が同一のものになったりすることはないが、両者が協和音化コンコードする可能性は残っており、そしてこれが、求められ、必要とされることのすべてなのである。*5(強調は引用者)

 

 アダム・スミスによる道徳の基盤としての共感の研究は、その成功/失敗が結果として現れる地点から遡行的になされるといえる。「なぜ共感に成功した/失敗したのか」という視点から「どうすれば共感が成功/失敗するか」が導かれる。sympathy は瞬間の一発勝負であり、empathy のような時間性、漸近性をもってないからである。この方法から「公平な観察者」に代表されるようなアイデアが現れてくる。いわば人間は共感を目指して自らの表現(感情から行為へ)を作曲するのだが、これは特殊な共作であって、ふたりの作曲者がお互いの作り上げている曲をいざ演奏する段になるまで覗き見ることができず、お互いが演奏者であると同時に鑑賞者でもあるような、瞬間的な共作である。

 この共感および共感へと至るプロセス全体が道徳の基盤となるのだが、共感のない地点からいかにして共感へと至るかを追求することについては、アダム・スミスの関心は向いていない。それは sympathy ではなく empathy の領域であるし、アダム・スミスは道徳の基礎としての共感に関心があるのであって、道徳の目的は共感に至ることではない。その逆であり、共感、それも物質的共鳴・共振というべき共感が善悪を判定するための標識となることが判明すればそれで充分なのである。

 

 次の部分は『道徳感情論』の作者が「模倣芸術について」を書いた人間と同一人物であることを強く感じさせる。

 

悲嘆や歓喜からの転調を音楽が忠実に模倣した場合、我々は、実際にそのような激情を引き起こすか、少なくとも感じやすい気分になる。だが、それが怒りの音符を模倣した場合、それは我々に恐怖感を抱かせる。歓喜、悲嘆、愛、賞賛、献身などは、もともとそのすべてが音調の美しいミュージカル激情である。その本来の音色はすべて柔らかく、澄みわたり、美しく響く。そしてそれは、規則正しい休止で区切られた楽節のなかにおのずと現れるし、その理由から、主旋律に対応するメロディーの規則的な回帰に心地よく適合する。これに反して、怒り、つまり怒りと似たすべての激情が発する声の調子は耳障りで、しっくりこないその楽節もまたすべて不揃いであって、あるときはきわめて長く、あるときにはきわめて短く、規則的な休止をもたない点で際立っている。それゆえ、音楽がそのような激情のすべてを模倣できるわけではないし、怒りなどの激情を模倣する音楽は、快適とはほど遠いものになる。余興の全体は、何ら不適合なものを含むことなく、社交的で快適な激情の模倣でもって構成できるだろう。すべてを嫌悪と怒りの模倣で構成してしまうと、それは奇妙な余興になってしまうだろう。*6(強調は引用者)

 

 「悲嘆や歓喜からの転調を音楽が忠実に模倣した場合」という表現は、感情と音楽の相同性が「転調」という逆向きの比喩を可能にするほどのものであることを示している。彼が器楽について語っていたこと(「われわれが器楽から感じるものは何でも、本源的な気持であって、同感的な気持ではない」)が、ここではさらに推し進められている。感情を模倣する音楽が、音楽を模倣する感情を導いていく。感情は調性を、リズムを、楽節を、音色を、ハーモニーを、そして旋律を持つことになる。このことによって、アダム・スミスは人間それも他人の心という、それ自体は見ることも聞くこともできないもの、しかし天体における質量、天体間における引力に匹敵する原動力を記述可能なものとするひとつの手がかりを得たのである。

 アダム・スミスが語る文体の美しさも、この観点からいえば文学的、審美的な意味での美しさという以上に、倫理的、道徳的な美しさなのだということが改めて分かる。もう一度ここに引こう。

 

私は、文章にじっさいに美しさをあたえるのは、なんであるかを指摘した。それはすなわち、記述されるべきものごとを言葉がむだなく適切に表現し、著者がそのものごとについて心にいだき同感によって聞き手に伝達したいとおもった感情を、つたえているばあいには、その表現は、言語が表現にあたえうる美のすべてをもっているのだということである。*7

 

 言うまでもなく、この定義を取る際の困難は、自らが著者ならともかく他人が書いた文章の美を判断する際に必要になるはずの「記述されるべきものごと」や「著者がそのものごとについて心にいだき同感によって聞き手に伝達したいとおもった感情」を知るすべがないということである。書かれたものしかないところからどうやって「筆者の気持ち」を知り、「筆者の気持ちが簡潔に十全に表現されているか」を知るというのか。この根本的な欠陥は『修辞学・文学講義』におけるアダム・スミスの批評全体の妥当性に影を投げかけるかに見えるが、『道徳感情論』や「模倣芸術について」との一貫性をより高めようとするならば、ここはアダム・スミスの書いていることに逆らってでも見方を逆にするべきなのである。

 まず書かれたものに共感できるかどうかである。共感できない場合、それをすぐに文体の欠陥に返すことはできない。読み手の偏狭さ、小ささによって、あまりにも限られた文体でしか共感することができないということがあり得るからである。この点においてひとつの定理があらわれる。文体の美しさは文体自体において独立することはできない。それは書き手だけでなく読み手にも依存する。

 そして、共感できるとしても、まだその文体が美しいとは言い切ることはできない。ここからは書き手への想像力、さらには「わたし」ではない「読み手」への想像力さえもが要求される。書かれていることをそれ以上に簡潔にできないか、伝えそこなっているもの、足りていないものがないか、配列の仕方はどうか……読み手は編集者になり、書かれた文章を検討する。重要なのは「私だったらこう書く」という姿勢だけではなく、書き手からも読み手からも少し離れた(しかしこの二人なしではあり得なかった)編集者としても見るということである。これが「公平な観察者」の構造と重なることは言うまでもない。この動きが重要なのは、「文体の美しさの判断」と「文書の内容の判断」が混濁することを防ぎやすいというところにある。この段階を経るためには、読み手が、書き手が書きたいと思ったものごとや伝えたいと思った感情をとりこぼさないでいられるだけの広く細やかな感性と知性を持っていることが必要になる。このような読み手を想像することによって、そしてまた第一の読み手となることにおいて、書き手もまた同じ作業を要求される。これはある種の推敲であり、ここであの定理に付随する補題があらわれる。文体の美しさを判断するためには、それを判断する者の共感能力が必要とされるレベルまで高められておかねばならないということである。

 この作業の結果として、その文体に推敲の余地がないこと、すなわち伝達の媒介として簡潔で十全であると判断できるとき、ようやくアダム・スミスが本来書くべきだった文体の美しさを定義することができる。アダム・スミスにとって最も美しい文体とは、本源的なものの外在として現れる。すなわち、彼にとっての文体の美しさとは、文体の(アダム・スミスが書くかぎりでの)音楽性に他ならない。

 同感、すなわち sympathy によって聞き手に伝達すること。アダム・スミスにおいては、文体の美も道徳と同じ基盤を共有していることになる。美的判断と道徳判断の基盤が共通のものである以上、アダム・スミスは趣味を良俗と独立にもつことは難しかっただろう。音楽の見方からしてもそうである。社交的で快適なものを好んだのは間違いない。「歓喜、悲嘆、愛、賞賛、献身などは、もともとそのすべてが音調の美しいミュージカル激情である」と書くのであるから。彼を知る者が、アダム・スミスは芸術を理解しなかったと言ったとしてもそこに驚きはない。ただ、彼がこのような定義を択べたということ自体が、彼の、人間への善性への信頼を示しているとはいえないか。

 

1 いかに利己的であるように見えようと、人間本性のなかには、他人の運命に関心をもち、他人の幸福をかけがえのないものにするいくつかの推進力プリンシプルが含まれている。人間がそれから受け取るものは、それを眺めることによって得られる喜びの他に何もない。哀れみや同情がこの種のもので、他人の苦悩を目の当たりにし、事態をくっきりと認識したときに感じる情動エモーションに他ならない。我々がしばしば他人の悲哀から悲しみを引き出すという事実は、例証するまでもなく明らかである。この感情センチメントは、人間本性がもつ他のすべての根源的な激情パッションと同様に、高潔で慈悲深い人間がおそらくもっとも敏感に感じるものではあろうが、しかし、そのような人間に限られるわけではない。手の施しようがない悪党や、社会の法のもっとも冷酷かつ常習的な侵犯者でさえ、それをまったくもたないわけではないのである。*8

 

 『道徳感情論』はこのようにはじまる。訳者の高哲男は訳者解説で、『道徳感情論』を「人間行動学・動物行動学の生誕を告げるもの」と位置づけ、さらに次のように書く。

 

明らかにスミスの方法は、理論物理学的というよりも、観察を重視した生物学的な方法である。したがってまた、スミスの思想が「予定調和」でありうるはずもない。そもそも「予定調和」は、ゴットフリート・ライプニッツが『単子論』のなかで指摘したことだが、スミスのコレクションにライプニッツの著作はまったく含まれていない(ニュートンの著作はほぼすべて含まれている)し、彼に対する言及も見当たらない。むしろ、予定調和的な楽観論の表明であるライプニッツの『弁神論』をを厳しく批判した『カンディード』の著者ヴォルテールを、スミスは生涯にわたってきわめて高く評価していた。*9

 

 わたしはアダム・スミスの研究者でも経済思想史の研究者でもなく、アダム・スミスの宇宙人的思考の瞬間を跡づけたいと思っているにすぎない。たしかに蔵書にライプニッツはなく、道徳的には過大評価していたであろうニュートンの著作はほぼ揃っていたのだろう。ヴォルテールを評価し続けていたのも間違いないだろう。だが、アダム・スミスが自覚していたとは思えないものの、わたしにはアダム・スミスが記述し信じていた世界がライプニッツの「予定調和」的な世界からそう遠いものではないように思える。

 

5 宇宙のどの部分においても、我々は、考えられるかぎり巧妙に、意図した目的に手段が適合させられているのを見るし、植物の構造や動物の身体のなかで、あらゆることが自然の二大目的  個体の維持と種の繁栄  を促進するためにいかによく工夫されていることか、と感嘆して眺める。だがこのようなもののなかに、つまり、そのような対象のなかに、我々はさらに、いくつかの運動や有機的構造における究極原因ファイナル・コーズ作用原因エフィシエント・コーズとを区別することができる。食べ物の消化、血液の循環、それから取り出される体液の分泌などは、ことごとく動物が生きるという偉大な目的のために不可欠な働きである。だが、我々は、このような働きを作用原因から説明するようには、動物の生命維持という偉大な目的から説明しようと試みることはしないし、循環や消化の目的に対する見通しや心積もりをもった上で、血液が循環するとか、食べ物はおのずと消化されるなどと想像することもない。(中略)だが我々は、身体の働きの説明に際して、作用原因と究極原因をこのような仕方で識別し損なったりすることはないのに、心の動きを説明する段になると、この二つの異なった原因を、いとも簡単に互いに混同する傾向をもっている。我々が、生まれつきもっている原動力プリンシプルズによって、このような目的  精緻化され、啓発された理性が我々に勧めるような目的  を推しすすめるように導かれているときにはいつでも、我々は、このような目的を推進する感情や活動の原因を、いとも簡単に啓発された理性のせいに  その作用原因であるように  してしまい、本当はゴッドの英知であるものを、人間の英知であるに違いないと、いとも安直に想像しがちである。表面的な観察にもとづくなら、この原因は、それに帰された結果  原因や結果をもたらすという意味で  をもたらすには、十分なもののように見える。すなわち人間本性の体系システム・オヴ・ヒューマン・ネイチャーは、このような仕方で、そのさまざまな作用が、すべて一つの原理プリンシプルから演繹された場合に、より単純明快で好ましい、と思われるのである。*10

 

 最後の部分は難しいが、アダム・スミスは、啓蒙主義時代に至り人間が「宗教の迷妄」から解放され、自らの感情や思考を啓発された人間理性のみによって説明しようとする誤謬を犯しがちになったとしても、神の英知がそのような性向さえもつものとして人間を創造したのだというようにしてふたたび神を見つけるようにしている。これが敬虔な考えであると言い切ることはわたしにはできないが、次のようにはいえる。その原因の認識が忘れ去られるほどにこの誤謬への性向が習慣化されれば、人間は神の英知どころか神さえも忘れてしまうだろう。ここでアダム・スミスが意識してか知らずか書いたことは、神にさよならを言うことだったように思える。それは神と別れられるということを意味しない。巣立つ子が親に旅立ちの挨拶をすることそれ自体は親子の別れではない。さよならをうけても、見守ることはできる。この意味で、人間は別れを知っているように思えるが、人間の英知を超えたところでは、実は「別れる」ことなどありえず、できることはさよならを言うことだけなのかもしれない。

 話が逸れてしまったが、『道徳感情論』というプロジェクトは、道徳という精神にまつわる概念を感情という身体にまつわる(少なくともアダム・スミスは感情に伴う身体の反応を描写している)概念に必然的に結びつけるものであり、この全体構造が神の英知に適っている(少なくとも反しない)ことを示すものでもあろう。現実のアダム・スミスライプニッツを避けていたとしても、人間という条件において、この世界が最善であることはゴールではなくスタート、それも、そうでなくてはスタートすること自体ができないようなスタートであるということは、この二人にとって共通する信念であったのではないだろうか。

 

 「人間物理学者」としてのアダム・スミスという描像は、高も指摘するように『道徳感情論』の実際においては当てはまらないように思える。そもそも天体と人間は異なるものであるという当たり前のことを無視して、ニュートン体系の「文体」をそのまま人間行動の記述にも流用するなどということは、物理学以前の理性の失敗である*11。「人間物理学者」らしい記述には『国富論』のような問題系のほうが向いていただろう。経済には基数的なものも序数的なものもあるが(それは商品という物量、とくに数字を刻印された貨幣という謎めいた商品に顕著である)、心や性格といったものにはそこまで明確なものはない。前に見たように彼が心理的な動きを描写する際に数量的語彙を使用することにためらいがなかったとしても、それに基づいて体系を作り上げられるかどうかは別の話である。しかし、ニュートン体系的な文体であるか否かというところから離れてふたたびこの観点を考えてみるとき、「人間物理学者」の相貌が『道徳感情論』においても現れているのではないかと思わされる箇所が見えてくる。それは、アダム・スミスが「体系重視の精神スピリット・オヴ・システム」について書く場面である。ここでアダム・スミスは一種のゆらぎを見せている。

 

愛国者が、公共行政のどこか一部を改善しようと試みる場合、必ずしも彼の行為は、それが実現する恩恵を享受する人々の幸福に対する純粋な共感から生じるわけではない。公共心にあふれる人物が幹線道路の補修を奨励するのは、普通、運搬人や馬車の御者に対して一体感を抱くからではない。リンネルや羊毛の製造業を促進するために、立法府が奨励金その他の奨励策を制定する場合、その活動が、安くて質の良い服地の着用者に対する純粋な共感からなされていることはほとんどなく、大半は、その製造業者や承認に対する共感からだと言って良い。交易や製造業の拡大政策の整備は、気高く壮大な目的である。そのような目論見は、我々の歓迎するところであり、しかも我々は、その拡大につながる可能性をもつものすべてに関心を寄せる。それは大きな統治機構システムの一部になっており、したがって、政治を動かす機械ポリティカル・マシーンの推進力は、このような手段によって調和の度を増して、滑らかに作動するように見える。我々は、これほど壮麗で偉大な機構が完備されていること大歓迎するのであって、その適切で正常な働きを少しでも妨害し、阻止するような障害物を取り除くまで安心しない。しかし、あらゆる政治体制が評価されるのは、そこで生きる人々の幸福の促進に貢献する程度に応じてでしかない。これが、そのような組織の唯一の効用であり、目的である。だが一定の体系重視の精神スピリット・オヴ・システムから、すなわち技法や装置に対する明確な好みから、時には、目的よりも手段を重視しているように見えるし、また、我々の仲間が被ったり享受したりするものを直接に知覚したりすることよりも、一定の美しい秩序だった体系の完全性と改良という観点から、彼らの幸福を強く希望しているように見える。最大の公共精神に恵まれた人物でも、他の側面では、人間の気持ちなど、まったく感取しないことがある。また逆に、最大の人間愛に恵まれた人物でも、公共精神がまったく欠如している場合がある。*12(強調は引用者)

 

ここではその前段の「見えざる手」の議論が引き継がれ、公共精神と人間愛が必ずしも一致しないこと、共感をまったく欠いた公共精神が存在することが書かれている。なによりここに「我々」とあるように、アダム・スミスは「体系重視の精神スピリット・オヴ・システム」を持つ側の人間として、「政治体制」の妥当な評価軸(「あらゆる政治体制が評価されるのは、そこで生きる人々の幸福の促進に貢献する程度に応じてでしかない。これが、そのような組織の唯一の効用であり、目的である」)と「体系重視の精神スピリット・オヴ・システム」を持つ側の人々の非本質的な評価軸(「我々は、これほど壮麗で偉大な機構が完備されていること大歓迎するのであって、その適切で正常な働きを少しでも妨害し、阻止するような障害物を取り除くまで安心しない」)とのズレを認識しているように見える。そして何よりここでは「見えざる手」のシステムとパラレルな形で、共感に基づく人間愛を欠いた公共精神であっても、人間の幸福に資しうるということが主張されているわけだ。しかし、次の長い部分では様子が変わってくる。

 

15 内紛の動乱と混乱のなかでは、明確な体系重視の精神スピリット・オヴ・システムは、人間愛  同国人の一部がさらされかねない不便や難儀に対する真の一体感  にもとづく公共精神とたやすく混じり合いがちである。このような体系重視の精神スピリット・オヴ・システムは、一般的により穏やかな公共精神の目標を受けいれて、つねに公共精神を呼び覚まし、熱狂的な行為に没頭させるほど、それを燃え上がらせることさえ少なくない。不満を抱いている党派の指導者は、不都合を取り除き、直接訴えている難儀を軽減するだけでなく、将来いつでも同じような不都合や難儀が繰り返されないように予防するなどと嘘八百を申し立て、ほとんどつねに、一見もっともらしい計画を提案することになる。この理由から、彼らはしばしば国制を新しい形にして、数世紀という長きにわたって、大帝国の臣民が、おそらくは平和、安全、さらには栄光という形で享受してきた統治体制を、そのもっとも本質的な部分において変更しようと提案する。その党派の大部分は、まだまったく未体験であるが、彼らの指導者の雄弁が、目くるめく極上の色彩で描き出して提供する、この理想的な秩序がもつ想像上の美しさに、一般的に酔いしれる。指導者自身は、そもそも自分たちの地位と勢力の拡大しか意図していなかったのに、やがて、彼らの多くが自分自身の詭弁の盲従者になって、追従者のうちもっとも愚かでばかげた人物に引けを取らぬほど、この偉大な再編成を熱望する。思想家は、自分自身の冷静さを保ち、通例そうであるように、この狂信的行為から解き放たれているはずであるが、しかし、やはり彼らは、追従者の期待を必ずしも裏切らないように敢然と立ち向かい、彼らの行動原則や良心と矛盾するにもかかわらず、あたかも、彼らが共通の妄想のもとに行動すべく余儀なくされてしまうことが多い。党派の猛威は、あらゆる弁解、妥協、理にかなった調停をことごとく拒絶し、あまりにも要求することが多すぎて、しばしば、何も得ることができない。だから、わずかな節度がありさえすれば、ほとんどすべて取り除かれ解放される可能性のある不便や苦悩といったものが、ほとんど救済のめども立たず、放置されることになる。

16 みずからの公共精神が、余すところなく人間愛と思いやりによって駆り立てられている人物は、たとえ個人に属していても、確立された権力や特権に敬意を払うであろうし、国家を形成する偉大な階級や、社会の権力や特権をよりいっそう尊重するだろう。もっとも、そのうちのいくつかを、彼はある程度まで不正だと考えるはずであるが、ひどい暴力を用いないかぎり破棄できないたぐいのものについては、緩和すれば良しとするだろう。大衆の根深い偏見を、理性や説得によって打破できないときには、力で大衆を服従させようとは試みず、プラトンの神聖な格言マキシムキケロが正しく呼んだように、両親に対すると同様、母国に対してけっして暴力を用いないということを、忠実に守るだろう。彼は、自分が用意している公共福祉のための手順を、可能なかぎり大衆の間に定着している習慣や偏見に順応させようと試みるだろうし、大衆が従いたがらないこの手の規制がないために発生しかねない不都合を、可能な限り除去しようとするだろう。公正さを確立できなかった場合でも、不正を改めることに価値がないと考えたりせず、ソロン[Solon, 640 B.C.-c. 560 B.C. 古代のアテネの政治家で、ギリシャ七賢人の一人]のように、最良の法制度を制定できないとき、彼は、大衆が耐えうる最良のものを制定するために努力するだろう。

17 これとは反対に、体系重視の人間マン・オヴ・システムは、自分自身がとても賢明であるとうぬぼれることが多く、統治に関する彼独自の理想的な計画がもっている想像上の美しさに心を奪われることがしばしばあるため、どの部分であろうとおかまいなく、それからのごくわずかな逸脱にも我慢できない。彼は、最大の利益とか、それと矛盾しかねない最大の偏見についてはまったく考慮せず、理想的な計画を、完全にしかも事細かに規定しつづける。彼は、まるで競技者がチェス盤のうえでさまざまな駒を配列するかのように、大きな社会のさまざまな構成員を管理できる、と想像しているように思われる。チェス盤の上の駒は、競技者がそれぞれに付与するもの以外に動き方の原則プリンシプルをもたないが、人間社会という大きなチェス盤の場合、それぞれの駒のすべてが、それ自身の動き方の原則  立法府が個人に付与するように決めかねないものとは、まったく異なる  をもっているなどと、彼は考えてもみないのである。もしこの二つの原則が、一致して同一方向に作用するとすれば、人間社会というゲームは、円滑に調和を保って進行するだろうし、幸福な繁栄も大いに確実なことであろう。もし両者が逆だったり、違っていたりしたら、そのゲームは悲惨なうちに進行し、社会は、つねにこれ以上ない混乱状態に陥るはずである。

18 政策や法律における完全性という、一般的であるばかりか体系的でさえある何らかの信念が、政治家の考え方を導くために不可欠なことは、間違いあるまい。だが、その信念が求めるようなすべてのことを、あらゆる反対を押し切って制定すること、しかも、全体を一度に制定することなど、多くの場合、この上ないほどの傲慢さであるに違いない。それは、彼自身の判断を、正邪に関する最高の基準に格上げすることになろう。それは、共和国のなかで、彼だけが英知に恵まれたたった一人の立派な人間であるとうぬぼれ、同国人はすべて彼に合わせるべきであるということに他ならず、彼が、同国民に合わせるべきだということではない。あらゆる政治的空論家や、外国の君主が危険きわまりないというのは、この理由にもとづく。*13(強調は引用者)

 

 最終版である第六版からの翻訳であることを念頭におけば、この部分は最初期であったフランス革命に対する批判の意図を残してあることは明白だろう。「16」における記述は革命期の主張としては保守的、反動的といって間違いない。引用部の最後に「外国の君主」とわざわざ言われることも、その趣を強める。アダム・スミスの党派嫌いもここで改めて確認することができる(アダム・スミスの、自然科学者と文学者や著述家に対する評価の違いは、党派性の有無に大きく左右されていたことを思い出そう)。システムへの没入や党派的なものは、アダム・スミスにとって、真の認識に至るうえでの障害となる。ここからもアダム・スミスが道徳問題に関してニュートン的な体系化、物理学化をこれ以上推進しそうにないことがわかるが、ここでもっとも重要な点は、前の引用部とは逆に、人間愛に基づかない公共精神が否定されている点にある。

 この矛盾に見える部分をどうすればよいのか。「内紛の動乱と混乱のなかでは」という条件が重要であり、平時においては共感そして人間愛を欠いた公共精神が肯定されえても、緊急時においてはそうではないということなのか。あるいは、「体系重視の精神スピリット・オヴ・システム」と「体系重視の人間マン・オヴ・システム」は精神と人間であるから違うカテゴリーであり、前者の行き過ぎとなった人間を後者のように呼んでいるだけなのだろうか。しかしいずれにしてもこの亀裂から、我々はニュートン体系を羨望する者という意味とはまた別の意味で「人間物理学者」、それも宇宙人的な「人間物理学者」を見出すことになる。もし「余すところなく人間愛によって駆り立てられた公共精神」と、「人間の気持ちなど、まったく感取しない公共精神」が社会状況によってスイッチングできたり、配分を変更できるというのであれば、アダム・スミスにとって「人間愛」も「体系重視の精神スピリット・オヴ・システム」も、「公共精神」に接続されたある種の操作可能なパラメータとして並列されていることになろう。確かにアダム・スミスにとって人間社会というゲームはチェスではないし、人間はチェスの駒ではないだろう。だがそのことは、人間社会がゲームではないことを意味するのではないし、人間が何らかのゲームの駒でないことを意味するのでもない。『道徳感情論』全体にいえることだが、アダム・スミスが本書で描写する有名無名の人間に対して、アダム・スミス自身がどういう感情を抱いていたのかが、読者には不透明に映る。「未亡人や父無し子」が「父」に抱く復讐心を記述する部分が数少ない例外だろうが(ここでのアダム・スミスの観察は他の部分に較べて異質に映る)、ほとんどの記述は「ある人間がある人間に共感する(あるいは共感できなかった)場面を描いている」というトーンであり、そこには必ず距離がある。

 

 アダム・スミスの視線は地球表面に降り立ち、人間に到達した。そこで人間という星々が織り成す秩序は、音楽的なものによってアダム・スミスに引力にも似た隠された秩序を明らかにするのだが、そういった秩序への愛は、しばしばアダム・スミス自身がはっきり観察する人間の実相と対立する。「18」における「政策や法律における完全性という、一般的であるばかりか体系的でさえある何らかの信念が、政治家の考え方を導くために不可欠なことは、間違いあるまい」という記述には、アダム・スミスの内での亀裂がよく露呈されている。彼が当時のフランスで育ちフランスにいたフランスの知識人だったとしたら、同じように書いただろうか。

 

8 異なった二組の哲学者が、この道徳性というあらゆる課題のうちでもっとも困難な課題を教えようと試みてきた。一方は、他者の利益に対する我々の意識を高めるべく努めてきたし、他方は、我々自身の利益に対する意識を低下させようと努力してきた。前者は、我々が自然に自分自身を思いやるように他者を思いやり、後者は、我々が自然に他者を思いやるように、自分自身を思いやらせようとした。両方とも、おそらく、自然の摂理ネイチャーと適合性の正当な基準をはるかに超えるところまで、その主張を貫き通してきた。

9 前者は、ぶつぶつ泣き言をいう類の憂鬱な道徳主義者モラリストであって、彼らは、きわめて多くの仲間が窮状にあえいでいるというのに、我々に対して、我々の幸福をたえず叱責し続ける人々であり、ありとあらゆる苦難にあえぎながら、貧しさに疲れ果て、病に苦悩し、敵から受ける愚弄と抑圧による死の恐怖のなかで、どんな場合も働き続ける多くの悲惨な境遇にある人間のことなど、思いやりもしない繁栄にともなって生じる自然なばか騒ぎを、敬神的ではないと見なすような人々である。我々が見たことも聞いたこともないが、それほど多くの人間仲間にいつも降りかかっている  と確信して良い  このような不運に対する哀れみが、幸運な人々の喜びを鈍らせ、すべての人間を習慣的に意気消沈させ、憂鬱にするはずである、と彼らは考えるのである。だが、第一に、我々がまったく知識をもっていない不運に対するこのような極端な共感は、まったくばかげていて、不合理だと思われる。世界全体で平均すれば、苦悩や災難を被っている人間一人について、繁栄と幸福な状態、あるいは、少なくともまあまあな境遇にいるのは、二〇人とあてがうことができよう。我々は、二〇人といっしょに喜ぶのではなく、なぜ一人のために泣くべきなのか、明確に特定できる理由は確かにない。加えて、このような人為的な哀れみは、単に不条理であるだけでなく、まったく達成しがたいものだと思われる。そして、このような特徴をもつ振りをする人間は、一定の悲しみに心を打たれる感傷的な悲哀しかもたないのが普通であって、それは心には届かず、図々しくも、ぶざまで不快な精神的な支持と親交をもたらすのに役立つだけである。そして最後に、この心の気質は、到達することはできても、まったく無益なものであり、それをもつ人物を惨めにすること以外の目的には、役立ちようがない。面識も関係ももたず、我々の行動範囲から完全に外れたところにいる人々の運命に抱く関心がどのようなものであろうと、それは、いかなる方法においても彼らに利益をもたらさず、我々に、心配の種を生じさせることができるだけである。いったい何の目的で、月に存在している世界について、思い煩わなければならないというのか? あらゆる人々  もっとも遠くにいる人々でさえ  が、我々から、思いやりにあふれた祝福の言葉を受ける権利を有することは間違いないし、思いやりのある祝福の言葉を、我々は自然に彼らに与える。だが、それにもかかわらず、もし彼らが不運であったら、それを理由に我々自身心配することが、我々の義務の一部であるとは思われない。それゆえ、我々が助力することも、傷つけることもできず、どこから見ても我々とはきわめて疎遠な人々の運命にほとんど関心を抱かないはずだということ、これは、自然の女神ネイチャーによって、賢明にも命じられたことだと思われる。だから、たとえこの点で、我々の身体フレームが元来もっている体質コンスティテューションを手直しできるにしても、なお、この変更によって我々が得るものは何もないだろう。*14

 

 距離が、人間と天体を分かつ。星々は、そのひとつひとつの間には文字通り天文学的な距離が広がっていることを知識としては知っていても、いざ夜空を見上げてみれば星座を描きうるほどには同じ一つの天球に張り付いているように見えてしまう。しかし人間という地上の星の場合はそうではない。人間と天体の間の距離よりも遥かに近い人間と人間の間には、天球的調和など、知識としても体感としてももはや見出すことができない。そしてこの距離という概念が、アダム・スミスにおいて思いやりの適切なレベルという発想に結実する。アダム・スミスにおいて共感が、想像力によって(ある程度)共感しようとしている対象の人物自身になる、という動きによって行われるものであってみれば、グラスゴーアダム・スミスにとってフランスはおそらく自身が思っていた以上に遠かったのである。同時代のフランスに生まれ育っていても、アダム・スミスほどの「体系重視の精神スピリット・オヴ・システム」がフランス革命に共感することはなかったのだろうか。そこではもはや「外国の国王」に配慮し自分を圧し殺す必要もなかったなかっただろうが。*15

 

 一人の哲学者が sympathy によって人間の善への性向を基礎づけようとした。それは文体の問題とも相まって、人間が人間を理解しうるための必須の条件にさえなった。だがその視線は地球の重力下において歪曲し、水平線の手前に没することになる。empathy はまだ始まっていない。sympathy には「感じてしまう」があり、empathy には「感じたい」がある。*16empathy はアダム・スミスにおいて、感情と道徳の間で浮遊したまま、朝靄のように消えてしまったものである。鶏鳴や喇叭の代わりに蒸気機関イングランドに朝を告げる。『国富論』の朝がやってくる。私はここで『国富論』を見送ることにする。それは大地の支配の学問があげた最も力強い産声である。大地は根を張るところのもの、よって立つところのものであり、また死者が死体となり還りゆくところである。歩かせつつ縛り、恵みを与えつつ食らうものである。大地とは重力と墓を本質とするということができる。わたしはここまで「詩」について、「詩人」についてしか書いていない。「詩人」の対岸にある「科学者」を、その表情をみつめ、「詩」が「詩人」が、どこへ向かっていくのかに思いを馳せること、それがここまでのすべてである。『国富論』は  そして思い切っていえば「哲学」もまた  「詩人」に背を向けて、遠くへ立ち去ってしまう。われわれが最後に向かうべきところは『国富論』ではなく、アダム・スミスが第三版以降『道徳感情論』の巻末に追加した、しかしグラスゴー版全集では『修辞学・文学講義』に収録されることとなった浮遊する論文、すなわち「言語起源論」をおいて他にない。

 

補:アダム・スミスデリダ   自然の女神ネイチャー人工知能であり得るか?

 

 わたしの知る限り、デリダアダム・スミスについて書いていない。二人を並べて何かを書くには無理があるように思える。しかし、デリダはルソーについて書いており、アダム・スミスとルソーが書き残したものには深く繋がりがあることを思えば、まったく道筋がないというわけでもない。わたしはいまから『道徳感情論』と『法の力』を並べて読もうとしているのだが、それにはまず、並べること自体にある困難を突破しなければならない。最大の困難は、『法の力』は規範研究であるのに対し、『道徳感情論』は記述研究であるという点にあり、そのことは謝意と憤りを研究する部分でアダム・スミス自身が書いている。見てみよう。

 

10 ここでの研究は正しさにかかわる問題マター・オヴ・ライトではなく、言うなれば、事実にかかわる問題マター・オヴ・ファクトであることも、考慮してほしい。我々がここで検討していることは、完全な人間はどのような原理プリンシプルにもとづいて有害な行為の処罰を是認するかではなく、人間のような意志薄弱で不完全な被造物は、いかなる原理にもとづいて、実際、現実的にそれを是認するかである。私が今ここで言及している原動力プリンシプルが、人間の感情にきわめて大きな影響を及ぼすことは明白であって、しかも、賢明にもかくのごとくあるべし、と命じているように思われる。不当でいわれのない悪意は、適切な処罰をつうじて抑制されるべきであり、したがって結果的に、このように処罰することは正当であり、賞賛に値する行為として認められねばならぬということを不可避にするのは、まさに社会の存在なのである。したがって、社会の繁栄ウェルフェアと存続を自然に望むような資質が人間に付与されているとはいえ、自然の創造主オーサー[第三版から大文字の Author に変更された]は、社会の繁栄と存続を、一定の罰を与えることが、この所期の目的達成のための適切な手段であると発見する人間の理性に委ねず、所期の目的をもっともうまく達成する不屈の努力を直接本能的に賞賛する才能を、人間に授けたのである。自然の営みエコノミー・オヴ・ネイチャーは、この点で、他の多くの事例で生じることと完全に一致する。このようなすべての目的、つまり、それ自体がきわめて重要であるという理由から、自然のお気に入りの目的  もしそのような表現が許されるとすれば  と見なしうる、社会の繁栄と存続という目的の全体に関して、自然の女神ネイチャーは、みずから提示した目的に対する本能的欲求アピテイトだけでなく、同様に、手段それ自体が自動的に、しかもそれを生み出す手段自体がもっている傾向とは無関係に、それに頼りさえすれば社会の繁栄と存続という目的を達成できる手段に対する本能的欲求を、このような方法で、たえず人間に授けてきたのである。要するに自己保存、したがってまた種の増殖は、自然の女神ネイチャーがあらゆる動物を育む際にもくろんだ偉大な目的である。人間は、このような目的に対する欲求と反対の目的に対する嫌悪  生命愛と死滅の恐怖、さらには、種の存続や繁栄の望みと、その完全な消滅という見解への嫌悪  を、生まれつきもっている。だが、このような目的をめざす強烈な欲求が我々に付与されているとはいえ、それを実現するための適切な手段を発見することが、人間理性の緩慢で不確かな決定に委ねられることはなかった。自然の女神ネイチャーは、本源的で媒介なしの本能によって、このような目的の大部分へと我々人間を導いてきた。飢え、渇き、両性を結びつける熱情、快楽愛、死の恐怖などといったものは、自然の偉大な指導者ディレクター[神のことだが、第四版以降Director と大文字で表記]がそれをつうじて生みだそうと意図した有益な目的に向かう傾向など、まったく考慮することなく、このような手段を、それ自身がもつ目的のために発動するように、我々を駆り立てるのである。*17(強調は引用者)

 

 人間の不完全な理性を前提とするアダム・スミスの道徳理論は、記述レベルでの研究に理性に対する感情の優位を持ち込むことになる。この点でアダム・スミスはルソーに近接する。この引用の手前のところでアダム・スミスは「しかし、人間が現代の堕落した状態にあってもなお、自然の女神ネイチャーは、あらゆる点でまったく有害な、つまり、程度においても方向性においてもまったく賞賛と是認の正当な対象になりえない原動力プリンシプルを我々に与えるほど、我々に対して不親切であったとは思われない」と書いている。ルソーと異なり、アダム・スミスがどうしてあれだけ利己心を擁護しようとしたかもここで理解される。自然の女神ネイチャーは、それとして言及されることのない、人間の持ちうる倫理の最終的な審級として舞台裏に控えているのだ。

 

 

それぞれの感覚は、それぞれに固有な対象にとって、最高の存在である。色彩の美しさについては、目以上に上訴の場はなく、音の和声については、耳以上に、また味の良さについては、味覚以上に上訴するところがない。このような感覚が、最後の手段として、それぞれ固有の対象物について判定を下す。味覚を満たすものはすべてがおいしく、目を楽しませるものはすべてが美しく、耳を落ち着かせるものは、すべてがよく調和しているのである。このような資質のそれぞれに特有な本質は、まさに注がれている感覚を楽しませるのに適している点にある。いつ耳が落ち着かせられるべきか、いつ目が楽しまされるべきか、いつ味覚が満たされるべきか、いつどの程度まで、我々の本性の他のすべての原動力が甘やかされたり、抑制されたりするべきか、このようなことを同じ仕方で決定すること、これは、我々の道徳的能力に属することである。我々の道徳的能力にとって快適なことは、なされることがふさわしく、正当で、しかも適正であり、その反対のものは、誤っており、欠陥があって、不適切である。我々の道徳的能力が是認する感情は、気品があって、魅力的なそれである。その反対のものは、下品であり、見苦しい。正当な、間違った、適切な、不適当な、上品な、下品なという言葉そのものは、このような能力を楽しませたり、不快にしたりするものを意味するにすぎない。

6 このような感情は、それゆえ、人間本性を律する原動力として明確に意図されたものであるから、そのような感情が指図する規則は、絶対者デイテイの命令とか、絶対者がこのように人間の心のなかに埋め込んだ代理人によって広められた律法である、と見なされるようになる。あらゆる一般規則は、普通その特徴を示す名称で呼ばれる法則ローであり、それゆえ、物体が動きを伝える際に従う一般規則は、運動法則と呼ばれる。だが、我々の道徳的能力が検討対象に取り上げるすべての感情や行為を、是認したり非難したりする際に従う一般規則をそのような名称で呼ぶことは、さらに正当なことであろう。それは正当にもローと呼ばれているもの、つまり、国王が臣民の行為を取り締まるために定める一般規則と、非常によく似ている。*18(強調は引用者)

 

感覚に対する快適さの絶対性。これが道徳感情にまで敷衍され、絶対性として神から国王へと繋げられていく。結果としてアダム・スミスは、次のように反動的で、諦念に満ちた、むしろ反語ではないかとさえ思える記述をも導くことになる。*19

 

3 富者と有力者の激情にことごとく同調してしまう人間の習性ディスポジションを土台にして、身分の区別、つまり社会秩序が構築されるのである。優れた人物に対する我々の追従性は、彼らの善意に基づく恩恵ベネフィットに対する個人的期待よりも、彼らの地位がもつ強みに対する我々の賞賛から生じることが、はるかに多い。(中略)およそ国王は人民の奉仕者であって、公共の便宜の要請に従って、守られ、反抗され、退位させられ、罰せられるべきものである、というのは理性と哲学の教えであって、自然の女神ネイチャーのそれではない。自然の女神ネイチャーが我々に教えようとしたことは、自分自身の利益のために国王に服従すること、高位の人々の前では震えおののいて頭を下げること、彼らの微笑みをもって、あらゆる貢献に報いる十分な報償であると見なすこと、何ら他の災難がそれに続くわけではないが、あらゆる屈辱のうち、彼らの不興こそもっとも過酷なものだと恐れること、これである。*20

 

 ヒュームと親交が深く、宗教的にはキリスト教徒として敬虔であったか疑問のあるアダム・スミスであるが、次の宗教に対する言及を見れば、彼が記述的レベルではなく、規範的レベルにおいても宗教に対して与えている価値の大きさがわかる。

 

名声だけでなく、行為の適合性に対する関心、他者の賞賛だけでなく、胸中の人の賞賛に対する関心、これが、世俗の人間と同様に、宗教的な人間にも影響力をもつと信じられている動機である。だが、宗教的な人間は、別の抑制のもとに服しており、最終的に、人間の行為に報いる最高の権威者グレイト・スペリアーの面前にいる場合を除き、けっして故意に活動することはない。より大きな信頼というものは、それゆえ、行為の規則性と厳格さに依存する。だから、宗教の自然な原動力が、くだらない陰謀の派閥的で、党派的な熱狂で腐敗していないところでありさえすれば、さらに、宗教のより身近な義務として、正義や善行に属する活動よりも、むしろ、取るに足りない儀式を配慮するように教え込まれたりせず、犠牲的な行為、儀式や虚しい祈願によって、人間が、絶対者デイテイに不正直、背信、暴力を期待することができるなどとは考えないところでありさえすれば、世間ザ・ワールドは、間違いなくこの点で正しい判断を下すし、宗教的な人間の振る舞いの正しさに対して、まったく正当に、二重の信頼を寄せるのである。*21(強調は引用者)

 

 この宗教について語る場面においても、アダム・スミスの党派性嫌いが打ち出される。これはアダム・スミスの体系にとって党派性が深刻な問題を引き起こすからであり、なぜかといえばそれが「公平な観察者」を不可能にするからである。「党派的な観察者」は、共感を巡る動きが駆動し始める場面で、関係する人物の党派的な属性に応じて判断に重み付けをすることになり、それは自然の女神ネイチャーが与えた感情の「自然な」動きを阻害することになる。「体系重視の精神スピリット・オヴ・システム」に対する両義的な態度も、それが自然の女神ネイチャーが与えた感情の善性に傷をつけかねないものであることを思えば理解できよう(その体系はいつもいつまでも不完全な人間の理性によって建設されざるを得ない)。こうしてみたとき、最後の「二重の信頼」こそが、アダム・スミスの道徳理論における記述的かつ規範的でもある核心として現れる。自らの行為の適合性を信頼すると同時に、最終的審級としての神による是認をも宗教者を通して信頼する、この「まったく正当」な信頼が、人間にとって必要かつ十分な法として静かに提示されているのである。この宗教的な人間がキリスト教の聖職者であるとは限らないわけだが。

 理性に対する感情の優位を宣言する二人の道はここで分かたれるだろう。ルソーは「自然に帰れ」ないと判断されるほどに社会が社会として現れてしまったところで、はじめて理性に対する感情の優位から離陸し、「社会契約」という神話的かつ理性的な原理を提示する(しかし神話的なものと理性的なものは別のものなのだろうか?)。「一般意志」が「自然に帰れ」と命じる日まで、この理性的なものによる建設は人間を「自然」から切断することになるだろう。一方のアダム・スミスは、社会が「進歩」し、身分制度=社会秩序が建設されたことをも感情という神が与えたプログラムのなしたところとして肯定することになる。いわばアダム・スミスは文明にいながらして「自然に帰れ」を愚直に実行し続けるわけだ。それが見せる光景がアダム・スミス自身の目にさえ極めて愚劣なものに映ったとしてもである。「模倣芸術について」でアダム・スミスが書いた「野蛮人の踊り」の衝撃と、それを踏まえた舞踊に対する考えを思い出せば、彼は「自然」と「文明」が完全に相容れないとは考えていないはずである。

この意味で、アダム・スミスの体系においては、人間は神に与えられた感情によって駆動し、神に与えられた人間の英知=理性をもって計算する計算機であれば、そしてなによりそれらの計算を阻害する要因が取り除かれていさえすれば、十分に善であるとされるだろう。神への信頼もまた感情の自然な性向として人間に実装されているからだ。ここでようやく、デリダの「計算」を巡る議論にアダム・スミスを対置することができるようになる

 

 われわれの最も広く共有する公理は次のものである。すなわち、正義にかなっている  または正義にかなっていない  ためには、あるいは正義を行使する  または正義を冒涜する  ためには、私は自由であらねばならないし、私の行為、私の行動、私の思考、私の決断について責任がある/応答可能であるのでなければならない。自由のない存在について、または少なくともある種の現実的行為においては自由でない存在について、それのなす決断が正義にかなっているとか正義にかなっていないなどとは言わないだろう。しかし、義の人のこの自由またはこの決断は、決断であるためには、そして決断だと言われるためには、つまり決断として認知されるためには、何らかの掟または支持、つまり規則に従わなければならない。この意味で決断は、自分が自律的であるまさにそのなかにあって、すなわち掟に従うも従わないも自由ななかにあって、または自分に掟を与えるも与えないも自由ななかにあって、例えば公平にもとづく現実的行為として、計算可能なものまたはプログラムとして組むことができるものの次元のうちにありうるのでなければならない。しかし、この現実的行為とは単に、ある規則を適用すること、あるプログラムを展開すること、ある計算を行うことであるとすると、その現実的行為はたぶん、合法的とか法/権利にかなっていると言われるだろうし、メタファーを使うならばたぶん正義にかなっているとも言われるであろう。けれども、その決断、、は正義にかなっていたと言うと誤りになるであろう、その理由はごく単純で、このケースには決断がなかったからである。*22(強調は引用者)

 

 ここを読んでアダム・スミスに立ち返るとき、われわれは『道徳感情論』において「自由意志」という言葉、「自由」という言葉がほとんど登場しないことを思い出す。これは『道徳感情論』の記述的な性質に加え、彼が sympathy としての共感に注目していること、そして神がいぜん最終的審級におかれていることを考えれば明らかである。彼の道徳概念は正義と徳に大別されるが、前者は must すなわち禁止と義務の体系、後者は should すなわち奨励・推奨と警告の体系であり、どちらにせよデリダの言うところの「プログラム」に属していよう。彼の道徳体系は自由意志を根幹に据えたものではない。デリダの決断に類似したものはアダム・スミスにおいては道徳的な卓越性の部分に関わるだろうが、やはりそれは彼の体系においてはデリダが与えるほどの重要性を持つものではない。「正義」という語の理解の出発点からしてすでに異なる二人を比較してみることはやはり無謀であるのか。次のところを見よう。

 

 正義の決断は、発起することのなかで始まるし、権利問題または原理問題として考えてもそのなかで始まらねばならないはずのものである。そしてこの発起することが結局は、認識すること、読むこと、理解すること、規則を解釈することを生み出し、さらには計算することさえ生み出すのである。なぜなら、もし計算とは計算にほかならないとすると、計算しようという決断、、、、、、、、、、は計算可能なものの次元にあるのではないし、そのような次元にあるべきでもないからである。*23(強調は引用者)

 

 デリダはここで正義と法/権利の関係と、計算不可能なものと計算可能なものの関係をアポリアとして提示しようとしている。このアポリアは「計算不可能な正義は計算するように命令する、、、、*24と述べられるところで最高点に達するだろう。ここでアダム・スミスとの合流点と明確な差異を、「AIを統治者におくことは道徳的に正当化されうるか?」というかなり戯画的な問いをおくことによってはっきりさせることができるかもしれない。私の考えではおそらく両者とも正当化はできないと考えると思われる。だが、その道筋はまったく異なる。

 デリダの場合、正義は法/権利の機械的、慣習的、すなわち正義への寄生的な態度からなされる、決断でない決断を拒む。AIは計算可能性以外のすべての可能性を持たない。大量の学習データを瞬時に学習するAIは、即応性と応答可能性、そしてもちろん計算可能性を持つだろう。だがAIは正義に狂うことができない。AIに狂気はなくあるのはエラーだけである。そのような機構に統治権を譲り渡すこと(これがこの問題に関して現れうる唯一の「決断」である)は、決断することを放棄することの「決断」であって、およそ最も正義に悖ることである。ゆえにAIによる統治を正当化することはできない、ということになるだろう。

 一方アダム・スミスの場合はそうではない。そもそもアダム・スミスの残した体系は、進化論、動物行動学を(もしかしたら認知科学さえも)先取りするようなものであり、道徳的な核心である神を除けばどれも機械論的な成果だといえる。おそらく「人間は一種の計算機です」と告げられたところで、アダム・スミスはたいした打撃を受けないだろう。名義が「人間」から「計算機」になったとて、それは神の被造物であることに変わりはないからである。AIを統治者におくことが正当でないのは、ただ神の英知による被造物と、人間の英知による被造物を較べたとき、後者が前者より優れていることなどありえないからである。人間の理性を人間の理性でもって正当化するような(啓蒙主義的?)発想は、アダム・スミスの体系からすればその循環性以上に、人間の理性を神の英知から切り離すことによる人工性のほうが、よりこの問題に対して重要な意味を与えるだろう。人間の理性が人間の理性を基礎づけ、組み立てるとしたなら、その時点で人間の理性はいくぶんか人工知能すなわちAIになっていることになる。すでにAIによる統治をしているのだから、AIが作ったAIによる統治など冗長でしかない。アダム・スミスによる判断はこのような流れを取るものと思われる。AIそのものが問題であるというより、その手前にすでに問題があるということになるだろう。

 

 『道徳感情論』から『法の力』を眺めたとき、おそらく次のような疑問、というより興味が現れるだろう。「どうしてこの者は『計算すること』が正義にかなっていないように感じているのだろうか? そこに卓越した徳はないが、それ自体は不正義ではなかろうに」というのがそれである。ここへきてデリダアダム・スミスを並べる試みは「脱構築は正義である」という有名なテーゼをめぐる箇所に遡行することになる。「慣習尊重主義」や「功利主義相対主義」へのデリダの批判的な目があるとしても、その目によってそうである。

 

法/権利の、または  こう言ってよければ  法/権利としての正義の、この脱構築可能な構造こそが、脱構築の可能性の保証者にもなっている。正義それ自体はというと、もしそのようなものが現実に存在するならば、法/権利の外または法/権利のかなたにあり、そのために脱構築しえない。脱構築そのものについても、もしそのようなものが現実に存在するならば、これと同じく脱構築しえない。脱構築は正義である、、、、、、、、、。法/権利(当然私は、それを一貫した仕方で正義から区別しようとする)が、協約と自然との対立をはみ出したある意味において構築可能であるというたぶんこの理由で、また法/権利がこの対立をはみ出すというたぶんこの限りで、法/権利は構築可能である  したがって脱構築可能である。そればかりか、この理由でまたこの限りにおいて、法/権利が脱構築を可能にするのだ。*25

 

 デリダは、カントに代表されるような、法/権利に執行する力(適用可能性/執行可能性/力あらしめる可能性)が内在していることが正義の条件である、という道徳論に対して、パスカルモンテーニュに導かれ(掟=法/権利の/としての正義は正義ではないこと、掟に従うのは権威によってであること)、最終的な法/権利の正当化は神秘的なもの  それはヴィトゲンシュタイン的なものともいわれる  、すなわち自らを自らによって定義するという行為遂行的・解釈的な暴力によって行われるのであって自らの証明をもたないことから、正義の条件である(と同時にそれらによって正義が保証されるとする)法/権利に内在する力の位相を、法/権利を創設する力にずらしつつ、その創設の隙間に脱構築可能性を差し向ける。その隙間は同時に、正義の脱構築不可能性と法/権利の脱構築可能性とを分かつ両者の間隙にも重なっている。

 アダム・スミスは(デリダが読み込んだ)パスカルモンテーニュと異なり、正義と法(/権利)を自覚的に分離できていたようには見えない。

 

もっとも神聖な正義の法  その侵犯は、もっとも声高に復讐と罰を要求するように思われる  とは、隣人の生命と身体を保護する法のことである。その次には、所有財産と所有物を保護する法があり、最後に来るのが、人間の人的権利パーソナル・ライツと呼ばれるもの、つまり他人の約束から当然支払われてしかるべきものを保護する法である。*26

 

同様に、徳と徳目に関してもそうである。

 

1 このような二つの努力  主たる関心の的である当事者の感情を思いやる観察者の努力、および観察者が自分自身の情動に同調できるようにしようとする当事者の努力  は、それぞれ異なった二組の徳にもとづいている。穏やかで、優しく、友好的なヴァーチュー、つまり誠実な謙遜や寛大な人間愛は前者に基づいており、偉大で、威厳があって尊敬すべき徳、つまり我々の天性に由来するあらゆる活動を、我々自身の品位、名誉、さらには行為の適合性が要求する水準に従わせようとする激情抑制的な徳は、後者にもとづいている。*27

 

 正義は「正義の法」、「正義の規則」として書かれ、徳はいくつかの徳目として書かれる。正義そのもの、徳そのものが何かについて直接的に書くことは避けられている。あくまで事実研究であるという体裁をとった『道徳感情論』としては当然のことではある。「正義とはXである」や「徳とはXである」といった原理的な問いかけは、その文法的な構造から一見事実言明に見えるが、これは同時に規範言明でありすぎるのである。彼は「ヴァーチューはどこに存在するのか?」と書くことはできるが、やはり「ヴァーチューとは何か?」と書くことはない。

 

2 道徳の原動力について論じる場合、考察されるべき問題は二つある。第一に、ヴァーチューはどこに存在するのか? すなわち、優れていて、称賛に値する特徴キャラクター  賞賛、尊敬および是認の自然な対象である特徴  となる、気分の調子や行為の傾向とは、いったいどのようなものか? そして第二に、それが何であろうと、このような特徴が我々に推奨されるのは、心のなかにあるどのような能力や機能によってであるか? 言い換えるなら、心が、ある傾向の行為を他のものよりも好み、一方を正しいと呼び、他方を間違いと呼ぶこと  一方を是認、名誉や報奨の対象と見なし、他方を非難、譴責や処罰の対象と見なすこと  になってしまうのはどうしてであり、またどのような手段によるのか? *28

 

しかし、次の箇所を読むとき、私はどうしてもここに脱構築というあの正義を差し挟みたくなる。

 

11 正義の規則は文法の規則になぞらえることができるし、それ以外の徳に関する規則は、批評家たちが、文章構成のなかに卓越した優美な部分を付加するために課す規則に、なぞらえることができよう。前者は厳密で、正確で、しかも不可欠なものである。後者は、あいまいで、漠然として、しかも確定不可能なものであり、その獲得のために、確実で絶対誤りのない手引きを我々に提供するというよりも、むしろ、我々がめざすべき完全性に関する一般的観念を提供する。こうして、おそらく彼は、正しく振る舞うことを学ぶことになる。だが、ある程度とはいえ、事情が異なれば、我々がこのような完全性に到達できたかもしれないあいまいな考え方を、修正したり、確認したりするのに役立つ何かが存在するとはいえ、しかし、それさえ遵守すれば、間違いなく我々を、文章作成における優美さと卓越性を達成できるように導くような規則など、あるはずがない。さらに、いくつかの観点から眺めた場合、もし事情が異なっていたら我々が達成できたかもしれない徳に関する不完全な考え方を、修正したり正確にしたりできるような規則がいくつか存在しはするが、我々が、その知識に従いさえすれば、どんな場合でも、注意深く、適度の寛大や適切な慈悲心をもって行為できるように誤りなく学べるような規則など、存在しない。*29(強調は引用者)

 

 文法的にいえば、アダム・スミスにおいて正義は「ねばならない must/have to」、徳は「すべきだ/したほうがよい should」に対応するということを先にいっておいた。「正義の規則は文法の規則になぞらえることができる」、「それ以外の徳に関する規則は、批評家たちが、文章構成のなかに卓越した優美な部分を付加するために課す規則に、なぞらえることができよう」、わたしはこの二つから飛躍して、アダム・スミスにおいて、「正義とは文法である」こと、そして「徳とは批評である」ことを主張しよう。比喩の構造からして、徳の規則は、正義という文法によって書かれるだろう。文法がなければ批評に限らず一文も書くことはできない。ところが、正義は徳の一部である。

 

5 だが、遵守することが我々自身の自由意志に委ねられていないばかりか、力で強制される可能性があり、さらに、その侵犯が憤り  結果的な処罰  にさらされかねない、もう一つ別の徳がある。この徳が正義であり、正義の侵犯  否認されるのが自然であるような動機にもとづいて、実際に、他の特定の人物に明白な危害を及ぼすこと  不正インジャリーである。*30

 

 我々の自由意志を必然的に要求することがない正義という徳。このウロボロス的なメタレベルとオブジェクトレベルの入れ替わりをどう理解すればよいのか。

 もっとも穏当かつつまらない解釈は、アダム・スミスの比喩がうまくいっていないという解釈である。正義と徳を比喩によって比較したのち、「前者は厳密で、正確で、しかも不可欠なものである。後者は、あいまいで、漠然として、しかも確定不可能なものであり、その獲得のために、確実で絶対誤りのない手引きを我々に提供するというよりも、むしろ、我々がめざすべき完全性に関する一般的観念を提供する」と書かれる部分においては、文法という(おそらくアダム・スミスにおいては)天与の法と、批評という人間の法という構造的な位相のずれが、単純な対比となって水平に均されてしまっているようにみえる。だが、正義の確実性と徳の不確実性の原因までもが均されているとまで言い切ることはできない。ここで読み取れることは、これにしたがっておけば/したがわなければ、有徳な行為ができる/できない「に違いない must」徳というものはありえないということである。 must を与えてくれる徳は存在しないが、その徳の中には「なければならない/てはならない must」すなわち正義が含まれている。この must をめぐる絡まりの中に我々は侵入し、アダム・スミスにおける「正義」と「正義の法」を切り離す。

 

 「徳 should」は「違いない must」 を与えてくれないが、「正義 must」 は 「違いない must」 を与える。このように言うのではなく、「徳 should」は「だろう should」を与えるというように考えてみる、すなわち遵守から少し離れた位置で、アダム・スミスの書いていることを書き直すのだ。そうした時、正義の規則や徳の規則が取る文法的形態と、我々に与えられる助動詞は反射性をもつことがわかる。これは助動詞を前に転倒しているだけだろうか。少なくともこの書き直しによって、二つのことがいえる。should が mustを含みこむ構造によって、徳の一部として正義があること、一方この構造そのものを書き下ろしうるのは文法によってであり、よって、正義という文法によって徳を書き下ろすことが可能になっているということもできるということ、以上の二つである。前者の正義と後者の正義の関係が、デリダにおける法/権利と正義の関係になっているといいうるのではないか。

 文法の規則を破ることはできる。日本語においては現代詩が(かつて)その突端にあった。だが文法そのものを破ることはできない。文法から文法の規則が生まれる。しかしこの文法は存在するのだろうか。存在するとして、それはいかなる意味での存在なのだろうか。ここで我々はふたたび文法を巡って、AIによる統治についての思考実験をしたときの構造をそのままなぞりうる。

 

 ①文法は文法の規則の外、もしくは彼方にある。ここで「文法は正義である」とまで踏み込むことは許されるだろうか。文法の規則についての規則は言語学によって打ち立てられ、批判がなされ、研究が進められている。ところが文法そのものは定義によっても証明によっても打ち立てられたものではない。それは基盤をもたない。したがってその創設の背後には暴力がある。許されるだろうか、というのはこの地点である。「脱構築は正義である」との相同は完全なものではない。文法の規則は、人間が自由意志によって構成したものとは言い切れない。それは多分に慣習的な、進化的な、経験論的な次元の彫琢を経たと思われる。ところで文法がなければいかなる正義も書くことが、語ることができない。では文法は正義に構造的に優越しているのか。それは彼方の彼方にあるということなのか。文法は正義の彼岸にあるかということをそもそも語りうるのか。ここは  ヴィトゲンシュタイン的な  もうひとつの神秘的な場なのか。あらゆる場面で must が should を包含するとはいえない。「しなければならない」が「すべきである」を包含しない場はある。力による強制において降りかかる must がそれである。しかし正義において「しなければならない」が「すべきである」を含み込むことは自明である。何かこの跳躍、制限を許すものはあるか。それは自由である。我々が自由であることを絶対的な条件として、文法は正義である、と言いたいのだが、やはり、文法の規則が法/権利と同じ意味で「構造」を持っているとは言い切れない。詩は、切るだろうか。

 

 ②文法は、神の英知によって与えられた人間の生得的な能力である。普遍文法は文法そのものではないが、それでも似たような形で、感情と同様に生体計算機としての人間に内在するハードウェアのようなものだと考えられる。神の英知にかなっていないものを人間の英知を作り上げる際に神が与えるはずがないから、やはり正義の規則を文法の規則になぞらえることは正しく、まさになぞらえるという言葉の意味どおりに、正義も文法も人間に与えられた互いの類似物であることを示唆している。

 

 デリダアダム・スミスを完全に合流させたり、対立させたり、どちらかをどちらかに包括することはできないだろう。それはあくまでも併置、交錯にとどまるだろう。それでもここで一旦デリダとの並行を試みたのは、アダム・スミスがなぜある時期から『道徳感情論』の最後に「言語起源論」を入れたのか、品詞の誕生の順序をできるだけ正確に辿ろうとしたのかにつての手がかりを鮮明にしようとしたからである。ルソーの『音楽起源論』が発表されたのはルソーの死後1781年であり、デリダは『グラマトロジーについて』でこの論文をとりあげている。ただ、『道徳感情論』に「言語起源論」が加わった第三版が発表されたのは1767年であり、アダム・スミスがルソーの『言語起源論』を参照することはできなかった。その後改訂しうる余地は十分にあっただろうが、「言語起源論」において唯一明示的に書名をあげて引用がなされる書物は『人間不平等起源論』だけであった。この三角関係をそろそろ打ち切り、ルソーの『言語起源論』をも適度に参照しつつ、われわれは最後にアダム・スミスとルソーを根本的に分かつであろう言語に下りていくことにしよう。

*1:内海健著『自閉症スペクトラムの精神病理』pp64-65, 医学書院, 2015

*2:神田橋條治著、林道彦・かしまえりこ編『神田橋條治 精神科講義』創元社, 2012, p102

*3:同上, p105

*4:同上, pp105-106

*5:アダム・スミス著、高哲男訳『道徳感情論』pp53-54, 講談社, 2013

*6:同上, p81

*7:アダム・スミスの会監修、水田洋・松原慶子訳『アダム・スミス 修辞学・文学講義』p70, 名古屋大学出版会, 2004

*8:アダム・スミス著、高哲男訳『道徳感情論』p30, 講談社, 2013

*9:同上, pp685-686

*10:同上, pp171-172

*11:「経済人」という概念を科学的モデル以上のもの、「人間の本質」であるかのように語る者は、そもそもそのモデルを、人間の多面的な性質の中から利己心を抽出して(そして数理化して)構成したことを忘れている。利己心それ自体が悪でないということは、『道徳感情論』のマンデヴィル批判において、アダム・スミスが利己心と虚栄心を苦心して区別しようとしていることからも分かる。しかし利己心がそれ由来の行動をすべて道徳的に正当化するはずがないことは、強盗のことを考えれば明らかである。利己心は、それによって道徳的な行動を導くこともあるというというだけであって、「経済人」それ自体を無条件に道徳的に肯定するような思想についてはアダム・スミスに責はない。そうわたしは言い切りたいのだが、しかし、「見えざる手」の周りで、わたしはそう口にすることをためらわされる。『道徳感情論』には一箇所だけ「見えざる手」が登場する。その前後を長くなるが引用する。

 

鼻高々で冷淡な地主が、他の仲間の必需品などまったく考慮せず、そこで育った作物の全部を、自分自身で消費するという思いを胸に秘めて広々とした彼の畑を眺めても、何の成果も上がりはしない。素朴でありふれた諺  人間は満腹しても、まだ食べようとする  が真実だと証明されるのは、何はともあれ、地主においてのことである。彼の胃の大きさは、その欲望の巨大さには比例しておらず、もっとも貧しい農民の胃より多量に受け入れることはなかろう。その残りは、申し分のない仕方だが、自分自身が利用するものはごくわずかしかないことを覚悟している人々  ごくわずかしか消費せずに王宮をしつらえた人々であり、地位の高い人の家政に従事させられ、価値がなく、つまらないさまざまな品物のすべてを提供し、維持する人々  に分配せざるをえない。このような人々はすべて、こうして地主のぜいたくと気まぐれから、彼の優しさや正義に期待しても得られなかった、生活必需品の分け前を引き出す。土地の生産物は、いつでも、生産物の量が維持しうるだけの数の住人を扶養する。富者は、もっとも価値があって好みに合うものを、収穫物のなかから選び出すだけである。富者が食べ尽くす量は、貧しい人々のそれとほとんど違いがなく、だから、生まれつき強欲であるにもかかわらず、さらにまた、自分自身の便宜しか考慮せず、雇っている数千人の労働をもとに計画する唯一の目標が、自分自身の無価値で飽くことを知らない欲望の充足であるにもかかわらず、富者は、すべての改良した土地の生産物を貧しい人々と分け合うのである。富者は、見えざる手に導かれて、生活必需品のほぼ等しい分配  大地がその住人のすべてに等分されていた場合に達成されていたであろうもの  を実現するのであり、こうして富者は、それを意図することなく、またその知識もなしに、社会の利益を促進して、種が増殖する手段を提供するのである。神の御旨プロヴィデンスが、大地をごく少数の傲慢な支配者ロードリー・マスターズに割り振ったとき、分割から除外されていたように見えた人々は、忘れられていたわけでも、見捨てられていたわけでもない。除外されたように見えた人々も、大地が産出するすべての分け前を享受する。人間生活における真の幸福を形づくるもののなかで、彼らよりずっと上だと思われている、傲慢な支配者より劣るところはまったくない。身体の安楽と心の平和という点で見ると、さまざまな階級の生活もすべてほぼ等しい水準にあり、主要道のかたわらで日光浴する物乞いでも、国王の戦いの目的である安全を享受している。(強調は引用者)(アダム・スミス著、高哲男訳『道徳感情論』pp338-340, 講談社, 2013)

 

「見えざる手」への長々とした道には何か邪悪なものがある。富者への批判は「生まれつき強欲」という地点にまで達するとき、単なる冷徹の域を超え出る。これが「神の御旨プロヴィデンスが、大地をごく少数の傲慢な支配者ロードリー・マスターズに割り振った」という記述へと繋がっていくとき、アダム・スミスが共感によって基礎づけようとした道徳、正義と徳の可能性は、生得的なものと運命に衝突する。富者とは貧者はまるで生まれながらにして別の生き物であるかのようである。その両者を土地の分配において分かつこととなった運命は「神の御旨プロヴィデンス」とよばれ、これが「見えざる手」というアクロバットの条件となっている。「申し分のない仕方」という評定が発せられる地点は、他の多くの部分で神(それは「自然の女神ネイチャー」や「創造主オーサー・オヴ・ネイチャー」などに言い換えられうるものなのだが)の英知を称えるような地点とは異なっている。ここには自分を無理にでも納得させようとするような、そう、自己欺瞞の臭いが漂っているかに見える。先の引用の手前の部分において、アダム・スミスの恐ろしい記述は頂点に達する。

 

我々の想像力は、苦痛と悲哀に満ちているときには、自分自身の身体のなかに留められ、閉じ込められているが、ゆとりがあって幸運なときには、身の回りのすべてに対して心を開く。こうして我々は、身分の高い人々の御殿や家政のなかではやっている便宜品の美しさに魅せられて、あらゆるものが、そのような人々の安息を促進し、不足を感じさせないようにして、彼らの望みを満たし、いかにも軽薄な、彼らの欲望を楽しませるためにいかによく適合しているか、これを賞賛する。このようなものすべてが提供できる真の満足を、それ自体として、つまり、満足を増進するために準備された装置の美しさと切り離して考察すれば、そのようなものは、ことごとく下劣で軽薄なものであることが、必ず見えてくるだろう、だが、我々がこのような抽象的で哲学的な見方でそれを眺めることなど、めったにない。我々は、想像のなかで、自然にそれを良好な状態、つまり、美しさを生み出す手段である機構マシーン、機械装置や営みエコノミーなどがもつ、規則的で調和に満ちた運動と混同する。このように複合的な観点から考察した場合、富と高い身分がもつ喜びは、我々の想像力に偉大で美しく、しかも高貴な何か  我々がいとも簡単に費やしがちな、労苦や気遣いのすべてに十分値する  を感じさせるのである。

10 そして、このように自然が我々を騙してつけ込むのは、良いことである。人間の勤勉をかき立てて持続的に作動させるのは、このような欺瞞である。人間に土地を耕作させ、家を建てさせ、都市や共和国コモンウェルスを設立させ、あらゆる科学や技術アートを生みだして改良させ、人間生活を高めたり、飾ったりさせた  地球の表面全体を完全に変化させ、手つかずの自然林を快適で肥沃な畑に変え、道もない不毛の大海原を生活の糧の新しい蓄えに変え、それを地球上のさまざまな国民が行き交うために頻繁に利用する幹線路にした  のは、これである。(強調は引用者)(同上,pp337-338)

 

あの、絵画や演劇において効果としての欺瞞を否定していたアダム・スミスが、ここで欺瞞を肯定する。この肯定は邪悪なものである。アダム・スミスが否定していた、芸術が美しさをもたらす仕組みとしての欺瞞は、人間の英知に関わっている。ここでアダム・スミスが肯定するのは、神の英知に関わる欺瞞であり、すなわち神は人間をつくるにあたって、善として欺瞞を用いたということになる。「便宜品」、これには芸術品も含まれよう。「模倣芸術について」での芸術音痴ともとれる視覚芸術へのそっけなさが何に由来するものであったか察されるものがあるが、芸術と(身分)社会の絡まりから次のように言うことができる。仕組みの美しさに欺瞞はないが、美しさの仕組みには欺瞞がある。アダム・スミスが美しいと感じるものは、本質的にシステムしかない。神の英知によって人間に与えられた欺瞞のシステムは、この意味で美しいものですらある。わたしはここへきてもまだアダム・スミスライプニッツを予定調和が繋ぐと考えている。だが、アダム・スミスの予定調和は歪んでいる。「神にさよならを言う」とはますます文字通りの意味になる。神が最善の世界を選択し、人間を善を志向する身体と精神をもつものとして設計したのでなければ、もはやその志向性の価値を支えきることはできない。この意味で確かに、この世界が最善でなければアダム・スミスの苦闘には道徳的に何の価値もない。だが、神のもとを離れるということは邪悪の定義であり、だからこそさよならの後の地点から描かれた神の像もまた歪むことになる。

無論彼は現状すべてを神の意志として肯定するような超保守主義者ではない。でなければ『国富論』のような本を書くはずはない。だがその『国富論』から、神による支配ではなく、大地による支配の学問、すなわち経済学が誕生するのである。土地への注目は、当時の経済状況からだけではなく、宗教的な視点からも捉えられなければならない。

 

12 十分に注意する価値があることは、我々は、それ以外の方法で社会秩序を維持できないという理由だけで、不正義はこの世で処罰されなければならないと想像するよりはむしろ、自然の女神ネイチャーは我々に希望することを教えるし、そして宗教は我々の想像だが来世においてであろうと、不正義が処罰されると期待するのは当たり前だと認める、ということである。その罪状に関する我々の意識が、そう言って良ければ、墓の向こうでも  そこでの処罰例が、犯罪を見もせず知りもしない人々が、現世における似たような活動で有罪になるのを思い止まらせるのに役立つはずもないが  処罰されるように、しつこく追い回すのである。しかし、ゴッドの正義がさらに求めることは、無事であったとはいえ、繰り返された屈辱によって未亡人や父無し子が受けた不当な扱いを、あの世で神が復讐することだ、と我々は考える。それゆえ、あらゆる宗教のなかには、さらに、世界が過去目にしてきたあらゆる迷信のなかには、地獄とならんで天国  邪悪なものを処罰するために用意された場所と、義にかなったものを報奨するための場所  があったのだ。(強調は引用者)(同上,p179)

 

アダム・スミスは父無し子であった。この部分で記述される神は、もはや幻に近づきつつある。一方で、「自然の女神ネイチャーは我々に希望することを教える」と書くアダム・スミスは確かに世界を肯定的に信じてもいよう。アダム・スミスは光と闇の際で『道徳感情論』を書いている。このようなところから、アダム・スミスははじめなければならなかったのだろうか。

悲痛を耐え忍ぶことや恐怖を克服することに偉大さを感じるとしたら、それは忍耐や克服に善の性質があることを示唆するだろう。しかし忍耐すべきものや克服されるべきものは、それ自体としては決して善きものではありえない。善と悪は必ずお互いを必要とする。ここから、善悪が生まれるということ自体は「善」であるのか「悪」であるのか、それともまさにそこは善悪の「彼岸」であるのか、という観点が生まれるのだが、ここでは措こう。ここで言いたいのは、本来アダム・スミスは、神の英知によって与えられた人間の本能が、その出自によってすべて克服する必要のない善であることが決まっていると考える必要はなかったはずだということである。向き合うこと、乗り越えていくことの美しさ、善は、本能に対しても同じくありえるはずなのだが、本能の各所を検討するところで、アダム・スミスは無理をしたように見える。実際アダム・スミスの文章が軋んでいるのだから。実際のところ、マンデヴィル批判においてアダム・スミスは利己心と虚栄心を峻別することができていたのだ。われわれは良くも悪くも、書きながら音楽を聞くことのできる環境を手にしている。アダム・スミスが「見えざる手」に差し掛かっていたときに器楽を聴ける環境にあったとしたら、同じように書いただろうか。

*12:アダム・スミス著、高哲男訳『道徳感情論』pp340-341, 講談社, 2013

*13:同上, pp428-431

*14:同上, pp255-257

*15:ツイッターのようなSNSPaypalのようなミクロな世界送金システムの存在する現代から、この部分を改めて見直してみる。アダム・スミスの時代にはとても「知りえなかった」であろう地球の裏側の悲惨が「知りうる」ものとなり、場合によっては個人レベルにまでミクロ化された金銭的支援を行うことができる現代の状況下では、アダム・スミスが批判する「憂鬱な道徳主義者モラリスト」の思想、宮沢賢治の『農民芸術概論綱要』にあるフレーズ「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はありえない」に集約されるであろう思想は技術的支援を得てその正当性を得るかに見える。物理的な距離をまったく乗り越えないままに、物理的に遠いところへ、個人が力を投射することができるからである。

アダム・スミスが挙げる三つの反論のなかでもっとも根底的かつ過酷な反論、というより反応は、「我々は、二〇人といっしょに喜ぶのではなく、なぜ一人のために泣くべきなのか、明確に特定できる理由は確かにない」の部分である。これが反論というより反応であるのは、「我々は、一人のために泣くのではなく、なぜ二〇人といっしょに喜ぶべきなのか、明確に特定できる理由は確かにない」と、「なぜ」の前後を反転させることができてしまうからである。なぜ反転できるのかといえば、それはアダム・スミスがここで共感する事態として想定しているのが、「幸福/不幸」ではなく、「幸運/不運」であることによる。前の回で、我々はアダム・スミスが他者の行為を賞賛/非難することのの基盤となる感情的是認/否認(いわゆる適合性)を考察するにあたり、行為-結果の連関には必然的に運の要素が介在してしまうがゆえに、結果をもって対象とすることを不適切とし、行為の結果から遡行的に想定される意図を対象とすることが適切であるとしたのを見た。アダム・スミスにとり、共感の対象として可能である状況は意図的(非)行為と運の混合物にほかならず、ここでは(人為的)構造的必然/偶然というレイヤーがあったとしても、結果に至る過程において最終的に運が構造に優越することにより(人間が天体でないことは、両者の法則の間の「必然性」の強度の差異にも反映されることは明らかである)、「なぜ」の前後の交換が正当化される。二〇人の幸運も、一人の不運も、運の産物として等価だからである。とここまで長々と書いたが、この発想自体は物理的な距離の遠近に依存しないはずである。しかしこれが循環的にアダム・スミスの共感が距離に依存していることを明らかにしている。というのもアダム・スミスは共感 = sympathy が元来哀れみや同情といった言葉と同じ意味だっただろうとして、人間は他人の喜びより悲しみに共感しやすいとしているからである。この原理が距離に依存しないならば、前に挙げたアダム・スミスの反発はアダム・スミス自身によって論駁されるだろう。しかしそうならないのは、距離が共感に優越するからである。

「疎遠さ」と距離について、ハイデガーを通る必要があるかもしれない。ハイデガーにおいて、「近さ/遠さ」という言葉が持つ空間的-時間的意味と場所的-心理的意味の重なりは錯綜する。交通の発達によって「近く」なった場所が、それゆえにより「遠く」なるということがあり得る。では想像力の領域においてはどうだろうか。アダム・スミスは小説を読み、歴史書を読む。歴史を元にした演劇、オペラを見ただろう。登場人物たちに共感したりしなかったりしただろう。小説や歴史の中の登場人物と、ニュースの中の「登場人物」と、どちらがより「遠い」のだろうか? おそらくアダム・スミスにおいて、ニュースの中の「登場人物」は、ニュースの中を離れて実在するがゆえに、それは実在の人物の影である。それに対して小説の登場人物は、手の中にある小説の文字より遠いところには存在し得ない。本の外のどこにも本体は存在しないからである。歴史書や神話の場合は、むしろ本の外の者のほうが本の中の者の影になっている。彼らは本の外では死んでいるか、神話なき世界の向こう側に隠れてしまっているからである。ゆえに、小説の登場人物よりニュースの「登場人物」たちの方が、遠い。問題は「距離」と「共感」の関係であった。ここで「距離」は「近さ/遠さ」になり、「共感」との間に「知ること」が介在してくる。「知ること」が「感じること」と結びつかない限り、当然知ることは共感と結びつくこともなければ、それに下支えされるところの善悪へ向かうこともないだろう。ルイス・カーンが、E. E. カミングスが、そしてジャン=ジャック・ルソーが「知ること」に対して距離を取っていることは、「知ること」自体というより、「知ること」へと流れ込んでいるもののなかに、「よくないもの」があることを感じ取っていることを示している。

 

 宇宙飛行士が宇宙空間へ出かけたとき、地球は宇宙空間に浮かぶ青色やバラ色の素晴らしい球体に見えました。地球に眼を凝らし、私自身にも地球がそのように見えて以来、すべての知識は重要ではなくなりました。知識はまさにわれわれの外にある不完全な書物です。人は何かを知るために書物を取り上げるが、しかし知ることを他人に分け与えることはできません、知ることは個人的なことです。知ることはかけがえのないひとりひとりの人に自己 - 表現の手段を与えます。(ルイス・カーン著、前田忠直訳『ルイス・カーン建築論集』pp88-89, 鹿島出版会, 1998)

 

■ 存在しない人人、すなわち単純な人人は存在しないもの、すなわち単純な事柄を好む。

 〈善〉と〈悪〉は単純な事柄である。お前が私に一撃を加える、それは〈悪〉で、私がお前に一撃を加える、それが〈善〉である。何かを感ずる人人、すなわち混み入った人人は、実に無知でどんなことも知らないのに対して、いわゆるこの世界を走っている単純人は、このような〈善〉〈悪〉の分別をよく知っているし、また実に何んでもよく無駄な位よく知っている。 

 単純に知っていることだけの人人は、無知よりもずっと危険である。何故か?

 それは何かを感ずることは生きていることなのだからだ。

 〈戦争〉や〈平和〉は危険でも生きていることでもない。それより、ずっとはずれている。〈平和〉は科学の無能であり、〈戦争〉と無能の科学である。そうして科学は知ることで、知ることは測定することである。(藤富保男訳編『カミングス詩集』p128, 思潮社, 1997)

 

 とりわけホッブズがしたように、善についてなんら観念をもっていないのだから人間は自然にかなったあり方からして邪悪であるとか、美徳を知らないのだから人間は悪徳に染まっているとか、同類への奉仕を義務とは考えないからいつも奉仕を拒むのだとか、また、自分が必要とするものに対する権利があると当然のように考えるから愚かにも自分が宇宙の唯一の所有者だと思っているなどと、結論するのはやめよう。(中略)未開人たちは理性を用いるのを妨げられている、と私たちの法学者は主張する。まさにその原因こそが、ホッブズ自身も主張しているように未開人たちの能力の濫用がさまたげられている原因でもあるということを、ホッブズは見損なってしまったのである。したがって、未開人たちは、善良な存在とはどういうものなのかを知らないがゆえに、邪悪ではない、ということができよう。というのも、未開人たちが悪事をなさずにいるのは、知識を磨いたからでも、法律の歯止めが利いているからでもなく、情念が穏やかで悪徳を知らないからである。「この人たちが悪徳を知らずにいることは、別の人たちが美徳を知っていることよりも有益である」〔原文ラテン語〕。(ジャン=ジャック・ルソー著、坂倉裕治訳『人間不平等起源論 付「戦争法原理」』pp78-79, 講談社, 2017)

 

 距離ということに関して、情報技術は何をしているのか? 「情報革命」は始まったばかりであり、現在の人間はこの現在に対してついていくことのできる体質を欠いている。引用の最後の部分、「我々の身体フレームが元来もっている体質コンスティテューションを手直しできるにしても、なお、この変更によって我々が得るものは何もないだろう」における Constitution は「憲法」とも翻訳されるものである。「朕は国家なり」とはかつて太陽王でもなければ口にし得なかったセリフであろうが、現代の状況は Constitution = 憲法が、Constitution = 体質へと逆流する段階に達していると思われる。それは全員が絶対君主となる状態を目指すものであり、身体フレームは「かたち」として国家へと変形される。この状況は、ルソーが『人間不平等起源論』において「新しい自然状態」、「極度の腐敗の結果として生じた」自然状態といわれるものが更に進展した段階である。

 

 身分と財産の極端な不平等から、情念と才能の多様性から、無益な技芸から、有害な技芸から、たわいない学問から、理性にも幸福にも美徳にも等しく反するあまたの偏見が生じてくることだろう。集まった人間たちを分断させて力をそぐことができそうなありとあらゆるものが、見かけのうえでは和合しているかのような雰囲気を社会に与えておきながら、実際には離反の種を蒔くことがありそうなありとあらゆるものが、権利と利害の対立を通じてさまざまな身分の人たちに不信感と憎しみを双方に吹き込むことがありうるような、その結果、自分があらゆる身分の人たちを抑え込む権力を強化することがありうるようなありとあらゆるものが、首長たちによってあおりたてられるのを見ることだろう。

 まさにこの無秩序と変革のただなかにあって、専制主義が、少しずつその醜い頭をもたげてきて、国家のあらゆる部分から、善良で健全と思われるものをことごとく喰い付くし、ついには法律と民を踏みにじって、共和国の廃墟のうえにしっかり確立されるにいたるのである。この最後の変化に先立つ時代は、混乱と災難の時代だっただろう。しかし、最後にはすべてが怪物にのみこまれてしまい、もはや民は法律も首長もなくして、ただ僭主だけをもつことになっただろう。このときから、習俗も美徳も問題にならなくなっただろう。なぜなら、「誠実さについて何も善いことを期待できない」〔原文ラテン語専制主義が支配するところではどこでも、他のいかなる主人も受けいれられることがないからである。専制主義が語りだすやいなや、考慮すべき実直も義務もなくなり、このうえなく盲目的な隷従が唯一の美徳として奴隷たちに残されるのである。

 

 まさにこれが、不平等が行き着く終着点であり、円をぐるっと回って一周し、私たちが最初に出発した地点に接するいちばん端の地点なのである。まさにここで、すべての個人はふたたび平等になる。というのも、すべての人は無だからであり、臣民たちは主人の意志のほかには法律をもたず、主人は自分の情念のほかには規則をもたないため、善の観念も正義の諸々の原理もふたたび消え失せてしまうからである。まさにここで、すべてはもっぱらもっとも強い者のロワへと、したがって新たな自然状態へと連れ戻される。この自然状態は、私たちがはじめに検討した純粋なままの自然状態とは異なり、極度の腐敗の結果として生じたものである。(同上, pp138-140)

 

  ルソーの「新しい自然状態」にはまだ僭主が人間であったが、我々が突入しようとしている自然状態に君臨する僭主は、もはや人間でさえない。この新しい「僭主」がいかなる力をふるうかについては、エルンスト・ユンガーがすでに半世紀以上前に書き残している。

 

問題の本質が一変したことは、読者も痛切に体験しているところであろう。われわれは、たえず問題を設定しようとする力が押しよせてくる時代に生きているのである。しかも、この力は観念的な知識欲にあふれているのみではない。この力は問題を掲げて近づきながらも、われわれが客観的真理に貢献することを期待しているのではない。いや、問題の解決に寄与することすらも期待してはいない。その力が求めているのは、われれれの解決ではない。われわれの回答なのである。(エルンスト・ユンガー著、新藤義孝・江藤専次郎訳「森の径」『文明について』p61 ,新潮社, 1955)

 

 アダム・スミスは「いったい何の目的で、月に存在している世界について、思い煩わなければならないというのか?」と書いた。デヴィッド・ボウイの「Life On Mars?」は次のように歌う。

 

But the film is saddening bore

'Cause I wrote it ten times or more

It's about to be writ again

As I ask you to focus on

 

情報革命は、「身近さ」と物理的距離の連関を完全に断ち切る。この流れそのものは都市の誕生と都市 - 田舎連関の誕生によってすでに整備されていたことだが、それでも「身近さ」と物理的距離の連関の差異は地理的なものによって規定されるにとどまっていた。情報革命は、まったく地理的なものに依存しない形ですべてを「都市化」していく。どこにいても近さが近さであることを信じきれないように作られた文明においては、表現としての「生活」の価値(と反価値)は釣り上がり続ける。生活において「身近さ」はもはや身近なものではなく、したがってそれは希少価値をもつからである。私小説的なものが、エッセイが、そしてその反動としてのモダニズム美学がふたたび全面にあらわれる。プロレタリア文学はついに浮上しない。ここにおいて我々はプロレタリアでもなくブルジョアジーでもなく、単に無だからである(この意味でルソーの認識はのちのマルクスより遥かに過酷である)。役柄としての「実存」がせり上がり、あらゆる舞台の主役の名を占める。カメラとスクリーンを兼ねた極めて高額な「生活必需品」であるスマートフォンが、延々と同じ映画、あらゆる意味で小さな映画を撮っては映し続けることになる。終演は存在しないまま、世界はなしくずしに、デヴィッド・ボウイの「film」の意味で映画化してゆく。

 

同時に進行するのが世界の博物館化である。海野弘が『ワードマップ 現代美術』の終わりに、20世紀の美術状況を総括して書いた「美術館の世紀」は、「ミュージアムの世紀」に拡張されることによって現代まで続く世界そのものをラベリングする。博物館はものに死を宣告し収蔵する場所であり、同時に収蔵品同士を、あたかも星々を結んで星座をつくるようにして「再活性化」する、ものの演劇の舞台である。無となったわれわれはわれわれが作り上げるものと無として等価となり、たえず関係が結び直される演劇が上演され続ける。博物館が存在したということは、博物館的なものが全面化してはならず、博物館的なものとして封じられる場所を世界が求めたということであろう。結界がなしくずしに崩壊し、虚構の上に虚構を塗り重ねていくような世界が現出したところからふたたび「憂鬱な道徳主義者モラリスト」をめぐる地点に戻ったときにいえることは、これが冗長な表現であるということであり、道徳は(そしてもちろん反道徳もまた)それ自体が憂鬱なものとして現れるということである。無にモラルはない。

*16:前の引用をもう一度思い起こそう。

 

余興の全体は、何ら不適合なものを含むことなく、社交的で快適な激情の模倣でもって構成できるだろう。すべてを嫌悪と怒りの模倣で構成してしまうと、それは奇妙な余興になってしまうだろう。

 

 「模倣芸術について」では数多の芸術形式について書いていたが、「余興」については語られなかった。この「余興」を「エンターテイメント」と読み替えていくことによって、エンターテイメントを定式化することができるようになる。すなわち、エンターテイメントとは sympathy の芸術である。エンターテイメントの技芸は演出にある。

他の芸術はsympathyを第一の目的とすることはない。それはそれぞれの形式において、付随する結果として現れてくるものである。だがエンターテイメントだけはそうではない。エンターテイメントにおいては sympathy がすべてである。この成功の有無はすぐさま視聴率に、チケットやグッズの売上に反映されるのであり、見るものと見せるものの間を繋ぐ演出の巧緻が、その結果を左右する。 

やはりここでもsympathyではなくempathyなのである。ポップ・ミュージックはどれも短い。即時的な共感を長時間にわたり維持することは極めて難しいからである。言葉遣いや歌詞は平易なものになりやすい。あまりに入り組んだ難解な構造は即時性を揺らがせるからである(しかし表面的に平易なものが必ずしも平易であるわけではない。平易でないものを平易であるかのようにして届ける手腕もまた演出の領域である)。

ところで大抵の場合、演者とされる人々と観客の間には隔絶が用意される。テレビの画面がそうであり、客席から切り離され、それより高い位置にあるステージがそうである。この隔絶がそれ自体演出として演者に神秘的な力を与える。YouTubeの画面は、この薄皮を一枚剥ぎ取ったように思われる。YouTuberは神秘性をまったく欠いている。動画においては観客の「声」がいつまでも画面下部にありつづけ、ライブでは常に一定の面積を占め、流れ続ける。「演者と観客を同時に見ている」という感覚、「演者とともに参加している」という感覚が、神秘性をもたらす隔絶に穴を開ける。「会いに行けるアイドル」とは決定的な崩壊だったのであり(戦後の昭和天皇は一瞬「会いに来るアイドル」だったわけだがそれは今はよい)、特に芸人が続々とYouTubeに参入するようになった現在、その穴はゆっくりだがますます広がっている。これは一種の「民主化」なのだろうか。そうではあるまい。YouTuberには神秘性がないが、そのようにするYouTubeには神秘性がある。個々のアイドルや芸人からは神秘性が剥ぎ取られていくが、「アイドル」というシステム、「芸人」というシステムには神秘性が残る。人間ではなくシステム自体が神秘性をもつのであり、エンターテイメントという力場は、隔絶が溶解した後もより広域にわたって作用し続けることになるだろう。なぜここまで「美しい」や「面白い」の価値がつり上がったのかを端的にいうことはできないが、少なくともそこにはこの「民主化」の結果が作用していることは間違いなかろう。

最後にマイケル・ジャクソンが1993年に行ったスーパーボウルのハーフ・タイム・ショーのリンクを貼る。

 

youtu.be

 

コロッセオのような観客席。中央に設えられたステージ。ヘリコプターから眺めたとき、その形は心なしかテオティワカンの「太陽のピラミッド」を想起させる。マイケル・ジャクソンは3回現れる。初めの2回はスクリーンから飛び出すようにして現れ、最後の3回目はステージのそこから飛び出す。マイケル・ジャクソンは動かない。熱狂的な声がステージの周囲を満たす。フィールドが解放され、観客がステージの周りに駆けていく。マイケル・ジャクソンは動かない。観客とは逆に、彼の周りだけがどんどん静寂を深めていく。眼鏡に手をかけ音楽が始まる前に、マイケル・ジャクソンは一度だけ首を振る。熱狂的な歓声のトーンが変わることはない。マイケル・ジャクソンはここで何をしたのか。何故直接に眼鏡を降ろさず、一つの動作を挟んだのか。マイケル・ジャクソンはステージに飛び出してきた。眼鏡に触ることは音楽を始めることの合図である。あの「合図」、観客側にも演者側にも向けられていない「合図」は、この間に関わることである。マイケル・ジャクソンは3回「登場」するのだが、そのうち最初の2回は厳密に言えば「ステージ」には現れていない。この流れの中に3回目のマイケル・ジャクソンの「ステージへの登場」がある。「ステージ」はここ「から」はじまるのである。したがって、あの合図は、ステージがはじまることそのものに向けられた合図と考えるしかない。一回だけ首を振ること、この合図は、演出と演出でないものの境界で発せられる。人間ではないものに向けられた合図が発せられたとき、ピラミッドの上で光り輝くマイケル・ジャクソンは、人間と人間の間の sympathy を超えた、崇高な sympathyに触れている。

 

この注に関わるアイデアについては、大槻龍之介氏との会話によって得られたところが大きい。名前を出すことを快く承諾してくれた氏に感謝する。

*17:アダム・スミス著、高哲男訳『道徳感情論』pp152-154, 講談社, 2013

*18:同上, pp302-303

*19:このアダム・スミスの「諦念」をルソーがまったく共有していないとは思われない。『社会契約論』のなかには、人間の記憶や理性に影響を与える病気のアナロジーを用い、国家の動乱期において、革命が旧体制を滅ぼしながらも新しい体制を生み出すことで、国家を不死鳥のごとく蘇らせる、という箇所があるが、そこに続く次の一節は、民主主義の原理的な考察の中に、しばしば顔を覗かせる、ぞっとするような場面である

 

 しかし、こうした出来事はまれである。それは例外であって、その理由はいつも、その例外的な国家の特殊な体制のうちに見出される。こういう〔例外的な〕ことは、同じ人民にたいして二度とは起りえないであろう。なぜなら、人民が自ら自由になりうるのは、人民がたんに未開である間だけのことであって、市民の活力が消耗した時には、もはやそういうことはできないからである。その場合には、動乱が人民を破壊することはありえても、革命が人民を再建することはできない。そしてその鉄鎖が断ちきられたとたんに、人民もばらばらになり、もはや存立しないのである。そうなった後には、人民に必要なのは主人であって、解放者ではない。自由な人民諸君よ、この格律を覚えておくがよい  人は自由を獲得することはできる。しかし、自由は取りもどされるものでは決してないということを。(ジャン=ジャック・ルソー著、桑原武夫・前川貞次郎訳『社会契約論』pp68-69, 岩波書店, 1954)

*20:アダム・スミス著、高哲男訳『道徳感情論』pp109-110, 講談社, 2013

*21:同上, p312

*22:ジャック・デリダ著、堅田研一訳『法の力』pp54-55, 法政大学出版会, 1999

*23:同上, pp58-59

*24:同上, pp73

*25:同上, pp34-35

*26:アダム・スミス著、高哲男訳 『道徳感情論』p166, 講談社, 2013

*27:同上, p56

*28:同上, pp492-493

*29:同上, pp322-323

*30:同上, p158

わたしは戦争に反対する

 平和がわたしであるわたしが戦争に反対する。

 戦争は平和の対岸にあり、届くことはない。

(戦争は届けることを拒否することをその存在の必要条件とする。「聞き届ける」という言葉はよくできている)

 

 戦争がわたしであるわたしが戦争に反対する。

 わたしはわたしのものである。わたしはわたしを所有している。

 としてわたしとわたしは分裂している。わたしを所有するわたしはわたしでありえずわたしに所有されるわたしはわたしでありえない。

 わたしはわたしのものであることを絶対にやめない。わたしはわたしを所有することを絶対にやめない。

 よってわたしは戦争である。

 戦争に反対するはわたしのわたしへの戦争としてわたしに届けられる銃弾のように。

(肯定としての銃弾が、邪神の時空のなかで、撃つことにより届けられることがある。)

 わたしは分裂する。わたしは分割される割譲される。

 わたしはわたし以外のだれのものでもない。わたしはわたし以外のだれにも領有されない。

 わたしはわたしはわたしのものであるというわたしに併合される。

 わたしのものであるわたしはいなくなる。

 戦争が終わりわたしが終わり戦争がわたしがいなくなる。

 そのあと平和がやってくるわたしはもういない平和はわたしにやってくることができない。

 

 戦争でも平和でもないであるわたしが戦争に反対する。

 わたしはわたしのものではなく、わたしはだれのものでもない。

 だれのものでもないものへ。平和にやすらえ平和のなかでやすらえ平和においてやすらえ。

 わたしがかつて一度も死んだことがないのは一度も生まれたことがないからかもしれない。

 戦争は殺すという。

 かつて一度も死んだことがない一度も生まれたことがないかもしれないわたしは殺したり殺されたりするのが嫌だと思う。

 わたしは殺したり殺されたりするのが嫌だと思う。

 わたしは戦争に反対する。