宇宙人アダム・スミス ③「共感」の位相 ──重力下における天球の音楽

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Sympathy と Empathy

 

 内海健自閉症スペクトラムの精神病理』において、共感はASD自閉症スペクトラム症)者を考えるうえで、定型者のそれと表出の傾向が相違する重要なポイントの一つである。

 

 フリスは、本能的 instinctive な共感と、志向的 intentional な共感を区別して, 前者を sympathy, 後者を empathy と呼んでいる. 前者は「こころ」を介さない無媒介なものである. つまりは地続き的な共感である. むしろ「共鳴」, あるいはより即物的に「共振」といった方が実情に近い. それに対して, 後者は他者の心に対する「共感」である. *1(強調は引用者)

 

 定型者の場合、他者の(すなわち母の)まなざしによって超越論的〈Φ〉が形成され(視線触発)、そこから自己が形成され、やがては心を直観する能力を身に着けていくことになる。ASD者とはこの、他者からの志向性に触発されない障害をもつ者である。ASD者の場合、他者からのまなざしによって〈Φ〉が形成されず、したがって自己が形成されず、他者の心を直観することができない(「心の理論」は定型者が心の直観に失敗した場合にようやく持ち出されることもある技術の一つであるが、ASD者の場合、それは直観することのできない心を推論するための重要な技術の一つであり、意義も価値の重み付けもまったく異なる。そこから「心の理論」は「心の理論」ではないという批判が行われる)。empathy は他者の志向性に対する志向性によって成り立つわけだから、ASD者はここに困難をもつ。だがしかし sympathyの方はそうではない。それは本能的なものであり、自己を前提とするものですらないからである。

 

 あるいは神田橋條治の語る共感はどうか。『神田橋條治 精神科講義』に収録された「共感について」では、「共感」を理解するうえでの重要な鍵概念として、「人間同士は通じ合える、分かり合える」あるいは「命あるものは通じ合える」と、「他人のことはわからない。人は人、自分は自分なんだから、わからん」が挙げられる。*2通常、医師の診療場面に限らず、人が人の話を聞いている時、あるいは赤ちゃんの泣き声に対する時の姿勢は「思い入れ」である。これは言語以前のフィーリングに対する「共鳴」「共振」である。それが高まっていくと、相手のフィーリングとこちら側の理解が合っている「思い入れ」の状態を超えて、「こっが勝手に思う」、すなわち「思い込み」の状態になる。

 

「思い入れ」と「思い込み」のときには、その不幸な人の全体を自分が包み込んで、この人全体を理解し、共鳴し、共振れしているような感じが起こります。こちら側にね。そんなときは入れ込んどる状態です。その人に対する理解が、一面同じ色になったような、「はあ、そうだったか、こりゃとにかく、なんとかしちゃらにゃならん」とか、「もう憎たらしいやっちゃ」とか、一色になった状態。それが「思い込み」「思い入れ」の状態です。*3(強調は引用者)

 

 赤ちゃんが言語を獲得すると、フィーリングは言語によってまとめられるようになり、そのようにして現れたものを神田橋は「体験」と呼ぶ。この相に入ってはじめて、フィーリングを体験化し、他人にコミュニケートする、伝えるといったことが可能になり、それを理解しようという意図のもとに聞き取るという段になってようやく「共感」が可能になる。フィーリングに依拠する「思い入れ」「思い込み」から生まれる(特に医療現場の場合にあっては致命的にもなりうる)思い違いが、言語というレベルによってあたらしい形で受け止められるようになる。上の引用の続きを見よう。

 

 それがズレが見つかって、「ああ、なんだ」となるとどうなるかといいますと、この患者というひとりの人について、「この人のこういうところは分かる。だけど、こういうところはちょっと分からん。異質だ。やはり、生まれも育ちも違うから私とは別だ」というふうに、自分とは異質のところがたくさん見えてくる。そして、異質のところが見えながら、ある部分について、今までの思い込みのときとは異なった、ジーンとするような感じが出てくる。言葉になりにくいこちらの感情が、患者が話す体験のある部分に対してだけ、焦点的に起こってきます。これが「共感の体験」です。

 そして、「ああ、そうだったのか」から分かるように、これは「洞察の体験」なの。つまり、共感は洞察の体験なのです。*4

 

 「共感」は「思い入れ」によって作られていた「ズレ」、謬見が晴れた時に初めて起こるものだが、その「共感」は「思い入れ」へと向かっていくエネルギーと同じものによって駆動していくため、「共感」への手続きは「思い入れ」→「ズレ」→「共感」の順番をどうしても踏まざるを得ない。この図式はヘーゲルの即自→対他→対自という弁証法的機構を強く想起させるが、ここでその名で現れる「共感」とは、論文の序盤で挙げられていたオットー・カンバーグとの対話において、カンバーグの発言として「『共感』(エンパシー)」と表記されていることから empathy であろうことが推察される。

 高哲男訳のアダム・スミス道徳感情論』、その第一部第一篇第一章の表題は、「共感シンパシーについて」である。

 アダム・スミスは empathy ではなく sympathy において道徳の基盤としての道徳感情の分析を行った。このことは、『道徳感情論』を規範的研究ではなく記述的研究だとするアダム・スミスの立場(これについては最後にもう一度取り上げるが)において、重要な「共感のレベルの峻別」が行われていることを意味する。ここでとりあげられる事例に共通する共感の性質は即時性である。神田橋の語る共感エンパシーのような、ある一定の時間を必要とするものではない。とくに共感という事態そのものを記述する前半部分において、音楽的な比喩が顔を覗かせることはそのことと無関係ではない。

 

観察者の情動は、苦しんでいる人物が感じる激しさに及ばない場合が大半であろう。人間は生まれつき共感的であるが、他人の身に生じた事柄について、主たる関心の対象になっている人物を自然に駆り立てているような強い激情を抱くことは、けっして生じない。そのような想像上の立場の交換が共感の基礎であることは確かだが、それはまったく瞬間的なものだ。自分自身は安全だという考え、つまり自分は本当の被害者ではないという考えが、絶え間なく押し寄せる。また、それは、彼らが被害者とある程度似た激情を感じる妨げにはならないが、同程度の激しさに匹敵するようなものを感受することは妨害する。主要な関心の的にされている人物は、このことに敏感であるだけでなく、さらに完全に共感するように望む。観察者と彼の心的傾向が完全に一致したときだけしか得られない救済が、彼が望んでやまないことなのだ。猛烈で不快なほど強い激情のなかで、観察者の心を占めている情動が、あらゆる点で彼自身のそれと拍子を合わせているのを眺めることが、彼にとって比類のない慰めになる。だが、これを確保する望みは、観察者が拍子をとりながら合わせられる音の高さまで彼の激情を下げなければ、かなえることができない。周囲の人々の情動と調和し、一致するような程度に引き下げるためには、本来の口調がもつ甲高さシャープネスを引き下げる必要がある、と言い換えられよう。実際、観察者が感じることは、関心の的である当事者が感じることといつもいくつかの点で異なっており、したがって、同情コンパッションがそもそもの悲哀とまったく同一であることなど、けっしてありえない。というのは、共感的感情の発生原因である立場の転換は想像上の事柄にすぎないというひそかな意識が、類似性の程度を低下させるだけでなく、多少ともその性質を変化させ、まったく異質の変更を施すからである。しかし、この二様の感情の間の類似性は、社会の調和をもたらすためなら明らかにそれで十分である、と言うことができるだろう。両者の音程や旋律が同一のものになったりすることはないが、両者が協和音化コンコードする可能性は残っており、そしてこれが、求められ、必要とされることのすべてなのである。*5(強調は引用者)

 

 アダム・スミスによる道徳の基盤としての共感の研究は、その成功/失敗が結果として現れる地点から遡行的になされるといえる。「なぜ共感に成功した/失敗したのか」という視点から「どうすれば共感が成功/失敗するか」が導かれる。sympathy は瞬間の一発勝負であり、empathy のような時間性、漸近性をもってないからである。この方法から「公平な観察者」に代表されるようなアイデアが現れてくる。いわば人間は共感を目指して自らの表現(感情から行為へ)を作曲するのだが、これは特殊な共作であって、ふたりの作曲者がお互いの作り上げている曲をいざ演奏する段になるまで覗き見ることができず、お互いが演奏者であると同時に鑑賞者でもあるような、瞬間的な共作である。

 この共感および共感へと至るプロセス全体が道徳の基盤となるのだが、共感のない地点からいかにして共感へと至るかを追求することについては、アダム・スミスの関心は向いていない。それは sympathy ではなく empathy の領域であるし、アダム・スミスは道徳の基礎としての共感に関心があるのであって、道徳の目的は共感に至ることではない。その逆であり、共感、それも物質的共鳴・共振というべき共感が善悪を判定するための標識となることが判明すればそれで充分なのである。

 

 次の部分は『道徳感情論』の作者が「模倣芸術について」を書いた人間と同一人物であることを強く感じさせる。

 

悲嘆や歓喜からの転調を音楽が忠実に模倣した場合、我々は、実際にそのような激情を引き起こすか、少なくとも感じやすい気分になる。だが、それが怒りの音符を模倣した場合、それは我々に恐怖感を抱かせる。歓喜、悲嘆、愛、賞賛、献身などは、もともとそのすべてが音調の美しいミュージカル激情である。その本来の音色はすべて柔らかく、澄みわたり、美しく響く。そしてそれは、規則正しい休止で区切られた楽節のなかにおのずと現れるし、その理由から、主旋律に対応するメロディーの規則的な回帰に心地よく適合する。これに反して、怒り、つまり怒りと似たすべての激情が発する声の調子は耳障りで、しっくりこないその楽節もまたすべて不揃いであって、あるときはきわめて長く、あるときにはきわめて短く、規則的な休止をもたない点で際立っている。それゆえ、音楽がそのような激情のすべてを模倣できるわけではないし、怒りなどの激情を模倣する音楽は、快適とはほど遠いものになる。余興の全体は、何ら不適合なものを含むことなく、社交的で快適な激情の模倣でもって構成できるだろう。すべてを嫌悪と怒りの模倣で構成してしまうと、それは奇妙な余興になってしまうだろう。*6(強調は引用者)

 

 「悲嘆や歓喜からの転調を音楽が忠実に模倣した場合」という表現は、感情と音楽の相同性が「転調」という逆向きの比喩を可能にするほどのものであることを示している。彼が器楽について語っていたこと(「われわれが器楽から感じるものは何でも、本源的な気持であって、同感的な気持ではない」)が、ここではさらに推し進められている。感情を模倣する音楽が、音楽を模倣する感情を導いていく。感情は調性を、リズムを、楽節を、音色を、ハーモニーを、そして旋律を持つことになる。このことによって、アダム・スミスは人間それも他人の心という、それ自体は見ることも聞くこともできないもの、しかし天体における質量、天体間における引力に匹敵する原動力を記述可能なものとするひとつの手がかりを得たのである。

 アダム・スミスが語る文体の美しさも、この観点からいえば文学的、審美的な意味での美しさという以上に、倫理的、道徳的な美しさなのだということが改めて分かる。もう一度ここに引こう。

 

私は、文章にじっさいに美しさをあたえるのは、なんであるかを指摘した。それはすなわち、記述されるべきものごとを言葉がむだなく適切に表現し、著者がそのものごとについて心にいだき同感によって聞き手に伝達したいとおもった感情を、つたえているばあいには、その表現は、言語が表現にあたえうる美のすべてをもっているのだということである。*7

 

 言うまでもなく、この定義を取る際の困難は、自らが著者ならともかく他人が書いた文章の美を判断する際に必要になるはずの「記述されるべきものごと」や「著者がそのものごとについて心にいだき同感によって聞き手に伝達したいとおもった感情」を知るすべがないということである。書かれたものしかないところからどうやって「筆者の気持ち」を知り、「筆者の気持ちが簡潔に十全に表現されているか」を知るというのか。この根本的な欠陥は『修辞学・文学講義』におけるアダム・スミスの批評全体の妥当性に影を投げかけるかに見えるが、『道徳感情論』や「模倣芸術について」との一貫性をより高めようとするならば、ここはアダム・スミスの書いていることに逆らってでも見方を逆にするべきなのである。

 まず書かれたものに共感できるかどうかである。共感できない場合、それをすぐに文体の欠陥に返すことはできない。読み手の偏狭さ、小ささによって、あまりにも限られた文体でしか共感することができないということがあり得るからである。この点においてひとつの定理があらわれる。文体の美しさは文体自体において独立することはできない。それは書き手だけでなく読み手にも依存する。

 そして、共感できるとしても、まだその文体が美しいとは言い切ることはできない。ここからは書き手への想像力、さらには「わたし」ではない「読み手」への想像力さえもが要求される。書かれていることをそれ以上に簡潔にできないか、伝えそこなっているもの、足りていないものがないか、配列の仕方はどうか……読み手は編集者になり、書かれた文章を検討する。重要なのは「私だったらこう書く」という姿勢だけではなく、書き手からも読み手からも少し離れた(しかしこの二人なしではあり得なかった)編集者としても見るということである。これが「公平な観察者」の構造と重なることは言うまでもない。この動きが重要なのは、「文体の美しさの判断」と「文書の内容の判断」が混濁することを防ぎやすいというところにある。この段階を経るためには、読み手が、書き手が書きたいと思ったものごとや伝えたいと思った感情をとりこぼさないでいられるだけの広く細やかな感性と知性を持っていることが必要になる。このような読み手を想像することによって、そしてまた第一の読み手となることにおいて、書き手もまた同じ作業を要求される。これはある種の推敲であり、ここであの定理に付随する補題があらわれる。文体の美しさを判断するためには、それを判断する者の共感能力が必要とされるレベルまで高められておかねばならないということである。

 この作業の結果として、その文体に推敲の余地がないこと、すなわち伝達の媒介として簡潔で十全であると判断できるとき、ようやくアダム・スミスが本来書くべきだった文体の美しさを定義することができる。アダム・スミスにとって最も美しい文体とは、本源的なものの外在として現れる。すなわち、彼にとっての文体の美しさとは、文体の(アダム・スミスが書くかぎりでの)音楽性に他ならない。

 同感、すなわち sympathy によって聞き手に伝達すること。アダム・スミスにおいては、文体の美も道徳と同じ基盤を共有していることになる。美的判断と道徳判断の基盤が共通のものである以上、アダム・スミスは趣味を良俗と独立にもつことは難しかっただろう。音楽の見方からしてもそうである。社交的で快適なものを好んだのは間違いない。「歓喜、悲嘆、愛、賞賛、献身などは、もともとそのすべてが音調の美しいミュージカル激情である」と書くのであるから。彼を知る者が、アダム・スミスは芸術を理解しなかったと言ったとしてもそこに驚きはない。ただ、彼がこのような定義を択べたということ自体が、彼の、人間への善性への信頼を示しているとはいえないか。

 

1 いかに利己的であるように見えようと、人間本性のなかには、他人の運命に関心をもち、他人の幸福をかけがえのないものにするいくつかの推進力プリンシプルが含まれている。人間がそれから受け取るものは、それを眺めることによって得られる喜びの他に何もない。哀れみや同情がこの種のもので、他人の苦悩を目の当たりにし、事態をくっきりと認識したときに感じる情動エモーションに他ならない。我々がしばしば他人の悲哀から悲しみを引き出すという事実は、例証するまでもなく明らかである。この感情センチメントは、人間本性がもつ他のすべての根源的な激情パッションと同様に、高潔で慈悲深い人間がおそらくもっとも敏感に感じるものではあろうが、しかし、そのような人間に限られるわけではない。手の施しようがない悪党や、社会の法のもっとも冷酷かつ常習的な侵犯者でさえ、それをまったくもたないわけではないのである。*8

 

 『道徳感情論』はこのようにはじまる。訳者の高哲男は訳者解説で、『道徳感情論』を「人間行動学・動物行動学の生誕を告げるもの」と位置づけ、さらに次のように書く。

 

明らかにスミスの方法は、理論物理学的というよりも、観察を重視した生物学的な方法である。したがってまた、スミスの思想が「予定調和」でありうるはずもない。そもそも「予定調和」は、ゴットフリート・ライプニッツが『単子論』のなかで指摘したことだが、スミスのコレクションにライプニッツの著作はまったく含まれていない(ニュートンの著作はほぼすべて含まれている)し、彼に対する言及も見当たらない。むしろ、予定調和的な楽観論の表明であるライプニッツの『弁神論』をを厳しく批判した『カンディード』の著者ヴォルテールを、スミスは生涯にわたってきわめて高く評価していた。*9

 

 わたしはアダム・スミスの研究者でも経済思想史の研究者でもなく、アダム・スミスの宇宙人的思考の瞬間を跡づけたいと思っているにすぎない。たしかに蔵書にライプニッツはなく、道徳的には過大評価していたであろうニュートンの著作はほぼ揃っていたのだろう。ヴォルテールを評価し続けていたのも間違いないだろう。だが、アダム・スミスが自覚していたとは思えないものの、わたしにはアダム・スミスが記述し信じていた世界がライプニッツの「予定調和」的な世界からそう遠いものではないように思える。

 

5 宇宙のどの部分においても、我々は、考えられるかぎり巧妙に、意図した目的に手段が適合させられているのを見るし、植物の構造や動物の身体のなかで、あらゆることが自然の二大目的  個体の維持と種の繁栄  を促進するためにいかによく工夫されていることか、と感嘆して眺める。だがこのようなもののなかに、つまり、そのような対象のなかに、我々はさらに、いくつかの運動や有機的構造における究極原因ファイナル・コーズ作用原因エフィシエント・コーズとを区別することができる。食べ物の消化、血液の循環、それから取り出される体液の分泌などは、ことごとく動物が生きるという偉大な目的のために不可欠な働きである。だが、我々は、このような働きを作用原因から説明するようには、動物の生命維持という偉大な目的から説明しようと試みることはしないし、循環や消化の目的に対する見通しや心積もりをもった上で、血液が循環するとか、食べ物はおのずと消化されるなどと想像することもない。(中略)だが我々は、身体の働きの説明に際して、作用原因と究極原因をこのような仕方で識別し損なったりすることはないのに、心の動きを説明する段になると、この二つの異なった原因を、いとも簡単に互いに混同する傾向をもっている。我々が、生まれつきもっている原動力プリンシプルズによって、このような目的  精緻化され、啓発された理性が我々に勧めるような目的  を推しすすめるように導かれているときにはいつでも、我々は、このような目的を推進する感情や活動の原因を、いとも簡単に啓発された理性のせいに  その作用原因であるように  してしまい、本当はゴッドの英知であるものを、人間の英知であるに違いないと、いとも安直に想像しがちである。表面的な観察にもとづくなら、この原因は、それに帰された結果  原因や結果をもたらすという意味で  をもたらすには、十分なもののように見える。すなわち人間本性の体系システム・オヴ・ヒューマン・ネイチャーは、このような仕方で、そのさまざまな作用が、すべて一つの原理プリンシプルから演繹された場合に、より単純明快で好ましい、と思われるのである。*10

 

 最後の部分は難しいが、アダム・スミスは、啓蒙主義時代に至り人間が「宗教の迷妄」から解放され、自らの感情や思考を啓発された人間理性のみによって説明しようとする誤謬を犯しがちになったとしても、神の英知がそのような性向さえもつものとして人間を創造したのだというようにしてふたたび神を見つけるようにしている。これが敬虔な考えであると言い切ることはわたしにはできないが、次のようにはいえる。その原因の認識が忘れ去られるほどにこの誤謬への性向が習慣化されれば、人間は神の英知どころか神さえも忘れてしまうだろう。ここでアダム・スミスが意識してか知らずか書いたことは、神にさよならを言うことだったように思える。それは神と別れられるということを意味しない。巣立つ子が親に旅立ちの挨拶をすることそれ自体は親子の別れではない。さよならをうけても、見守ることはできる。この意味で、人間は別れを知っているように思えるが、人間の英知を超えたところでは、実は「別れる」ことなどありえず、できることはさよならを言うことだけなのかもしれない。

 話が逸れてしまったが、『道徳感情論』というプロジェクトは、道徳という精神にまつわる概念を感情という身体にまつわる(少なくともアダム・スミスは感情に伴う身体の反応を描写している)概念に必然的に結びつけるものであり、この全体構造が神の英知に適っている(少なくとも反しない)ことを示すものでもあろう。現実のアダム・スミスライプニッツを避けていたとしても、人間という条件において、この世界が最善であることはゴールではなくスタート、それも、そうでなくてはスタートすること自体ができないようなスタートであるということは、この二人にとって共通する信念であったのではないだろうか。

 

 「人間物理学者」としてのアダム・スミスという描像は、高も指摘するように『道徳感情論』の実際においては当てはまらないように思える。そもそも天体と人間は異なるものであるという当たり前のことを無視して、ニュートン体系の「文体」をそのまま人間行動の記述にも流用するなどということは、物理学以前の理性の失敗である*11。「人間物理学者」らしい記述には『国富論』のような問題系のほうが向いていただろう。経済には基数的なものも序数的なものもあるが(それは商品という物量、とくに数字を刻印された貨幣という謎めいた商品に顕著である)、心や性格といったものにはそこまで明確なものはない。前に見たように彼が心理的な動きを描写する際に数量的語彙を使用することにためらいがなかったとしても、それに基づいて体系を作り上げられるかどうかは別の話である。しかし、ニュートン体系的な文体であるか否かというところから離れてふたたびこの観点を考えてみるとき、「人間物理学者」の相貌が『道徳感情論』においても現れているのではないかと思わされる箇所が見えてくる。それは、アダム・スミスが「体系重視の精神スピリット・オヴ・システム」について書く場面である。ここでアダム・スミスは一種のゆらぎを見せている。

 

愛国者が、公共行政のどこか一部を改善しようと試みる場合、必ずしも彼の行為は、それが実現する恩恵を享受する人々の幸福に対する純粋な共感から生じるわけではない。公共心にあふれる人物が幹線道路の補修を奨励するのは、普通、運搬人や馬車の御者に対して一体感を抱くからではない。リンネルや羊毛の製造業を促進するために、立法府が奨励金その他の奨励策を制定する場合、その活動が、安くて質の良い服地の着用者に対する純粋な共感からなされていることはほとんどなく、大半は、その製造業者や承認に対する共感からだと言って良い。交易や製造業の拡大政策の整備は、気高く壮大な目的である。そのような目論見は、我々の歓迎するところであり、しかも我々は、その拡大につながる可能性をもつものすべてに関心を寄せる。それは大きな統治機構システムの一部になっており、したがって、政治を動かす機械ポリティカル・マシーンの推進力は、このような手段によって調和の度を増して、滑らかに作動するように見える。我々は、これほど壮麗で偉大な機構が完備されていること大歓迎するのであって、その適切で正常な働きを少しでも妨害し、阻止するような障害物を取り除くまで安心しない。しかし、あらゆる政治体制が評価されるのは、そこで生きる人々の幸福の促進に貢献する程度に応じてでしかない。これが、そのような組織の唯一の効用であり、目的である。だが一定の体系重視の精神スピリット・オヴ・システムから、すなわち技法や装置に対する明確な好みから、時には、目的よりも手段を重視しているように見えるし、また、我々の仲間が被ったり享受したりするものを直接に知覚したりすることよりも、一定の美しい秩序だった体系の完全性と改良という観点から、彼らの幸福を強く希望しているように見える。最大の公共精神に恵まれた人物でも、他の側面では、人間の気持ちなど、まったく感取しないことがある。また逆に、最大の人間愛に恵まれた人物でも、公共精神がまったく欠如している場合がある。*12(強調は引用者)

 

ここではその前段の「見えざる手」の議論が引き継がれ、公共精神と人間愛が必ずしも一致しないこと、共感をまったく欠いた公共精神が存在することが書かれている。なによりここに「我々」とあるように、アダム・スミスは「体系重視の精神スピリット・オヴ・システム」を持つ側の人間として、「政治体制」の妥当な評価軸(「あらゆる政治体制が評価されるのは、そこで生きる人々の幸福の促進に貢献する程度に応じてでしかない。これが、そのような組織の唯一の効用であり、目的である」)と「体系重視の精神スピリット・オヴ・システム」を持つ側の人々の非本質的な評価軸(「我々は、これほど壮麗で偉大な機構が完備されていること大歓迎するのであって、その適切で正常な働きを少しでも妨害し、阻止するような障害物を取り除くまで安心しない」)とのズレを認識しているように見える。そして何よりここでは「見えざる手」のシステムとパラレルな形で、共感に基づく人間愛を欠いた公共精神であっても、人間の幸福に資しうるということが主張されているわけだ。しかし、次の長い部分では様子が変わってくる。

 

15 内紛の動乱と混乱のなかでは、明確な体系重視の精神スピリット・オヴ・システムは、人間愛  同国人の一部がさらされかねない不便や難儀に対する真の一体感  にもとづく公共精神とたやすく混じり合いがちである。このような体系重視の精神スピリット・オヴ・システムは、一般的により穏やかな公共精神の目標を受けいれて、つねに公共精神を呼び覚まし、熱狂的な行為に没頭させるほど、それを燃え上がらせることさえ少なくない。不満を抱いている党派の指導者は、不都合を取り除き、直接訴えている難儀を軽減するだけでなく、将来いつでも同じような不都合や難儀が繰り返されないように予防するなどと嘘八百を申し立て、ほとんどつねに、一見もっともらしい計画を提案することになる。この理由から、彼らはしばしば国制を新しい形にして、数世紀という長きにわたって、大帝国の臣民が、おそらくは平和、安全、さらには栄光という形で享受してきた統治体制を、そのもっとも本質的な部分において変更しようと提案する。その党派の大部分は、まだまったく未体験であるが、彼らの指導者の雄弁が、目くるめく極上の色彩で描き出して提供する、この理想的な秩序がもつ想像上の美しさに、一般的に酔いしれる。指導者自身は、そもそも自分たちの地位と勢力の拡大しか意図していなかったのに、やがて、彼らの多くが自分自身の詭弁の盲従者になって、追従者のうちもっとも愚かでばかげた人物に引けを取らぬほど、この偉大な再編成を熱望する。思想家は、自分自身の冷静さを保ち、通例そうであるように、この狂信的行為から解き放たれているはずであるが、しかし、やはり彼らは、追従者の期待を必ずしも裏切らないように敢然と立ち向かい、彼らの行動原則や良心と矛盾するにもかかわらず、あたかも、彼らが共通の妄想のもとに行動すべく余儀なくされてしまうことが多い。党派の猛威は、あらゆる弁解、妥協、理にかなった調停をことごとく拒絶し、あまりにも要求することが多すぎて、しばしば、何も得ることができない。だから、わずかな節度がありさえすれば、ほとんどすべて取り除かれ解放される可能性のある不便や苦悩といったものが、ほとんど救済のめども立たず、放置されることになる。

16 みずからの公共精神が、余すところなく人間愛と思いやりによって駆り立てられている人物は、たとえ個人に属していても、確立された権力や特権に敬意を払うであろうし、国家を形成する偉大な階級や、社会の権力や特権をよりいっそう尊重するだろう。もっとも、そのうちのいくつかを、彼はある程度まで不正だと考えるはずであるが、ひどい暴力を用いないかぎり破棄できないたぐいのものについては、緩和すれば良しとするだろう。大衆の根深い偏見を、理性や説得によって打破できないときには、力で大衆を服従させようとは試みず、プラトンの神聖な格言マキシムキケロが正しく呼んだように、両親に対すると同様、母国に対してけっして暴力を用いないということを、忠実に守るだろう。彼は、自分が用意している公共福祉のための手順を、可能なかぎり大衆の間に定着している習慣や偏見に順応させようと試みるだろうし、大衆が従いたがらないこの手の規制がないために発生しかねない不都合を、可能な限り除去しようとするだろう。公正さを確立できなかった場合でも、不正を改めることに価値がないと考えたりせず、ソロン[Solon, 640 B.C.-c. 560 B.C. 古代のアテネの政治家で、ギリシャ七賢人の一人]のように、最良の法制度を制定できないとき、彼は、大衆が耐えうる最良のものを制定するために努力するだろう。

17 これとは反対に、体系重視の人間マン・オヴ・システムは、自分自身がとても賢明であるとうぬぼれることが多く、統治に関する彼独自の理想的な計画がもっている想像上の美しさに心を奪われることがしばしばあるため、どの部分であろうとおかまいなく、それからのごくわずかな逸脱にも我慢できない。彼は、最大の利益とか、それと矛盾しかねない最大の偏見についてはまったく考慮せず、理想的な計画を、完全にしかも事細かに規定しつづける。彼は、まるで競技者がチェス盤のうえでさまざまな駒を配列するかのように、大きな社会のさまざまな構成員を管理できる、と想像しているように思われる。チェス盤の上の駒は、競技者がそれぞれに付与するもの以外に動き方の原則プリンシプルをもたないが、人間社会という大きなチェス盤の場合、それぞれの駒のすべてが、それ自身の動き方の原則  立法府が個人に付与するように決めかねないものとは、まったく異なる  をもっているなどと、彼は考えてもみないのである。もしこの二つの原則が、一致して同一方向に作用するとすれば、人間社会というゲームは、円滑に調和を保って進行するだろうし、幸福な繁栄も大いに確実なことであろう。もし両者が逆だったり、違っていたりしたら、そのゲームは悲惨なうちに進行し、社会は、つねにこれ以上ない混乱状態に陥るはずである。

18 政策や法律における完全性という、一般的であるばかりか体系的でさえある何らかの信念が、政治家の考え方を導くために不可欠なことは、間違いあるまい。だが、その信念が求めるようなすべてのことを、あらゆる反対を押し切って制定すること、しかも、全体を一度に制定することなど、多くの場合、この上ないほどの傲慢さであるに違いない。それは、彼自身の判断を、正邪に関する最高の基準に格上げすることになろう。それは、共和国のなかで、彼だけが英知に恵まれたたった一人の立派な人間であるとうぬぼれ、同国人はすべて彼に合わせるべきであるということに他ならず、彼が、同国民に合わせるべきだということではない。あらゆる政治的空論家や、外国の君主が危険きわまりないというのは、この理由にもとづく。*13(強調は引用者)

 

 最終版である第六版からの翻訳であることを念頭におけば、この部分は最初期であったフランス革命に対する批判の意図を残してあることは明白だろう。「16」における記述は革命期の主張としては保守的、反動的といって間違いない。引用部の最後に「外国の君主」とわざわざ言われることも、その趣を強める。アダム・スミスの党派嫌いもここで改めて確認することができる(アダム・スミスの、自然科学者と文学者や著述家に対する評価の違いは、党派性の有無に大きく左右されていたことを思い出そう)。システムへの没入や党派的なものは、アダム・スミスにとって、真の認識に至るうえでの障害となる。ここからもアダム・スミスが道徳問題に関してニュートン的な体系化、物理学化をこれ以上推進しそうにないことがわかるが、ここでもっとも重要な点は、前の引用部とは逆に、人間愛に基づかない公共精神が否定されている点にある。

 この矛盾に見える部分をどうすればよいのか。「内紛の動乱と混乱のなかでは」という条件が重要であり、平時においては共感そして人間愛を欠いた公共精神が肯定されえても、緊急時においてはそうではないということなのか。あるいは、「体系重視の精神スピリット・オヴ・システム」と「体系重視の人間マン・オヴ・システム」は精神と人間であるから違うカテゴリーであり、前者の行き過ぎとなった人間を後者のように呼んでいるだけなのだろうか。しかしいずれにしてもこの亀裂から、我々はニュートン体系を羨望する者という意味とはまた別の意味で「人間物理学者」、それも宇宙人的な「人間物理学者」を見出すことになる。もし「余すところなく人間愛によって駆り立てられた公共精神」と、「人間の気持ちなど、まったく感取しない公共精神」が社会状況によってスイッチングできたり、配分を変更できるというのであれば、アダム・スミスにとって「人間愛」も「体系重視の精神スピリット・オヴ・システム」も、「公共精神」に接続されたある種の操作可能なパラメータとして並列されていることになろう。確かにアダム・スミスにとって人間社会というゲームはチェスではないし、人間はチェスの駒ではないだろう。だがそのことは、人間社会がゲームではないことを意味するのではないし、人間が何らかのゲームの駒でないことを意味するのでもない。『道徳感情論』全体にいえることだが、アダム・スミスが本書で描写する有名無名の人間に対して、アダム・スミス自身がどういう感情を抱いていたのかが、読者には不透明に映る。「未亡人や父無し子」が「父」に抱く復讐心を記述する部分が数少ない例外だろうが(ここでのアダム・スミスの観察は他の部分に較べて異質に映る)、ほとんどの記述は「ある人間がある人間に共感する(あるいは共感できなかった)場面を描いている」というトーンであり、そこには必ず距離がある。

 

 アダム・スミスの視線は地球表面に降り立ち、人間に到達した。そこで人間という星々が織り成す秩序は、音楽的なものによってアダム・スミスに引力にも似た隠された秩序を明らかにするのだが、そういった秩序への愛は、しばしばアダム・スミス自身がはっきり観察する人間の実相と対立する。「18」における「政策や法律における完全性という、一般的であるばかりか体系的でさえある何らかの信念が、政治家の考え方を導くために不可欠なことは、間違いあるまい」という記述には、アダム・スミスの内での亀裂がよく露呈されている。彼が当時のフランスで育ちフランスにいたフランスの知識人だったとしたら、同じように書いただろうか。

 

8 異なった二組の哲学者が、この道徳性というあらゆる課題のうちでもっとも困難な課題を教えようと試みてきた。一方は、他者の利益に対する我々の意識を高めるべく努めてきたし、他方は、我々自身の利益に対する意識を低下させようと努力してきた。前者は、我々が自然に自分自身を思いやるように他者を思いやり、後者は、我々が自然に他者を思いやるように、自分自身を思いやらせようとした。両方とも、おそらく、自然の摂理ネイチャーと適合性の正当な基準をはるかに超えるところまで、その主張を貫き通してきた。

9 前者は、ぶつぶつ泣き言をいう類の憂鬱な道徳主義者モラリストであって、彼らは、きわめて多くの仲間が窮状にあえいでいるというのに、我々に対して、我々の幸福をたえず叱責し続ける人々であり、ありとあらゆる苦難にあえぎながら、貧しさに疲れ果て、病に苦悩し、敵から受ける愚弄と抑圧による死の恐怖のなかで、どんな場合も働き続ける多くの悲惨な境遇にある人間のことなど、思いやりもしない繁栄にともなって生じる自然なばか騒ぎを、敬神的ではないと見なすような人々である。我々が見たことも聞いたこともないが、それほど多くの人間仲間にいつも降りかかっている  と確信して良い  このような不運に対する哀れみが、幸運な人々の喜びを鈍らせ、すべての人間を習慣的に意気消沈させ、憂鬱にするはずである、と彼らは考えるのである。だが、第一に、我々がまったく知識をもっていない不運に対するこのような極端な共感は、まったくばかげていて、不合理だと思われる。世界全体で平均すれば、苦悩や災難を被っている人間一人について、繁栄と幸福な状態、あるいは、少なくともまあまあな境遇にいるのは、二〇人とあてがうことができよう。我々は、二〇人といっしょに喜ぶのではなく、なぜ一人のために泣くべきなのか、明確に特定できる理由は確かにない。加えて、このような人為的な哀れみは、単に不条理であるだけでなく、まったく達成しがたいものだと思われる。そして、このような特徴をもつ振りをする人間は、一定の悲しみに心を打たれる感傷的な悲哀しかもたないのが普通であって、それは心には届かず、図々しくも、ぶざまで不快な精神的な支持と親交をもたらすのに役立つだけである。そして最後に、この心の気質は、到達することはできても、まったく無益なものであり、それをもつ人物を惨めにすること以外の目的には、役立ちようがない。面識も関係ももたず、我々の行動範囲から完全に外れたところにいる人々の運命に抱く関心がどのようなものであろうと、それは、いかなる方法においても彼らに利益をもたらさず、我々に、心配の種を生じさせることができるだけである。いったい何の目的で、月に存在している世界について、思い煩わなければならないというのか? あらゆる人々  もっとも遠くにいる人々でさえ  が、我々から、思いやりにあふれた祝福の言葉を受ける権利を有することは間違いないし、思いやりのある祝福の言葉を、我々は自然に彼らに与える。だが、それにもかかわらず、もし彼らが不運であったら、それを理由に我々自身心配することが、我々の義務の一部であるとは思われない。それゆえ、我々が助力することも、傷つけることもできず、どこから見ても我々とはきわめて疎遠な人々の運命にほとんど関心を抱かないはずだということ、これは、自然の女神ネイチャーによって、賢明にも命じられたことだと思われる。だから、たとえこの点で、我々の身体フレームが元来もっている体質コンスティテューションを手直しできるにしても、なお、この変更によって我々が得るものは何もないだろう。*14

 

 距離が、人間と天体を分かつ。星々は、そのひとつひとつの間には文字通り天文学的な距離が広がっていることを知識としては知っていても、いざ夜空を見上げてみれば星座を描きうるほどには同じ一つの天球に張り付いているように見えてしまう。しかし人間という地上の星の場合はそうではない。人間と天体の間の距離よりも遥かに近い人間と人間の間には、天球的調和など、知識としても体感としてももはや見出すことができない。そしてこの距離という概念が、アダム・スミスにおいて思いやりの適切なレベルという発想に結実する。アダム・スミスにおいて共感が、想像力によって(ある程度)共感しようとしている対象の人物自身になる、という動きによって行われるものであってみれば、グラスゴーアダム・スミスにとってフランスはおそらく自身が思っていた以上に遠かったのである。同時代のフランスに生まれ育っていても、アダム・スミスほどの「体系重視の精神スピリット・オヴ・システム」がフランス革命に共感することはなかったのだろうか。そこではもはや「外国の国王」に配慮し自分を圧し殺す必要もなかったなかっただろうが。*15

 

 一人の哲学者が sympathy によって人間の善への性向を基礎づけようとした。それは文体の問題とも相まって、人間が人間を理解しうるための必須の条件にさえなった。だがその視線は地球の重力下において歪曲し、水平線の手前に没することになる。empathy はまだ始まっていない。sympathy には「感じてしまう」があり、empathy には「感じたい」がある。*16empathy はアダム・スミスにおいて、感情と道徳の間で浮遊したまま、朝靄のように消えてしまったものである。鶏鳴や喇叭の代わりに蒸気機関イングランドに朝を告げる。『国富論』の朝がやってくる。私はここで『国富論』を見送ることにする。それは大地の支配の学問があげた最も力強い産声である。大地は根を張るところのもの、よって立つところのものであり、また死者が死体となり還りゆくところである。歩かせつつ縛り、恵みを与えつつ食らうものである。大地とは重力と墓を本質とするということができる。わたしはここまで「詩」について、「詩人」についてしか書いていない。「詩人」の対岸にある「科学者」を、その表情をみつめ、「詩」が「詩人」が、どこへ向かっていくのかに思いを馳せること、それがここまでのすべてである。『国富論』は  そして思い切っていえば「哲学」もまた  「詩人」に背を向けて、遠くへ立ち去ってしまう。われわれが最後に向かうべきところは『国富論』ではなく、アダム・スミスが第三版以降『道徳感情論』の巻末に追加した、しかしグラスゴー版全集では『修辞学・文学講義』に収録されることとなった浮遊する論文、すなわち「言語起源論」をおいて他にない。

 

補:アダム・スミスデリダ   自然の女神ネイチャー人工知能であり得るか?

 

 わたしの知る限り、デリダアダム・スミスについて書いていない。二人を並べて何かを書くには無理があるように思える。しかし、デリダはルソーについて書いており、アダム・スミスとルソーが書き残したものには深く繋がりがあることを思えば、まったく道筋がないというわけでもない。わたしはいまから『道徳感情論』と『法の力』を並べて読もうとしているのだが、それにはまず、並べること自体にある困難を突破しなければならない。最大の困難は、『法の力』は規範研究であるのに対し、『道徳感情論』は記述研究であるという点にあり、そのことは謝意と憤りを研究する部分でアダム・スミス自身が書いている。見てみよう。

 

10 ここでの研究は正しさにかかわる問題マター・オヴ・ライトではなく、言うなれば、事実にかかわる問題マター・オヴ・ファクトであることも、考慮してほしい。我々がここで検討していることは、完全な人間はどのような原理プリンシプルにもとづいて有害な行為の処罰を是認するかではなく、人間のような意志薄弱で不完全な被造物は、いかなる原理にもとづいて、実際、現実的にそれを是認するかである。私が今ここで言及している原動力プリンシプルが、人間の感情にきわめて大きな影響を及ぼすことは明白であって、しかも、賢明にもかくのごとくあるべし、と命じているように思われる。不当でいわれのない悪意は、適切な処罰をつうじて抑制されるべきであり、したがって結果的に、このように処罰することは正当であり、賞賛に値する行為として認められねばならぬということを不可避にするのは、まさに社会の存在なのである。したがって、社会の繁栄ウェルフェアと存続を自然に望むような資質が人間に付与されているとはいえ、自然の創造主オーサー[第三版から大文字の Author に変更された]は、社会の繁栄と存続を、一定の罰を与えることが、この所期の目的達成のための適切な手段であると発見する人間の理性に委ねず、所期の目的をもっともうまく達成する不屈の努力を直接本能的に賞賛する才能を、人間に授けたのである。自然の営みエコノミー・オヴ・ネイチャーは、この点で、他の多くの事例で生じることと完全に一致する。このようなすべての目的、つまり、それ自体がきわめて重要であるという理由から、自然のお気に入りの目的  もしそのような表現が許されるとすれば  と見なしうる、社会の繁栄と存続という目的の全体に関して、自然の女神ネイチャーは、みずから提示した目的に対する本能的欲求アピテイトだけでなく、同様に、手段それ自体が自動的に、しかもそれを生み出す手段自体がもっている傾向とは無関係に、それに頼りさえすれば社会の繁栄と存続という目的を達成できる手段に対する本能的欲求を、このような方法で、たえず人間に授けてきたのである。要するに自己保存、したがってまた種の増殖は、自然の女神ネイチャーがあらゆる動物を育む際にもくろんだ偉大な目的である。人間は、このような目的に対する欲求と反対の目的に対する嫌悪  生命愛と死滅の恐怖、さらには、種の存続や繁栄の望みと、その完全な消滅という見解への嫌悪  を、生まれつきもっている。だが、このような目的をめざす強烈な欲求が我々に付与されているとはいえ、それを実現するための適切な手段を発見することが、人間理性の緩慢で不確かな決定に委ねられることはなかった。自然の女神ネイチャーは、本源的で媒介なしの本能によって、このような目的の大部分へと我々人間を導いてきた。飢え、渇き、両性を結びつける熱情、快楽愛、死の恐怖などといったものは、自然の偉大な指導者ディレクター[神のことだが、第四版以降Director と大文字で表記]がそれをつうじて生みだそうと意図した有益な目的に向かう傾向など、まったく考慮することなく、このような手段を、それ自身がもつ目的のために発動するように、我々を駆り立てるのである。*17(強調は引用者)

 

 人間の不完全な理性を前提とするアダム・スミスの道徳理論は、記述レベルでの研究に理性に対する感情の優位を持ち込むことになる。この点でアダム・スミスはルソーに近接する。この引用の手前のところでアダム・スミスは「しかし、人間が現代の堕落した状態にあってもなお、自然の女神ネイチャーは、あらゆる点でまったく有害な、つまり、程度においても方向性においてもまったく賞賛と是認の正当な対象になりえない原動力プリンシプルを我々に与えるほど、我々に対して不親切であったとは思われない」と書いている。ルソーと異なり、アダム・スミスがどうしてあれだけ利己心を擁護しようとしたかもここで理解される。自然の女神ネイチャーは、それとして言及されることのない、人間の持ちうる倫理の最終的な審級として舞台裏に控えているのだ。

 

 

それぞれの感覚は、それぞれに固有な対象にとって、最高の存在である。色彩の美しさについては、目以上に上訴の場はなく、音の和声については、耳以上に、また味の良さについては、味覚以上に上訴するところがない。このような感覚が、最後の手段として、それぞれ固有の対象物について判定を下す。味覚を満たすものはすべてがおいしく、目を楽しませるものはすべてが美しく、耳を落ち着かせるものは、すべてがよく調和しているのである。このような資質のそれぞれに特有な本質は、まさに注がれている感覚を楽しませるのに適している点にある。いつ耳が落ち着かせられるべきか、いつ目が楽しまされるべきか、いつ味覚が満たされるべきか、いつどの程度まで、我々の本性の他のすべての原動力が甘やかされたり、抑制されたりするべきか、このようなことを同じ仕方で決定すること、これは、我々の道徳的能力に属することである。我々の道徳的能力にとって快適なことは、なされることがふさわしく、正当で、しかも適正であり、その反対のものは、誤っており、欠陥があって、不適切である。我々の道徳的能力が是認する感情は、気品があって、魅力的なそれである。その反対のものは、下品であり、見苦しい。正当な、間違った、適切な、不適当な、上品な、下品なという言葉そのものは、このような能力を楽しませたり、不快にしたりするものを意味するにすぎない。

6 このような感情は、それゆえ、人間本性を律する原動力として明確に意図されたものであるから、そのような感情が指図する規則は、絶対者デイテイの命令とか、絶対者がこのように人間の心のなかに埋め込んだ代理人によって広められた律法である、と見なされるようになる。あらゆる一般規則は、普通その特徴を示す名称で呼ばれる法則ローであり、それゆえ、物体が動きを伝える際に従う一般規則は、運動法則と呼ばれる。だが、我々の道徳的能力が検討対象に取り上げるすべての感情や行為を、是認したり非難したりする際に従う一般規則をそのような名称で呼ぶことは、さらに正当なことであろう。それは正当にもローと呼ばれているもの、つまり、国王が臣民の行為を取り締まるために定める一般規則と、非常によく似ている。*18(強調は引用者)

 

感覚に対する快適さの絶対性。これが道徳感情にまで敷衍され、絶対性として神から国王へと繋げられていく。結果としてアダム・スミスは、次のように反動的で、諦念に満ちた、むしろ反語ではないかとさえ思える記述をも導くことになる。*19

 

3 富者と有力者の激情にことごとく同調してしまう人間の習性ディスポジションを土台にして、身分の区別、つまり社会秩序が構築されるのである。優れた人物に対する我々の追従性は、彼らの善意に基づく恩恵ベネフィットに対する個人的期待よりも、彼らの地位がもつ強みに対する我々の賞賛から生じることが、はるかに多い。(中略)およそ国王は人民の奉仕者であって、公共の便宜の要請に従って、守られ、反抗され、退位させられ、罰せられるべきものである、というのは理性と哲学の教えであって、自然の女神ネイチャーのそれではない。自然の女神ネイチャーが我々に教えようとしたことは、自分自身の利益のために国王に服従すること、高位の人々の前では震えおののいて頭を下げること、彼らの微笑みをもって、あらゆる貢献に報いる十分な報償であると見なすこと、何ら他の災難がそれに続くわけではないが、あらゆる屈辱のうち、彼らの不興こそもっとも過酷なものだと恐れること、これである。*20

 

 ヒュームと親交が深く、宗教的にはキリスト教徒として敬虔であったか疑問のあるアダム・スミスであるが、次の宗教に対する言及を見れば、彼が記述的レベルではなく、規範的レベルにおいても宗教に対して与えている価値の大きさがわかる。

 

名声だけでなく、行為の適合性に対する関心、他者の賞賛だけでなく、胸中の人の賞賛に対する関心、これが、世俗の人間と同様に、宗教的な人間にも影響力をもつと信じられている動機である。だが、宗教的な人間は、別の抑制のもとに服しており、最終的に、人間の行為に報いる最高の権威者グレイト・スペリアーの面前にいる場合を除き、けっして故意に活動することはない。より大きな信頼というものは、それゆえ、行為の規則性と厳格さに依存する。だから、宗教の自然な原動力が、くだらない陰謀の派閥的で、党派的な熱狂で腐敗していないところでありさえすれば、さらに、宗教のより身近な義務として、正義や善行に属する活動よりも、むしろ、取るに足りない儀式を配慮するように教え込まれたりせず、犠牲的な行為、儀式や虚しい祈願によって、人間が、絶対者デイテイに不正直、背信、暴力を期待することができるなどとは考えないところでありさえすれば、世間ザ・ワールドは、間違いなくこの点で正しい判断を下すし、宗教的な人間の振る舞いの正しさに対して、まったく正当に、二重の信頼を寄せるのである。*21(強調は引用者)

 

 この宗教について語る場面においても、アダム・スミスの党派性嫌いが打ち出される。これはアダム・スミスの体系にとって党派性が深刻な問題を引き起こすからであり、なぜかといえばそれが「公平な観察者」を不可能にするからである。「党派的な観察者」は、共感を巡る動きが駆動し始める場面で、関係する人物の党派的な属性に応じて判断に重み付けをすることになり、それは自然の女神ネイチャーが与えた感情の「自然な」動きを阻害することになる。「体系重視の精神スピリット・オヴ・システム」に対する両義的な態度も、それが自然の女神ネイチャーが与えた感情の善性に傷をつけかねないものであることを思えば理解できよう(その体系はいつもいつまでも不完全な人間の理性によって建設されざるを得ない)。こうしてみたとき、最後の「二重の信頼」こそが、アダム・スミスの道徳理論における記述的かつ規範的でもある核心として現れる。自らの行為の適合性を信頼すると同時に、最終的審級としての神による是認をも宗教者を通して信頼する、この「まったく正当」な信頼が、人間にとって必要かつ十分な法として静かに提示されているのである。この宗教的な人間がキリスト教の聖職者であるとは限らないわけだが。

 理性に対する感情の優位を宣言する二人の道はここで分かたれるだろう。ルソーは「自然に帰れ」ないと判断されるほどに社会が社会として現れてしまったところで、はじめて理性に対する感情の優位から離陸し、「社会契約」という神話的かつ理性的な原理を提示する(しかし神話的なものと理性的なものは別のものなのだろうか?)。「一般意志」が「自然に帰れ」と命じる日まで、この理性的なものによる建設は人間を「自然」から切断することになるだろう。一方のアダム・スミスは、社会が「進歩」し、身分制度=社会秩序が建設されたことをも感情という神が与えたプログラムのなしたところとして肯定することになる。いわばアダム・スミスは文明にいながらして「自然に帰れ」を愚直に実行し続けるわけだ。それが見せる光景がアダム・スミス自身の目にさえ極めて愚劣なものに映ったとしてもである。「模倣芸術について」でアダム・スミスが書いた「野蛮人の踊り」の衝撃と、それを踏まえた舞踊に対する考えを思い出せば、彼は「自然」と「文明」が完全に相容れないとは考えていないはずである。

この意味で、アダム・スミスの体系においては、人間は神に与えられた感情によって駆動し、神に与えられた人間の英知=理性をもって計算する計算機であれば、そしてなによりそれらの計算を阻害する要因が取り除かれていさえすれば、十分に善であるとされるだろう。神への信頼もまた感情の自然な性向として人間に実装されているからだ。ここでようやく、デリダの「計算」を巡る議論にアダム・スミスを対置することができるようになる

 

 われわれの最も広く共有する公理は次のものである。すなわち、正義にかなっている  または正義にかなっていない  ためには、あるいは正義を行使する  または正義を冒涜する  ためには、私は自由であらねばならないし、私の行為、私の行動、私の思考、私の決断について責任がある/応答可能であるのでなければならない。自由のない存在について、または少なくともある種の現実的行為においては自由でない存在について、それのなす決断が正義にかなっているとか正義にかなっていないなどとは言わないだろう。しかし、義の人のこの自由またはこの決断は、決断であるためには、そして決断だと言われるためには、つまり決断として認知されるためには、何らかの掟または支持、つまり規則に従わなければならない。この意味で決断は、自分が自律的であるまさにそのなかにあって、すなわち掟に従うも従わないも自由ななかにあって、または自分に掟を与えるも与えないも自由ななかにあって、例えば公平にもとづく現実的行為として、計算可能なものまたはプログラムとして組むことができるものの次元のうちにありうるのでなければならない。しかし、この現実的行為とは単に、ある規則を適用すること、あるプログラムを展開すること、ある計算を行うことであるとすると、その現実的行為はたぶん、合法的とか法/権利にかなっていると言われるだろうし、メタファーを使うならばたぶん正義にかなっているとも言われるであろう。けれども、その決断、、は正義にかなっていたと言うと誤りになるであろう、その理由はごく単純で、このケースには決断がなかったからである。*22(強調は引用者)

 

 ここを読んでアダム・スミスに立ち返るとき、われわれは『道徳感情論』において「自由意志」という言葉、「自由」という言葉がほとんど登場しないことを思い出す。これは『道徳感情論』の記述的な性質に加え、彼が sympathy としての共感に注目していること、そして神がいぜん最終的審級におかれていることを考えれば明らかである。彼の道徳概念は正義と徳に大別されるが、前者は must すなわち禁止と義務の体系、後者は should すなわち奨励・推奨と警告の体系であり、どちらにせよデリダの言うところの「プログラム」に属していよう。彼の道徳体系は自由意志を根幹に据えたものではない。デリダの決断に類似したものはアダム・スミスにおいては道徳的な卓越性の部分に関わるだろうが、やはりそれは彼の体系においてはデリダが与えるほどの重要性を持つものではない。「正義」という語の理解の出発点からしてすでに異なる二人を比較してみることはやはり無謀であるのか。次のところを見よう。

 

 正義の決断は、発起することのなかで始まるし、権利問題または原理問題として考えてもそのなかで始まらねばならないはずのものである。そしてこの発起することが結局は、認識すること、読むこと、理解すること、規則を解釈することを生み出し、さらには計算することさえ生み出すのである。なぜなら、もし計算とは計算にほかならないとすると、計算しようという決断、、、、、、、、、、は計算可能なものの次元にあるのではないし、そのような次元にあるべきでもないからである。*23(強調は引用者)

 

 デリダはここで正義と法/権利の関係と、計算不可能なものと計算可能なものの関係をアポリアとして提示しようとしている。このアポリアは「計算不可能な正義は計算するように命令する、、、、*24と述べられるところで最高点に達するだろう。ここでアダム・スミスとの合流点と明確な差異を、「AIを統治者におくことは道徳的に正当化されうるか?」というかなり戯画的な問いをおくことによってはっきりさせることができるかもしれない。私の考えではおそらく両者とも正当化はできないと考えると思われる。だが、その道筋はまったく異なる。

 デリダの場合、正義は法/権利の機械的、慣習的、すなわち正義への寄生的な態度からなされる、決断でない決断を拒む。AIは計算可能性以外のすべての可能性を持たない。大量の学習データを瞬時に学習するAIは、即応性と応答可能性、そしてもちろん計算可能性を持つだろう。だがAIは正義に狂うことができない。AIに狂気はなくあるのはエラーだけである。そのような機構に統治権を譲り渡すこと(これがこの問題に関して現れうる唯一の「決断」である)は、決断することを放棄することの「決断」であって、およそ最も正義に悖ることである。ゆえにAIによる統治を正当化することはできない、ということになるだろう。

 一方アダム・スミスの場合はそうではない。そもそもアダム・スミスの残した体系は、進化論、動物行動学を(もしかしたら認知科学さえも)先取りするようなものであり、道徳的な核心である神を除けばどれも機械論的な成果だといえる。おそらく「人間は一種の計算機です」と告げられたところで、アダム・スミスはたいした打撃を受けないだろう。名義が「人間」から「計算機」になったとて、それは神の被造物であることに変わりはないからである。AIを統治者におくことが正当でないのは、ただ神の英知による被造物と、人間の英知による被造物を較べたとき、後者が前者より優れていることなどありえないからである。人間の理性を人間の理性でもって正当化するような(啓蒙主義的?)発想は、アダム・スミスの体系からすればその循環性以上に、人間の理性を神の英知から切り離すことによる人工性のほうが、よりこの問題に対して重要な意味を与えるだろう。人間の理性が人間の理性を基礎づけ、組み立てるとしたなら、その時点で人間の理性はいくぶんか人工知能すなわちAIになっていることになる。すでにAIによる統治をしているのだから、AIが作ったAIによる統治など冗長でしかない。アダム・スミスによる判断はこのような流れを取るものと思われる。AIそのものが問題であるというより、その手前にすでに問題があるということになるだろう。

 

 『道徳感情論』から『法の力』を眺めたとき、おそらく次のような疑問、というより興味が現れるだろう。「どうしてこの者は『計算すること』が正義にかなっていないように感じているのだろうか? そこに卓越した徳はないが、それ自体は不正義ではなかろうに」というのがそれである。ここへきてデリダアダム・スミスを並べる試みは「脱構築は正義である」という有名なテーゼをめぐる箇所に遡行することになる。「慣習尊重主義」や「功利主義相対主義」へのデリダの批判的な目があるとしても、その目によってそうである。

 

法/権利の、または  こう言ってよければ  法/権利としての正義の、この脱構築可能な構造こそが、脱構築の可能性の保証者にもなっている。正義それ自体はというと、もしそのようなものが現実に存在するならば、法/権利の外または法/権利のかなたにあり、そのために脱構築しえない。脱構築そのものについても、もしそのようなものが現実に存在するならば、これと同じく脱構築しえない。脱構築は正義である、、、、、、、、、。法/権利(当然私は、それを一貫した仕方で正義から区別しようとする)が、協約と自然との対立をはみ出したある意味において構築可能であるというたぶんこの理由で、また法/権利がこの対立をはみ出すというたぶんこの限りで、法/権利は構築可能である  したがって脱構築可能である。そればかりか、この理由でまたこの限りにおいて、法/権利が脱構築を可能にするのだ。*25

 

 デリダは、カントに代表されるような、法/権利に執行する力(適用可能性/執行可能性/力あらしめる可能性)が内在していることが正義の条件である、という道徳論に対して、パスカルモンテーニュに導かれ(掟=法/権利の/としての正義は正義ではないこと、掟に従うのは権威によってであること)、最終的な法/権利の正当化は神秘的なもの  それはヴィトゲンシュタイン的なものともいわれる  、すなわち自らを自らによって定義するという行為遂行的・解釈的な暴力によって行われるのであって自らの証明をもたないことから、正義の条件である(と同時にそれらによって正義が保証されるとする)法/権利に内在する力の位相を、法/権利を創設する力にずらしつつ、その創設の隙間に脱構築可能性を差し向ける。その隙間は同時に、正義の脱構築不可能性と法/権利の脱構築可能性とを分かつ両者の間隙にも重なっている。

 アダム・スミスは(デリダが読み込んだ)パスカルモンテーニュと異なり、正義と法(/権利)を自覚的に分離できていたようには見えない。

 

もっとも神聖な正義の法  その侵犯は、もっとも声高に復讐と罰を要求するように思われる  とは、隣人の生命と身体を保護する法のことである。その次には、所有財産と所有物を保護する法があり、最後に来るのが、人間の人的権利パーソナル・ライツと呼ばれるもの、つまり他人の約束から当然支払われてしかるべきものを保護する法である。*26

 

同様に、徳と徳目に関してもそうである。

 

1 このような二つの努力  主たる関心の的である当事者の感情を思いやる観察者の努力、および観察者が自分自身の情動に同調できるようにしようとする当事者の努力  は、それぞれ異なった二組の徳にもとづいている。穏やかで、優しく、友好的なヴァーチュー、つまり誠実な謙遜や寛大な人間愛は前者に基づいており、偉大で、威厳があって尊敬すべき徳、つまり我々の天性に由来するあらゆる活動を、我々自身の品位、名誉、さらには行為の適合性が要求する水準に従わせようとする激情抑制的な徳は、後者にもとづいている。*27

 

 正義は「正義の法」、「正義の規則」として書かれ、徳はいくつかの徳目として書かれる。正義そのもの、徳そのものが何かについて直接的に書くことは避けられている。あくまで事実研究であるという体裁をとった『道徳感情論』としては当然のことではある。「正義とはXである」や「徳とはXである」といった原理的な問いかけは、その文法的な構造から一見事実言明に見えるが、これは同時に規範言明でありすぎるのである。彼は「ヴァーチューはどこに存在するのか?」と書くことはできるが、やはり「ヴァーチューとは何か?」と書くことはない。

 

2 道徳の原動力について論じる場合、考察されるべき問題は二つある。第一に、ヴァーチューはどこに存在するのか? すなわち、優れていて、称賛に値する特徴キャラクター  賞賛、尊敬および是認の自然な対象である特徴  となる、気分の調子や行為の傾向とは、いったいどのようなものか? そして第二に、それが何であろうと、このような特徴が我々に推奨されるのは、心のなかにあるどのような能力や機能によってであるか? 言い換えるなら、心が、ある傾向の行為を他のものよりも好み、一方を正しいと呼び、他方を間違いと呼ぶこと  一方を是認、名誉や報奨の対象と見なし、他方を非難、譴責や処罰の対象と見なすこと  になってしまうのはどうしてであり、またどのような手段によるのか? *28

 

しかし、次の箇所を読むとき、私はどうしてもここに脱構築というあの正義を差し挟みたくなる。

 

11 正義の規則は文法の規則になぞらえることができるし、それ以外の徳に関する規則は、批評家たちが、文章構成のなかに卓越した優美な部分を付加するために課す規則に、なぞらえることができよう。前者は厳密で、正確で、しかも不可欠なものである。後者は、あいまいで、漠然として、しかも確定不可能なものであり、その獲得のために、確実で絶対誤りのない手引きを我々に提供するというよりも、むしろ、我々がめざすべき完全性に関する一般的観念を提供する。こうして、おそらく彼は、正しく振る舞うことを学ぶことになる。だが、ある程度とはいえ、事情が異なれば、我々がこのような完全性に到達できたかもしれないあいまいな考え方を、修正したり、確認したりするのに役立つ何かが存在するとはいえ、しかし、それさえ遵守すれば、間違いなく我々を、文章作成における優美さと卓越性を達成できるように導くような規則など、あるはずがない。さらに、いくつかの観点から眺めた場合、もし事情が異なっていたら我々が達成できたかもしれない徳に関する不完全な考え方を、修正したり正確にしたりできるような規則がいくつか存在しはするが、我々が、その知識に従いさえすれば、どんな場合でも、注意深く、適度の寛大や適切な慈悲心をもって行為できるように誤りなく学べるような規則など、存在しない。*29(強調は引用者)

 

 文法的にいえば、アダム・スミスにおいて正義は「ねばならない must/have to」、徳は「すべきだ/したほうがよい should」に対応するということを先にいっておいた。「正義の規則は文法の規則になぞらえることができる」、「それ以外の徳に関する規則は、批評家たちが、文章構成のなかに卓越した優美な部分を付加するために課す規則に、なぞらえることができよう」、わたしはこの二つから飛躍して、アダム・スミスにおいて、「正義とは文法である」こと、そして「徳とは批評である」ことを主張しよう。比喩の構造からして、徳の規則は、正義という文法によって書かれるだろう。文法がなければ批評に限らず一文も書くことはできない。ところが、正義は徳の一部である。

 

5 だが、遵守することが我々自身の自由意志に委ねられていないばかりか、力で強制される可能性があり、さらに、その侵犯が憤り  結果的な処罰  にさらされかねない、もう一つ別の徳がある。この徳が正義であり、正義の侵犯  否認されるのが自然であるような動機にもとづいて、実際に、他の特定の人物に明白な危害を及ぼすこと  不正インジャリーである。*30

 

 我々の自由意志を必然的に要求することがない正義という徳。このウロボロス的なメタレベルとオブジェクトレベルの入れ替わりをどう理解すればよいのか。

 もっとも穏当かつつまらない解釈は、アダム・スミスの比喩がうまくいっていないという解釈である。正義と徳を比喩によって比較したのち、「前者は厳密で、正確で、しかも不可欠なものである。後者は、あいまいで、漠然として、しかも確定不可能なものであり、その獲得のために、確実で絶対誤りのない手引きを我々に提供するというよりも、むしろ、我々がめざすべき完全性に関する一般的観念を提供する」と書かれる部分においては、文法という(おそらくアダム・スミスにおいては)天与の法と、批評という人間の法という構造的な位相のずれが、単純な対比となって水平に均されてしまっているようにみえる。だが、正義の確実性と徳の不確実性の原因までもが均されているとまで言い切ることはできない。ここで読み取れることは、これにしたがっておけば/したがわなければ、有徳な行為ができる/できない「に違いない must」徳というものはありえないということである。 must を与えてくれる徳は存在しないが、その徳の中には「なければならない/てはならない must」すなわち正義が含まれている。この must をめぐる絡まりの中に我々は侵入し、アダム・スミスにおける「正義」と「正義の法」を切り離す。

 

 「徳 should」は「違いない must」 を与えてくれないが、「正義 must」 は 「違いない must」 を与える。このように言うのではなく、「徳 should」は「だろう should」を与えるというように考えてみる、すなわち遵守から少し離れた位置で、アダム・スミスの書いていることを書き直すのだ。そうした時、正義の規則や徳の規則が取る文法的形態と、我々に与えられる助動詞は反射性をもつことがわかる。これは助動詞を前に転倒しているだけだろうか。少なくともこの書き直しによって、二つのことがいえる。should が mustを含みこむ構造によって、徳の一部として正義があること、一方この構造そのものを書き下ろしうるのは文法によってであり、よって、正義という文法によって徳を書き下ろすことが可能になっているということもできるということ、以上の二つである。前者の正義と後者の正義の関係が、デリダにおける法/権利と正義の関係になっているといいうるのではないか。

 文法の規則を破ることはできる。日本語においては現代詩が(かつて)その突端にあった。だが文法そのものを破ることはできない。文法から文法の規則が生まれる。しかしこの文法は存在するのだろうか。存在するとして、それはいかなる意味での存在なのだろうか。ここで我々はふたたび文法を巡って、AIによる統治についての思考実験をしたときの構造をそのままなぞりうる。

 

 ①文法は文法の規則の外、もしくは彼方にある。ここで「文法は正義である」とまで踏み込むことは許されるだろうか。文法の規則についての規則は言語学によって打ち立てられ、批判がなされ、研究が進められている。ところが文法そのものは定義によっても証明によっても打ち立てられたものではない。それは基盤をもたない。したがってその創設の背後には暴力がある。許されるだろうか、というのはこの地点である。「脱構築は正義である」との相同は完全なものではない。文法の規則は、人間が自由意志によって構成したものとは言い切れない。それは多分に慣習的な、進化的な、経験論的な次元の彫琢を経たと思われる。ところで文法がなければいかなる正義も書くことが、語ることができない。では文法は正義に構造的に優越しているのか。それは彼方の彼方にあるということなのか。文法は正義の彼岸にあるかということをそもそも語りうるのか。ここは  ヴィトゲンシュタイン的な  もうひとつの神秘的な場なのか。あらゆる場面で must が should を包含するとはいえない。「しなければならない」が「すべきである」を包含しない場はある。力による強制において降りかかる must がそれである。しかし正義において「しなければならない」が「すべきである」を含み込むことは自明である。何かこの跳躍、制限を許すものはあるか。それは自由である。我々が自由であることを絶対的な条件として、文法は正義である、と言いたいのだが、やはり、文法の規則が法/権利と同じ意味で「構造」を持っているとは言い切れない。詩は、切るだろうか。

 

 ②文法は、神の英知によって与えられた人間の生得的な能力である。普遍文法は文法そのものではないが、それでも似たような形で、感情と同様に生体計算機としての人間に内在するハードウェアのようなものだと考えられる。神の英知にかなっていないものを人間の英知を作り上げる際に神が与えるはずがないから、やはり正義の規則を文法の規則になぞらえることは正しく、まさになぞらえるという言葉の意味どおりに、正義も文法も人間に与えられた互いの類似物であることを示唆している。

 

 デリダアダム・スミスを完全に合流させたり、対立させたり、どちらかをどちらかに包括することはできないだろう。それはあくまでも併置、交錯にとどまるだろう。それでもここで一旦デリダとの並行を試みたのは、アダム・スミスがなぜある時期から『道徳感情論』の最後に「言語起源論」を入れたのか、品詞の誕生の順序をできるだけ正確に辿ろうとしたのかにつての手がかりを鮮明にしようとしたからである。ルソーの『音楽起源論』が発表されたのはルソーの死後1781年であり、デリダは『グラマトロジーについて』でこの論文をとりあげている。ただ、『道徳感情論』に「言語起源論」が加わった第三版が発表されたのは1767年であり、アダム・スミスがルソーの『言語起源論』を参照することはできなかった。その後改訂しうる余地は十分にあっただろうが、「言語起源論」において唯一明示的に書名をあげて引用がなされる書物は『人間不平等起源論』だけであった。この三角関係をそろそろ打ち切り、ルソーの『言語起源論』をも適度に参照しつつ、われわれは最後にアダム・スミスとルソーを根本的に分かつであろう言語に下りていくことにしよう。

*1:内海健著『自閉症スペクトラムの精神病理』pp64-65, 医学書院, 2015

*2:神田橋條治著、林道彦・かしまえりこ編『神田橋條治 精神科講義』創元社, 2012, p102

*3:同上, p105

*4:同上, pp105-106

*5:アダム・スミス著、高哲男訳『道徳感情論』pp53-54, 講談社, 2013

*6:同上, p81

*7:アダム・スミスの会監修、水田洋・松原慶子訳『アダム・スミス 修辞学・文学講義』p70, 名古屋大学出版会, 2004

*8:アダム・スミス著、高哲男訳『道徳感情論』p30, 講談社, 2013

*9:同上, pp685-686

*10:同上, pp171-172

*11:「経済人」という概念を科学的モデル以上のもの、「人間の本質」であるかのように語る者は、そもそもそのモデルを、人間の多面的な性質の中から利己心を抽出して(そして数理化して)構成したことを忘れている。利己心それ自体が悪でないということは、『道徳感情論』のマンデヴィル批判において、アダム・スミスが利己心と虚栄心を苦心して区別しようとしていることからも分かる。しかし利己心がそれ由来の行動をすべて道徳的に正当化するはずがないことは、強盗のことを考えれば明らかである。利己心は、それによって道徳的な行動を導くこともあるというというだけであって、「経済人」それ自体を無条件に道徳的に肯定するような思想についてはアダム・スミスに責はない。そうわたしは言い切りたいのだが、しかし、「見えざる手」の周りで、わたしはそう口にすることをためらわされる。『道徳感情論』には一箇所だけ「見えざる手」が登場する。その前後を長くなるが引用する。

 

鼻高々で冷淡な地主が、他の仲間の必需品などまったく考慮せず、そこで育った作物の全部を、自分自身で消費するという思いを胸に秘めて広々とした彼の畑を眺めても、何の成果も上がりはしない。素朴でありふれた諺  人間は満腹しても、まだ食べようとする  が真実だと証明されるのは、何はともあれ、地主においてのことである。彼の胃の大きさは、その欲望の巨大さには比例しておらず、もっとも貧しい農民の胃より多量に受け入れることはなかろう。その残りは、申し分のない仕方だが、自分自身が利用するものはごくわずかしかないことを覚悟している人々  ごくわずかしか消費せずに王宮をしつらえた人々であり、地位の高い人の家政に従事させられ、価値がなく、つまらないさまざまな品物のすべてを提供し、維持する人々  に分配せざるをえない。このような人々はすべて、こうして地主のぜいたくと気まぐれから、彼の優しさや正義に期待しても得られなかった、生活必需品の分け前を引き出す。土地の生産物は、いつでも、生産物の量が維持しうるだけの数の住人を扶養する。富者は、もっとも価値があって好みに合うものを、収穫物のなかから選び出すだけである。富者が食べ尽くす量は、貧しい人々のそれとほとんど違いがなく、だから、生まれつき強欲であるにもかかわらず、さらにまた、自分自身の便宜しか考慮せず、雇っている数千人の労働をもとに計画する唯一の目標が、自分自身の無価値で飽くことを知らない欲望の充足であるにもかかわらず、富者は、すべての改良した土地の生産物を貧しい人々と分け合うのである。富者は、見えざる手に導かれて、生活必需品のほぼ等しい分配  大地がその住人のすべてに等分されていた場合に達成されていたであろうもの  を実現するのであり、こうして富者は、それを意図することなく、またその知識もなしに、社会の利益を促進して、種が増殖する手段を提供するのである。神の御旨プロヴィデンスが、大地をごく少数の傲慢な支配者ロードリー・マスターズに割り振ったとき、分割から除外されていたように見えた人々は、忘れられていたわけでも、見捨てられていたわけでもない。除外されたように見えた人々も、大地が産出するすべての分け前を享受する。人間生活における真の幸福を形づくるもののなかで、彼らよりずっと上だと思われている、傲慢な支配者より劣るところはまったくない。身体の安楽と心の平和という点で見ると、さまざまな階級の生活もすべてほぼ等しい水準にあり、主要道のかたわらで日光浴する物乞いでも、国王の戦いの目的である安全を享受している。(強調は引用者)(アダム・スミス著、高哲男訳『道徳感情論』pp338-340, 講談社, 2013)

 

「見えざる手」への長々とした道には何か邪悪なものがある。富者への批判は「生まれつき強欲」という地点にまで達するとき、単なる冷徹の域を超え出る。これが「神の御旨プロヴィデンスが、大地をごく少数の傲慢な支配者ロードリー・マスターズに割り振った」という記述へと繋がっていくとき、アダム・スミスが共感によって基礎づけようとした道徳、正義と徳の可能性は、生得的なものと運命に衝突する。富者とは貧者はまるで生まれながらにして別の生き物であるかのようである。その両者を土地の分配において分かつこととなった運命は「神の御旨プロヴィデンス」とよばれ、これが「見えざる手」というアクロバットの条件となっている。「申し分のない仕方」という評定が発せられる地点は、他の多くの部分で神(それは「自然の女神ネイチャー」や「創造主オーサー・オヴ・ネイチャー」などに言い換えられうるものなのだが)の英知を称えるような地点とは異なっている。ここには自分を無理にでも納得させようとするような、そう、自己欺瞞の臭いが漂っているかに見える。先の引用の手前の部分において、アダム・スミスの恐ろしい記述は頂点に達する。

 

我々の想像力は、苦痛と悲哀に満ちているときには、自分自身の身体のなかに留められ、閉じ込められているが、ゆとりがあって幸運なときには、身の回りのすべてに対して心を開く。こうして我々は、身分の高い人々の御殿や家政のなかではやっている便宜品の美しさに魅せられて、あらゆるものが、そのような人々の安息を促進し、不足を感じさせないようにして、彼らの望みを満たし、いかにも軽薄な、彼らの欲望を楽しませるためにいかによく適合しているか、これを賞賛する。このようなものすべてが提供できる真の満足を、それ自体として、つまり、満足を増進するために準備された装置の美しさと切り離して考察すれば、そのようなものは、ことごとく下劣で軽薄なものであることが、必ず見えてくるだろう、だが、我々がこのような抽象的で哲学的な見方でそれを眺めることなど、めったにない。我々は、想像のなかで、自然にそれを良好な状態、つまり、美しさを生み出す手段である機構マシーン、機械装置や営みエコノミーなどがもつ、規則的で調和に満ちた運動と混同する。このように複合的な観点から考察した場合、富と高い身分がもつ喜びは、我々の想像力に偉大で美しく、しかも高貴な何か  我々がいとも簡単に費やしがちな、労苦や気遣いのすべてに十分値する  を感じさせるのである。

10 そして、このように自然が我々を騙してつけ込むのは、良いことである。人間の勤勉をかき立てて持続的に作動させるのは、このような欺瞞である。人間に土地を耕作させ、家を建てさせ、都市や共和国コモンウェルスを設立させ、あらゆる科学や技術アートを生みだして改良させ、人間生活を高めたり、飾ったりさせた  地球の表面全体を完全に変化させ、手つかずの自然林を快適で肥沃な畑に変え、道もない不毛の大海原を生活の糧の新しい蓄えに変え、それを地球上のさまざまな国民が行き交うために頻繁に利用する幹線路にした  のは、これである。(強調は引用者)(同上,pp337-338)

 

あの、絵画や演劇において効果としての欺瞞を否定していたアダム・スミスが、ここで欺瞞を肯定する。この肯定は邪悪なものである。アダム・スミスが否定していた、芸術が美しさをもたらす仕組みとしての欺瞞は、人間の英知に関わっている。ここでアダム・スミスが肯定するのは、神の英知に関わる欺瞞であり、すなわち神は人間をつくるにあたって、善として欺瞞を用いたということになる。「便宜品」、これには芸術品も含まれよう。「模倣芸術について」での芸術音痴ともとれる視覚芸術へのそっけなさが何に由来するものであったか察されるものがあるが、芸術と(身分)社会の絡まりから次のように言うことができる。仕組みの美しさに欺瞞はないが、美しさの仕組みには欺瞞がある。アダム・スミスが美しいと感じるものは、本質的にシステムしかない。神の英知によって人間に与えられた欺瞞のシステムは、この意味で美しいものですらある。わたしはここへきてもまだアダム・スミスライプニッツを予定調和が繋ぐと考えている。だが、アダム・スミスの予定調和は歪んでいる。「神にさよならを言う」とはますます文字通りの意味になる。神が最善の世界を選択し、人間を善を志向する身体と精神をもつものとして設計したのでなければ、もはやその志向性の価値を支えきることはできない。この意味で確かに、この世界が最善でなければアダム・スミスの苦闘には道徳的に何の価値もない。だが、神のもとを離れるということは邪悪の定義であり、だからこそさよならの後の地点から描かれた神の像もまた歪むことになる。

無論彼は現状すべてを神の意志として肯定するような超保守主義者ではない。でなければ『国富論』のような本を書くはずはない。だがその『国富論』から、神による支配ではなく、大地による支配の学問、すなわち経済学が誕生するのである。土地への注目は、当時の経済状況からだけではなく、宗教的な視点からも捉えられなければならない。

 

12 十分に注意する価値があることは、我々は、それ以外の方法で社会秩序を維持できないという理由だけで、不正義はこの世で処罰されなければならないと想像するよりはむしろ、自然の女神ネイチャーは我々に希望することを教えるし、そして宗教は我々の想像だが来世においてであろうと、不正義が処罰されると期待するのは当たり前だと認める、ということである。その罪状に関する我々の意識が、そう言って良ければ、墓の向こうでも  そこでの処罰例が、犯罪を見もせず知りもしない人々が、現世における似たような活動で有罪になるのを思い止まらせるのに役立つはずもないが  処罰されるように、しつこく追い回すのである。しかし、ゴッドの正義がさらに求めることは、無事であったとはいえ、繰り返された屈辱によって未亡人や父無し子が受けた不当な扱いを、あの世で神が復讐することだ、と我々は考える。それゆえ、あらゆる宗教のなかには、さらに、世界が過去目にしてきたあらゆる迷信のなかには、地獄とならんで天国  邪悪なものを処罰するために用意された場所と、義にかなったものを報奨するための場所  があったのだ。(強調は引用者)(同上,p179)

 

アダム・スミスは父無し子であった。この部分で記述される神は、もはや幻に近づきつつある。一方で、「自然の女神ネイチャーは我々に希望することを教える」と書くアダム・スミスは確かに世界を肯定的に信じてもいよう。アダム・スミスは光と闇の際で『道徳感情論』を書いている。このようなところから、アダム・スミスははじめなければならなかったのだろうか。

悲痛を耐え忍ぶことや恐怖を克服することに偉大さを感じるとしたら、それは忍耐や克服に善の性質があることを示唆するだろう。しかし忍耐すべきものや克服されるべきものは、それ自体としては決して善きものではありえない。善と悪は必ずお互いを必要とする。ここから、善悪が生まれるということ自体は「善」であるのか「悪」であるのか、それともまさにそこは善悪の「彼岸」であるのか、という観点が生まれるのだが、ここでは措こう。ここで言いたいのは、本来アダム・スミスは、神の英知によって与えられた人間の本能が、その出自によってすべて克服する必要のない善であることが決まっていると考える必要はなかったはずだということである。向き合うこと、乗り越えていくことの美しさ、善は、本能に対しても同じくありえるはずなのだが、本能の各所を検討するところで、アダム・スミスは無理をしたように見える。実際アダム・スミスの文章が軋んでいるのだから。実際のところ、マンデヴィル批判においてアダム・スミスは利己心と虚栄心を峻別することができていたのだ。われわれは良くも悪くも、書きながら音楽を聞くことのできる環境を手にしている。アダム・スミスが「見えざる手」に差し掛かっていたときに器楽を聴ける環境にあったとしたら、同じように書いただろうか。

*12:アダム・スミス著、高哲男訳『道徳感情論』pp340-341, 講談社, 2013

*13:同上, pp428-431

*14:同上, pp255-257

*15:ツイッターのようなSNSPaypalのようなミクロな世界送金システムの存在する現代から、この部分を改めて見直してみる。アダム・スミスの時代にはとても「知りえなかった」であろう地球の裏側の悲惨が「知りうる」ものとなり、場合によっては個人レベルにまでミクロ化された金銭的支援を行うことができる現代の状況下では、アダム・スミスが批判する「憂鬱な道徳主義者モラリスト」の思想、宮沢賢治の『農民芸術概論綱要』にあるフレーズ「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はありえない」に集約されるであろう思想は技術的支援を得てその正当性を得るかに見える。物理的な距離をまったく乗り越えないままに、物理的に遠いところへ、個人が力を投射することができるからである。

アダム・スミスが挙げる三つの反論のなかでもっとも根底的かつ過酷な反論、というより反応は、「我々は、二〇人といっしょに喜ぶのではなく、なぜ一人のために泣くべきなのか、明確に特定できる理由は確かにない」の部分である。これが反論というより反応であるのは、「我々は、一人のために泣くのではなく、なぜ二〇人といっしょに喜ぶべきなのか、明確に特定できる理由は確かにない」と、「なぜ」の前後を反転させることができてしまうからである。なぜ反転できるのかといえば、それはアダム・スミスがここで共感する事態として想定しているのが、「幸福/不幸」ではなく、「幸運/不運」であることによる。前の回で、我々はアダム・スミスが他者の行為を賞賛/非難することのの基盤となる感情的是認/否認(いわゆる適合性)を考察するにあたり、行為-結果の連関には必然的に運の要素が介在してしまうがゆえに、結果をもって対象とすることを不適切とし、行為の結果から遡行的に想定される意図を対象とすることが適切であるとしたのを見た。アダム・スミスにとり、共感の対象として可能である状況は意図的(非)行為と運の混合物にほかならず、ここでは(人為的)構造的必然/偶然というレイヤーがあったとしても、結果に至る過程において最終的に運が構造に優越することにより(人間が天体でないことは、両者の法則の間の「必然性」の強度の差異にも反映されることは明らかである)、「なぜ」の前後の交換が正当化される。二〇人の幸運も、一人の不運も、運の産物として等価だからである。とここまで長々と書いたが、この発想自体は物理的な距離の遠近に依存しないはずである。しかしこれが循環的にアダム・スミスの共感が距離に依存していることを明らかにしている。というのもアダム・スミスは共感 = sympathy が元来哀れみや同情といった言葉と同じ意味だっただろうとして、人間は他人の喜びより悲しみに共感しやすいとしているからである。この原理が距離に依存しないならば、前に挙げたアダム・スミスの反発はアダム・スミス自身によって論駁されるだろう。しかしそうならないのは、距離が共感に優越するからである。

「疎遠さ」と距離について、ハイデガーを通る必要があるかもしれない。ハイデガーにおいて、「近さ/遠さ」という言葉が持つ空間的-時間的意味と場所的-心理的意味の重なりは錯綜する。交通の発達によって「近く」なった場所が、それゆえにより「遠く」なるということがあり得る。では想像力の領域においてはどうだろうか。アダム・スミスは小説を読み、歴史書を読む。歴史を元にした演劇、オペラを見ただろう。登場人物たちに共感したりしなかったりしただろう。小説や歴史の中の登場人物と、ニュースの中の「登場人物」と、どちらがより「遠い」のだろうか? おそらくアダム・スミスにおいて、ニュースの中の「登場人物」は、ニュースの中を離れて実在するがゆえに、それは実在の人物の影である。それに対して小説の登場人物は、手の中にある小説の文字より遠いところには存在し得ない。本の外のどこにも本体は存在しないからである。歴史書や神話の場合は、むしろ本の外の者のほうが本の中の者の影になっている。彼らは本の外では死んでいるか、神話なき世界の向こう側に隠れてしまっているからである。ゆえに、小説の登場人物よりニュースの「登場人物」たちの方が、遠い。問題は「距離」と「共感」の関係であった。ここで「距離」は「近さ/遠さ」になり、「共感」との間に「知ること」が介在してくる。「知ること」が「感じること」と結びつかない限り、当然知ることは共感と結びつくこともなければ、それに下支えされるところの善悪へ向かうこともないだろう。ルイス・カーンが、E. E. カミングスが、そしてジャン=ジャック・ルソーが「知ること」に対して距離を取っていることは、「知ること」自体というより、「知ること」へと流れ込んでいるもののなかに、「よくないもの」があることを感じ取っていることを示している。

 

 宇宙飛行士が宇宙空間へ出かけたとき、地球は宇宙空間に浮かぶ青色やバラ色の素晴らしい球体に見えました。地球に眼を凝らし、私自身にも地球がそのように見えて以来、すべての知識は重要ではなくなりました。知識はまさにわれわれの外にある不完全な書物です。人は何かを知るために書物を取り上げるが、しかし知ることを他人に分け与えることはできません、知ることは個人的なことです。知ることはかけがえのないひとりひとりの人に自己 - 表現の手段を与えます。(ルイス・カーン著、前田忠直訳『ルイス・カーン建築論集』pp88-89, 鹿島出版会, 1998)

 

■ 存在しない人人、すなわち単純な人人は存在しないもの、すなわち単純な事柄を好む。

 〈善〉と〈悪〉は単純な事柄である。お前が私に一撃を加える、それは〈悪〉で、私がお前に一撃を加える、それが〈善〉である。何かを感ずる人人、すなわち混み入った人人は、実に無知でどんなことも知らないのに対して、いわゆるこの世界を走っている単純人は、このような〈善〉〈悪〉の分別をよく知っているし、また実に何んでもよく無駄な位よく知っている。 

 単純に知っていることだけの人人は、無知よりもずっと危険である。何故か?

 それは何かを感ずることは生きていることなのだからだ。

 〈戦争〉や〈平和〉は危険でも生きていることでもない。それより、ずっとはずれている。〈平和〉は科学の無能であり、〈戦争〉と無能の科学である。そうして科学は知ることで、知ることは測定することである。(藤富保男訳編『カミングス詩集』p128, 思潮社, 1997)

 

 とりわけホッブズがしたように、善についてなんら観念をもっていないのだから人間は自然にかなったあり方からして邪悪であるとか、美徳を知らないのだから人間は悪徳に染まっているとか、同類への奉仕を義務とは考えないからいつも奉仕を拒むのだとか、また、自分が必要とするものに対する権利があると当然のように考えるから愚かにも自分が宇宙の唯一の所有者だと思っているなどと、結論するのはやめよう。(中略)未開人たちは理性を用いるのを妨げられている、と私たちの法学者は主張する。まさにその原因こそが、ホッブズ自身も主張しているように未開人たちの能力の濫用がさまたげられている原因でもあるということを、ホッブズは見損なってしまったのである。したがって、未開人たちは、善良な存在とはどういうものなのかを知らないがゆえに、邪悪ではない、ということができよう。というのも、未開人たちが悪事をなさずにいるのは、知識を磨いたからでも、法律の歯止めが利いているからでもなく、情念が穏やかで悪徳を知らないからである。「この人たちが悪徳を知らずにいることは、別の人たちが美徳を知っていることよりも有益である」〔原文ラテン語〕。(ジャン=ジャック・ルソー著、坂倉裕治訳『人間不平等起源論 付「戦争法原理」』pp78-79, 講談社, 2017)

 

 距離ということに関して、情報技術は何をしているのか? 「情報革命」は始まったばかりであり、現在の人間はこの現在に対してついていくことのできる体質を欠いている。引用の最後の部分、「我々の身体フレームが元来もっている体質コンスティテューションを手直しできるにしても、なお、この変更によって我々が得るものは何もないだろう」における Constitution は「憲法」とも翻訳されるものである。「朕は国家なり」とはかつて太陽王でもなければ口にし得なかったセリフであろうが、現代の状況は Constitution = 憲法が、Constitution = 体質へと逆流する段階に達していると思われる。それは全員が絶対君主となる状態を目指すものであり、身体フレームは「かたち」として国家へと変形される。この状況は、ルソーが『人間不平等起源論』において「新しい自然状態」、「極度の腐敗の結果として生じた」自然状態といわれるものが更に進展した段階である。

 

 身分と財産の極端な不平等から、情念と才能の多様性から、無益な技芸から、有害な技芸から、たわいない学問から、理性にも幸福にも美徳にも等しく反するあまたの偏見が生じてくることだろう。集まった人間たちを分断させて力をそぐことができそうなありとあらゆるものが、見かけのうえでは和合しているかのような雰囲気を社会に与えておきながら、実際には離反の種を蒔くことがありそうなありとあらゆるものが、権利と利害の対立を通じてさまざまな身分の人たちに不信感と憎しみを双方に吹き込むことがありうるような、その結果、自分があらゆる身分の人たちを抑え込む権力を強化することがありうるようなありとあらゆるものが、首長たちによってあおりたてられるのを見ることだろう。

 まさにこの無秩序と変革のただなかにあって、専制主義が、少しずつその醜い頭をもたげてきて、国家のあらゆる部分から、善良で健全と思われるものをことごとく喰い付くし、ついには法律と民を踏みにじって、共和国の廃墟のうえにしっかり確立されるにいたるのである。この最後の変化に先立つ時代は、混乱と災難の時代だっただろう。しかし、最後にはすべてが怪物にのみこまれてしまい、もはや民は法律も首長もなくして、ただ僭主だけをもつことになっただろう。このときから、習俗も美徳も問題にならなくなっただろう。なぜなら、「誠実さについて何も善いことを期待できない」〔原文ラテン語専制主義が支配するところではどこでも、他のいかなる主人も受けいれられることがないからである。専制主義が語りだすやいなや、考慮すべき実直も義務もなくなり、このうえなく盲目的な隷従が唯一の美徳として奴隷たちに残されるのである。

 

 まさにこれが、不平等が行き着く終着点であり、円をぐるっと回って一周し、私たちが最初に出発した地点に接するいちばん端の地点なのである。まさにここで、すべての個人はふたたび平等になる。というのも、すべての人は無だからであり、臣民たちは主人の意志のほかには法律をもたず、主人は自分の情念のほかには規則をもたないため、善の観念も正義の諸々の原理もふたたび消え失せてしまうからである。まさにここで、すべてはもっぱらもっとも強い者のロワへと、したがって新たな自然状態へと連れ戻される。この自然状態は、私たちがはじめに検討した純粋なままの自然状態とは異なり、極度の腐敗の結果として生じたものである。(同上, pp138-140)

 

  ルソーの「新しい自然状態」にはまだ僭主が人間であったが、我々が突入しようとしている自然状態に君臨する僭主は、もはや人間でさえない。この新しい「僭主」がいかなる力をふるうかについては、エルンスト・ユンガーがすでに半世紀以上前に書き残している。

 

問題の本質が一変したことは、読者も痛切に体験しているところであろう。われわれは、たえず問題を設定しようとする力が押しよせてくる時代に生きているのである。しかも、この力は観念的な知識欲にあふれているのみではない。この力は問題を掲げて近づきながらも、われわれが客観的真理に貢献することを期待しているのではない。いや、問題の解決に寄与することすらも期待してはいない。その力が求めているのは、われれれの解決ではない。われわれの回答なのである。(エルンスト・ユンガー著、新藤義孝・江藤専次郎訳「森の径」『文明について』p61 ,新潮社, 1955)

 

 アダム・スミスは「いったい何の目的で、月に存在している世界について、思い煩わなければならないというのか?」と書いた。デヴィッド・ボウイの「Life On Mars?」は次のように歌う。

 

But the film is saddening bore

'Cause I wrote it ten times or more

It's about to be writ again

As I ask you to focus on

 

情報革命は、「身近さ」と物理的距離の連関を完全に断ち切る。この流れそのものは都市の誕生と都市 - 田舎連関の誕生によってすでに整備されていたことだが、それでも「身近さ」と物理的距離の連関の差異は地理的なものによって規定されるにとどまっていた。情報革命は、まったく地理的なものに依存しない形ですべてを「都市化」していく。どこにいても近さが近さであることを信じきれないように作られた文明においては、表現としての「生活」の価値(と反価値)は釣り上がり続ける。生活において「身近さ」はもはや身近なものではなく、したがってそれは希少価値をもつからである。私小説的なものが、エッセイが、そしてその反動としてのモダニズム美学がふたたび全面にあらわれる。プロレタリア文学はついに浮上しない。ここにおいて我々はプロレタリアでもなくブルジョアジーでもなく、単に無だからである(この意味でルソーの認識はのちのマルクスより遥かに過酷である)。役柄としての「実存」がせり上がり、あらゆる舞台の主役の名を占める。カメラとスクリーンを兼ねた極めて高額な「生活必需品」であるスマートフォンが、延々と同じ映画、あらゆる意味で小さな映画を撮っては映し続けることになる。終演は存在しないまま、世界はなしくずしに、デヴィッド・ボウイの「film」の意味で映画化してゆく。

 

同時に進行するのが世界の博物館化である。海野弘が『ワードマップ 現代美術』の終わりに、20世紀の美術状況を総括して書いた「美術館の世紀」は、「ミュージアムの世紀」に拡張されることによって現代まで続く世界そのものをラベリングする。博物館はものに死を宣告し収蔵する場所であり、同時に収蔵品同士を、あたかも星々を結んで星座をつくるようにして「再活性化」する、ものの演劇の舞台である。無となったわれわれはわれわれが作り上げるものと無として等価となり、たえず関係が結び直される演劇が上演され続ける。博物館が存在したということは、博物館的なものが全面化してはならず、博物館的なものとして封じられる場所を世界が求めたということであろう。結界がなしくずしに崩壊し、虚構の上に虚構を塗り重ねていくような世界が現出したところからふたたび「憂鬱な道徳主義者モラリスト」をめぐる地点に戻ったときにいえることは、これが冗長な表現であるということであり、道徳は(そしてもちろん反道徳もまた)それ自体が憂鬱なものとして現れるということである。無にモラルはない。

*16:前の引用をもう一度思い起こそう。

 

余興の全体は、何ら不適合なものを含むことなく、社交的で快適な激情の模倣でもって構成できるだろう。すべてを嫌悪と怒りの模倣で構成してしまうと、それは奇妙な余興になってしまうだろう。

 

 「模倣芸術について」では数多の芸術形式について書いていたが、「余興」については語られなかった。この「余興」を「エンターテイメント」と読み替えていくことによって、エンターテイメントを定式化することができるようになる。すなわち、エンターテイメントとは sympathy の芸術である。エンターテイメントの技芸は演出にある。

他の芸術はsympathyを第一の目的とすることはない。それはそれぞれの形式において、付随する結果として現れてくるものである。だがエンターテイメントだけはそうではない。エンターテイメントにおいては sympathy がすべてである。この成功の有無はすぐさま視聴率に、チケットやグッズの売上に反映されるのであり、見るものと見せるものの間を繋ぐ演出の巧緻が、その結果を左右する。 

やはりここでもsympathyではなくempathyなのである。ポップ・ミュージックはどれも短い。即時的な共感を長時間にわたり維持することは極めて難しいからである。言葉遣いや歌詞は平易なものになりやすい。あまりに入り組んだ難解な構造は即時性を揺らがせるからである(しかし表面的に平易なものが必ずしも平易であるわけではない。平易でないものを平易であるかのようにして届ける手腕もまた演出の領域である)。

ところで大抵の場合、演者とされる人々と観客の間には隔絶が用意される。テレビの画面がそうであり、客席から切り離され、それより高い位置にあるステージがそうである。この隔絶がそれ自体演出として演者に神秘的な力を与える。YouTubeの画面は、この薄皮を一枚剥ぎ取ったように思われる。YouTuberは神秘性をまったく欠いている。動画においては観客の「声」がいつまでも画面下部にありつづけ、ライブでは常に一定の面積を占め、流れ続ける。「演者と観客を同時に見ている」という感覚、「演者とともに参加している」という感覚が、神秘性をもたらす隔絶に穴を開ける。「会いに行けるアイドル」とは決定的な崩壊だったのであり(戦後の昭和天皇は一瞬「会いに来るアイドル」だったわけだがそれは今はよい)、特に芸人が続々とYouTubeに参入するようになった現在、その穴はゆっくりだがますます広がっている。これは一種の「民主化」なのだろうか。そうではあるまい。YouTuberには神秘性がないが、そのようにするYouTubeには神秘性がある。個々のアイドルや芸人からは神秘性が剥ぎ取られていくが、「アイドル」というシステム、「芸人」というシステムには神秘性が残る。人間ではなくシステム自体が神秘性をもつのであり、エンターテイメントという力場は、隔絶が溶解した後もより広域にわたって作用し続けることになるだろう。なぜここまで「美しい」や「面白い」の価値がつり上がったのかを端的にいうことはできないが、少なくともそこにはこの「民主化」の結果が作用していることは間違いなかろう。

最後にマイケル・ジャクソンが1993年に行ったスーパーボウルのハーフ・タイム・ショーのリンクを貼る。

 

youtu.be

 

コロッセオのような観客席。中央に設えられたステージ。ヘリコプターから眺めたとき、その形は心なしかテオティワカンの「太陽のピラミッド」を想起させる。マイケル・ジャクソンは3回現れる。初めの2回はスクリーンから飛び出すようにして現れ、最後の3回目はステージのそこから飛び出す。マイケル・ジャクソンは動かない。熱狂的な声がステージの周囲を満たす。フィールドが解放され、観客がステージの周りに駆けていく。マイケル・ジャクソンは動かない。観客とは逆に、彼の周りだけがどんどん静寂を深めていく。眼鏡に手をかけ音楽が始まる前に、マイケル・ジャクソンは一度だけ首を振る。熱狂的な歓声のトーンが変わることはない。マイケル・ジャクソンはここで何をしたのか。何故直接に眼鏡を降ろさず、一つの動作を挟んだのか。マイケル・ジャクソンはステージに飛び出してきた。眼鏡に触ることは音楽を始めることの合図である。あの「合図」、観客側にも演者側にも向けられていない「合図」は、この間に関わることである。マイケル・ジャクソンは3回「登場」するのだが、そのうち最初の2回は厳密に言えば「ステージ」には現れていない。この流れの中に3回目のマイケル・ジャクソンの「ステージへの登場」がある。「ステージ」はここ「から」はじまるのである。したがって、あの合図は、ステージがはじまることそのものに向けられた合図と考えるしかない。一回だけ首を振ること、この合図は、演出と演出でないものの境界で発せられる。人間ではないものに向けられた合図が発せられたとき、ピラミッドの上で光り輝くマイケル・ジャクソンは、人間と人間の間の sympathy を超えた、崇高な sympathyに触れている。

 

この注に関わるアイデアについては、大槻龍之介氏との会話によって得られたところが大きい。名前を出すことを快く承諾してくれた氏に感謝する。

*17:アダム・スミス著、高哲男訳『道徳感情論』pp152-154, 講談社, 2013

*18:同上, pp302-303

*19:このアダム・スミスの「諦念」をルソーがまったく共有していないとは思われない。『社会契約論』のなかには、人間の記憶や理性に影響を与える病気のアナロジーを用い、国家の動乱期において、革命が旧体制を滅ぼしながらも新しい体制を生み出すことで、国家を不死鳥のごとく蘇らせる、という箇所があるが、そこに続く次の一節は、民主主義の原理的な考察の中に、しばしば顔を覗かせる、ぞっとするような場面である

 

 しかし、こうした出来事はまれである。それは例外であって、その理由はいつも、その例外的な国家の特殊な体制のうちに見出される。こういう〔例外的な〕ことは、同じ人民にたいして二度とは起りえないであろう。なぜなら、人民が自ら自由になりうるのは、人民がたんに未開である間だけのことであって、市民の活力が消耗した時には、もはやそういうことはできないからである。その場合には、動乱が人民を破壊することはありえても、革命が人民を再建することはできない。そしてその鉄鎖が断ちきられたとたんに、人民もばらばらになり、もはや存立しないのである。そうなった後には、人民に必要なのは主人であって、解放者ではない。自由な人民諸君よ、この格律を覚えておくがよい  人は自由を獲得することはできる。しかし、自由は取りもどされるものでは決してないということを。(ジャン=ジャック・ルソー著、桑原武夫・前川貞次郎訳『社会契約論』pp68-69, 岩波書店, 1954)

*20:アダム・スミス著、高哲男訳『道徳感情論』pp109-110, 講談社, 2013

*21:同上, p312

*22:ジャック・デリダ著、堅田研一訳『法の力』pp54-55, 法政大学出版会, 1999

*23:同上, pp58-59

*24:同上, pp73

*25:同上, pp34-35

*26:アダム・スミス著、高哲男訳 『道徳感情論』p166, 講談社, 2013

*27:同上, p56

*28:同上, pp492-493

*29:同上, pp322-323

*30:同上, p158

わたしは戦争に反対する

 平和がわたしであるわたしが戦争に反対する。

 戦争は平和の対岸にあり、届くことはない。

(戦争は届けることを拒否することをその存在の必要条件とする。「聞き届ける」という言葉はよくできている)

 

 戦争がわたしであるわたしが戦争に反対する。

 わたしはわたしのものである。わたしはわたしを所有している。

 としてわたしとわたしは分裂している。わたしを所有するわたしはわたしでありえずわたしに所有されるわたしはわたしでありえない。

 わたしはわたしのものであることを絶対にやめない。わたしはわたしを所有することを絶対にやめない。

 よってわたしは戦争である。

 戦争に反対するはわたしのわたしへの戦争としてわたしに届けられる銃弾のように。

(肯定としての銃弾が、邪神の時空のなかで、撃つことにより届けられることがある。)

 わたしは分裂する。わたしは分割される割譲される。

 わたしはわたし以外のだれのものでもない。わたしはわたし以外のだれにも領有されない。

 わたしはわたしはわたしのものであるというわたしに併合される。

 わたしのものであるわたしはいなくなる。

 戦争が終わりわたしが終わり戦争がわたしがいなくなる。

 そのあと平和がやってくるわたしはもういない平和はわたしにやってくることができない。

 

 戦争でも平和でもないであるわたしが戦争に反対する。

 わたしはわたしのものではなく、わたしはだれのものでもない。

 だれのものでもないものへ。平和にやすらえ平和のなかでやすらえ平和においてやすらえ。

 わたしがかつて一度も死んだことがないのは一度も生まれたことがないからかもしれない。

 戦争は殺すという。

 かつて一度も死んだことがない一度も生まれたことがないかもしれないわたしは殺したり殺されたりするのが嫌だと思う。

 わたしは殺したり殺されたりするのが嫌だと思う。

 わたしは戦争に反対する。

宇宙人アダム・スミス ②科学者と恐怖 ──天文学から「地上の星」へ

前回(第一回)の記事はこちら

 

ajisimidaikon.hatenablog.jp

 

 真空恐怖、あるいは驚愕と驚異

 前回も参照した『アダム・スミス 修辞学・文学講義』には他にもシェイクスピアを批判する文章があるのだが、その中にひっかかりを感じる箇所がある。その部分は訳注にもあるように、全体としては一七世紀後半のシェイクスピア批判の潮流であった、アリストテレス詩学』における時と所と行為の三一致を守っていない、というものに乗っかっている。「ラシーヌは、じっさいの行為にかかる時間が、演出の時間よりながいとはけっして想定しない。他方でシェイクスピアはしばしば、ひとつの場面からつぎの場面までのあいだに三年か四年がすぎたと想定する」と、アダム・スミスは始める。

 

場面をつなぐ行為がないという空白のわるい効果について、一般にあたえられる理由は、それはわれわれがだまされるのを妨げるということで、われわれが劇場に四分の一時間しかいないのに二年や三年がすぎてしまったとは、想定できないというのである。しかし実際には、われわれはけっして、そのようにだまされているのではない。われわれは、自分たちが劇場にいること、われわれのまえにいる人物は役者であること、演出されているものごとは、まえにおこったことか、おそらくけっしておこったことではないということを、知っている。演劇の上映中におけるわれわれのたのしみは、絵を見ているときのたのしみとおなじく、だまされていることから生じるのではない。(中略)それはむしろ、それだけながい時間におこったことについて、知らされないままにされたわれわれが感じる不安からくるのである。目のまえの場面で、直前にわれわれが見たのから三年か四年たったと想定されるばあい、われわれはただちに、そのあいだに何がおこったかを知ろうとして不安になる。*1(強調は引用者)

 

 欺瞞を評価しないアダム・スミスの美学が一貫しているのがわかるが、それに代わって提示される理由にアダム・スミスがあげるのは「不安」である。演劇はその外部すなわちわれわれの日常生活と同様に時間と空間をもっており、そのことは役者とそれをとりまく舞台が日常世界と類似する形態をもつことによってアダム・スミスの目に説明のごとく飛び込んでくるだろう。わたしにはこの「不安」の感覚がどうにも当時の一般的な感覚だったように思えず、むしろアダム・スミスが個人的に強く感じていた感覚のように思える。かれの「不安」は、アダム・スミスが演劇世界に  あの「捧げ銃」のように  没入していたからこそ生まれてきたものではないか。舞台上の時間を日常生活の時間と質的に同じものとして認識したうえでそこに没入しているからこそ、日常ではありえない時間の飛躍が起こった時、彼は「ただちに」不安、それも知的な不安を覚えるのである。この空隙に対する知的な不安そしてその原初の形態である恐怖は、芸術にとどまらずアダム・スミスの知的営為を考えるうえで根幹に位置するものだったのではないか。かの遺稿『哲学論文集』に収録されたある論文に目を向けよう。それは「哲学的研究を導き指導する諸原理  天文学の歴史によって例証される」、通称「天文学史」である。

 

 アダム・スミスの「天文学史」は、通称だけ見ると勘違いしてしまうが天文学史を主題とする論文ではない。「天文学の歴史」と題されるのは第四節である。原題の通り、天文学の歴史は後半の分量にも関わらず「哲学的研究を導き指導する諸原理」を例証するものとしてあげられるわけである。では何から始めるのか。それは「驚き」についての考察である。冒頭を見よう。

 

 驚異 wonder、驚愕 surprise、驚嘆 admirationは、しばしば混同されるけれども、われわれの言語では、たしかに同類でありながらいくつかの点で異なっていて、相互に区別される、諸感情を示す語である。新奇で珍しいことは、厳密な適切さをもって驚異とよばれる感情を喚起する。意外なことが驚愕を、荘大なこと、または美しいことが驚嘆を喚起する。

 われわれが驚異するのは、異常で、普通でないすべての対象、かなりまれなすべての自然のできごと、流星、彗星、食、珍しい動植物であり、要するに、これまでわれわれがほとんどあるいはまったく知らなかった、あらゆる事物である。しかも、これから見るべきことについて、あらかじめ注意していても、なお驚異するのである。

 われわれは、たびたび見たことがある諸事物であっても、それらに会うとはほとんど予期しなかった場所で出くわすと驚愕する。われわれは、何回となく会ったことがあるが、そこで会うことになろうとは想像していなかった友人の突然の出現に驚愕する。

 われわれは、平原の美しさや山の壮大さに驚嘆する。それらを以前にたびたび見たことがあるにもかかわらず、そしてそのいずれにもわれわれが確実に見ると予期していたもの以外は、何もないように見えるにもかかわらず、われわれは驚嘆するのである。*2

 

 彼は驚きを三種類に分類し、それらが組み合わさることで一層その効果を高めると述べることになるが、ここで注目すべきは彼によって「他のすべての情動から区別される独立の種類の本源的な情動とみなされるべきではない」とされた驚愕である。「どんな種類の情動でも、精神を突然おそう時に、それが精神にもたらす激しい突然の変化が、驚愕の全本性を構成する*3」とあるように、驚愕は情動の一部ではなく、情動の変化のモードを表すメタレベルのラベルとして現れている。

 驚愕とは意外性によって生まれる。意外性の程度はいわば標準からの逸脱の度合いであるが、生という連続性の中で標準が維持される形式は、慣れと予測である。それを認識する頻度が多ければ多いほど、それは標準的なものになる。だが未だ起こっていないことについてはどうか。見慣れないものすべてにわれわれは驚愕するわけではない。それはなぜかといえば、我々はある程度経験していない事象についても、何らかの予測をすることができるからである。次の部分は、予測のうちに現れる対象とその外から現れる対象を前に起こる情動の変化をアダム・スミスが描写するところだが、ここを読んでいるときにわれわれが感じるのは、「驚愕そのものに対する恐怖」とでもいうべき恐れをアダム・スミスが抱いていたのではないか、ということである。

 

 どんな種類の対象でも、それが、しばらく前から予期され予知されていて現れる時には、それがほんらい喚起して然るべき情動が何であっても、精神はあらかじめそれに対する準備をし、ある程度までそれを思い描きさえするに違いない。なぜなら、その対象の観念は、精神にずっと前から現れているので、対象自身が喚起するであろうのと同じ情動を、あらかじめ喚起するに違いないからである。したがって、それが現れる時に生じる変化は大きさを減じているし、それが喚起する情動または情念は、衝撃、苦痛、困難なしに、段々と容易に心にすべりこんでいく

 しかし、対象が意外なものである時には、すべてこれと反対のことが起こる。その場合には、情念は、心に突如として流れ込み、情念が強烈なものであれば、心は最も激しい発作的な情動に投げこまれるのであって、それは時には直接に死を引き起こすようなものであり、また時には突然の忘我状態によって想像力の全機構が完全に解体され、そのため以前の調子と落ち着きをその後ついに取りもどせずに、精神錯乱恒常的な狂気におちいるようなものである。そして、それは、ほとんどすべての場合に、理性の一時的喪失とか、自分達の立場や義務から要求される他のことへの注意の、一時的喪失ということを起こすほどのものである。*4(強調は引用者)

 

 「突然の忘我状態」がここに含まれていることは、彼の「放心癖」のいくつかを思い出した時、彼が放心から帰還したあとで自分の身に起きた事態をどのように振り返っていたのかを伺わせるものがある。驚愕の効果の一帰結を描写する際にここまで極端な事態を書き重ねられるアダム・スミスの感受性がどのような傾向を持っていたかは、精密な描写を含む次の部分を見れば明らかである。

 

 しかし、ある情念、ある強い情念が、突然精神をおそうだけでなく、精神がそれを思い描くのに最もふさわしくない気分にある時にそうすれば、その場合には驚愕が最大になる。精神が悲嘆にうち沈んでいる時の歓喜の驚愕、および、歓喜で揚々としている時の悲嘆の驚愕が最も耐えがたい。この場合の変化は、可能な限り最大である。強烈な情念が、突然思い描かれるだけではなく、それは、前に魂を占めていた情念と正反対のものなのだ。陽気さと歓喜いっぱいに広がり有頂天になっている心を悲しみの重みが突然おそう時、それは、心を息づまらせ、圧迫するだけでなく、現実に重いものが、身体をおしつぶし、つきくだくように、心をほとんどおしつぶし、つきくだくように思われる。これとは逆に、悲嘆と悲しみにうちひしがれ、意気阻喪している時に、予期せぬ運命の変化から、心に不意に歓喜が、言わば突然わき上ってくるように思われる時には、まるで激しい抵抗不可能な力でいきなり心を広げられ、持ち上げられたように感じ、あらゆる苦痛のうちでも最も激しいものにかき乱される。そして、それは、ほとんどいつも気絶一時的精神錯乱を生じさせ、時には即死させる。すなわち、つぎのことはのべておく値打ちがあるかもしれない。悲嘆は歓喜より激しい情念であり、たしかにすべての不快な感じは、当然、反対の快い感じよりもするどいのであるが、しかし両者のうちでは、歓喜の驚愕の方が悲嘆のそれより、はるかに耐え難いのである。*5(強調は引用者)

 

 悲嘆の驚愕より歓喜の驚愕をこそ恐れるアダム・スミス。ここから『ローマ史』に描かれた、歓喜の驚愕によって即死した女性の例があげられ、悲嘆の情動が効果を発揮するのに時間を要すること、一方歓喜の場合は即時的かつ激しい効果をもたらすことなどが語られたのち、段落はこのように締められていく。

 

労をおしまずに記憶をたどることのできるたいていの人は、突然の悲嘆でよりも、突然の歓喜で死んだり錯乱したりした人の話の方を、多く聞いたことがあることに気がつこう。だが、人事の本性から言って、前者の方が、後者よりはるかに頻度が高いにちがいない。人が足を失ったり、息子をなくしたりすることは、いずれについても何の警告なしにもありうるが、何が起こりそうかといういくらかの予見なしに、法外な幸運事に出くわすことはめったにない。*6

 

 率直に言って、ここで比較されるどちらの事態もあまりに例外的なものであり、「突然の悲嘆と突然の歓喜、どちらによって人はより即死しやすいか」などという問題にここまでアダム・スミスがこだわるその熱意が読者には伝わらない。だが、彼が「驚愕そのものに対する恐怖」を抱いているとしたならば、この理由もなんとなく理解されてくる。驚愕による即死という事態そのものがあまりにも例外的なものであるため、この概念自体が驚愕の要素を保持しているのである。あまりにも起こりそうにないことであるがゆえ、そしてその結果もたらされうる事態に死という最悪のものが含まれていることによって、このような事態がありうるということそのものが彼に恐怖をもたらす。ここで、アダム・スミスが直接そうは書かなかった科学者の定義の一側面が明らかになる。アダム・スミスにとって(少なくともその無意識において)、科学者とはまずなによりも治療者、それも自己治療者なのである。

 

 「哲学の起源について」と題された第三節で、彼は科学へと向かう人間の心理史というべきものを記述している。「人類は、法、秩序、安全が確立される前の社会の初期の時代には、自然の一見ばらばらな諸現象を統合している、諸事象のかくれた鎖を発見しようとする好奇心をあまりもたなかった*7」。人類の黎明期はその下部構造が人類の生存にとって脆弱であり、好奇心は弱く、それゆえ科学的思考によってこれらを説明しようとする理性的な勇気もその余裕もまた欠如していた。結果として「野蛮人」たちは「臆病」となり、「彗星、食、雷、稲妻やその他の大気現象」にたいして「畏れ」の感情を抱くことになる。マルブランシュに導かれ、「われわれの情念は、すべて自己を正当化する。つまり、われわれにそれらを正当化する見解を示唆する」という認識から、「野蛮人」たちは彼らが抱く畏れの要因として、諸大気現象の裏側に、知的な存在の復讐やふきげんのしるしを見出す。アダム・スミスはここに多神教の起源を見ている。「異教的古代の初期時代と同様に、野蛮人の間でも、すべての多神教的宗教において、彼らの神々の働きと力に帰せられるのは、不規則な自然事象だけ」というアダム・スミスにおいて、神話的なものは人間の自然認識のレイヤーに還元されている。やがて文明化が起こり始める。ここでアダム・スミスは人間の科学へと向かう性向の第一原理について語るわけだが、文明化以前の世界において語られていたこととの連続性を考えれば、素直に首肯するわけにはいかない。

 

 だが、法が秩序と安全を確立し、生計の不安がなくなると、人類の好奇心が増大し、恐れは減少する。今や彼らが享受できる余暇が、彼らを自然諸現象にまえより注意深くさせ、最もとるに足りない不規則性にさえ気づかせ、それらすべてを連接している鎖が何であるかを一層知りたがるようにする。彼らは必然的に、一見ばらばらなすべての自然のできごとの間に、そうした鎖が存在することを思い描くようになる。自己の弱さを感じる機会はほとんどなく、強さと安全を意識する機会がきわめて多い、文明社会で育った寛容なすべての人々が身につけている寛大と快活さは、この結合の鎖として、彼らの粗野な先祖の恐れと無知が生み出した、見えない諸存在を採用する気持を減少させる。仕事にも快楽にもあまり多くの注意をうばわれないゆたかな財産をもった人々が、日常生活の事柄からこうして解放された想像力の空隙を満たしうるには、自分のまわりで起こる一連の事象に注意を向ける以外に方法がない。自然の壮大な諸対象が、こうして、彼らの前を通り過ぎて査閲をうける時、多くの事物は、彼らの見慣れぬ順序で起こる。安心と喜びをもって自然の規則的進行についていく彼らの想像力は、それらの外観上の不一致に停止させられ、当惑させられる。それらは、彼らの驚異を喚起する。そしてそれらは、それらを前に起こった何かと結合し、そうして宇宙の全行程を一貫させひと続きにさせる中間的事象の鎖を、必要とするように思われる。だから人類を、哲学、つまり、自然の様々な現象を結合している隠された関連を解明しようとする科学の、研究に駆り立てる第一原理は、その発見から得られる何らかの期待ではなく、驚異である。*8(強調は引用者)

 

 驚異が人類を哲学研究すなわち自然科学へとモチベートしていく。それは文明化によって法が安全と秩序をもたらし、生計の不安がなくなるという下部構造の改善によってもたらされる事態であるが、神話時代と同様に人間の認識は身の回りの世界すなわち自然に向けられ続ける。ここで彼の意識からまったく欠落しているのが文学的想像力であり、想像力が人間の内面へ向くという選択肢ははなから想定されていないかのようだ。*9下部構造の改善によって余裕を与えられた想像力が、かつてのように自然に向けられていた部分を含め再編成されてもいいはずだが彼はそのところを一切書かない。論文の題目から外れるからということだけがその理由なのであろうか。そうは思えない。「日常生活の事柄からこうして解放された想像力の空隙を満たしうるには、自分のまわりで起こる一連の事象に注意を向ける以外に方法がない」と書くのであるから。なぜか。その手前の部分、「文明社会で育った寛容なすべての人々が身につけている寛大と快活さは、この結合の鎖として、彼らの粗野な先祖の恐れと無知が生み出した、見えない諸存在を採用する気持を減少させる」に注目しよう。「野蛮人」たちも当然人間であるから情動の構成は文明化されようが変わるわけではない。なぜ彼らは海の神、大地の神、酒の神などを生み出したか。その大元となった自然現象に対する彼らの畏れ、恐怖の情動がわきおこったことに対して、その説明を自然に要求することになったからである。そもそもなぜ恐怖の情動がわきおこったか。それは自然の不規則な現象、連続性を突如としてかき乱す現象によって驚愕が生まれたからである。そういった特異な現象が引き起こす驚愕という構造は、人間が文明化しようがしまいが一切揺らぐことがないのであり、あの畏れの大元は静かに息づき続けている。なぜ彼は「消滅させる」ではなく「減少させる」と書いたか。端的に、消滅していないからである。文明化してもなお、多神教的宗教的思考から生まれた神々という概念が生き続けていた場所があり、それは芸術という場所である。この論文において一切フォローされることのない芸術の起源と発展という領域は、影のようにしてアダム・スミス科学史観の中で抑圧されたもののありかを指し示すことになる。

 

 自然誌家は、自分の目の前に現われる珍しい植物や珍しい化石を、なんと好奇心にみちた注意力で調べることだろう。(中略)しかし、彼が、その驚異から、つまり、その珍しい外観と、それまで観察したすべての対象との相違とによって喚起される不確実感不安な好奇心から解放されうるには、それを既知の諸対象のあれこれの種類に帰属させねばならず、それと既知の諸対象の間になんらかの類似を見つけ出さねばならない。*10(強調は引用者)

 

彼らは、各天球について、その中心からは、それらすべてが完全に等速に見える、均等円とよばれる新しい円を考案した。つまり、彼らは、それらの天球の速度を調節して、個々の天球の回転はそれ自身の中心から見渡すと不規則に見えるが、円周内部にある点がふくまれていて、そこからは、その天球の運動が、同一時間に均等円の同一部分を切りとるように見え、その点が均等円の中心であるというようにした。

 この均等円の創案ほど、想像力のやすらぎと平穏が哲学の究極の目的であるということを、明白に示しうるものはない。天体の諸運動は、速度と方向の双方で一定ではなく、不規則に見えていた。そのため、それらを想像力が追跡しようとする時にはいつも、それらに当惑、混乱させられがちであった。離心天球、周転円、離心天球の中心の回転という創案は、この混乱をしずめ、それらのばらばらの諸現象を結合し、諸天体の運動についての人間精神の概念に、調和と秩序を導入するのに役立った。*11(強調は引用者)

 

こうして、この仮説(引用者註:コペルニクスの体系)は、五惑星を、すべてのもののうちでわれわれが最もなじんでいる対象と、同じ種類の事物に類別することによって、それらの外観が見なれぬ独特のものであることが喚起する驚異不確実感を除去した。それは、この点でもまた、哲学の偉大な目的によりよく適っていた。

 しかし、この体系の美しさと単純さだけが想像力に訴えたのではなかった。それが空想に明示した自然観の新奇性と意外性は、最も不思議な諸現象よりも、驚異と驚愕を喚起した。それらの現象を自然でなじんだものにするために、それは創案されたのだが、驚異と驚愕の感情が、それへの愛着を一層高めたのだ。なぜなら、たしかに哲学の目的は、普通でなく一見ばらばらな自然諸現象が喚起する驚異をしずめることにあるが、それでもそのことが最もうまくいくのは以下のような時だからである。つまり、それ自体ではおそらくとるに足りない少数の諸対象を結合するために、たしかにより自然で、より容易に想像力がついていけるが、現象それ自身のどれよりも、目新しく、また、通常の意見や予期に反する、諸事物のちがった構成を、それがいわば創造した時のことである。*12(強調は引用者)

 

 文明化によって、自然現象が人類へもたらす情動は、驚愕から驚異へ、恐怖から不安や困惑、混乱へと変形させられ、和らげられている、と言えるか。ある面ではそうである。科学へと駆り立てる第一原理としてアダム・スミスが驚愕ではなく驚異を挙げるのは、科学がそもそも好奇心の活動が活発になされうるような社会条件の整備なしにはありえないという認識からすれば当然のことである。だがこの表現には一つのごまかしがある。アダム・スミス自身が述べている通り、驚愕は独立した個別の情動の一種ではないからである。驚愕はアダム・スミスに(時には)死の恐怖を喚起させるほどのメタ情動であり、あの恐怖こそが異教的古代人たち、あるいは野蛮人たちに神々を呼び起こさせたのであった。情動をレイヤーの異なるメタ情動へ変形することはできない。確かに、アダム・スミスが驚異と驚嘆を説明する部分においては、諸情動が死をもたらすという描写は見られないものの、驚愕がもたらす種々の害の面影を思い起こさせるところは存在する。驚異は「新奇で珍しいこと」から発生する。その様態はいくつかあるが、その一つに「事象の普通でない順序での継起」がある。それについて語る部分を見よう。

 

 想像力が、普通でない順序で連続する二つの事象について進む時に、ほんとうに困難を感じることは、多くの明白な観察によって確認されよう。想像力が、一定の時間をこえてこの種の長い系列に注意を向けていようとすると、それがひとつの対象から他の対象へ移行し、そうして継起の進行を追跡するために払うことを強いられる継続的努力は、すぐに想像力を疲れさせ、それがあまりに頻繁に繰り返されるならば、想像力の全機構は乱され解体されてしまう。こういうわけで、研究にあまりにきびしく励むと、時に精神異常狂乱に陥るのであり、それは特に、年はいくらかとっているがそのことに従事するのが遅すぎたために、その想像力が抽象科学の推論に容易についていけるようになる習慣を獲得していない人々におこる。老練な専門家にとっては全く自然で容易な証明の一歩一歩も、彼らには思考の極度の集中を必要とする。しかし、彼らは野心または主題に対する驚嘆に駆り立てられて、なおも思考を続け、まず混乱し、次に目まいを感じ、遂には錯乱にいたる。*13(強調は引用者)

 

神々は天文学史の外、すなわち文学に代表される芸術の領野において静かに生き続けていた。確かに科学へと、認識へと向かう人間の原動力の第一は驚異となったのだろう。だがその影には、認識をもたらす恐怖、驚愕をもたらす世界が張り付いている。「想像力のやすらぎと平穏が哲学の究極の目的である」、「哲学の目的は、普通でなく一見ばらばらな自然諸現象が喚起する驚異をしずめることにある」とアダム・スミスが書くとき、はからずも彼は、野蛮時代の人間たちが自然に行っていたであろうこと、すなわち自己治癒としての神話の構成という仕事に、哲学もまた(高度に洗練された形であるとはいえ)従事していることを明らかにしている。恐怖を刻印され、またかつてその原因としての神々を刻印したという形で繋げられた、人間と自然の間の呪われた絆は、想像力が余裕を得た後もその翼を自由に広げさせることなく、その道行きを拘束することとなった。哲学者の顔の裏には、恐怖にこわばったもうひとつの顔があるのである。

 

引力と性格

 ここまでわれわれはアダム・スミスの記述から「自己治癒者としての哲学者」を引き出したが、アダム・スミス自身は直接的にはそのような角度から哲学を、哲学者を眺めていたわけではない。彼が哲学とは何かを明白に書いている次の部分を見よう。

 

 哲学は、自然の結合諸原理の科学である。自然は、通常の観察で習得しうるう最大限の経験をもってしても、孤立していて先行するすべての事象と矛盾するように見える事象に、みちみちているようにみえる。したがって、それらは、想像力の円滑な運動を妨げ、いわば、不規則な突発と爆発で、想像力の諸観念を継起させ、そのため、幾分か、われわれが前に述べた混乱と錯乱を導きいれる傾向がある。哲学は、これらすべてのばらばらな対象をいっしょにする見えない鎖を示すことによって、この不協和で支離滅裂な諸現象の混乱状態に、秩序を導入し、想像力のこの乱れをしずめ、そして、想像力が宇宙の大回転をながめる時には、それ自体で最も快適で想像力の本性に最もふさわしい、平穏と落ち着きの調子を取り戻させようと努力する。それ故、哲学は、想像力に語りかける学芸アーツのひとつとみなされよう。そして、その理由から、哲学の理論と歴史は、適切に、われわれの主題の範囲内に含まれる。*14

 

 ここにはアダム・スミスの哲学観のみならずこの論文で表出している問題のほぼすべてが集約されているといってよい。「われわれの主題」とは、第一節の直前に書かれている「この論文の企図は、これらの感情(引用者注:驚異、驚愕、驚嘆のこと)それぞれの性質と原因を個々に考察することにある」*15のであり、想像力へのアートとしての哲学が、見かけ上の自然がもたらす想像力の混乱、錯乱を鎮め、平穏と落ち着きへと導くという運動、そしてこの運動に(意識的にせよ無意識的にせよ)従事する哲学者=自然科学者の生態が描出される。主題の優位により、哲学の本質がこの治療的営為に奉仕していることは明らかである。つなげることで、おさまる。不規則性、突発、爆発が乱す連続性が、「諸事象の見えない鎖」によって再び繋げられることで、ふたたび連続性のなかへ還帰していく。この中で「秩序を導入し」と書かれているところは重要であり、アダム・スミスは基本的に驚異をもたらす自然現象のイレギュラー性についても、それが見かけ上のものであるということ、それを説明する体系もまた「想像力の考案物」であって「諸事象の真の見えない鎖」ではないと考えている。しかしニュートンの体系を評価するにあたって、アダム・スミスの姿勢はゆらぐことになる。

 

われわれは、すべての哲学体系を、そうでなければばらばらで不調和な自然のできごとを結合するための、単なる想像力の考案物として表示しようと心がけてきたが、そのわれわれでさえ、知らず知らずのうちに、この[ニュートン]体系の結合諸原理を表している言葉を、まるでそれらの原理が、自然が自分の個々の作用を連結するのに使用している真の鎖であるかのように使ってきた。したがって、以下のことは、それほど驚くにはあたらないのである。すなわち、その体系が人類の一般的で、全面的な是認を獲得したということ、そして今や想像上で天空のできごとを結合するひとつのくわだてとしてではなく、人類によってこれまでになされた最も偉大な発見、すなわち、われわれが毎日その現実性を経験しているひとつの主要な事実によってすべてが密接に結合されている、最も重要で最も崇高な諸原理の、広大な鎖の発見とみなされていることだ。*16(強調は引用者)

 

 「くわだて」と「発見」の違いはそのまま表現と存在の違いである。哲学の運動が想像力によって想像力を癒やすという循環的な形を取る中で、存在の法、存在そのものに触れ得たという瞬間が到来したとき、治療する力としての法は想像力の限界を突破する。アダム・スミスにとってニュートン体系の衝撃は大きかった。*17『修辞学・文学講義』にたびたび出現する「性格」という概念は、そのことを傍証する。

 

 このまえの講義で言葉と文のあやについて考察し、文体の美しさは古代の修辞家たちが想像したようにそれらの使用にあるのではないということを、示そうとつとめておいた。私は、文章にじっさいに美しさをあたえるのは、なんであるかを指摘した。それはすなわち、記述されるべきものごとを言葉がむだなく適切に表現し、著者がそのものごとについて心にいだき同感によって聞き手に伝達したいとおもった感情を、つたえているばあいには、その表現は、言語が表現にあたえうる美のすべてをもっているのだということである。私はまた、その文体の形式は、なにか特定の観点に限定されるべきではないということを、示そうとつとめた。著者の見解とかれがその目的を達成するためにとる手段とによって、さまざまな対象の記述において、あるいはさまざまな意見の表明において、文体がかわるにちがいないだけでなく、対象と意見が同一であっても、そうにちがいない。感情がさまざまであるように文体もさまざまである。そのほかに私は、他のすべての事情が同様なばあいには、著者の性格が文体をちがったものにするにちがいないことを、示そうとつとめた。重厚な型の精神をもった人は、それより軽快な人とはひじょうにちがうやりかたで、対象を叙述するだろう。率直な人は、単純な人とはひじょうにちがった文体をとるだろう。  しかしながら、われわれが尊重するなにかひとつの特定の文体があるのではなく、多くのものがひとしく快適なのである。*18(強調は引用者)

 

 対象一般の記述についていくらか考察し、内的あるいは外的な単純対象の記述のための指示をいくつかあたえたので、私はつぎに、もっと複雑な諸対象を記述するための適切なやりかたを、いくらか考察しよう。そういう諸対象とは、人びとの性格であるか、あるいは人びとの比較的壮大で重要な諸行動や行動である。私は最初のものからはじめよう。なぜなら、人の独自の行動と態度をひきおこすのは、主としてかれの性格と気質なのであり、前者を記述するやりかたは、はじめにその原因を考察するほうが、よく理解されるだろうからである。*19(強調は引用者)

 

 また『道徳感情論』の第二部第三篇は「フォーチュンが人間の感情に及ぼす影響について  行為の功績と欠点を中心に」と題されているが、その序論の冒頭を読めば、アダム・スミスが人間を観察する際の基本姿勢が、道徳感情を分析する際にも貫徹されていることがわかる。

 

1 賞賛や非難が、ある特定の行為のせいだと言えるかどうかは、第一に、その起点となる心がもつ意図インテンション心的傾向アフェクションに、第二に、このような心的傾向が引き起こす身体の外面的な活動や運動に、そして最後に、実際に  つまり、事実として  その後につづく、良かったり悪かったりする結果に、それぞれ依存するはずである。このような三つの異なった事柄が、行為の本質と状況の全体を形成しており、そして、そこに含まれるあらゆる資質の基礎であるに違いない。

2 この三つの事情のうち、後の二つが、およそ賞賛や非難の基礎でありえないことはまったく明らかだし、その逆を主張してきた人物も、今まで誰もいない。身体の表面的な活動と運動は、もっとも罪のない行為だけでなく、もっとも非難に値する行為においても同一であることが多い。鳥を撃つ者も、人間を狙撃する者も、ともに同一の外面的な動作  それぞれ、鉄砲の引き金を引く  を行っている。何らかの行為に引き続いて、実際に、つまり事実として生じる結果は、身体の表面的な動きと較べてさえ  較べられたらの話だが  賞賛や非難のいずれとも、さらに無関係である。結果は、作用するものによってではなく、運があるかどうか次第で決まるから、それは、行為者の名声と行為を対象にする感情の適切な基礎にはなりえない。

3 意図されたものや、行為の出発点となった本心ハートの快適、あるいは不快な性質をかろうじて表示するのは、行為者が責任をもつことができるだけでなく、その行為によって何らかの是認や否認を受ける結果だけである。それゆえ、賞賛や非難のすべて、つまり、あらゆる行為に対して正しく与えうる是認や否認のすべて  種類を問わず  は、究極的に本心がもつ意図や心的傾向、適合性や不適合性、構想デザインの有益さや有害さに含まれているはずである。*20

 

 人間の、身体的動作を伴う行為とそれがもたらす結果は必然によって結びついておらず、そこには常に運が介在している。しかし、人間がそれを快適に思ったり不快に思ったりする、すなわち共感が成功したり失敗する場というものは行為によって常に発生しうるように見える。このギャップを埋めるのが行為の意図や心的傾向というファクターであるが、そもそも意図や心的傾向というものは直接観察することはできず、「行為者の責任」が少なくとも仮構されうる、是認や否認の対象になりうる結果によって「かろうじて表示」されるものである。賞賛や非難は、責任を認定することが可能な行為とその結果なしにはあり得ないが、その行為と結果のいずれにも、直接賞賛や非難の源泉を求めることはできず、その源泉は、賞賛や非難のきっかけとなる結果をもたらしたとされる行為によってかろうじて表示されたものとして、行為や結果から遡行的に追跡された本心に求める他ない。この二段構えの構図から見えるのは、アダム・スミスが「社会科学者」というより「人間物理学者」というべきものに近いということである。天体の運動を説明する原理として引力という見えない力がニュートンによって提示され、おそらくそのことを真面目すぎるほど真面目に引き受けたアダム・スミスは、人間の動作原理として提示されるものもまた見えない力のレベルまで遡らなければならないと考えたのであろう。

 

 これまでの講義のなかで何回か、われわれは、イングランドで最良の散文の書き手たちのうちのある人びとについて、ひとつの性格を提示し、かれらのさまざまなやりかたを比較した。それらすべての結果も、われわれが設定した規則もともに、以下のとおりである。すなわち文体の完全さは、著者の思想をもっとも簡潔、適切、正確なやりかたで表現することにあり、その思想がかれに作用するかあるいは作用するとかれが主張し、かれが自分の読者に伝達しようとくわだてる、感情、情念、愛着を、もっともよく伝えるやりかたにある、ということである。

 諸君はこのことを、常識にすぎないというだろうし、たしかに、そうであるにすぎない。しかし、もし諸君がそれに注目するならば、批評と良俗の諸規則はすべて、その基礎まで辿ってみれば、各人が同意する常識のある諸原理だということがわかる。それらの学芸の仕事はすべて、これらの規則をさまざまな主題に適用し、そうしたばあいのそれらの帰結がなんであるかを、示すことである。*21(強調は引用者)

 

 目立たないがここには自然科学が彼に残した刻印がはっきりと刻まれている。まだその名で呼ばれるようになるのは先になるが、自然科学における自然の斉一性という原理に対応するものとして、社会科学における「社会の斉一性」とでもいうべきものが「常識」の名で提出されているのである。常識とは、ある社会において、その構成員全体から承認されていると構成員の各々によって認識されているゆるやかな判断の集合であるが、ここから、ある社会において常識とされている判断は、その社会のどこにおいても常識とみなされる、と言うことができる。これが「社会の斉一性」であり、判断たる「すべての批評と良俗」はこの基礎において成り立つことになる。*22

 アダム・スミスがここ以外でも表現を代えて繰り返す主張、すなわち「文体の完全さは、著者の思想をもっとも簡潔、適切、正確なやりかたで表現することにある」という主張は、現代からすればそのあまりの単純素朴さを嘲笑されかねないものだが、アダム・スミスニュートン以前の天文学体系とニュートンのそれに与えた評価の違いを思い出すならば、彼がそのような主張をする理由も分かってくる。つまり、自然(および個々の自然物)の真の法則を人間はほとんど見出すことができないが、見かけ上の自然の不規則性は、自然哲学者たちの「想像上の考案物」たる法則体系によって解消される。その「見えない鎖」は極稀に「真の鎖」と見まごうほどのものになるわけだが、これを人間社会に置き換えた時、そこには容易に並行関係を見出すことができる。つまり、人間の真の思想を当人以外の人間はほとんど見出すことができない。かれが話すこと、書くことが、かれの本当に思っていること、感じていることを十全に反映しているとはついに保証されないからである(ここから、お互いの真の思想がお互いにほとんど隠されてしまうということを基礎にして成立する社会の真の法則もまたほとんど見出されえないことが帰結しよう)。しかし、個々の文章には優劣があるとしても、どんな文章であってもそこにはかれの思想がいくらかでも表出しているに違いない。この前提において、最も優れた文章というものがあるとするならば、ニュートンの体系のように、かれの真の思想を完全に表現している(と感じられる)ものということになるだろう。人間の内心が他者にとって原理的に不可知であるということが、アダム・スミスの文体論における天文学との相同性を逆向きに保証するものとして現れるわけだ。彼にとって人間とは文字通り「地上の星」なのである。

 

 天文学の領域に限らず、人間の領域においてもその原理に見えない力を見出そうとするアダム・スミスの姿勢は『道徳感情論』という浩瀚な記念碑に結実することになるが、先走る前に考えねばならないことがある。社会科学のモデルとして自然科学に憧れることはできるだろうが、なぜ社会を、人間の諸相を、自然科学的に考察することが実際に可能であると思えたのか、ということである。

 ヒントはすでに出ていた。これまでに引用してきたアダム・スミスの表現。「生じる変化は大きさを減じている」、「段々と容易に」、「変化は、可能な限り最大」、「法が秩序と安全を確立し、生計の不安がなくなると、人類の好奇心が増大し、恐れは減少する。」「天文学史」の他の部分では、「対照的な諸感情の対抗がそれらの鮮烈さを高めるように、互いに直接連続しあう諸感情の類似は、それらをより不鮮明で生気のないものにする」といった表現がある。そもそもアダム・スミスには心理、感情分析をする際に数量的語彙をしようすることにためらいがなかったのである。感情の形態は波として、より踏み込んでいえば連続で微分可能な曲線のようなものとして捉えられているように思われる。平穏、安らぎへの回帰を志向するアダム・スミスの心的システムは、平衡状態の条件である秩序の外側から現れ、驚愕(文明化され環境の安全が増した状態ではほぼ驚異に置き換わる)によるショックをもたらす現象を、秩序の中に包摂し(自然法則の発見)、未知を減少させ予測可能な範囲を広げることによって、感情の波の係数の絶対値を最小化させようとするサイクルであるということができる。端的にいえば、アダム・スミスの心的システムは、予測によって驚きや未知を減少させる方向に作動する志向性をもつ。*23次の部分はその極端な帰結の一つである。

 

本や詩を繰り返し読んでしまうと、我々はそれを読んでもまったく楽しめなくなるが、同席者にそれを読み聞かせることには、まだ喜びを感じられる。同席者にとって、それは新しいという長所を丸ごともっている。我々は、読み聞かせることが彼のなかで自然に引き起こす驚きや賞賛をくみ取りはするが、しかし読むこと自体は、我々のなかでもはや興奮させる力をもっていない。*24(強調は引用者 )

 

 のちに「限界効用逓減の法則」の名で生まれるであろう概念の萌芽が、ここでは文学との関わりにおいて記述されている。根源的恐怖によって駆動する「人間物理学者」にとって、いったい文学とは何だったのだろうか。ともかくも、すでにしてアダム・スミスは心的なものの分析に数量的な語彙を使っていたのであり、天体の法則と人間の法則が全く相容れないものとは思っていなかっただろう。「心的なものの記述における数量的・数学的語彙の増減に関する計量文献学的研究」というような課題はわたしの力量を大きく超えるものであり、このような特徴がすでに特徴と言えるようなものではなく、同時代の社会全体に広く受け入れられていたのか、また、アダム・スミスにそのような記述の仕方へと向かわせたものが何であったかなどを明らかにすることはできない。資本主義社会の黎明期、魔力を増す貨幣の数的な力が思考にまで浸透した、といってみても証明することはできない。ただ、彼の時代までに現れた文学がことごとく何度も読み返すに値しないようなものであったのかと問われれば、私は否という。少なくともあの『ドン・キホーテ』は既にあったのだし、彼も『修辞学・文学講義』でこの作品に言及している。その彼が「本や詩を繰り返し読んでしまうと、我々はそれを読んでもまったく楽しめなくなる」というのだとしたら、この心的システムはいったい、どのように文学を読むことになるだろうか。「天文学史」にはその記述はない。

 

「哲学的研究を導き指導する諸原理  古代物理学の歴史のよって例証される」、通称「古代天文学史」の冒頭で描写されるイメージは、天文学から人間科学、社会科学へと下りてゆく手前で消失する「降下する視線」をわれわれに強く印象付ける。

 

 哲学は、天空についての体系を整序し秩序づけることから、自然のより下位の部分すなわち地球やそれを直接に取り囲んでいる諸物体の考察へと降下していった。ここで視界に現れた諸対象が、偉大さや美しさにおいて劣っており、それ故、精神の注目を引きつけることが少なかったとしても、一旦注目されるようになると、それらは種類の多様さや継起の法則・順序の複雑さや見かけの不規則性によって、精神を当惑させ困らせがちなことではまさっていた天空の諸対象の種類は、数が少ない。往時の哲学者たちが識別しえたのは、太陽と月と惑星と恒星で全てである。それらの諸天体にとにかく観察される変化も、全て明白にそれぞれの運動の速度と方向の相違から生じている。ところが、雲、虹、雷、稲妻、風、雨、あられ、雪という大気中の気象現象多様さは、それよりはるかに大きいし、それらの継起の順序は、より一層不規則であり非恒常的であるように思える。水中や地表近くで見られる化石、鉱物、植物、動物の種類は、さらに一層複雑にわかれている。また、もしわれわれが、それらの産出のさまざまなあり様や、それらが互いに変化させたり、破壊したり、助けたりする相互作用に注意するならば、それらの継起の順序は、ほとんんど無限の多様性を許容するように見える。したがって想像力が、天空の諸現象を考察した時にしばしば困らされ、その自然の行路から投げ出されたのなら、それは、地球が呈示する諸対象に注意を向けた時、それらの推移と継起的変革を跡づけようと努力した時には、はるかに多く同様の当惑にさらされることになったであろう。*25(強調は引用者)

 

 天空から視線が下降して行くに従って、対象の多様さと諸対象を取り結ぶ関係の複雑さは増していく。対象のより少ない領域よりもより多い領域のほうがその知的理解は困難となる。列挙される対象物の末尾を飾るのが「動物」であり、人間ではない。だがこの原則に真っ直ぐに従って、アダム・スミスは自著の執筆を進めていったように見える。人間は同時に二人以上の人間に対して共感することは出来ない。スミスの著述が『道徳感情論』から『国富論』、そして構想のままに終わった『法学ジュリスプルーデンスの理論』という順に進んでいったことは、その説明が包摂する人間の数量的増大(あなたとわたし→社会経済→普遍的正義)に対応していることを示している(正確に言えば最後のものは量的位相を超脱する)。無数の当惑と戦いながら、彼は自身の研究を進めていただろう。

 ただやはり、降下する視線に捉えられたどのような対象も、偉大さや美しさの点で天空に劣るとアダム・スミスが書くとき、こう思わざるを得ない。アダム・スミスはなぜ天文学者にならなかったのか、と。

 

 なぜアダム・スミス天文学者にならなかったか。科学者のモデルのような科学者であった、ありすぎたアダム・スミスは、世界が自分にもたらす恐怖を鎮めるために駆動し続ける。その際モデルとなったのはニュートン体系だった。「作り話」の領域を超えた説得力をもつ、まるでそれが自然の真の法則そのものにさえ思えるようなその体系は、恐怖を鎮めうる最高度の哲学的モデルとしてアダム・スミスに鮮烈な印象を残しただろう。しかし降下する視線のことを思い出せば分かるように、天体から動植物の領域まで視線が下りてきたにも関わらず、その視線は人類にまでは到達しない。そこで降下が停止したこと、そこから彼の人間への、社会への視線が始まったように思われる。人間社会が彼にもたらす不安と恐怖は、自然科学によっては決して解消されることはない。ここから彼の「社会科学」がはじまるのだが、それは「人間物理学」と呼んでもいいほどに自然科学、ことにニュートン体系を範として仰いでいただろう。その理想があまりに遠かったとしてもである。『道徳感情論』は今日では経済学より神経科学や進化生物学など自然科学の分野においてより重視されているように思われるが、それも故なきことではなかろう。

 

 文学や芸術がアダム・スミスを重視したことなどなかった。一つにはマルクス(とエンゲルス)に存在するようなポップさが、アダム・スミスには絶無であるということもあろう。『資本論』の長大さに屈したとしても悪口は面白いし、何よりマルクスらには『共産党宣言』という、おそらく人類史上最も成功したパンフレットがある。ポップであることの重要な条件の一つは短いことである。アダム・スミスは短く楽しい文章を残さなかったし、どう考えても『共産党宣言』のようなパンフレットを書く気質の持ち主ではない。しかしそれ以上に根源的なところで彼の世界観は芸術のそれと相容れないものではなかったか。グローバル資本主義世界が冷戦後新たな段階に入ろうという現在、ポップさがなければほとんど生き残ることすら叶わない芸術アーツの完全な衰弱期において、現在の世界の源流を辿ろうとすれば、アダム・スミスという男まで立ち戻ることもあるだろう。だが彼と、彼の世界観と「戦おう」としてみるとき、手応えがないのを感じる。マルクスマルクス本が読まれることは理解できる。それらはポップだからである。ここでは、必ずしもポップでありえないわれわれの拳が殴りつけようとする男もまたポップさを全く欠いているのであり、それは霧同士が戦うのに似ている。

 わたしはアダム・スミスの世界観・人間観と「戦い」たくはない。それはUFOの着陸跡地、古戦場で残像と「戦う」ようなことにしかなるまい。新しい言葉が必要であり、それを考える続けるための条件は通路を閉ざさないことである。文学や芸術の視線は、音楽的なものにおいてアダム・スミスへ到達する道を残しているだろう。『道徳感情論』のそこかしこに存在する音楽の比喩が、その標識である。

*1:アダム・スミス著、アダム・スミスの会監修、水田洋・松原慶子訳『アダム・スミス 修辞学・文学講義』pp212-213, 名古屋大学出版会, 2004

*2:アダム・スミス著、アダム・スミスの会監修、水田洋ほか訳『アダム・スミス哲学論文集』pp6-7,名古屋大学出版会, 1993

*3:同上, p10

*4:同上, pp8-9

*5:同上,pp10-11

*6:同上, p12

*7:同上, p28

*8:同上, pp31-32

*9:『修辞学・文学講義』において、アダム・スミスが小説に言及した箇所は極めて少ない。

 

「現代のたいていの歴史家とすべての騎士物語の書き手が、かれらの叙述を興味深くするためにとる、ひとつの方法は、事件を未解決のままにしておくことである。話が重大な事件にさしかかるとかれらはつねになにかほかのことに転じ、この手段によってわれわれにいくつもの退屈で意味のない話を読み続けさせる。われわれの好奇心はわれわれを、重大事件に辿りつけとせきたてる。〈『狂えるオルランド』におけるアリオスト〉のようにである。この方法を古代の人びとはけっして利用しなかった。(中略)

 小説においては新しさだけが、値打ちであり、好奇心だけがそれらをわれわれに読ませる動機なのだから、書き手たちはそれを保持するために、未解決にしておくという方法を使用する必要にせまられる。現実をとりあつかうのでない古代の詩人たちでさえ、この方法にたよらない。叙述の重要性がわれわれの関心を維持するだろうと、かれらは信じている。ウェルギリウスは『アエイネス』のはじめにおいて、ホメロスはかれの英雄詩の双方において、全体で語られる主要事件を、われわれにはじめにつげている。」(アダム・スミス著、アダム・スミスの会監修、水田洋・松原慶子訳『アダム・スミス 修辞学・文学講義』pp166-167, 名古屋大学出版会, 2004)


「最初の詩人たちとおなじく最初の歴史家たちは、驚嘆すべきものごとを主題として選んだ。なぜなら、それが粗野で無知な民衆をよろこばせる可能性がもっとも大きかったからである。驚異は、そういう民衆のなかに、もっともかきたてやすい情念である。かれらの無知は、かれらを信じやすくだまされやすくするのであり、この信じやすさのためにかれらは、もっと知識のある人々なら好まないであろう何でもない寓話を、よろこぶのである。したがって、知識が改良されて人びとが、かれらの祖先たちの娯楽であった寓話的物語をほとんど信用しないほどに、啓蒙されたときには、書き手たちは、何かほかの主題をとりあげなければならなくなったことを、知るのがつねであった。すなわち、驚異的であるということのほかには何もとりえのないものは、信じられもしないし、よろこばれることもありえないからである。それは今日われわれが、魔女や妖精の話が無知な大衆によって待ちかまえたように吸収され、かれらより知識のある人びとに軽蔑されるのを見るのとおなじである。驚嘆すべきものごとが、もはやよろこばせられなかったので、著者たちは、おおいによろこばせ興味をひくだろうと想像したものにたよった。それはすなわち、それら自体で感動的であったり、人の心の微妙な感じをあらわしているのでもっとも興味をひきそうな、諸行為、諸情念を表現することである。こうして悲劇が、最初の冒険譚の主題であった英雄や半人半馬神やさまざまな怪物たちについての寓話的な説話の、あとをついたのであり、また同じようにして、ヨーロッパにおけるわれわれの祖先の最初の作品であった乱暴で途方もない騎士物語のあとを、小説がついだのであって、小説は登場人物たちの、やさしい情動やもっともはげしい情念を、あきらかにするのである。」(同上、pp194-195)

 

 小説に対する、突き放すようなアダム・スミスの態度は、『道徳感情論』において、世評との関係によって著述家の性質に違いが現れる部分を記述した次の部分によってより鮮明になるかもしれない。

 

「22 数学者や自然哲学者は世論から独立しているため、自分自身の名声を維持し、競争相手を意気消沈させるために、党派や派閥を結成しようという誘惑をもつことがほとんどない。彼らは、ほとんどいつでも気取った態度をとらない、もっとも友好的な人間であり、互いによく協和して生活し、他者の名声の擁護者であり、世間の賞賛を確保するための陰謀に荷担せず、無視されたときに激しく苛立ったり、怒ったりせず、彼らの業績が認められれば喜ぶような人間である。

 23 詩人、あるいは、みごとな著述と呼ばれることを自慢する人々の場合、事情は必ずしも同じではない。彼らは一種の文学上の党派に分かれる傾向がきわめて強く、それぞれの派閥は、しばしば公然と、しかもほぼ必ず秘密裏に、あらゆる他の派閥の名声を不倶戴天の敵とし、自分が所属する派閥構成員の作品を世論が好むように偏見を抱かせるために、陰謀や誘惑など、あらゆる卑劣な手段を用いる。」(アダム・スミス著、高哲男訳『道徳感情論』pp236-237, 講談社, 2013)

 

 この記述が現代において、いや当時においてさえ妥当であったかは措くとしても、アダム・スミスがこのように科学者と文学者を理解していたということは押さえておかければならない。真理は真理自体として驚異的に、自然からもたらされた驚異による想像力の混乱、錯乱を鎮めるものであって、真理の外側の助けを求めるものではない。芸術家が貴族や教会によって庇護され、世評に煩わされる心配の少なかった時代から、彼ら旧世代の庇護者から自由になりうるものの、世評の影響力がいや増すようになる市民社会が形成されはじめていたアダム・スミスの時代にあって、絵画や演劇において「欺瞞」を否定する彼の目には、自然科学者に比べ、諸芸術、文学に携わる者たちがよりいかがわしいものとして映ったであろうことは想像に難くない(アダム・スミスの没年はフランス革命勃発の翌年である)。彼が芸術に対して、文学に対してどのような存在としてあるのか、彼に対してどのように応答できるのかを考えることは現代においても無益ではあるまい。

 

 後述するように、アダム・スミスにおける科学者は、対象の数が少ない、ゆえにもっとも把握しやすい領域から体系化をすすめるよう自然に促される。アダム・スミスが示す機械と言語と科学体系に共通する法則とは「最初は単純な構成から複雑な様相を呈し、それが進展していくにつれて複雑な構成から単純な様相を呈するようになる」というものであり、『天文学史』においてはコペルニクスニュートンの登場がそれを革新的に推し進めたことになっている。一方で諸芸術、とくに個人的な創造の領域にあっては、それらが発するメタメッセージは「私はここに存在する」「ここに一つの視点が存在する」というきわめて単純なものであるが(もちろん、芸術のメッセージはこのメタメッセージのレイヤーを乗り越えて「真理」へ到達しようとすることは言うまでもない)、これらは全体として、世界に認識できる対象の多様性を増加させるように働く。「最初の詩人たちとおなじく最初の歴史家たちは、驚嘆すべきものごとを主題として選んだ」というアダム・スミスの記述は意味深長である。そもそも自然哲学者の営みが、自然がもたらす想像力の混乱、錯乱を適切な説明によって鎮めることにあるとするアダム・スミスの基本認識は、世界における驚嘆および驚異の強度と多様の増加を目指したであろう、原初の「創作者」たちの姿勢と対極に位置するものである。もちろん大規模な視覚芸術、大編成の音楽、建築そして映画といった集合的創造のメタメッセージについては、「わたし」というものの位置づけが異なるがゆえに、小規模な視覚芸術や文学や器楽といった個人的創造のそれと単純に同一視するわけにはいかない。だとしても、アダム・スミスの姿勢は神話期段階の世界認識からすでにして芸術的・文学的なものの認識と対立しているのであり、この亀裂が時を経るにつれて深まっていったことは、「科学者」と「詩人」がいかに調和しうるか、その原点を探すという課題へとわれわれを否応なくいざなうことになるだろう。

*10:同上, p17

*11:同上, p45

*12:同上, pp62-63

*13:同上, p22

*14:同上, pp25-26

*15:同上, p8

*16:同上, p103

*17:ニュートンが思春期にラテン語を学習した際の学習帳が残されているが、そこで選ばれた例文は「僕が座る場所はない」「誰も僕を理解してくれない」「何をしたらよいか分からない」といった、読んでいて心配になるような悲惨なものであることは注目に値する。自然科学者、数量化を志向する自然科学者全体に敷衍することはできないだろうが、ニュートンアダム・スミスはどちらも癒やされることが必要な者として、すなわちある意味で病んだ、傷を負った者としてあったということは重要である(繰り返しになるが幼少期にアダム・スミスは誘拐されているし、彼の驚愕に対する怖れはここまで十分に書いたつもりである)。自己治癒者として科学者を定義するならば、彼らは科学者として巨大な資質に恵まれたというべきであろう。さきに「科学者」と「詩人」がいかに調和しうるか、その原点を探すという課題について述べたが、この課題の探求において重要となる問いの一つは、人間にとって恐怖とは何か、われわれは恐怖にどう向き合っていけばよいのか、ということになろう。ニュートンのエピソードについてはモリス・バーマン著、柴田元幸訳『デカルトからベイトソンへ   世界の再魔術化』を参照。

*18:アダム・スミス著、アダム・スミスの会監修、水田洋・松原慶子訳『アダム・スミス 修辞学・文学講義』pp70-71, 名古屋大学出版会, 2004

*19:同上, p136

*20:アダム・スミス著、高哲男訳『道徳感情論』pp180-181, 講談社, 2013

*21:アダム・スミス著、アダム・スミスの会監修、水田洋・松原慶子訳『アダム・スミス 修辞学・文学講義』p96, 名古屋大学出版会, 2004

*22:無論自然の斉一性と「社会の斉一性」は厳密には対応しない。自然科学における自然はたまたま(今のところ)この宇宙にただひとつしか存在しないが、社会は複数存在する上に、共通部分を持ったり階層性をもったりする。この困難をアダム・スミスが理解していないはずはなく、だからこそ『道徳感情論』にせよ『国富論』にせよ、死の直前まで改訂がなされつづけたわけである。

*23:カール・フリストンの自由エネルギー原理は、予測誤差の最小化というコアによって知覚と運動を同時に説明できる強力さから近年認知科学の分野で注目を増しているが、これは神経レベルの計算論的理論であり、人間の意志や思考が影響を(少なくとも直接的因果的には)与えられる領域ではない(認知的侵襲可能性は肯定的に検討されうるものだが、「Aを見る」と意識すれば「Aを知覚できる」といった無制限なものではありえないだろう)。だが、「自然科学者の心理学」の趣をもつ「天文学史」に現れる人間のありようは、意識的・心理的なレベルにおいても自由エネルギー原理と相似するシステムが存在するのではないかと思わせる。根源的恐怖に該当するものが神経細胞レベルにおいても見出されるものかどうかは筆者の力量の及ぶところではないが。自由エネルギー原理については、乾敏郎・阪口豊著『脳の大統一理論 自由エネルギー原理とはなにか』(岩波書店,2020)およびヤコブ・ホーヴィ著、佐藤亮司監訳、太田陽・次田瞬・林禅之・三品由紀子訳『予測する心』(勁草書房,2021)を参照。

*24:アダム・スミス著、高哲男『道徳感情論』p39, 講談社, 2013

*25:アダム・スミス著、アダム・スミスの会監修、水田洋ほか訳『アダム・スミス哲学論文集』pp112-113,名古屋大学出版会, 1993

宇宙人アダム・スミス ①地球人への参与観察

 それでは科学者はどこに、詩人はどこにいるのでしょうか。詩人は測り得ないものの座から旅立ち、測り得るものへと旅する人であって、しかしいつも測り得ないものの力を保持している人です。かれはかれの手段である言葉を書くことすら潔しとしません。芸術、それは最初の言葉です。詩人は測り得るものへと向かうが、しかし測り得ないものを保持しながら、終局において言葉を書かねばなりません。なぜなら、かれは何も言わないことを望んでいるが、言葉が彼の詩を駆り立てるからです。かれはついには言葉に屈服しなければなりません。しかし詩人は言葉を用いる以前からずっと長い道のりを旅しています。ほんのわずかの言葉しか詩人は求めません。それで充分だったからです。科学者も測り得ない特性をもっていて、かれの人間としての価値はつまるところそこにあるのですが、かれは科学者の立場を守り、測り得ないものとともに旅することはありません。なぜならかれは知ることに関心があるからです。かれは自然の法則に関心があります。かれは自然がかれのもとにやって来るにまかせます。ご存知のように科学者が実に多くの学位をもつのはこのためです。自然はかれのもとにやってきます。そのときかれは自然を捉えざるをえません。なぜならそれ以上に自分を引き留める困難さに耐えることができないからです。このようにして科学者は知識を充分に受け取ります。

 

     ルイス・カーンルイス・カーン建築論集』*1

 

ここから遠く離れてここにいること

 

 宇宙人的であるとはどういうことか。第一に、それは飛来する。つまりかれは被造物ではない。かれはわれわれ地球人の知り、知っていることを忘れるほど自然にそのうちを生きている創造の秘密の物語、その外部からやってくる。第二に、それは人類の待ち望んだ(そしておそらく畏れた)人類の他者である。この感覚は「ガミラス星人」や「バルタン星人」といった、「地球人」と並列する名を与えること、すなわち人間化によって縮小してしまう感覚であり、「宇宙人」という言葉の響きには、包含関係として「地球人」を包摂しつつ、その補集合の部分、「星人」という集合族のレイヤーを超えている部分へ感応する響きがある。この感覚を、谷川俊太郎の詩を見ながら考えてみよう。

 

 人類は小さな球の上で

 眠り起きそして働き

 ときどき火星に仲間を欲しがったりする

 

 火星人は小さな球の上で

 何をしてるか 僕は知らない

 (或いはネリリし キルルし ハララしているか)

 しかしときどき地球に仲間を欲しがったりする

 それはまったくたしかなことだ

 

    谷川俊太郎「二十億光年の孤独」*2

 

 この詩は地球人が火星へ意識を向けているベクトルにおいて書かれているというより、宇宙人が(火星人ではないかもしれないが、私は火星人である気がする)地球に降りてきて、地球人との交わりのなかで地球人の感覚をなんとなく掴み、そこで詩を地球人を主体に仮託してうたっている、といったほうが近いと感じる。それは詩中に「火星人は小さな球の上で/何をしてるか 僕は知らない」と出てきてもそうである。詩の冒頭も冒頭が「人類は」とはじまるところに、人類から離れた眼差しをまず感じ取りたい(「人類」とは違う主語「僕」があらわれるのもその感覚を強める)。第一連はまるで人類の生態を圧縮して記述しているように読める。「地球人」の視点から上の「僕は知らない」が出てくるのだが、「それはまったくたしかなことだ」とうたわれるのは、「火星人」が「ときどき地球に仲間を欲しがったりする」ことなのだ。この「それはまったくたしかなことだ」が、私に、この詩は地球人がその知性の限界において、想像力によって火星人の「心情」を人間化した詩というよりも、地球人になりかわった火星人の書いた、韜晦を含んだ詩として読むことの方へといざなう。思えばこの詩集に三好達治が寄せ、巻頭に収録された詩のタイトルは「はるかな国から   序にかへて」であった。この「国」は、はたして地球上に存在したことのある国なのだろうか。ともかくこのようにして私はこの詩の「書き手」が、営みの中で地球人と混ざり合うこととなった宇宙人(それも火星人)のように思えるわけだが、ここで「宇宙人」とはどこにあるのかといえば、それはこの詩を読み終えた地点ではなく、この詩へと向かうその姿勢のうちにぼんやりと浮かんであるのである。観察と交流のうちに一定の理解へ安定した状態において、「宇宙人」は「火星人」と位相を同じくする「地球人」へ着地する。この手前側、「書き手」にこの詩を書かせることとなった最初の驚きこそが、そしてそこでしか鳴ることのない音楽の響きこそが「宇宙人」なのである。

 ここまでこの詩に深入りしたのは寄り道ではなく、それは今から追うこととなる一人の経済学者、人間を支配する力としての経済だけではなく、自然法則をも含む大きな理の一つとしての経済へ目を向け続けた数少ない経済学者の一人がいかなる人間であったかということについて、大きな示唆を与えてくれると踏んでのことである。

 

 アダム・スミス。その名前には「田中太郎」じみた匿名性の響きがある。彼の有名なエピソードとして、幼少期にスリの一味に誘拐され、スリの技を仕込んで仕事をさせようとしたが、あまりにも覚えが悪かったために解放され無事親元に帰ってきたというものがあるが、彼の「奇行」エピソードはそれだけにとどまらない。ここでは山崎怜がある書評の冒頭にこれでもかというほど書き連ねたアダム・スミスの様子を見てみよう。

 

 スミスの放心癖は有名で,幼少時代から独りごとのくせがあり,長じてはオクスフォード入学のさい,入寮さいしょの夕食テーブルのまえで巨大な牛肉片をみて放心状態におちいり,主著『国富論』の執筆中には散歩と称してガウンをきて15マイルも歩いたり,エディンバラ関税委員時代には関税守衛の捧げつつに,自分もついステッキで捧げ銃をし,書類の署名には,すぐまえの人の署名をそっくり写して部下をはらはらさせるといったぐあいだから,晩年の放心状態での散歩はもはやエディンバラ・ハイストリートの名物であった。早朝に化粧着をきこんでの延々たる長距離散歩とぶつぶつ何やらつぶやく独りごとは,スミスその人を知らぬ魚場の女にとっては,狂人が付添なしであてもなくさまよっているとしかみえなかったといわれ,またみずからもその会員だった美食クラブでのさる日,議論に夢中になって放心し,パンにバターをつけて手でくるめ,それをティー・ポットにいれて湯をそそぎ,ひと口のんで,さすがのかれも「うまれていままで、こんなにまずいお茶はのんだことがない」と叫び,またあるパーティーの夜には,かの作家サー・ウォルター・スコットによれば,1婦人が,着席をすすめるのに甘党のスミスは一向にそ知らぬ顔でテーブルの周囲をぐるぐる歩きまわり,ときに立ち止まっては卓上の砂糖壺の角砂糖をつまんで口にいれるので「ついにたまりかねたその尊敬すべき老嬢をして,かれの不経済な掠奪からそれを確保する唯一の方法として,その砂糖壺を自分の膝の上におくのやむなきにいたらしめて,かのじょをひどくこまらせたことはわれわれの到底忘れがたいところである。あいもかわらぬ砂糖を口の中でモグモグさせているかれの様子ときたら蓋し形容を絶したもの」だったそうだから,わたしはかねがねスミスが生涯独身でとおしたこともかかる放心ぶりへの女性たちの善良な警戒心をふくむのではないかとひそかにおもうのだが,それはさておき,かれの徹底した放心癖はわれわれにさまざまのおもいをよびおこすだろう。*3


 この書評は以降、放心をめぐる興味深い考察へと向かっていくのだが、ここでは上記のエピソードのうち、「捧げつつ」と「署名」のエピソードが他のエピソードと違った質を持っていることに注目したい。他のエピソードは世界の中でアダム・スミスがただ一人「ゾーン」に入っていく様子を鮮烈に伝えているが、この二つのエピソードにはアダム・スミスと世界の間に通路が存在している。それは「模倣する」から、能動性をあまさず剥ぎ取ってしまったような、受動態にしうる主体すら消滅してしまったような、動詞でない動詞となった状態である。特に署名のエピソードは、アダム・スミスアダム・スミスのままアダム・スミスとして消滅する瞬間を切り取っていて印象深い。このようなところから、アダム・スミスの思考が生まれていた、と考えてみる。その輪郭を「宇宙人的」という形で大雑把に描くところから、彼がわれわれに残していったものを探してみたい。しかしまだ、アダム・スミスの思考を「宇宙人的」と形容してみるには足りないように思われる。先へ進む前にこの部分にもう少しだけ注釈を加えたい。それは「宇宙人」と「地球人」のあいだに生まれる擦れは、おそらく美をめぐるものにおいて際立つということからはじまる。*4

 

鏡像と器楽

 西洋哲学という言語様式が何をなしてきたのかを極めて荒っぽくまとめるとするなら、それは直感の解体であった。真・善・美を解体の中心的カテゴリーとして、この言語は直感を正当化の源泉から引きずり下ろす。それはすなわち「Xとは何か」という問いかけが不可避である領域に対象が属することを、メッセージの形をとるにしろメタメッセージの形をとるにしろ、公に納得させるということである。おそらく真と善にかんしては、ほとんど哲学は直感の解体という目標を達成した。しかし美だけが今なお、直感の覇権を崩しえていない。美学という学問が同様の解体を行うことを目指しうるとしたら、それは「美とは何か」という問いが美において不可避であることを納得させる必要があるだろう。だがこれは困難である。美は、知覚装置たる肉体を必然的に要請する。美という概念に到達するうえで知覚が絶対に必要だからである。真や善が美ほどの必然性をもって肉体を前提するようには思われない。感性の劇的な変化は説得の因果的帰結ではなく恩寵としてのみもたらされる。美に関して「難しく考えなくていい、感じたままでいい」式の言説がまかり通り続けていることにはそれなりの根拠があるのだ。「まったく感じることができない美」ということはありえないし、「あなたが感じている美しさをあなたは美しさと感じていない」というような説得は不可能なのである。*5

 にも関わらず我々は美について、美的なものについて語り合ったりする。必ずしも説得しようということではなしに、ある対象が美しいかどうかについて語り、その趣味判断に同意したりしなかったりする。そのような同意/不同意が「いいよね」「ヤバい」「マジで?」「ダサくない?」といった長さのフレーズに切り詰められた言葉でさえ可能になるのは一体どういうことなのか。肉体は個々であるとはいえその個体差は一定の範囲に収まっているという生物的な信頼があるのか、はたまた単に二人が同じような文化圏に所属しているからなのか、決定的なことは言うことができないが、ここには美的知覚の類似に重きをおいて、おのおのがもつ美学の論理的整合性、構築度などにはあまり注意を払わずにおかれている様子が見られる。真や善を巡ってはそうはいかないだろう。対立が生まれたときには、互いにある程度のロジックなりエビデンスを説明することになるだろう。われわれは、おのおのの美学の根底にかかずらないで対象についての美的判断について云々できるとき、美的判断についての一般的・常識的な社会のなかにいる安心感を得ているといえる。それはまさしく地球人的安心感であり、それゆえそこから逸脱しているような存在と対峙する時、われわれは「ファースト・コンタクト」的な新鮮さと緊張を感じることになる。

 

 アダム・スミスの美的感覚については、「かれは音楽にたいする耳をもたなかったし、文章における崇高あるいは美にたいして、詩であれ他のどの種類の言葉であれ、理解力をもたなかったのです」「かれは良俗的な美と卓越については、もっともただしい理解力をもっていたにもかかわらず、多くの趣味をもつには幾何学者でありすぎました」*6と同時代人の回想に書かれており、また(おそらく)別の人物には、アダム・スミスとの会話の中で、アダム・スミスが「私自身はといえば、生涯に一連の韻さえけっしてつくれなかった」*7と述べていたことが思い起こされている。『アダム・スミス 修辞学・文学講義』は学生が残した講義録であることを差し引くとしても、明晰と快適さを称揚するその講義録の文章は明晰でもなければ快適でもないように見え、もっといえば読んでいてつまらないと思わざるをえないところがあるのだが、このつまらなさにはごつごつとした手触りがある。*8アダム・スミスの芸術に関する記述を読んでいて感じる隔絶は、彼の美的センスの欠如から生まれてくるというより(その程度であれば単なる趣味の違いでしかあるまい)、彼の文章から感じられる美的感覚と理性の結合の仕方にあるのだ。アダム・スミスにおいては、美的感覚が美学によって完全に制御されている、いや、そこを目指しているというほうが正確かもしれない。アダム・スミスにおいて、美と美学をめぐるこの揺れの部分があらわになっているように思われる論文がある。「いわゆる模倣芸術においておこなわれる模倣の本性について」、通称「模倣芸術について」である。

 

 死後彼が焼却せず残したただ一つの遺稿集が『哲学論文集』であり、そこに「模倣芸術について」は収録されている。つまり学生の残した講義録とは違い、アダム・スミス自身がこれを書き、また世に残す意志があったということだ。その第一部を読み始めたときわれわれはしばしば、彼の中で美と価値が交換可能なものとして認識されているのではないかと思わされる文章に出会う。冒頭を見よう。

 

 どんな種類の対象であれ、その最も完全な模倣とは、あらゆる場合に、同じモデルに即してできるだけ正確につくられた、同種のもうひとつの対象であるにちがいない、ということは明らかである。例えばいま、私の目の前にあるじゅうたんの、完全な模倣とは何であろうか。それはもちろん、同じ模様にできるだけ正確にしたがって作られた、もうひとつのじゅうたんである。しかし、この第二のじゅうたんの値打ちあるいは美しさが何であれ、それが最初のものを模倣して作られたという事情から生じるとは考えられないであろう。それがもとのものでなくて模写であるという事情は、それの値打ちをいくらか減少させるとみなされさえするであろう。その減少の度合は、もとの対象がその性質上とうぜんに求める称賛の度合の、大小に比例している。そのことは、ありふれたじゅうたんの値打ちをそれほど減じはしない。なぜならば、そのような取るに足りない対象は、種類をとわずせいぜいほんのわずかな美しさや値打ちしか主張しえないのであり、われわれは、もとのものであることにこだわる意味があるとは必ずしも考えない。他方、ひじょうにすぐれた技量によるじゅうたんの模倣ならば、その値打ちは大いに減じるであろう。もっと重要な対象においては、この正確な、あるいは盲従的ともいえるような模倣は、最も許しがたい汚点であると考えられるであろう。もうひとつのサンピエトロ大聖堂、あるいはセントポール教会を、ローマとロンドンとにある現在の建物とまったく同一の寸法、面積、装飾で建てることは、もとのもののもつきわめて価値の高い壮麗さを辱めるような、才知ジニアスと独創力のあわれな欠如と考えられるであろう。*9(強調は引用者)

 

このように始まる論文は、どちらかといえば美学ではなく社会心理学の領域という気がしてくる。『道徳感情論』第四部第一章「効用という心象アピアランスがあらゆる技芸の生産物に与える美しさについて、および、この種の美がもつ広範な影響について」の冒頭に、「美の主要な源泉の一つが効用であることは、美の性質を形づくるものを、ある程度詳しく考察したすべての人物によって観察されてきた」*10とあることはより一層その認識を強める。「模倣芸術について」第一部の後半にはヴェブレンの『有閑階級の理論』を思い出させるような記述がある。

 

 慎慮と賢明の人々にでなく、富裕と権勢の人々、高慢と虚栄の人々に語りかける芸術では、巨費がかかっていて、少数の人しか購入できず、大財産の最も確実な特徴のひとつであるという外見が、しばしば至上の美しさにとってかわり、それと同様にそれらの芸術の作品が愛好される理由になるとしても、驚いてはならない。費用がかかっているという観念がしばしば美しさを強めるように思われるのと同様に、安価という観念は、非常に快い対象についてさえ、その輝きをたびたび曇らせるように思われる。*11

 

大理石のピラミッドやオベリスクでは、材料は高価であるし、それをあのような形にしあげた労働はさらに高価であったにちがいない、ということをわれわれは知っている。いちいのピラミッドやオベリスクでは、材料費がきわめてわずかでしかありえず、労働はさらに安いということを、われわれは知っている。前者はその費用によって高貴なものとされ、後者はその安価によって卑しめられる。ろうそく職人のキャベツ菜園で、ヴェルサイユ宮殿では大理石や硬岩石でつくられているような、多くの円柱と花瓶およびその他の装飾がいちいでつくられているのを、われわれはおそらく時として見たことがあるかもしれない。それらを卑しいものとしているのは、まさにこの大衆性である。*12

 

ではこの論文の論旨とは美と価値をめぐる社会的な力学、それも大衆性を模倣芸術において追跡していく、ということになるかといえばそうではない。

 

「模倣芸術について」から各ページに登場する「美しさ」と「値打ち」が出てくる回数をカウントした(原著の編者たちによって加えられた「音楽、舞踊および詩のあいだの親近性について」を含む)。アダム・スミス著、水田洋ほか訳『アダム・スミス 哲学論文集』p150-210, 名古屋大学出版会, 1993を典拠とする。

 

 抽出した単語は「美しさ」と「値打ち」の二つに絞っているため(「美しい」や「美」、「価値」などはカウントの対象から外している)、あまり多くのことが言えるわけではないが、この両者が持続的に現れるのは前半部分に過ぎない。しかしまったく語られなくなるわけでもなく、何箇所か単独で現れたり、双方ともに現れる箇所も残されている。脇道が多いというか、本道もわからない、そういった感触が強まる。が、このような迷宮じみたアダム・スミスの論文をもう一度読み返してみると、第一部の大衆性を基軸とした記述とは別に、煮えきらない口調ではあるが、彼が「器楽」に特異な地位を与えようとしていることが見て取れるのである。

 

 アダム・スミスは「似ていること」と美の関係について人体の対称性から始めているのだが、その列挙ぶりと粘るような文の運びは、そこから取り出したくなる面白さの原石をいくつも抱え込んでいる。しかしアダム・スミスについて書くとなると、アダム・スミスのように書くしかなくなるのだろうか。

 

 同一対象の対応各部分の正確な相似は、しばしば美と考えられ、それが欠如することは醜さとみなされる。例えば、人間の身体の両手両足、同一建物の両翼、同じ小径の両側の樹々、同一じゅうたんの対応各部分、同一花壇の対応各区画、同一室内の対応部分にある椅子やテーブルなどがそうである、しかし、同種の対象でも、別の観点から、まったく分離独立したものとみなされるならば、こうした正確な相似が美しいとみられることはめったにないし、その欠如が醜いとみられることもない。一人の人間、また同様に一頭の馬は、それぞれ、それ自身に内在する美醜のゆえに、きれいであったり、みぐるしかったりするのであり、その人が他の人間に、その馬が他の馬に似ているかいないかには関係がない。たしかに、馬車馬の一団は、その馬たちがすべてぴったりつり合っているときのほうが、きれいだと考えられる。しかし、この場合に、それぞれの馬は、分離独立した対象としてではなく、あるいは一頭だけでひとつの全体としてではなく、別の全体の一部とみなされるのであり、その全体の他の諸部分に対して一定の対応をもたなければならないのである、その一団から切り離されると、その馬は、その一団を構成する他の馬たちとの相似から美を引き出すこともないし、似ていないことから醜さを引き出すこともない。*13

 

 こんなにも長々と書くことがあるのだろうかと思うが、長々と書いてくれたおかげでわれわれはアダム・スミスの精神の動きを追跡することができる。じゅうたんの位置に目をつぶれば、前半の対称性の列挙は、書斎で執筆しながら彼が散歩にでも出かけて帰ってきたかのようだし、「一人の人間、また同様に一頭の馬は」の「また同様に」を目にすれば、まったく等価な観察の対象として人間と馬を並列させるアダム・スミスの位置について思いを巡らさずにはいられなくなってくる。だが脇道にそれることはこらえよう。これだけ書いておいて、彼は美の定義をしていない。実際、この論文においてそのような定義がなされることはないのだ。だが意外にも、模倣芸術の力の源泉については簡潔に記述している。それは「模倣するものと模倣される対象の不一致」である。

 

模倣したものと模倣される対象のあいだの不一致は、模倣の美しさの基礎である。前者が自然には後者には似ていないというまさにこの理由で、芸術によって似るようにされると、われわれはあのように快楽を感じるのである。*14

 

 彼はこの原理によって絵画、彫刻、建築装飾、庭園、つづれ織りや刺繍といったものを模倣芸術として切りさばいていくだけでなく、オリジナルと模写の関係や、彫刻の彩色とライト夫人のろう人形、造花に共通するものなども説明してしまう。例によってそこにも時折「美しさ」と「値打ち」の混淆が発生しているのだが詳しくは追わない。先に上げた対称性の列挙の部分がすべて視覚に依存するものであることは明らかであるが、アダム・スミスは第二部で音楽と舞踊にとりかかる。その冒頭を見よう。

 

 身体的欲求の充足から生じる快楽についでは、音楽と舞踊ほど人間にとって自然なものはないように思われる。技術アートと改良の進展の中で、それらは人間自身が案出した、おそらく最初の、何よりも早い快楽である。というのは、身体的欲求の充足から生じる快楽は、人間自身が案出したものとは言えないからである。それらをまったくもたないほど文明化していない国民は、まだ見つかっていない。それらの利用と実施がもっとも頻繁で、最も一般的なのは、アフリカの黒人たちとアメリカの野蛮諸民族のあいだでのように、最も野卑な諸国民のなかにおいてであるようにさえ思われる。文明化した諸国民では、民衆の下層階級はほとんど余暇をもたず、上層階級はほかに多くの娯楽をもっており、したがっていずれの階級も、音楽と舞踊に多くの時間をついやすことができない。野蛮諸国民では、民衆の大部分にはしばしば長い余暇の期間があり、ほかにほとんど何の娯楽ももたない。したがって、彼らは当然、自分たちの時間の大部分を彼らのもつほとんど唯一の娯楽についやすのである。*15

 

 文明化の過程を逆向きにたどることによって芸術の起源と発展を類推するという方法にも伺えるように、一見して、同時代人の典型的な感性を抜け出ているものはないように思われるのだが、ここには本稿の最後に戻ってくることにしよう。彼はまず声楽からはじめる。「人間の声はあらゆる楽器のなかで常に最上のものである」*16からだが、その描写は模倣の原理にそってなされる。最初は日常的に用いている言葉を歌っぽく歌い出すとこからはじまり、それは最初は言葉の意味など無視されていたのが、徐々に意味がとおるように整えられていく。アダム・スミスはここに「韻文や詩」の起源を見出し、話題は韻文の誕生と進歩、無言劇の舞踊とそこへの詩と音楽の合流へ流れていく。『アダム・スミス 修辞学・文学講義』の第3講は聴講者によって「スミス氏 言語の起源と進歩」と銘打たれているが、そこで展開される、生活の必要から言語が生成されていくような言語観といい、アダム・スミスの言語および言語芸術にまつわる思考には、人間の生活を機械的にたどるようなそっけないところがあり、とくに日本の現代詩が、言語におけるコミュニケーションの側面と意味の社会性に対してどれだけ敵意に近いものを積み重ねてきたかを思えば、ここでのアダム・スミスの記述は(ここに限らずかもしれないが)「芸術的人間」からは煙たがられそうなものにみちみちている。

 しかし、器楽が現れる。「詩からも舞踊からも離れて、単独で最もよく存在できるのは器楽である」*17と宣言されて以降、それまでおびただしい紆余曲折を経ながらも模倣芸術について語ってきた論文はきしみ始める。意味のある歌詞がありさえすれば模倣によってそれを分析することができる。歌詞は日常的な言葉の模倣から生まれており、意味のある歌詞は歌い手だったり、あるいはオペラにおける役柄の感情や情念を模倣し、聴き手に伝えることができる。音楽が最もよく模倣しうる感情や情念は、人々を社会に結合し、結びつけるものであり、それらは音楽的な情念である。逆に、人と人とを離反させる諸情念、非社交的で、憎むべき、下品で、邪悪な諸情念は音楽によって容易に模倣することができない。プラトンが徳性を美しさのうちで最も輝かしいものと言ったが、音楽的模倣の適切な対象についても同じことが言えるかもしれない。オペラにおいてはそこにさらに演技による模倣の力が加わる。などなど、などなど。しかし器楽を模倣芸術の枠で語ろうとするために、声楽から流れるように音楽全般について語った部分と、言葉を、詩をもたない器楽の語りを噛み合わせることは容易ではなくなる。先述のところで「器楽」の語が初登場してから邦訳で八ページもかけて、ようやく器楽について再度語られるはじめの言葉は「器楽の模倣の力は、声楽のそれよりもずっと劣っている」である。

 

 器楽の模倣の力は、声楽のそれよりもずっと劣っている。器楽の、旋律豊かだが意味のない、発音のはっきりしない響きは、人間の声の明瞭な発音のように、ある特定の物語の事情を明確に物語ったり、こうした事情が生み出したさまざまな境遇を叙述したりすることはできない。また、当事者がこうした境遇から感じるさまざまな感情や情念を明瞭に、しかもすべての聴き手に理解されるように表現することさえできない。器楽がたしかに最もよく模倣できる対象、つまり他のさまざまな音の模倣でさえも、一般にはひじょうにあいまいであり、それだけで、何らかの説明なしでは、模倣された対象が何であるのかを、われわれにすぐに示唆することはできないであろう。*18

 

 「スプーンでも音楽で描写してみせる」といったとかいわないとかされている作曲家が生まれるのは遠い先のことである。が、おそらくかの作曲家の音楽を聴いてもアダム・スミスが意見を変えることはないだろう。コレッリの楽曲のある部分がゆりかごの揺れを、ヘンデルの楽曲のある部分がナイチンゲールの鳴き声を模倣している、と説明されなければ、聴き手には何を模倣したのか、そもそも何かを模倣しようとしたのかさえ伝わらない。また、その模倣が成功していると判断されたとしても、それはその楽曲の美しさの主要な部分ではないということをアダム・スミスは認識している。それでもなんとかアダム・スミスは器楽を模倣を軸として語ろうとする。しかし彼が音楽の魔術性、さまざまな気分や心境に性格に対応することによって音楽と精神に調和や合一をもたらす効果について語る時、ついに「器楽がこの効果を生み出すのは、厳密には模倣によってではない」と書かざるをえなくなる。『道徳感情論』を思い起こさせる次の部分は印象的である。

 

器楽は、声楽、絵画、あるいは舞踊が模倣するように、陽気、平静、あるいはゆううつな人間を、模倣することはない。器楽は、これらの他の芸術のどれでもがわれわれに語りうるように、楽しい、真面目な、あるいはゆううつな物語を語るのではない。器楽がわれわれをこれらの心境のひとつひとつに引き入れるのは、声楽において、絵画において、あるいは舞踊においてのように、だれか他人の陽気、平静、ゆううつ、苦悩への同感によってするのではない、それはそれ自身が、陽気、平静、ゆううつな、対象になるのである。精神は自然に、その注意を引きつける対象にそのときに対応する気分または心境を受け取る。われわれが器楽から感じるものは何でも、本源的な気持であって、同感的な気持ではない。それはわれわれ自身の陽気、平静、またはゆううつであり、他人の心境を反映した心境ではない。*19(強調は引用者)

 

 まるでプラス、ゼロ、マイナスと対応させることを意識して「陽気、平静、ゆううつ」の名詞が充てられたように見えることへ注意が向くが今はよそう。例によって寄り道を繰り返しつつもこのあたりからアダム・スミスの記述する器楽は急速に他の芸術との差異を深め始める。そうしてついに器楽は「模倣か何かによって他の対象を何も暗示することなしに、それだけで精神の全能力を完全に占め、いわば満たしうるのであって、他の何かについて考える余地をその注意力にまったく残さないほど」のものとなり、器楽を聴くことによって「精神は実際ひじょうに大きな感覚的快楽を享受するだけでなく、ひじょうに高度の知的な快楽を享受するのであり、それらはちょうど何か他の学問の偉大な体系について思いめぐらすことから生じる快楽に似ていないわけではない」とまで言われるようになる。器楽は他の何物も随伴することを拒絶する。言葉も身振りも形もない器楽には、何かの物語や事件を語ることをしないどころか、何か特定のものを暗示することもしない。「したがって、その意味は、それ自身において完結し、それを説明する解説者を要求しない」ということになる。ここまで器楽を高みにおいた第二部は次のように結ばれる。

 

 したがって、器楽は疑いもなく、いくつかの点で模倣芸術とみなされうるけれども、たしかに、そう呼ばれるに値する他のどんな芸術よりも模倣的ではないのである。器楽は、わずかな対象しか模倣できず、それもひじょうに不完全にしか模倣できないので、ある他の芸術を伴わなければ、その模倣はめったに理解できない。模倣は、器楽にとって、けっして本質的ではなく、器楽が生み出すことができる主要な効果は、模倣の力とはまったく異なる諸力から生じるのである。*20

 

 ここまで器楽を模倣から引き離しておいて、アダム・スミスはどうして最後までこのような書き方をするのか。このタイトルを隠れ蓑にして、美の源泉をミメーシス=模倣におく芸術の理解に対する隠微な反論を仕込んだということだろうか。それだけではない。このように器楽について書くときのアダム・スミスの感性は彼自身に対して真っ直ぐに現れていると感じるが、彼は同僚から芸術的な趣味に関してほとんどセンスがないと言われていた。ここでの書きぶりはそのように言われる人のものではないように思える。器楽から「本源的な気持」を受け取れる人間が、芸術への感受性を欠いているなどということがあるのだろうか。

 

ある入念なオランダ芸術家の作品である布の絵は、毛織物のけばや柔らかさまで表現するほど綿密に明暗をつけられ彩色されていて、それは今私の前にあるみすぼらしいじゅうたんへの相似からさえ、ある種の値打ちを引き出しうるといえよう。この場合、模写は原品よりもずっと大きな値打ちをもつかもしれないし、おそらくそうであろう。もしこのじゅうたんが、床やテーブルに広げられ、背景と対比して遠近法と明暗との正確な観察を伴って描かれるならば、模倣の値打ちはいっそう大きくなるであろう。*21

 

 これが美術を批評するときの言葉なのだろうか。彼が本当のところどんな趣味を持っていたのか、どのような美学を持っていたのか、それを彼の書いたものから読み取ることができるのだろうか。誰かに正直なところを打ち明けたりしていたのだろうか。ここには「値打ち」だけがあり、「美しさ」という言葉はない。

 

 注意しなければならないのは、彫像や絵画における巨匠の作品が、その効果を欺瞞によってもたらすことはけっしてないということである。その作品が、それが表現する実際の対象と間違えられるようなことはけっしてないし、そうなるように意図されることもけっしてない。彩色された彫像は、時として不注意な目をごまかすが、まともな彫像はけっしてそうはしない。絵画における遠近画法の小品は、欺瞞によって快楽を与えることを意図したものであるが、それらは常に、取るに足りないものであるとともにひじょうに単純な対象、例えば、一巻きの紙、通路や回廊の暗い隅にある階段などを表現する。それらはまた、ひじょうに低級な芸術家の作品であるのが普通である。一度見たあとは、そしてそれらが引き起こすことを意図したちょっとした驚きを、通常それに伴う陽気な気分とともに生じさせたあとは、そうした作品はけっしてそれ以上は快楽を与えないし、その後はずっと気の抜けた退屈なものに見える。*22

 

 この論文の中で名前がとりあげられる画家はレンブラントだけである。作曲家の名がペルゴレージヘンデルコレッリと三人あげられ、別の作曲家の手になる作品名がさらに三つあげられる。絵画作品の名前はひとつもあげられない。「絵画における遠近画法の小品は、欺瞞によって快楽を与えることを意図したものであるが」といわれるそれらの作品が誰の何という作品を指していっているのか、自分が巨匠だと思っている彫刻家や画家は誰なのか、彼は明らかにしようとしない。思うに、彼は紳士たることに強い関心があったのである。「それらはまた、ひじょうに低級な芸術家の作品であるのが普通である」の一文が必要だとはまったく思われないのだが、彼はわざわざ書く。紳士たるためには、己の感受性のうち自分自身紳士的でないと感じている部分を紳士的に矯正する必要がある。美学を構成して、そこに自分の感性をはめ込むというやり方がある。それが充分すぎるほどうまくいったとき、美学と感性は完全に一体化し、そのことに自身気づかないほどになる。彼は基本的に芸術が自身の説明を伴うものであるとみなしている。芸術が理解可能な形をしていることは彼にとって不可欠なのである。直前に引用した部分の次の段落はこうだ。

 

 われわれがこれら二つの模倣芸術から引き出す本来の快楽は、欺瞞の効果であるどころか、それとはまったく両立しないのである。この快楽はまったく、一種類の対象が他のひじょうに異なった種類の対象を表現するのを見た際の驚異に基づくのであり、さらに、自然がそれらのあいだに確立した不一致をこれほど見事に克服する技術への、われわれの驚嘆に基づくのである。彫像と絵画の高尚な作品は、次の点で、自然の驚異すべき現象と異なる、一種の驚異すべき現象であるように、われわれには見える。すなわち、いわば、それら自身が自らについての説明を伴っていて、それらが作り出されるやり方と方法を、目に対してさえ、明らかにするという点である。*23

 

 ここでもアダム・スミスは「高尚な」をつけることを忘れないが、「目に対してさえ」のところに注目したい。極めて常識的である、ありすぎようとするアダム・スミスは、通常説明が目に対してなされる、すなわちイメージによってなされるものではなく、言語によってなされると理解しているだろう。「正確に分析するよりは強烈に感じとる能力のある著者、ジュネーヴのルソー氏は」と、アダム・スミスはルソーの音楽論を引用する。ルソーは、絵画はおおくある感覚のうちの視覚だけにその模倣を呈示するが、音楽はすべてのものを模倣するので、聴覚だけでなく視覚にさえその模倣を呈示する、という。アダム・スミスが決してしない劇的なイメージの多用による修辞を駆使して。音楽家は「時に海を波立たせ、大火災の炎を燃え上がらせ、雨を降らせ、小川を溢れさせ、奔流を増水させるだけでなく、ぞっとする荒野の恐怖を描き出し、地下の土牢の壁を暗くし、嵐を静め、大気と空にのどけさと平静を取り戻し、オーケストラ席から木立と野原に新たな清々しさをゆきわたらせるだろう。」と、ルソーの引用を終えたアダム・スミスのコメントは以下の通りである。

 

 ルソー氏のこのひじょうに雄弁な記述について、私は次のように述べなければならない。オーケストラによる器楽は、オペラの背景と演技の助力なく、背景画家または詩人の、あるいは両者の、助力なしには、ここでそれに帰せられている諸効果のどれも生み出すことはできないであろう。*24

 

 あるいは、『アダム・スミス 修辞学・文学講義』でシェイクスピアを批判している箇所はどうか。

 

 さらにもうひとつ、われわれが注意しておいていいのは、ふたつの隠喩を混合して用いてはならないということで、そのばあいに双方がただしいことはありえないからである。シェイクスピアはしばしば、この誤りを犯している。前に引用した行のすぐあとで、雄々しく武装して苦難の海をくいとめると、かれが続けているばあいがそうである。海をくいとめるために武装するということは意味がないから、ここには明らかな背理がある*25(強調は引用者)

 

 七[八]。対象に矛盾したり適用不能であったりする形容辞を、使ってはならないということは、もしわれわれが、イングランドの最高の書き手たちのなかにも、多くの場所でこのあやまちにおちいっているものがあるのを知らなかったら、諸君に警告する必要はないとおもわれるだろう。ポープ氏はたびたび、名詞にまったくあわない形容詞を適用する。かれが「森の茶色の恐怖」について語るばあいがそうである。〈おちる流のささやきを深め、森のうえに茶色のさらにこい恐怖をなげかける〉

 恐怖とむすびついた茶色は、まったくなんの観念も伝えない。トムスンはしばしばこのあやまちを犯し、シェイクスピアは、ほとんどたえず、そうしている。*26(強調は引用者)

 

 彼の書く文章にはおよそ「文学的想像力」をたのむところがない。文学理解の体系は個々の作品を感受する前にすでに構築されきっており、「雄々しく武装して苦難の海をくいとめる」や「森の茶色の恐怖」の方に自分の側を緩めていくという発想は見当たらない。完全武装の紳士。もちろん完全武装の紳士は紳士ではないのだが、しかしそうであるからこそ器楽に対する彼の入れ込み方がより強く異質なものに映る。先に引用したように、アダム・スミスは器楽が自己完結した意味を持っていると考えている。これ自体アダム・スミスの四角四面なところから遊離している。彼において意味はまずもって言語の形を取るはずであり(彼の時代における視覚芸術は常に他の何かを指し示し、またそのことを含む自分自身を鑑賞者の目に説明するものであるからして圧縮された言語にほかならない)、意味があるかないかは言語の組み合わせによるはずである。だが器楽は自己完結しているのだからそこには音組織しかないわけで、ここにアダム・スミスが感じ取る意味とはどういうものなのか、アダム・スミス自身も明瞭に言えているようには見えない。情念だけでもなければ楽理的構成の方法と秩序、その要素だけでもない。

 

 舞踊について書かれた第三部は邦訳にして五ページほどしかない。音楽と舞踊には共通する原理があり、第二部で声楽についての記述が始まる手前に書かれていたその原理とは「古代人が律動リズムと呼んだもの、われわれが速度タイムあるいは拍子メジャーと呼ぶもの」*27である。この部分はルートヴィヒ・クラーゲスの『リズムの本質』においてリズムと拍子が対置されていることを思い出させるが、アダム・スミス律動リズムと、速度タイムあるいは拍子メジャーの間に明確な対立をおいているようには見えない。しかし、古代人と近代人の舞踊の間には本質的な差異を見ている。彼は「古代ギリシァ人は、踊り手たちの国民であったようにみえる」という。近代の舞踊は器楽を伴奏にするために模倣的でなくなってしまったが、古代の舞踊では声楽を伴奏とするために模倣的であったという。また、「ギリシァ語には踊ることを意味する二つの動詞があり、そのそれぞれが舞踊および踊り手を意味する固有の派生語をもって」おり、その二つの動詞のうち一方は「踊ることと歌うことを同時にすること、あるいは、自分の音楽に合わせて踊ること」を意味し、もう一方は「歌わないで踊ること、あるいは、他の人々の音楽に合わせて踊ること」を意味しているのだという。まるで結語らしい結語もなく、このような温度で唐突に第三部は終幕に向かっていくのだが、ここで一番目を引くのは次の部分である。

 

私は、自分の歌に合わせて踊る黒人の踊りを見たことがある。それは、その人自身の国の出陣の踊りであって、その行動と表情の激しさは、女性とともに男性も、同席者のすべてが、その人の激怒をできるだけ避けるために、椅子やテーブルの上に立ち上るほどのものであった。*28

 

 他の部分を見ても、アダム・スミスは、器楽の伴奏による舞踊よりも声楽の伴奏による舞踊、それも自ら歌い踊る舞踊の方により大きな力を感じている。じっさい、上の引用のすぐ手前で「りっぱな肺と力強い体躯を必要とするが、しかし、この二つの利点と長期の訓練をもってすれば、最も高度の舞踊でさえ、このやり方で演じられるであろう」とあることから明らかだろう。もちろんここで彼は「でさえ」と書く。かれは古代ギリシァ人を野蛮人とはせずに古代人とし、「アフリカの黒人たち」と「アメリカの野蛮諸民族」のような「最も野卑な諸国民」と区別しているだろう。だが振り返ってみれば、彼が絵画や彫刻、建築装飾といった「文明」的な芸術よりも、音楽や舞踊といった、同時代において「文明人」よりも「野蛮人」が親しむ芸術に心を奪われているのは明らかではないか。

 そう、心を奪われているのである。しかし彼は当時のスコットランドに生まれ落ち、知識人階級としてあらねばならなかった。地球にやってきた宇宙人が地球人に馴染もうとするようにして、彼は紳士であることを諦めるわけにはいかなかった。「野蛮人のようでありたい」などと口にすることは難しかっただろう。それゆえ黒人の舞踊に衝撃を受け、その力に魅かれたとしても、それは野蛮人の舞踊であって、同じ方向を目指すときには「最も高度の舞踊でさえ」という言い方をとるほかないのである。その点、器楽は音楽の歴史において最も「進歩」した形態であった。原初にあったはずの模倣から最も遠い位置にあるからである。器楽がもたらす「ひじょうに高度の知的な快楽」は「何か他の学問の偉大な体系について思いめぐらすことから生じる快楽に似ていないわけではない」のであり、彼が『国富論』の執筆に没頭していた頃の散歩のエピソードを思い起こせば、その快楽は没我的なところまで向かうものであることは容易に想像がつく。彼は紳士であるには感受性が鋭すぎたのであり、「模倣芸術について」のほとんど全編に見られる諸芸術との奇妙な距離感は、彼自身の輪郭が溶け出してしまわないために彼が選んだ一つの防衛策であったように思われるのである。そのような中で器楽は、その「進歩」性のゆえに彼がある意味安心して受け入れられる、しかし同時に原初的なものにも通底する突出したエネルギーをもつ芸術であった。

 この論文において、アダム・スミスが鏡について語っている箇所がある。鏡は絵画と異なり、まったく同じ仕方で同一の効果を発揮する。一度光学についての説明を受ければ、鏡のもたらす驚異は消滅してしまう。また絵画と違い、鏡が映し出すのは現在の対象だけであって、「ひとたび驚異がほぼ終わってしまえば、われわれはすべての場合、映像を眺めるよりも実物を眺める方を選ぶ」と彼は言う。面白いのはその後である。

 

 そこでわれわれ自身の顔は、鏡がわれわれに対して示すことのできる最も快い対象、われわれがそれを眺めることにすぐに飽きるということのない対象となる。それはわれわれが映像しか見ることができない唯一の現存の対象である。美醜、老若いずれにせよ、それは常に、われわれがたまたまその瞬間に感じる感情、情動、情念と正確に対応する容貌をもつ、友人の顔なのである。*29(強調は引用者)

 

 鏡に映った自分の顔を「友人の顔」というアダム・スミス。わたしの感情はけして目に見えることはないが(自分の顔を直接見ることはできない)、鏡の上にはちょうど自分の感情を見える形に表出する顔があった。それが友人の顔だとするなら、彼が「われわれが器楽から感じるものは何でも、本源的な気持であって、同感的な気持ではない」と書いたとき、彼はおそらく鏡とは別のところで、かの親しい友人の声を聴いたのである。

*1:ルイス・カーン著, 前田忠直編訳『ルイス・カーン建築論集』p19, 鹿島出版会, 2008

*2:谷川俊太郎『二十億光年の孤独』p72, 集英社, 2008

*3:山崎怜「アダム・スミスの会,大河内一男編『アダム・スミスの味』,https://kagawa-u.repo.nii.ac.jp/records/5411, 2024年6月11日閲覧, pdfあり

*4:言うまでもないことだが、アダム・スミス本質主義的なカテゴリーとして「宇宙人」であるわけではない。というよりも、「宇宙人的」というからして我々は地球人でありながら「宇宙人」になることができる。木下古栗の小説「いい女 vs. いい女」には次のような部分がある。

 

「我々は宇宙人だ。地球人も宇宙人とするならである。バラク・オバマは一見ワイルドなことに将来的な火星への有人飛行をぶち上げたが、それは不都合な真実から目を逸らさせるためでしかなく、我々は火星になど行く必要はない。そんなものはこの閉塞しきった環境にまだ外部があるかのような夢想を抱かせようとする他愛のないまやかしである。なにせヴァージニア州のエリック・ウィリアムソンのように、自宅でさえ全裸で過ごしていると訴えられ一審で有罪判決を下されてしまうのがあの国なのだ。そもそも、我々は既に自分だけのロケットやブラックホールを持っている。もはや選択肢は一つしかない。すなわち、見る影もなくワイルドさを減退させながら締まりなく死に絶えつつあるこの文明、その衰弱を出し抜いて、我々はこの星に移住するのだ。地球の作法など知ったことかとばかりの野蛮さを内に秘めて、ある種の不穏さを唯一の武器にして。」(木下古栗『いい女 vs. いい女』pp216-217, 集英社, 2011)

 

ここには(特に男性性をめぐる)夥しい風刺と冷笑、というよりも、より深い真剣さを秘めた真顔の爆笑が、それ自身をこえて小説自体が決壊するほどに溢れかえっているが、それでもここから示唆される「宇宙人としての地球人が地球に移住する」という観念の設定には、地球人が「宇宙人的」なるものへと生成することの可能性が垣間見えるように思われる。

 

 また、すでに現在の社会において人々が「異星人」と向き合っていると比喩される領域も存在するようである。それは成人ASD自閉症スペクトラム障害)にかかわる精神医学の領域であり、内海健自閉症スペクトラムの精神病理: 星をつぐ人たちのために』(医学書院, 2015)は「宇宙人性」について考えるうえでも示唆を与えてくれる。あとがきを見てみる。

 

「本書のタイトルについては、若干説明しておく必要があるだろう.とりわけ副題の「星をつぐ人たちのために」は,SFファンにとって,J.P.ホーガンの小説をすぐさま連想させるものだろう.ただ直接の関係はない.ASD者はあたかも異星人であるがごとく,この星に棲むための苦悩を重ねている.しばしば使われるたとえであり,それほど的はずれなイメージではない.そして,こうした人たちは今後もさらに増えるだろう.もしかしたら,マジョリティになるかもしれない.そこまでは行かないにせよ,今定型者と呼ばれる者にとっても,支援するためだけでなく,自らがこの星に棲むために,立場を相対化して理解しておく必要があるだろう.そうした思いが込められている.」(p287)

 

本書のタイトルは直接『星を継ぐもの』との関連はないとされているが、「定型発達者」を相対化する意識を基底においたうえで展開される本書を読んだうえで改めて振り返ってみれば、このタイトルの選択から連想されるヴィジョンは「地球への移住者」というにとどまらないだろう。『星を継ぐもの』において提示される「霊長類」的な陽気かつ傲慢なヴィジョン(そこにキリスト教の影響をみないのは難しい)では、はるか昔に異星人が、やがて「ホモ・サピエンス」に進化する人類の祖先として地球に降り立ち、それまで地球上で「人類」の位置にあったネアンデルタール人は「ホモ・サピエンス」に滅ぼされることになる。さてここで地球に棲もうと苦闘するものすなわち「ASD者」と、彼らに接する「定型者」の関係はいかに重ねられるか。後者を「ネアンデルタール人」に重ねれば、地球が「定型者」の星から「ASD者」の星へ変わっていくというヴィジョンは一つの可能性として容易に引き出される。無論、このような表現は拡張されたゼノフォビアの形態へ容易に接続しうるのであって、「人間」という概念はそれがいかに豊かな内実を失ったとしても、そうだからこそ無根拠な共通性を見失わないために保持され続ける必要があろう。あらゆる断絶は名詞が存在しうること自体によって根拠付けられているが、同時にその断絶は、名詞が名詞としてあらわれたということ自体によって乗り越えうるものとしても根拠付けられているのであり、言葉とは境界の手前に広がる朝靄のようなものにほかならない。そして「宇宙人」のきらめきとは、地球人も火星人も同じように見上げる空の向こう側からやってくるものである。

 

 歴史上、宇宙人を含む「地球外生命体」についての思考がいかになされてきたかについては、『地球外生命論争 1750-1900』(マイケル・J・クロウ著・鼓澄治、山本啓二、吉田修訳、工作舎、2001)が参考になる。

*5:「Xとは何か」と「YはXか」は、存在論的差異に類比をとるなら、前者が存在の問いであり、後者が存在者の問いに属することになる。しかしこの混同はしばしば起こることであり、野蛮な言い方をすれば、1945年以降、現代美術がある面において目指したことはこの混同によってついに失敗した。今はなきツイッターのあるアカウントがかつて、現代美術が何をしようとしていたかを「ナチの否定」という一言でまとめており、私も一つの側面としてそれに同意する。ナチズムとは美のもつ全体性(欠けるもののないこと)・純粋性(余計なもののないこと)という性質を国家の建設の原理にまで拡張しようとするエネルギーであり、美そのものを地上に受肉させるという邪神の意志であった(ここにも存在論的差異を巡る混同と同型のものが潜んでいる)。この点でアドルフ・ヒトラーとはあらゆる芸術家がかつて夢みた夢のひとつであり、そしてそれゆえに、芸術家のマキシマムな夢は禁じられたのである。だがそれは禁じられただけであり抹消されたわけでも乗り越えられたわけでもない。美と建設を巡るもうひとつの方向としてあるのは、美それじたいを最初から建設し直してしまうという政治であり、それはベンヤミンが『複製技術時代の芸術』において、あるいはボリス・グロイスが『全体芸術様式スターリン』においてロシア・アヴァンギャルドを経てスターリンに至る道程に見ようとしているものであるが、ここには「美とは何か」すなわち美を、「Xは美であるか」すなわち「美術」の生産によって揺らしうるという誤謬が存在した。無論認識と学習が断絶しているなどということはなく、あらたに獲得された美的認識の再編成が知覚の仕方にフィードバックされるということは十分に有り得る。しかしこのフィードバックの構成はかなり緩いものであるということ、美的感覚が理性に対してシステマティックに従属する形で構成されていないということが、美、それもナチ的なものを駆動させない形をとった美の再構成というプロジェクトをますます不可能なものとしたのである。ここにおいても先述の通り感性の変容は恩寵に属するのであり、それにしたって何を美として感じるかの変化であることを思えば、美という霊的、呪術的、神的とさえいっていい力には、いまだなお傷一つついていないのかもしれない。なお付け加えて言えば、醜悪なものは美醜の対立というそれ自体美的なものの領野においてあらわれるものであり、美それじたいを補完し補強しこそすれ揺るがすことはない。なんにしても、邪神、美と美しいものの間ではたらくあの邪神は、神であるがゆえにそうそう死ぬことなどないのである。

*6:アダム・スミス著、アダム・スミスの会監修、水田洋・松原慶子訳『アダム・スミス 修辞学・文学講義』p360, 名古屋大学出版会, 2004

*7:同上, p348

*8:スミスの文体がもつ「煩雑ながら魅力的」という性質に関しては、『道徳感情論』初版刊行の際にエドムンド・バークがスミスに宛てた書簡から、当時においてもそのような見方があったであろうことを示唆している。

 

「失礼ながらここからは一種の欠点と思われることを述べさせていただきます。貴兄の文体は若干の箇所で、ロック氏がその著作の大半でそうであるように、少々冗長すぎるようになっています。しかしながら、これは許容しうるたぐいの欠点でありまして、鈍感な想像力の持ち主が陥りがちな無味乾燥な文体よりもはるかに好ましいものです。」(田中秀夫+坂本達哉監修、篠原久・只腰親和、野原慎司訳『イギリス思想家書簡集 アダム・スミス名古屋大学出版会,2022)

 

*9:アダム・スミス著、アダム・スミスの会監修、水田洋ほか訳『アダム・スミス哲学論文集』p150,名古屋大学出版会, 1993

*10:アダム・スミス著、高哲男訳『道徳感情論』p330, 講談社, 2013

*11:アダム・スミス著、アダム・スミスの会監修、水田洋ほか訳『アダム・スミス哲学論文集』p150,名古屋大学出版会, 1993,p161

*12:同上,p163

*13:同上,pp151-152

*14:同上,p162

*15:同上,p168

*16:同上,p169

*17:同上,p172

*18:同上,p180

*19:同上,p185

*20:同上,p198

*21:同上,pp154-155

*22:同上,p164

*23:同上,pp164-165

*24:同上,p187

*25:アダム・スミス 修辞学・文学講義』, p50

*26:同上、p133

*27:アダム・スミス 哲学論文集』p168

*28:同上、p202

*29:同上、p166

歯科医院の音楽

 ずっと歯医者に通っていないとその事自体が悪い方向へ想像力を加速させ(俺の口の中はもはやコンポスト、最終処分場、臭い元気玉、元・口腔、頭部にできた廃坑エトセトラエトセトラ……)、ますます歯医者に行けなくなってしまうわけだが、このたびなぜか機運が生じ(こういったことを恩寵といいます)、歯科検診ということで歯医者に行った。行ってみればまあそれなりに大変なことにはなっていたようだが予想していたよりも大変なことにはなっていなかった(余命宣告をされたり、すべての歯が虫歯、歯を歯肉ごと全摘するとかはないという意味)ため、大変良かった。あまりにも行っていなかったので、歯科医院が音響イベントスペースであることもその時はじめて知ったのだった。

 

 まずは歯の全体像を把握するためにレントゲンを撮るのだが、ここから記憶と違った。多分十数年は行っていなかった気がするので当たり前っちゃあ当たり前なのだろうが、これだけの期間をおいて機材が全く進歩していないなんてことはありえないのだ。子供の頃に歯医者でレントゲンをとられたときは、それこそ学校の健康診断みたいな感じで、太い板みたいな装置に胸?後頭部?を押し付けて全体的に撮るといった感じだった気がするのだが、今回は椅子に座り、頭部をゆるく固定された後、頭部上方にかすがい型の装置が降臨し、それがキラキラとデジタルな点滅を繰り返しながら高速で横回転するということになった。そのときに鳴る機械音が最高で、その雰囲気は似たところでいうと、カウボーイ・ビバップ「道化師の鎮魂歌」の、東風の人体実験の模様が流れる過去シーンで流れていたBGMに近い。


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 それらは、レントゲンを撮る過程で必然的に必要な光や音とは考えられなかったため、あれは設計者が歯科医院をクラブだと認識していたのだと推察された。病院に来たはずなのにここでしか聴くことのできないテクノをいきなり注入されて、魂の形がOne More Timeになったわけだが、まだ序盤である。

 

 死の宣告がなかったことに安堵して一回目の掃除に入った。床屋と歯科医院、この二つの施設は、人間を物体にする特有の座席を使用している代表的な場所だ。「アウトレイジ」を思い出すまでもなく、これらの座席は着席者に、考えうる限り最も無抵抗な姿勢を強要する。デッケエ布?繊維?を掛けられ手の動きまで完璧に封じられるし、足をばたつかせようにも施術者は頭部付近それも後方にしかいないのだからいくら暴れても仕方がない。相手に対する信頼がなければこのような関係を編み出す器具を使う文化は廃れてしまうだろう。そうなるとこの姿勢の危険さが逆に全面的な信頼のモードへとわたしを導いていき、要するに身体を動かす気がしなくなってくる。自分がシンプルな物質になっていく感覚が生まれてくる。歯科技工士が向き合うのはわたしではなくわたしの歯であって、それは部分にすぎない。それで良い。

 

 そして歯の清掃が行われるのだが、目を瞑ってみると、口の中からどんどん音楽が広がっていくことがわかった。歯の表面にべっとりと付着した歯石を剥がしていく器具の高音域、取れた歯石を吸い取るバキュームの中音域、ときおり治療区域を洗浄する水の音。それらすべてが口腔粘膜を、あるいは歯を通じて頭蓋骨へわたり、おそらく耳を経由しはするものの、直接脳へと届いていく感覚を覚える。イヤフォンが生まれた時、人間は耳の中から音が聞こえてくるという体験を初めて操作することができるようになったのだろうが、思えば口の中からの音楽という概念はあまりにも未開拓だった。おそらく全く需要がなかったからだろう。わたしは心地よく横たわり、しばしここでしか聴くことのできない音楽に身を委ねていた。おまけに歯もきれいになるのだから、言うことはなかった。

 

 歯科医院の音楽についてだが、歌のない音楽に興味がないという向きには厳しいかもしれない。歯科医院の音楽は基本的にインダストリアルであり、メロディーを拒絶する。それは人間が物体になる場所に鳴る音楽としてあまりにふさわしい。歯医者に限らず医者にかかるという体験は、自分が肉体という純粋な物体に還元される体験に接するということであって、そう思えば医者ぎらいというものがあるということも分かる気がする。というかかくいう自分が十年以上も歯医者に行っていなかったのだから、そういうことは当然ありうるに決まっていたのだが、いざ自分のそれが歯医者嫌いかといわれると腑に落ちない感じがしたためこうして書いてみた。どうだろうか。つまりわたしはここで精神科や心療内科という場所に思いを馳せているのだが、精神科の音楽、心療内科の音楽というものはあるのだろうか。もしそんなものが存在するとして、それはどこからどのように聞こえてくるのか。そこにメロディーはあるのか、ないのか。どこかで「精神医学は他の医学分野に比べて百年は遅れている」という趣旨の文章を読んだ覚えがあるが、あの時私は精神医学に携わる人々への同情の念を禁じ得なかった。神田橋條治の本を書店で立ち読みしたときにも思ったことだが、医者ではなく患者になるばかりの私としては、治りたいのが第一であって、「科学的」に治るかどうかは二の次である。単に他の分野は科学的アプローチが最も信頼できそうだということで通うわけで、よく考えればそれも不思議なことなのだが(ここにはあの床屋や歯科医院の座席と同じ「信頼」というものが流れている気がする)、精神医学という領域にはまだ「医学」ではなく「医術」という言葉が、良くも悪くも、というより、うれしくもさびしくも、ふさわしいようなところがある。そしてこのことは、その「医術」にふさわしい音楽というものを想像することが難しいこととつながっているような気がしているのだ。

 

Heal the World

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「土日一斉閉所キャラクター・やすみん」を考える

 先日街を歩いていたところ、ある施設があり、その掲示板に次のようなポスターが掲示されていた。

土日一斉閉所キャラクター、やすみんさんです。

 

 一目で魅了されてしまった。その様子は以下の通り。

 

 

 一番上に添付したポスターの画像だが、まさにこのキャラクターを作成した一般社団法人・全国建築業協会のホームページからダウンロードした。日付を見ると2024年4月1日となっており、どうやら土日一斉閉所キャラクター・やすみんさんが生まれてからまだ2ヶ月ほどということらしい。ああ、さん付けがはじまってしまっている。そう、「土日一斉閉所キャラクター・やすみん」を呼び捨てにできない、そのように出会いが始まってしまっている。まだ生後2ヶ月弱なのに。

 

www.zenken-net.or.jp

 

 土日一斉閉所キャラクター・やすみんさんのビジュアルから確認していこう。まずこの朗らかなあたたかみを見てほしい、つぶさに。太い黒に縁取られた逆三角形の小さい口、その色はネーブルオレンジを連想させ、夏みかんのような橙色の頬、バックの抜けるような薄水色と相まって、全体からは瀬戸内の休日のような雰囲気が漂ってくる。やすみんさんもうれしそうだ。それに、目。この真円に近い眼球の内側、斜線をわずかにゆるませたような瞳が、こちらを見てくれているのかは定かでない。しかしそんなことはどうでもいい。休日、やすみんさんがリラックスできればそれ以上何が必要だというのだろうか。

 このゆるい、あまりにもゆるい、晴れた湿度の低い休日、五月初頭の午後といった雰囲気。しかし土日一斉閉所キャラクター・やすみんさんから漂ってくるゆるさは、顔の輪郭に採用されているぼわぼわした線のみによるものではない。土日一斉閉所キャラクターの名を背負い、やすみんさんはヘルメットを装着している。やすみんさん、休日なのに、どうしてヘルメットを? どうみてもワーカホリックの顔ではないやすみんさんがなぜこのHOGARAKA FACEにもかかわらずヘルメットをしているのか。おそらくこれは休日のやすみんさんというより、金曜日の、休みを明日に控えたやすみんさんの休憩時間を切り取った一枚なのではないか。明日のことを思い、顔がほころんでしまうやすみんさん。愛おしい、あまりに。しかしまだ仕事中だと思う。適度に気を引き締めて、安全第一で金曜日を終えてほしいところだが(あご紐をちゃんと締めていてくれてありがとう)、土日一斉閉所キャラクター・やすみんさんのゆるさはそれにとどまらない。頭頂部、ヘルメットと両耳をまたぐようにして「土休日」の文字が浮かび上がっている。一体どういうことなんだろう。ヘルメットを脱いでしまったら、「休」がなくなってしまうよ、やすみんさん。土日、一斉閉所するんじゃなかったのかい。もしこれでヘルメットを脱いだところ、額に「休」の文字が浮かび上がるのだとしたら、あまりのことに泣いてしまうかもしれない。しかし、今はただここに、このポスターだけに集中したい。この朗らかさにおいて、やすみんさんは働いているんじゃないだろうか。安全第一にヘルメットをきちんと着用、しかしその仕事は皆を休めることなのだ。この、無理をして朗らかを装っているようには到底見えない幸福に満ちた表情はどうだ。やすみんさんは生後2ヶ月で天職に恵まれたとしか思えない顔をしている。一日一日を、やすみんさんは見守っている。平日は、週末になれば安らかな白日のような休みがあるということを皆に思い出させながら、そして、休日はひとり掲示板の中で、ほうぼうに散り、めいめいに休日を過ごす皆に思いを馳せながら。やすみんさん、ありがとう。

 

 次に先述のホームページを見てみると、土日一斉閉所キャラクター・やすみんさんが誕生した経緯を窺うことができる。

 建設業においては、技能労働者の高齢化に伴い近い将来大量に離職することが 想定されていることに加え、少子高齢化に伴う若年労働者の厳しい人材獲得競争の中 で、週休2日(土日閉所)の定着は喫緊の課題となっています。
 更に2024年4月からは労働基準法に基づく時間外労働の罰則付き上限規制が適用さ れます。時間外労働を抑制し、同規制をクリアするためには、労働生産性の向上と週休2日(土日閉所)の定着が必要不可欠です。
 こうした状況に鑑み、日建連、全建、全中建、建専連では、大手、中小を問わず業界を挙げて、建設現場(緊急工事、工程上やむを得ない工事を除く。)において土日 閉所を目指すこととして「目指せ!建設現場 土日一斉閉所」運動を行うこととしま した。

 急にシビアな話になったな。一読、労働力確保への切迫した危機感を感じられる。ここでは引用部分の「(緊急工事、工程上やむを得ない工事を除く。)」に注目したい。ふたたびポスターに目をうつしてみると、よく見れば土日一斉閉所キャラクター・やすみんさんの右下に、小さな小さな文字で、「※緊急工事、工程上やむを得ない工事を除く。」と書かれているのが分かる。そんなところに目がいくなんてことないよ、やすみんさん。ぼくは君に夢中なんだ。やすみんさんの表情は右下を経てもなおとろっとしている。資本の規模に比例する企業の基礎体力が絡みつつも単純化して言えば、「囚人のジレンマ」と同型の構造が見られる休業日数の増加問題。そんな問題に対して、個々の団体や企業の枠を超えた上位レイヤーからルールを下ろすという方法は十分にとられうるものだろう。しかし、そんないかつい話があったとしても(なかったとしても)、やすみんさんはこの朗らかさを失うことはないだろう。

 

 そして、このキャラクターという問題。「土日一斉閉所キャラクター」とは一体どういうことなのか。キャラクターとは特徴であり、特徴へと向かわせるものは抽象化である。ここで抽象化とは、その対象から構造的に情報を圧縮していく操作にほかならない。ミャクミャクの場合を考えてみよう。ミャクミャクは「大阪・関西万博」の公式キャラクターである。公式ホームページを見てみると、こうしたイベントの公式キャラクターにありがちなプロフィールが練られていたりするが、ここでは「大阪・関西万博のシンボル」という部分が大事なところだ。といってもこうしたイベントの公式キャラクターの役割はだいたいそうだろうが。

 

www.expo2025.or.jp

 シンボルは、当の対象と同一ではないことによってシンボルたりうる。「大阪・関西万博」という名詞が含む意味と広がりのポテンシャルは、「ミャクミャク」に完全に回収されるものではない、だろう。たぶん。まだ行われていないイベント、しかも万博のような、一回ごとに相貌を大胆に変えることもありうるイベントの場合、開始前から可能的に多様なイメージを抱くことは難しく、「なんかそういうのがあるらしい」といったことになる。だからこそ、その未来のイメージを集約するような先行イメージが、シンボルが、したがって公式キャラクターが誕生することになる。

 さあ、やすみんさんに戻ろう。やすみんさんは「目指せ! 建設現場土日一斉閉所運動」のイメージキャラクターとして生まれ、その名称として冠に「土日一斉閉所キャラクター」が選択され、やすみんさんの掲載されたポスターの下には「土日は、やすもう」とある。

 これは、キャラクターなんだろうか?

 キャラクターへと生成される過程で、情報量が変わっていない。「建設業労働環境改善キャラクター」とかだったら分かる。よりよい労働環境を作っていきましょうという運動のシンボルが、その一つの方向として土日一斉閉所を訴える、この構造なら通常のキャラクターの運用だなと思っただろう。だが、「土日一斉閉所キャラクター」が「土日一斉閉所」を訴えるのはもはやトートロジーじみている。何ら抽象化を経ないまま意味と機能の原液をかけられ、そのフィルムから浮かび上がるやすみんさん。もはやキャラクターの域を超え、なにか確かな手触りを持った存在として現れてくるのが分かる。ただ一つの意味と機能が、やすみんさんを通って世界のこちら側に抜けていく。やすみんさんを介しているというこの場には過剰があるように思えるかもしれない。しかし、幸福に満ちたやすみんさんの表情がこちらに教えてくれること、それは、存在はそこへ至っているというだけで十全であるということ、過剰な存在などないということかもしれない。雲の白、空と海の青さ、柑橘の甘酸っぱさ、夏の光。四月生まれのやすみんさんは、ただ存在している。ほんとのほんとは十全なやすらぎであるはずのここに。残酷であるはずのない、ここという世界に。

 

 あと、普通に僕も土日休みたいと思った。

 

インカメのレトロニム

 インカメという言葉がこれだけ定着したのだから、インカメ以前のカメラ、すなわちカメラを境界として、撮り手の反対方向を撮影するカメラにも新しい呼称が生まれただろうと思ったが、一つも思い浮かばなかった。「アウトカメラ」とか「背面カメラ」とかがあるようだが定着しているとは思えない。大体「カメ」と「カメラ」は全然違う。とりあえずここではアウトカメとするが、語感が本当に気持ち悪い。といっても「アウトカム」と呼んでしまえば逆は「インカム」であるし、それにoutcomeとの誤った暗合を引き起こしてしまいかねないので耐え忍ぶほかない。にしても、どうしてまだインカメの逆としての呼称は定まっていないのか。

 

 写真を銃撃と同じ「shot」と呼び、それが定着したという事実自体が、カメラが生まれてから人間がずっと写真を撮ることと撃つことの間になにか符合するものがあると感じていた証左ではないかと思うが、ではインカメとは自殺なのだろうか? そのような暗喩的な負荷を、今日「自撮り」をする者たちが感じているとは思えない。もう肖像写真を撮るために長い時間じっとしていなければならない時代ではないし、カメラの前で準備をしてからシャッターが下ろされるまでの間に流れる時間には、かつてほどの厳粛さはない。

 

 スマートフォンは、ほとんど摩擦もなしにインカメとアウトカメ、二つの射線をシームレスに切り替える。それはスマートフォンの手前からタッチパネル以外の一切の表面が消滅した機種が登場しより鮮明となったが、およそshotの重なりからすれば、ここに摩擦がほとんど存在しないのは考えられないことである。相手を撃つことと、自分を撃つことはまったく意味の異なる行為である。ところがスマートフォンの場合、それは写真(それもフィルムがあるわけではなく、電子的な画像データにすぎない)を撮ることの、文字通り二つの側面にすぎない。ここには、どちらの側面についたレンズが撮影の目的に対してより適当であるか、という判断だけが存在する。ただ射線が正反対の方向に切り替わるというだけのことになったことが、shotの意味論的非対称性をなめらかに殺したのだった。

 

 先日、たまたま他人のBeRealに収まる機会があった。わたしはBeRealをやっていないので、興味本位で撮られた写真を見せてもらうと、要するにそれは「ビデオ通話のレイアウトでスナップショットを撮る+時間制限付きチェーンメール」ということだとその時は理解した(なお、泥酔していた)。が、冷静に考えるとよくわからない話でもあった。今、Google検索でberealと打つと(「BeReal ビリヤニ」がサジェストされることはなかった。わたしは最初にBeRealという単語を聞いた時、ビリヤニしか思い浮かばなかった)、公式らしいアプリへのリンクが一番上に表示され、そこには「BeReal. リアルな日常を友達と。」とあった。

 BeRealの画面は先述の通り「ビデオ通話のレイアウト」に近い。ほぼ画面全体をアウトカメの写真、その左上に重ねられるようにして小さくインカメの写真が入る。しかし当然ながらこれは「ビデオ通話のスクショ」ではない。ビデオ通話は、二つの端末において、二人の人間がインカメで自分を撮影し続け、それは相手方の大画面と、自分側の小画面(たいてい下側、非表示にすることができるものもあるかもしれない)に送信されることになる。インカメの図像が相手方に送られるということは、ビデオ通話がコミュニケーション技術である以上当然の話のように思われるが、「自撮り」の映像を、相手方の「見られる装置」であるディスプレイ、その「大きい方」のレイヤーに表示させるという発想は、自分の外側/内側という近代的自我の二分法を正確に踏襲しており、近代的ではあっても現代的ではなかったといえる。いや、だからこそ現代的なのかもしれない。なぜならビデオ通話は、通話している二人が、同時に「相手と目があっている」という感覚を絶対に得ることができない異様なコミュニケーションを結果として提供することになるからである。相手目線の画像を送るためには、「相手」から目線をそらし、カメラを見る必要がある。ビデオ通話は、互いに見つめ合うのではなく、互いがそれぞれ自分自身を撃ち、それを見せ合うことによって構成されている。その死の瞬間を、互いが互いに見ることはできない。ビデオ通話において不可能なのは心中である。

 一方BeRealの場合、共有されるイメージのうち、基礎レイヤーをアウトカメの画像が占めることになる。「交差したインカメonインカメ」ではなく、「インカメonアウトカメの全体」が共有されるイメージであり、それが「リアルな日常」であるということはどういうことなのか。スマートフォンという形状に規定されたフォーマットでは全方位撮影ができない。それはただ断念されているだけなのか。それとも、インカメとアウトカメの二つの面を総合するだけで、日常は十分に日常として構成されるのか。それはやはり近代的自我のモデルから導かれる通りの、「外側+内側=世界」という等式なのか。

 

 shotの話に戻ろう。スマートフォンの登場による、インカメとアウトカメのシームレスな切り替えが、銃撃の方向についての意味論的非対称性を破壊したとしよう。「ハゲタカと少女」を撮ったケビン・カーターが、その写真によってピュリッツァー賞を受賞したおよそ二ヶ月後に自殺したことはここで改めて書くことでもないが、スマートフォンによる撮影には、「カメラであるカメラ」にはあった、引き金としてのシャッターのひっかかりすら存在しない。等価なタッチパネルのいくらかの領域が、シャッターの機能を代替するというだけである。このことは果たして、写真と銃撃の間の等号もまた殺されたことを意味する、のだろうか?

 我々が人を撃たなくなったのだとしたら、我々はもう人を撮っていないのだ。人を撮ることができないのならば、図である人間に対する地として、人間の影につつまれた自然であるところの風景もまた、我々は撮っていないのだ。では何を撮っているのか。それはもう、日常というほかない。人も風景もない日常などありえないのだから、日常があって、それを撮るのではない。撮るものが、撮られたものを日常として構成するしかないのだ。ではそれはどんな「日常」となるのだろうか。

 RealではなくBeRealである。撮影機能とコミュニケーション機能はビデオ通話のように統合されてはいない。それは通知が来てから二分以内に撮影されなければならない。イメージの共有に至るまでのBeRealの機構は、命令によって駆動するレイヤーと、外側/内側を撮影するカメラのレイヤーに分けられる。等号がまだ生きているならば、命令を受け射撃するシステムによって撮られるものはすべて、本質的には「戦争写真」ということになる。が、その等号は今消滅したものとして考えられているのだった。それでもあえて続けるならば、BeRealは自らをも撃つ、ということになっている、冷静に考えれば、本来インカメでは何を撮っても構わない(撮りにくいことこのうえないが)。だが、「自撮り」という圧倒的なコンテクストが成立している以上、BeRealは「見ている世界」と「見ているところの者」を重ね合わせにして提示する。それは撃たれた瞬間の人間が、撃たれた当の位置から、自分が最後に見た世界を自分自身を含めるかたちで撮影すると言っているようなものだ。BeRealが構成する画像全体を撮影できる視点は存在しない。BeRealはビデオ通話とレイアウトの面で似かよっているように見えるが、まったく異なる種類の不可能性を提示する。BeRealは写真というよりも、ある強制された瞬間の、認識の物証とでも呼べるものであり、それが呈示する不可能性とは、日常を撮るとき、日常を撮ることはできないということ、そして、撮ることのできない日常が、撮られた日常である、ということになるだろう。そうはいっても、等号が生きていればの話なのだが。

 

 やはり等号は生きているのだろうか。そうして我々は最初の話に戻る。インカメに対するレトロニムが定着しないのはなぜか。インカメを手にした今、「それ」はなにかよそよそしいものなのである。写真=銃撃としても、写真≠銃撃としても、我々はなにか居心地の悪いものを感じる。それはおそらく語感レベルでそうであり、我々がそれを「インカメ」と呼ぶようになった日から、「それ」は自身が呪われた出口であったことを思い出させるのではないか、という気配を帯び始めたのだろう。この不穏さはスマートフォンを超えて、カメラという存在全体へと広がっているように思われる。我々は何を撮っているのか、何か撮っているのか。我々は我々自身を撮るカメラを、我々自身を撮ることのないカメラと一体化したものとして、我々自身の手に委ねてよかったのか。我々は乱射と自殺を繰り返しているのか、それとも我々はただの模様であり、もはやいかなる意味においても撮る者ではありえなくなったのか。これらの問いはすべて、あのBeRealの画面全体を写真として撮りうる者の視点から発せられる問いであり、その視点は不可能な位置として現実である。が、それこそが我々のリアルであり、我々はリアルであれと命じられている。