2024-01-01から1年間の記事一覧

エルンスト・ユンガー『労働者』読書ノート 第3節(第2章のつづき)

前回(第3回)はこちら。 ajisimidaikon.hatenablog.jp このシリーズでは ・川合全弘訳『労働者 支配と形態』(月曜社, 2013)を使用する。この訳では底本として1932年の初版が使用されている。脚注において特に言及がない場合は本書のページ数を参照する。 労…

エルンスト・ユンガー『労働者』読書ノート 第2節(第2章 市民的世界の鏡に映じた労働者(アルバイター)像)

前回(第2回)はこちら。 ajisimidaikon.hatenablog.jp このシリーズでは ・川合全弘訳『労働者 支配と形態』(月曜社, 2013)を使用する。この訳では底本として1932年の初版が使用されている。脚注において特に言及がない場合は本書のページ数を参照する。 労…

エルンスト・ユンガー『労働者』読書ノート 第1節(第1章 見せ掛けの支配の時代としての第三身分の時代)

前回(第1回)はこちら。 ajisimidaikon.hatenablog.jp このシリーズでは ・川合全弘訳『労働者 支配と形態』(月曜社, 2013)を使用する。この訳では底本として1932年の初版が使用されている。脚注において特に言及がない場合は本書のページ数を参照する。 …

エルンスト・ユンガー『労働者』読書ノート まえがき

このシリーズでは ・川合全弘訳『労働者 支配と形態』(月曜社, 2013)を使用する。この訳では底本として1932年の初版が使用されている。脚注において特に言及がない場合は本書のページ数を参照する。 労働者: 支配と形態 (叢書・エクリチュールの冒険) 作者…

宇宙人アダム・スミス ④そしてわたしたちがふたたびはじめてはなしはじめられるようになるために(完)

第三回はこちら。 ajisimidaikon.hatenablog.jp 小林 つまり、荒川さんが最初におっしゃったことに引きつけて言うなら、三つの「場」がある。私は荒川さんとも下條さんとも違う立場ですが、言説を成り立たせている言語の場というものを考えると、これは非常…

宇宙人アダム・スミス ③「共感」の位相 ──重力下における天球の音楽

前回(第二回)の記事はこちら。 ajisimidaikon.hatenablog.jp Sympathy と Empathy 内海健『自閉症スペクトラムの精神病理』において、共感はASD(自閉症スペクトラム症)者を考えるうえで、定型者のそれと表出の傾向が相違する重要なポイントの一つである…

わたしは戦争に反対する

平和がわたしであるわたしが戦争に反対する。 戦争は平和の対岸にあり、届くことはない。 (戦争は届けることを拒否することをその存在の必要条件とする。「聞き届ける」という言葉はよくできている) 戦争がわたしであるわたしが戦争に反対する。 わたしは…

宇宙人アダム・スミス ②科学者と恐怖 ──天文学から「地上の星」へ

前回(第一回)の記事はこちら。 ajisimidaikon.hatenablog.jp 真空恐怖、あるいは驚愕と驚異 前回も参照した『アダム・スミス 修辞学・文学講義』には他にもシェイクスピアを批判する文章があるのだが、その中にひっかかりを感じる箇所がある。その部分は訳…

宇宙人アダム・スミス ①地球人への参与観察

それでは科学者はどこに、詩人はどこにいるのでしょうか。詩人は測り得ないものの座から旅立ち、測り得るものへと旅する人であって、しかしいつも測り得ないものの力を保持している人です。かれはかれの手段である言葉を書くことすら潔しとしません。芸術、…

歯科医院の音楽

ずっと歯医者に通っていないとその事自体が悪い方向へ想像力を加速させ(俺の口の中はもはやコンポスト、最終処分場、臭い元気玉、元・口腔、頭部にできた廃坑エトセトラエトセトラ……)、ますます歯医者に行けなくなってしまうわけだが、このたびなぜか機運…

「土日一斉閉所キャラクター・やすみん」を考える

先日街を歩いていたところ、ある施設があり、その掲示板に次のようなポスターが掲示されていた。 土日一斉閉所キャラクター、やすみんさんです。 一目で魅了されてしまった。その様子は以下の通り。 土日一斉閉所キャラクターやすみんさん、「土日は、やすも…

インカメのレトロニム

インカメという言葉がこれだけ定着したのだから、インカメ以前のカメラ、すなわちカメラを境界として、撮り手の反対方向を撮影するカメラにも新しい呼称が生まれただろうと思ったが、一つも思い浮かばなかった。「アウトカメラ」とか「背面カメラ」とかがあ…

笑いの暴力性について

暴力的なものを利用する笑いについてではなく、笑いの暴力的な利用についてでもない。 笑いそのものがもつ固有の暴力性というものがあるだろうかと考えたとき、笑いが「ゼロへの暴力的な移行」から生まれることに思い当たる。 差異と何の関わりも持たない笑…