「話半分に聞く」!?

 数々のことわざ言い回しの中でも「話半分に聞く」の字面の気持ち悪さは頭一つ抜けており、まず「話/半分に聞く」なのか「話半分/に聞く」なのかが気になるしスラッシュしたとて何だその「に」は!そこ「に」か!?という気持ちに整理は付けられない。日本語のすべてを理解しまた理解させてくれるコトバンク名誉教授によれば、「話半分」それ自体に「他人の話は半分くらい割り引いて聞くと本当のところをつかめる」といったニュアンスが含まれているらしくそれを読んだ瞬間に冗語法!!!!!!と絶叫 & 七転八倒してしまうわけだが、うちは狭いので七転八倒すると物どもで全身を打ち、皮膚そのものが痣のみによって構成された不可解な生物になってしまうため、一度も七転八倒をしたことはない。

 

 「話半分に聞く」が「話(を)半分に(割り引いて)聞く」の圧縮形態であるとするならば、肝心なところを割り引きすぎだろと思うがそれ以上に「半分」の根拠はどこから来たのか、ということが気になってくる。これはおそらく内容の比率の問題ではなく人体に耳が二つあることから来ているのではないかという直感が働くがまあそれはそれとして、話を半分にする方法はどれくらいあるだろうか。本を真っ二つにする、奇数(偶数)行を全部墨塗りにする、奇数(偶数)字目を全部墨塗りにする、などの方法はすべて真っ直ぐすぎて話を半分にできていない。ブックオフを見るがいい。数巻分冊の本の一部だけが取り残されている。何度『神聖喜劇』の第一巻だけを、上巻のみの岩波文庫版『純粋理性批判』を、時以前に残りの十数冊を求める気に全然なれない『失われた時を求めて』を、必ず一冊しか見当たらない新潮文庫版『ディスコ探偵水曜日』を見ただろうか、いや、前半三冊はともかく『ディスコ探偵水曜日』は増刷しろよ何をやっているんだというのは今はおいておくとして、やはりそれは話が冊数で分割できないことをありありと示している。残りの巻を持っていない・買う気もない状態で『アレクサンドリア四重奏』の3巻だけ買うなんてことがありますかアナタ? それは4分の1どころか0だよ。買ってから3年たちましたがまだ残りの3巻を買っていません。買う気はあります。本当にあります。手頃な価格でなかなか見つからないだけなんです。タイミングが来てないだけなんです許してくださいといったところで、文字数は分割できるが、話はいったん仮止めされた全体が見えて初めて分割がそもそも可能であるかどうかを考え始められるわけだがでは「話半分」に聞くことはどうしたら可能なのか?

 

 ①「一を聞いて十を知る」→五を聞いたことにする。これは極めて速く、全部を全部として聞いていないというあたりからも「話半分」の感じが出てくるが、いやお前は結局一しか聞いていないだろ、ということになり、却下される。

 

 ②全部聞き、半分へ……→正解。

 

 しかし全部聞くのは意外と難しい。読んだことがないが『モモ』でも似たような話がされていると聞いた覚えがある。話半分に聞くためには普通に聞く以上に精密に人の話を聞かなければいけなくて、そうなると「話半分に聞く」という言い回しは結構含蓄のあるような気がしないでもない。

 

 そんなことをぼんやり横目に思いながらデリダの『生死』を読んだり詩の推敲をしていたら一日が終わった。あと二人欲しい毎日を送っている。

 

 

 

 半分本①。

 

 半分本②。