エルンスト・ユンガー『労働者』読書ノート 第1節(第1章 見せ掛けの支配の時代としての第三身分の時代)

 

前回(第1回)はこちら。

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このシリーズでは

・川合全弘訳『労働者 支配と形態』(月曜社, 2013)を使用する。この訳では底本として1932年の初版が使用されている。脚注において特に言及がない場合は本書のページ数を参照する。

 

 

・各記事につき一節分のノートとする。全80節あるため、「まえがき」を含め全81回の予定。

・無理では?

 

「第1節(第1章 見せ掛けの支配の時代としての第三身分の時代)」ノート 

 

 前回の「まえがき」*1を思い出そう。「個々人の必然的に限定された視野と特殊な経験」を素材とした、見ることの実演。そこで見られる労働者の形態は「貧困の要素でなく充溢の要素を伴う」。「リヴァイアサンひれを目に見えるようにすることができさえすれば、あとは読者自身がおのずと独自の発見へと突き進めよう」にあらわれるリヴァイアサンはむろん国家の化身であるが、この充溢が、現実の国境線を容器の縁として限定する全体性に関わるに過ぎないならば、(ドイツ研究の専門家や、自らをドイツ人と勘違いしている妄想家でもなければ)2020年代の東洋の島国に生きる「黄色い猿」にとって、第一次大戦を前線で戦い抜き帰ってきたドイツ人極右による「ベルリン*2からの眺望に限定された「見ることの実演」なぞに付き合うことは時間の浪費でしかない。*3もし「黄色い猿」にも読む価値のある何かを『労働者』から読み取りうるとするなら、それはこの充溢が現実のドイツの国境線とは本質的な関係を持たないことによって、書物を通じた魔術的な共同作業の力は「血」の力による断絶を超えていることへの信念によってである。すなわち、当節の冒頭の段落に登場する「我々」が、すでに存在するワイマールのドイツ人極右が想定するドイツ人たちを指すのみならず、それを超える  それを(来たるべき)「労働者」と読んで良いのだろうか?  ものを指し示す一人称複数として読みうるという信念によってである。

 

 第三身分の支配が、生の豊かさと力と充溢を規定するあの最も内奥の核心に触れることは、ドイツではこれまで一度もなかった。ドイツ史を一世紀余り振り返って、誇りをもって告白できることは、我々が悪しき市民であったということ、これである。市民の衣服は我々の体型に合わせて裁断されていなかった。いまやそれはぼろぼろに擦り切れてしまい、すでにそのぼろ切れの隙間から、あの市民的性質  時代が孕む民主主義の大いなる劇を感傷的な音色によって早くから予告しながら、結局その幕を開くことができなかった市民的性質  よりも、もっと野性的でもっと無垢な本性がすでにその姿を覗かせている。*4 

 

 身体的な要素、まず「衣服」について考えよう。「まえがき」で「新しい現実」は「新しい思想や新しい体系」と対比するように使われていたことが思い出される。「市民の衣服」はもっと正確にいえば「市民という衣服」であり、すなわちここには思想に対立する身体、それも「生の豊かさと力と充溢を規定するあの最も内奥の核心」を抱えた身体との対立という思考が提示されている。衣服は人工物であり、その本性は「野性的」でも「無垢」でもない。これによって『労働者』の視野から見た市民の規定がなされよう。市民とは「理性」的思想という衣服と一体化した身体であり、服を着ていることを忘れた裸体である。

 そして当然のことながら、衣服は脱ぎ着することができる。ある思想に対して「衣服」の比喩を充てた段階で、ユンガーの思索においてはフランス由来の人権思想のみならず、様々な思想が「衣服」のように選択可能であること、そして「衣服」的な思想は決して身体の持続性・統一性を侵襲することはできないということが明らかになる。

 

 この身体を巡るものが、前の引用に続く段落に登場する。二つ目の身体的な要素、すなわち「血」である。

 

 全くもってドイツ人は良き市民ではなかった。ドイツ人が最も強かったときは、ドイツ人が市民たること最も少なかったときである。思索が最も深く最も大胆に展開され、感情が最も生き生きと迸り、戦いが最も徹底的に行なわれたときには常に、理性の大独立宣言によって旗印として掲げられた諸価値に対する反乱が紛れもなく認められる。しかしながら、人びとが独創的精神と呼ぶあの直接的責任の担い手たちが、このときほど孤立し、このときほど自らの仕事と影響力を脅かされることもなかった。また、英雄的人格の純粋な展開を培う土壌がこのときほど貧弱なこともなかった。抗いがたい力を言葉に与える、血と精神のあの魔術的統一が横たわる源泉へと到達するために、根は不毛の地面を貫いて深く下ろされなければならなかった。同様に、異邦人と比べた自らの独自性を法則の地位へと高める力と法のあのもう一つの統一を、意志が獲得することも困難であった。*5

 

 ドイツの右翼思想における有名な標語は「血と土」であり、当節の後半に「言い換えれば、我々の自由が最も力強い仕方で表明されるのは、常に、自由とは封土レーエンであるという意識によって自由が担われるときである」*6と出てくるのを見れば、ここで「血」と組み合わされるのが「土」でなく「精神」であることは一見意外であるように思えるかもしれない。彼の思索において「理性」と「精神」は同一物として提示されていない。そればかりか「血」と「精神」さえもが同一のものではなく、それらは「魔術的統一」によってようやく統一され、「源泉」に横たわるのである。もっともなことではある。血は思考しない。

 ここでもう少し血について考えよう。「血」という言葉には何が背負わされているか。遺伝、血統、家族、血族、民族、人種……これらの側面はすべて生まれてきたことによって、生まれながらに背負うこととなる制約条件、強い言葉で言えば運命に関わる側面であり、民族主義的思想が「血」の言葉に付託するのは主にこの側面である。しかし「血」という言葉が持つ表情はそればかりではない。「精神にとっての勝敗とは異なる独自の勝敗の中に血が自己の確証を見出さざるをえないような戦闘」*7というユンガーの表現がその側面を示唆する。血には身体の中を巡る血と、身体の外へ流れ出る血がある。血で償う、贖うという表現が存在する。しかし(売血が存在した頃を別にすれば)血は財産ではないしましてや貨幣でもない。ときに血は貨幣が決して弁済しえないものを弁済しうる。血は賭けうるのだが、敗北が死をもたらすのに対して、勝利は決して支払った血を取り戻すことはできない。流血における「血」は、証明、それも個体の生命を超えたものを証明することにしか用いることの出来ない金、金を超えた金として現れる。*8

 このふたつの「血」がユンガーの思索には流れている。ふたたび当該箇所を読もう。「抗いがたい力を言葉に与える、あの血と精神の魔術的統一が横たわる源泉」という表現から、「あの最も内奥の核心」が対応するのは「血」ではなく「源泉」であろうことがうかがえる。血は最も本質的なものではない。なぜならそれは必ずしも終生抱えるものではないからであり、運命において流される、支払われる必要に迫られうるからである。血の血統的側面について言えば、ユンガーにおいてはそれほど重視されているように思われない。「異邦人と比べた自らの独自性を法則の地位へと高める力と法のあのもう一つの統一」という表現からも分かるように、ユンガーにおいて「自らの独自性(=ドイツの本質?)」は「異邦人」との差異によって、そしてそれを精錬することによって得られるものであり、比較を絶して成立するような単独性を持つものではない。とはいえ「血」の語はやはり必要なものであったろう。精神の実在の形式は曖昧である。しかし衣服が触れるのは皮膚であり、それが血に触れることは決してない。

 

 「源泉」は「抗いがたい力を言葉に与える」ものである。ここで最後の身体的な要素、「聴くこと」が前面に現れる。ユンガーはドイツにおける秩序-責任-服従-自由という鋼鉄の鎖を提示するが、次の部分にはその核心が明確に現れている。

 

 数ある中でもとりわけてドイツ人の特徴と目されている属性、すなわち秩序は、もしひとがそれのうちに自由の鋼鉄のごとき映像を見て取ることができないとすれば、あまりにも矮小に評価されてしまうことになる。服従〔Gehorsam〕、それは聴く〔hören〕術であり、そして秩序とは言葉を聴く用意、稲妻のごとく頂上から根元へと発せられる命令を受け取る用意である。誰もが、そしてあらゆるものが封土秩序の中にあり、指導者が本物と認められるのは、彼が第一の下僕、第一の兵士、第一の労働者であることによってである。それゆえ自由も秩序も社会とではなく、国家と関係づけられるのであり、あらゆる編制の模範は軍隊編制であって、社会契約ではない。したがって我々の強さの最高状態が達成されるのは、指導と服従についていささかの疑いも存在しないときである。*9

 

 したがって最高の自由とは最もよく聴く用意を整えることである。この部分における政治的な含意と緊張についてはいくらでも語り得るだろう。だが今は聴くことに集中していきたい。ドイツ語圏には時折「聴くこと」の思想が顔をのぞかせる。晩期のハイデガーのそれが有名であろうが、ヴィトゲンシュタインにも次のような文章が見られる。

 

 明日(聖金曜日に)私は断食をすべきだという考えがやってきた、そして、私はそうする、と考えた。だがすぐさま命令のように、自分は断食をしなければならない、と私には思えてきた、そして私はこれに抵抗した。「心からそう思えたなら私はそうしようとするのであり、命令されたからそうするのではない」と私は言った。だがこれではまったく服従にならないのだ! 心から思っていることをするというのは断念にはならないのだ(それが晴れやかで、ある意味では敬虔であるとしても)。結局お前はそこで死んではいないのだ。それに対して命令に服従するとき、まさにお前は純粋な服従から死ぬのである。それは死の苦しみだ。だがそれは敬虔な死の苦しみでありうるし、そうでなければならないのだ。少なくとも私は事をこう理解する。だがこう理解するのは私自身なのだ!   それがより高貴なことだとわかっているのに、死んでしまいたくないと自分は思っている、と告白します。*10

 

 この時期に点々として現れる「聴くこと」に関する思索にはなぜ独特の光輝があるのか。第一次世界大戦には数々の新兵器が投入されたが、その一つが機関銃であった。まだ黎明期であり、命中率も低かった機関銃は、銃弾による殺傷という目的もさることながら、それによって発せられる轟音そして硝煙がもたらす混乱の効果が重要視されていた。今では兵士のPTSDといったほうが通りが良く、そこにまとめられるであろう「シェルショック」もこの戦争で認識されることになる。轟音に閃光、毒ガスや硝煙。帰還した兵士たちを待つのは狂騒の20年代である。いわば戦後世界には「静けさの危機」があった。むろん重工業や照明、鉄道や自動車の誕生がすでに静けさをじわじわと侵食していただろうが、第一次世界大戦の戦場はそれまでの歴史上比肩するもののないほどに静寂を破滅の淵に追いやったのである。*11

 戦場の「うるささ」は単に聴覚的なものだけではなく、五感全体にわたっている。だからこそよく聴くことがなされうるとき、そこからは光輝が、晴れやかな感じが伝わってくる。ただ音波が鼓膜を震わせるだけでは足りないのである。硝煙が、毒ガスが、暗雲が晴れ、清明な天空が突き抜けるように地上の目に飛び込んでこなければならない。そのとき初めて「静けさ」が「頭の中に戦争を捕まえた」者たちの元へ帰ってくるだろう。静けさは快晴の稲妻、青天の霹靂である。戦場は無秩序であり、戦闘中など隣の人間の声が聞き取れるかさえおぼつかないように思える。しかし一見無秩序に見えるところにも秩序を発見すること、到底「聴く用意」ができるとは思えない場所においても秩序を見出すことが、ユンガーにおいての自由であり、その意志である。

 しかし、静寂は必ずしもそのようにして獲得されようとするものではない。

 ガス室とは静寂を生産する装置であり、システムである。それはひらけた天を持たず、ガスが漏れないように工夫された密室である。銃殺の場合、銃声が天高く響き渡ることになるが、ガス室の場合はそうではない。

 「まえがき」に書かれた日付は1932年7月14日である。同月1932年7月31日、ナチ党は国会選挙で第一党に躍進した。ヴィトゲンシュタインハイデガーと同じ1889年に生まれたアドルフ・ヒトラーは演説において絶叫する。それは聴くものではなく聴かせるもののやり方である。「指導者が本物と認められるのは、彼が第一の下僕、第一の兵士、第一の労働者であることによってである」というユンガーの記述は両義的であり、危険な表現であったろう。わたしはヒトラーの頭の中で鳴り響く轟音が止んだことは死ぬまでなかったと想像する。そして「ガス室」という発想は、その轟音の原因が外部にあるという認識、「黙らせろ」という発想に接続する。ラジオ、そしてPA。大音量と広範な拡散。黙らせるための声は自らの耳にも届き、結果として静寂は遂に彼のもとへもたらされることはない。

 

 ここまで三つの身体的な要素、すなわち衣服、血、聴くことを中心に見てきたが、これらを一つに結ぶアイデアが存在する。軍服である。そのことは「自由も秩序も社会とではなく、国家と関係づけられるのであり、あらゆる編制の模範は軍隊編制であって、社会契約ではない」というユンガーの筆に明瞭である。だがそれはドイツ帝国の軍服ではない。ドイツ帝国は滅んだからである。そしておそらくそれはナチス・ドイツの軍服でもない。それはまだ顕れていない国家、充溢しつつあるリヴァイアサンの軍服である。ここで、リベラリズムの視座からは理解不可能な「国家」と「社会」の峻別およびそれらと労働との関係を書くことは、当節の記述量からしても適当ではないだろう。最後に軍服についての考察を置いて終わりとしたい。

 軍服は制服の部分集合であるからまず制服を捉え、のちにその差異を取ることにする。衣服の持つメタ象徴機能は自己表示と帰属表示であり、私服が前者、制服が後者に属する。*12小学校の制服、コンビニ店員の制服、消防隊員や警察官の制服など、制服は個人の識別ではなくその個人が所属する組織の識別に関与する。軍服もまた制服ではある。では軍服と他の制服とを決定的に分かつ点はどこに存在するのか。

 軍服は、あらゆる服の中で唯一、それを着る肉体と命運をともにしている服である。軍服が死ぬとき、着用者もまた死ぬのである。言い換えれば、軍服は着用者の血に触れることが予期された制服にほかならない。そしてこのことによって「思想という衣服」において軍服が特権的な地位を占めることが明らかになる。着脱可能の謂としての衣服という比喩は、軍服が代入されたときにその意味を変える。それは血によって身体と結合された思想であり、その成否を流血の危険を伴う試練に問わなければならない思想であり、あの「源泉」において魔術的に統一された血と精神を抱える肉体を防護する思想であり、この思想を共有する諸身体の運命共同体を表示する思想である。このアクロバットによって思想と現実を結合しうるというのが、ユンガーにおける「軍服の思想」である。

 通常、軍服は選別の要素を持つ。軍隊の外には軍隊に属さない集団が存在するからである。しかしこれはそれほど自明なことではない。

 

次回

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*1:p8

*2:p9, 強調は原文ママ

*3: 前回取り上げたヴィトゲンシュタインも、第一次世界大戦勃発に際し母国オーストリア=ハンガリー帝国の志願兵として前線での戦闘および捕虜の状態を経験している。戦後、ヴィトゲンシュタインは甥との会話の中で、「戦争が私の命を救ったのだ。それがなかったら私は何をしたか見当もつかない」といったという。燃え盛る無意味の溶鉱炉に投げ込まれるようなものだった第一次世界大戦の戦場をくぐり抜けたユンガーとヴィトゲンシュタインのふたりとも、戦場から何か核心的なものを持ち帰っているように思われる。丸山空大ほか『ウィトゲンシュタイン「秘密の日記」 第一次世界大戦と「論理哲学論考」』(春秋社, 2016)などを参照のこと。

 また、ワイマール共和国におけるベルリンは、革命と反動、そして没落が決定的でありながらもまだ息絶えてはいない市民的=第三身分的なもののエネルギーに満ちあふれていた。創造と破壊。リヒャルト・シュトラウスの絢爛とバウハウスの静閑、キャバレーや映画の光と影、そして酒場に、街頭に満ち溢れる暴力。この時期のベルリンに関する書物は多いが、例えば長澤均+パピエ・コレ『錯乱の都市ベルリン』(大陸書房, 1986)や、原田昌博『政治的暴力の共和国』(名古屋大学出版会, 2021)などが有益であろう。

*4:p12, 強調は原文ママ

*5:pp12-13

*6:p15

*7:p13

*8:この「流血としての『血』の思想」は「血脈としての『血』の思想」とは異なり、男性と女性において無視し得ない差異を持つ。いうまでもなく月経の有無がそれである。それこそ「血」の条件として、流血が生活の自然なサイクルに組み込まれている女性の身体がここで提示される流血の思想を眺めるとき、それは大仰なもの、滑稽なものに映りうるだろう。たかが流血に過ぎないからである。この条件を通過してふたたび男性の身体を眺めるとき、男性の身体は「傷つくことによってしか血を流さない身体」として現れる。男性の身体において、血は循環すると同時に「蓄積」されている。ここから「血で支払う」という発想が男性的な世界において有意味に流通しうる余地が発生する。

*9:p15

*10:イルゼ・ゾマフィラ編・鬼界彰夫訳『ヴィトゲンシュタイン 哲学宗教日記』p152, 講談社, 2005, 傍線は引用元ママ。

*11:「静けさの危機」はドイツ語圏に特有のものではない。近年発見されたルイ=フェルディナン・セリーヌの小説草稿『戦争』は轟音から始まり、「おれはこの頭の中に戦争を捕まえたんだ」という地点にまで達する。ルイ=フェルディナン・セリーヌ著、森澤友一朗訳『戦争』幻戯書房, 2023を参照。

*12:ところで私服はいかなる意味でも制服ではないのだろうか。ファッション史、特に流行の誕生、万人が着飾りうる社会の誕生、ファスト・ファッションの意味とその変遷などを追うことは筆者の力量をはるかに超える。しかし少なくとも先述の定義を受け入れるならば、自己表示を機能とする私服は、「自己表示せよ」という社会においては一種の制服として機能する。「個性的」なものがなんら個性的でないのはこのゆえんである。『労働者』を読み進めたあとで浮上してくる問いの一つは、この「制服としての私服」が「軍服」の位置にまで到達しているか、ということである。