宇宙人アダム・スミス ①地球人への参与観察

 それでは科学者はどこに、詩人はどこにいるのでしょうか。詩人は測り得ないものの座から旅立ち、測り得るものへと旅する人であって、しかしいつも測り得ないものの力を保持している人です。かれはかれの手段である言葉を書くことすら潔しとしません。芸術、それは最初の言葉です。詩人は測り得るものへと向かうが、しかし測り得ないものを保持しながら、終局において言葉を書かねばなりません。なぜなら、かれは何も言わないことを望んでいるが、言葉が彼の詩を駆り立てるからです。かれはついには言葉に屈服しなければなりません。しかし詩人は言葉を用いる以前からずっと長い道のりを旅しています。ほんのわずかの言葉しか詩人は求めません。それで充分だったからです。科学者も測り得ない特性をもっていて、かれの人間としての価値はつまるところそこにあるのですが、かれは科学者の立場を守り、測り得ないものとともに旅することはありません。なぜならかれは知ることに関心があるからです。かれは自然の法則に関心があります。かれは自然がかれのもとにやって来るにまかせます。ご存知のように科学者が実に多くの学位をもつのはこのためです。自然はかれのもとにやってきます。そのときかれは自然を捉えざるをえません。なぜならそれ以上に自分を引き留める困難さに耐えることができないからです。このようにして科学者は知識を充分に受け取ります。

 

     ルイス・カーンルイス・カーン建築論集』*1

 

ここから遠く離れてここにいること

 

 宇宙人的であるとはどういうことか。第一に、それは飛来する。つまりかれは被造物ではない。かれはわれわれ地球人の知り、知っていることを忘れるほど自然にそのうちを生きている創造の秘密の物語、その外部からやってくる。第二に、それは人類の待ち望んだ(そしておそらく畏れた)人類の他者である。この感覚は「ガミラス星人」や「バルタン星人」といった、「地球人」と並列する名を与えること、すなわち人間化によって縮小してしまう感覚であり、「宇宙人」という言葉の響きには、包含関係として「地球人」を包摂しつつ、その補集合の部分、「星人」という集合族のレイヤーを超えている部分へ感応する響きがある。この感覚を、谷川俊太郎の詩を見ながら考えてみよう。

 

 人類は小さな球の上で

 眠り起きそして働き

 ときどき火星に仲間を欲しがったりする

 

 火星人は小さな球の上で

 何をしてるか 僕は知らない

 (或いはネリリし キルルし ハララしているか)

 しかしときどき地球に仲間を欲しがったりする

 それはまったくたしかなことだ

 

    谷川俊太郎「二十億光年の孤独」*2

 

 この詩は地球人が火星へ意識を向けているベクトルにおいて書かれているというより、宇宙人が(火星人ではないかもしれないが、私は火星人である気がする)地球に降りてきて、地球人との交わりのなかで地球人の感覚をなんとなく掴み、そこで詩を地球人を主体に仮託してうたっている、といったほうが近いと感じる。それは詩中に「火星人は小さな球の上で/何をしてるか 僕は知らない」と出てきてもそうである。詩の冒頭も冒頭が「人類は」とはじまるところに、人類から離れた眼差しをまず感じ取りたい(「人類」とは違う主語「僕」があらわれるのもその感覚を強める)。第一連はまるで人類の生態を圧縮して記述しているように読める。「地球人」の視点から上の「僕は知らない」が出てくるのだが、「それはまったくたしかなことだ」とうたわれるのは、「火星人」が「ときどき地球に仲間を欲しがったりする」ことなのだ。この「それはまったくたしかなことだ」が、私に、この詩は地球人がその知性の限界において、想像力によって火星人の「心情」を人間化した詩というよりも、地球人になりかわった火星人の書いた、韜晦を含んだ詩として読むことの方へといざなう。思えばこの詩集に三好達治が寄せ、巻頭に収録された詩のタイトルは「はるかな国から   序にかへて」であった。この「国」は、はたして地球上に存在したことのある国なのだろうか。ともかくこのようにして私はこの詩の「書き手」が、営みの中で地球人と混ざり合うこととなった宇宙人(それも火星人)のように思えるわけだが、ここで「宇宙人」とはどこにあるのかといえば、それはこの詩を読み終えた地点ではなく、この詩へと向かうその姿勢のうちにぼんやりと浮かんであるのである。観察と交流のうちに一定の理解へ安定した状態において、「宇宙人」は「火星人」と位相を同じくする「地球人」へ着地する。この手前側、「書き手」にこの詩を書かせることとなった最初の驚きこそが、そしてそこでしか鳴ることのない音楽の響きこそが「宇宙人」なのである。

 ここまでこの詩に深入りしたのは寄り道ではなく、それは今から追うこととなる一人の経済学者、人間を支配する力としての経済だけではなく、自然法則をも含む大きな理の一つとしての経済へ目を向け続けた数少ない経済学者の一人がいかなる人間であったかということについて、大きな示唆を与えてくれると踏んでのことである。

 

 アダム・スミス。その名前には「田中太郎」じみた匿名性の響きがある。彼の有名なエピソードとして、幼少期にスリの一味に誘拐され、スリの技を仕込んで仕事をさせようとしたが、あまりにも覚えが悪かったために解放され無事親元に帰ってきたというものがあるが、彼の「奇行」エピソードはそれだけにとどまらない。ここでは山崎怜がある書評の冒頭にこれでもかというほど書き連ねたアダム・スミスの様子を見てみよう。

 

 スミスの放心癖は有名で,幼少時代から独りごとのくせがあり,長じてはオクスフォード入学のさい,入寮さいしょの夕食テーブルのまえで巨大な牛肉片をみて放心状態におちいり,主著『国富論』の執筆中には散歩と称してガウンをきて15マイルも歩いたり,エディンバラ関税委員時代には関税守衛の捧げつつに,自分もついステッキで捧げ銃をし,書類の署名には,すぐまえの人の署名をそっくり写して部下をはらはらさせるといったぐあいだから,晩年の放心状態での散歩はもはやエディンバラ・ハイストリートの名物であった。早朝に化粧着をきこんでの延々たる長距離散歩とぶつぶつ何やらつぶやく独りごとは,スミスその人を知らぬ魚場の女にとっては,狂人が付添なしであてもなくさまよっているとしかみえなかったといわれ,またみずからもその会員だった美食クラブでのさる日,議論に夢中になって放心し,パンにバターをつけて手でくるめ,それをティー・ポットにいれて湯をそそぎ,ひと口のんで,さすがのかれも「うまれていままで、こんなにまずいお茶はのんだことがない」と叫び,またあるパーティーの夜には,かの作家サー・ウォルター・スコットによれば,1婦人が,着席をすすめるのに甘党のスミスは一向にそ知らぬ顔でテーブルの周囲をぐるぐる歩きまわり,ときに立ち止まっては卓上の砂糖壺の角砂糖をつまんで口にいれるので「ついにたまりかねたその尊敬すべき老嬢をして,かれの不経済な掠奪からそれを確保する唯一の方法として,その砂糖壺を自分の膝の上におくのやむなきにいたらしめて,かのじょをひどくこまらせたことはわれわれの到底忘れがたいところである。あいもかわらぬ砂糖を口の中でモグモグさせているかれの様子ときたら蓋し形容を絶したもの」だったそうだから,わたしはかねがねスミスが生涯独身でとおしたこともかかる放心ぶりへの女性たちの善良な警戒心をふくむのではないかとひそかにおもうのだが,それはさておき,かれの徹底した放心癖はわれわれにさまざまのおもいをよびおこすだろう。*3


 この書評は以降、放心をめぐる興味深い考察へと向かっていくのだが、ここでは上記のエピソードのうち、「捧げつつ」と「署名」のエピソードが他のエピソードと違った質を持っていることに注目したい。他のエピソードは世界の中でアダム・スミスがただ一人「ゾーン」に入っていく様子を鮮烈に伝えているが、この二つのエピソードにはアダム・スミスと世界の間に通路が存在している。それは「模倣する」から、能動性をあまさず剥ぎ取ってしまったような、受動態にしうる主体すら消滅してしまったような、動詞でない動詞となった状態である。特に署名のエピソードは、アダム・スミスアダム・スミスのままアダム・スミスとして消滅する瞬間を切り取っていて印象深い。このようなところから、アダム・スミスの思考が生まれていた、と考えてみる。その輪郭を「宇宙人的」という形で大雑把に描くところから、彼がわれわれに残していったものを探してみたい。しかしまだ、アダム・スミスの思考を「宇宙人的」と形容してみるには足りないように思われる。先へ進む前にこの部分にもう少しだけ注釈を加えたい。それは「宇宙人」と「地球人」のあいだに生まれる擦れは、おそらく美をめぐるものにおいて際立つということからはじまる。*4

 

鏡像と器楽

 西洋哲学という言語様式が何をなしてきたのかを極めて荒っぽくまとめるとするなら、それは直感の解体であった。真・善・美を解体の中心的カテゴリーとして、この言語は直感を正当化の源泉から引きずり下ろす。それはすなわち「Xとは何か」という問いかけが不可避である領域に対象が属することを、メッセージの形をとるにしろメタメッセージの形をとるにしろ、公に納得させるということである。おそらく真と善にかんしては、ほとんど哲学は直感の解体という目標を達成した。しかし美だけが今なお、直感の覇権を崩しえていない。美学という学問が同様の解体を行うことを目指しうるとしたら、それは「美とは何か」という問いが美において不可避であることを納得させる必要があるだろう。だがこれは困難である。美は、知覚装置たる肉体を必然的に要請する。美という概念に到達するうえで知覚が絶対に必要だからである。真や善が美ほどの必然性をもって肉体を前提するようには思われない。感性の劇的な変化は説得の因果的帰結ではなく恩寵としてのみもたらされる。美に関して「難しく考えなくていい、感じたままでいい」式の言説がまかり通り続けていることにはそれなりの根拠があるのだ。「まったく感じることができない美」ということはありえないし、「あなたが感じている美しさをあなたは美しさと感じていない」というような説得は不可能なのである。*5

 にも関わらず我々は美について、美的なものについて語り合ったりする。必ずしも説得しようということではなしに、ある対象が美しいかどうかについて語り、その趣味判断に同意したりしなかったりする。そのような同意/不同意が「いいよね」「ヤバい」「マジで?」「ダサくない?」といった長さのフレーズに切り詰められた言葉でさえ可能になるのは一体どういうことなのか。肉体は個々であるとはいえその個体差は一定の範囲に収まっているという生物的な信頼があるのか、はたまた単に二人が同じような文化圏に所属しているからなのか、決定的なことは言うことができないが、ここには美的知覚の類似に重きをおいて、おのおのがもつ美学の論理的整合性、構築度などにはあまり注意を払わずにおかれている様子が見られる。真や善を巡ってはそうはいかないだろう。対立が生まれたときには、互いにある程度のロジックなりエビデンスを説明することになるだろう。われわれは、おのおのの美学の根底にかかずらないで対象についての美的判断について云々できるとき、美的判断についての一般的・常識的な社会のなかにいる安心感を得ているといえる。それはまさしく地球人的安心感であり、それゆえそこから逸脱しているような存在と対峙する時、われわれは「ファースト・コンタクト」的な新鮮さと緊張を感じることになる。

 

 アダム・スミスの美的感覚については、「かれは音楽にたいする耳をもたなかったし、文章における崇高あるいは美にたいして、詩であれ他のどの種類の言葉であれ、理解力をもたなかったのです」「かれは良俗的な美と卓越については、もっともただしい理解力をもっていたにもかかわらず、多くの趣味をもつには幾何学者でありすぎました」*6と同時代人の回想に書かれており、また(おそらく)別の人物には、アダム・スミスとの会話の中で、アダム・スミスが「私自身はといえば、生涯に一連の韻さえけっしてつくれなかった」*7と述べていたことが思い起こされている。『アダム・スミス 修辞学・文学講義』は学生が残した講義録であることを差し引くとしても、明晰と快適さを称揚するその講義録の文章は明晰でもなければ快適でもないように見え、もっといえば読んでいてつまらないと思わざるをえないところがあるのだが、このつまらなさにはごつごつとした手触りがある。*8アダム・スミスの芸術に関する記述を読んでいて感じる隔絶は、彼の美的センスの欠如から生まれてくるというより(その程度であれば単なる趣味の違いでしかあるまい)、彼の文章から感じられる美的感覚と理性の結合の仕方にあるのだ。アダム・スミスにおいては、美的感覚が美学によって完全に制御されている、いや、そこを目指しているというほうが正確かもしれない。アダム・スミスにおいて、美と美学をめぐるこの揺れの部分があらわになっているように思われる論文がある。「いわゆる模倣芸術においておこなわれる模倣の本性について」、通称「模倣芸術について」である。

 

 死後彼が焼却せず残したただ一つの遺稿集が『哲学論文集』であり、そこに「模倣芸術について」は収録されている。つまり学生の残した講義録とは違い、アダム・スミス自身がこれを書き、また世に残す意志があったということだ。その第一部を読み始めたときわれわれはしばしば、彼の中で美と価値が交換可能なものとして認識されているのではないかと思わされる文章に出会う。冒頭を見よう。

 

 どんな種類の対象であれ、その最も完全な模倣とは、あらゆる場合に、同じモデルに即してできるだけ正確につくられた、同種のもうひとつの対象であるにちがいない、ということは明らかである。例えばいま、私の目の前にあるじゅうたんの、完全な模倣とは何であろうか。それはもちろん、同じ模様にできるだけ正確にしたがって作られた、もうひとつのじゅうたんである。しかし、この第二のじゅうたんの値打ちあるいは美しさが何であれ、それが最初のものを模倣して作られたという事情から生じるとは考えられないであろう。それがもとのものでなくて模写であるという事情は、それの値打ちをいくらか減少させるとみなされさえするであろう。その減少の度合は、もとの対象がその性質上とうぜんに求める称賛の度合の、大小に比例している。そのことは、ありふれたじゅうたんの値打ちをそれほど減じはしない。なぜならば、そのような取るに足りない対象は、種類をとわずせいぜいほんのわずかな美しさや値打ちしか主張しえないのであり、われわれは、もとのものであることにこだわる意味があるとは必ずしも考えない。他方、ひじょうにすぐれた技量によるじゅうたんの模倣ならば、その値打ちは大いに減じるであろう。もっと重要な対象においては、この正確な、あるいは盲従的ともいえるような模倣は、最も許しがたい汚点であると考えられるであろう。もうひとつのサンピエトロ大聖堂、あるいはセントポール教会を、ローマとロンドンとにある現在の建物とまったく同一の寸法、面積、装飾で建てることは、もとのもののもつきわめて価値の高い壮麗さを辱めるような、才知ジニアスと独創力のあわれな欠如と考えられるであろう。*9(強調は引用者)

 

このように始まる論文は、どちらかといえば美学ではなく社会心理学の領域という気がしてくる。『道徳感情論』第四部第一章「効用という心象アピアランスがあらゆる技芸の生産物に与える美しさについて、および、この種の美がもつ広範な影響について」の冒頭に、「美の主要な源泉の一つが効用であることは、美の性質を形づくるものを、ある程度詳しく考察したすべての人物によって観察されてきた」*10とあることはより一層その認識を強める。「模倣芸術について」第一部の後半にはヴェブレンの『有閑階級の理論』を思い出させるような記述がある。

 

 慎慮と賢明の人々にでなく、富裕と権勢の人々、高慢と虚栄の人々に語りかける芸術では、巨費がかかっていて、少数の人しか購入できず、大財産の最も確実な特徴のひとつであるという外見が、しばしば至上の美しさにとってかわり、それと同様にそれらの芸術の作品が愛好される理由になるとしても、驚いてはならない。費用がかかっているという観念がしばしば美しさを強めるように思われるのと同様に、安価という観念は、非常に快い対象についてさえ、その輝きをたびたび曇らせるように思われる。*11

 

大理石のピラミッドやオベリスクでは、材料は高価であるし、それをあのような形にしあげた労働はさらに高価であったにちがいない、ということをわれわれは知っている。いちいのピラミッドやオベリスクでは、材料費がきわめてわずかでしかありえず、労働はさらに安いということを、われわれは知っている。前者はその費用によって高貴なものとされ、後者はその安価によって卑しめられる。ろうそく職人のキャベツ菜園で、ヴェルサイユ宮殿では大理石や硬岩石でつくられているような、多くの円柱と花瓶およびその他の装飾がいちいでつくられているのを、われわれはおそらく時として見たことがあるかもしれない。それらを卑しいものとしているのは、まさにこの大衆性である。*12

 

ではこの論文の論旨とは美と価値をめぐる社会的な力学、それも大衆性を模倣芸術において追跡していく、ということになるかといえばそうではない。

 

「模倣芸術について」から各ページに登場する「美しさ」と「値打ち」が出てくる回数をカウントした(原著の編者たちによって加えられた「音楽、舞踊および詩のあいだの親近性について」を含む)。アダム・スミス著、水田洋ほか訳『アダム・スミス 哲学論文集』p150-210, 名古屋大学出版会, 1993を典拠とする。

 

 抽出した単語は「美しさ」と「値打ち」の二つに絞っているため(「美しい」や「美」、「価値」などはカウントの対象から外している)、あまり多くのことが言えるわけではないが、この両者が持続的に現れるのは前半部分に過ぎない。しかしまったく語られなくなるわけでもなく、何箇所か単独で現れたり、双方ともに現れる箇所も残されている。脇道が多いというか、本道もわからない、そういった感触が強まる。が、このような迷宮じみたアダム・スミスの論文をもう一度読み返してみると、第一部の大衆性を基軸とした記述とは別に、煮えきらない口調ではあるが、彼が「器楽」に特異な地位を与えようとしていることが見て取れるのである。

 

 アダム・スミスは「似ていること」と美の関係について人体の対称性から始めているのだが、その列挙ぶりと粘るような文の運びは、そこから取り出したくなる面白さの原石をいくつも抱え込んでいる。しかしアダム・スミスについて書くとなると、アダム・スミスのように書くしかなくなるのだろうか。

 

 同一対象の対応各部分の正確な相似は、しばしば美と考えられ、それが欠如することは醜さとみなされる。例えば、人間の身体の両手両足、同一建物の両翼、同じ小径の両側の樹々、同一じゅうたんの対応各部分、同一花壇の対応各区画、同一室内の対応部分にある椅子やテーブルなどがそうである、しかし、同種の対象でも、別の観点から、まったく分離独立したものとみなされるならば、こうした正確な相似が美しいとみられることはめったにないし、その欠如が醜いとみられることもない。一人の人間、また同様に一頭の馬は、それぞれ、それ自身に内在する美醜のゆえに、きれいであったり、みぐるしかったりするのであり、その人が他の人間に、その馬が他の馬に似ているかいないかには関係がない。たしかに、馬車馬の一団は、その馬たちがすべてぴったりつり合っているときのほうが、きれいだと考えられる。しかし、この場合に、それぞれの馬は、分離独立した対象としてではなく、あるいは一頭だけでひとつの全体としてではなく、別の全体の一部とみなされるのであり、その全体の他の諸部分に対して一定の対応をもたなければならないのである、その一団から切り離されると、その馬は、その一団を構成する他の馬たちとの相似から美を引き出すこともないし、似ていないことから醜さを引き出すこともない。*13

 

 こんなにも長々と書くことがあるのだろうかと思うが、長々と書いてくれたおかげでわれわれはアダム・スミスの精神の動きを追跡することができる。じゅうたんの位置に目をつぶれば、前半の対称性の列挙は、書斎で執筆しながら彼が散歩にでも出かけて帰ってきたかのようだし、「一人の人間、また同様に一頭の馬は」の「また同様に」を目にすれば、まったく等価な観察の対象として人間と馬を並列させるアダム・スミスの位置について思いを巡らさずにはいられなくなってくる。だが脇道にそれることはこらえよう。これだけ書いておいて、彼は美の定義をしていない。実際、この論文においてそのような定義がなされることはないのだ。だが意外にも、模倣芸術の力の源泉については簡潔に記述している。それは「模倣するものと模倣される対象の不一致」である。

 

模倣したものと模倣される対象のあいだの不一致は、模倣の美しさの基礎である。前者が自然には後者には似ていないというまさにこの理由で、芸術によって似るようにされると、われわれはあのように快楽を感じるのである。*14

 

 彼はこの原理によって絵画、彫刻、建築装飾、庭園、つづれ織りや刺繍といったものを模倣芸術として切りさばいていくだけでなく、オリジナルと模写の関係や、彫刻の彩色とライト夫人のろう人形、造花に共通するものなども説明してしまう。例によってそこにも時折「美しさ」と「値打ち」の混淆が発生しているのだが詳しくは追わない。先に上げた対称性の列挙の部分がすべて視覚に依存するものであることは明らかであるが、アダム・スミスは第二部で音楽と舞踊にとりかかる。その冒頭を見よう。

 

 身体的欲求の充足から生じる快楽についでは、音楽と舞踊ほど人間にとって自然なものはないように思われる。技術アートと改良の進展の中で、それらは人間自身が案出した、おそらく最初の、何よりも早い快楽である。というのは、身体的欲求の充足から生じる快楽は、人間自身が案出したものとは言えないからである。それらをまったくもたないほど文明化していない国民は、まだ見つかっていない。それらの利用と実施がもっとも頻繁で、最も一般的なのは、アフリカの黒人たちとアメリカの野蛮諸民族のあいだでのように、最も野卑な諸国民のなかにおいてであるようにさえ思われる。文明化した諸国民では、民衆の下層階級はほとんど余暇をもたず、上層階級はほかに多くの娯楽をもっており、したがっていずれの階級も、音楽と舞踊に多くの時間をついやすことができない。野蛮諸国民では、民衆の大部分にはしばしば長い余暇の期間があり、ほかにほとんど何の娯楽ももたない。したがって、彼らは当然、自分たちの時間の大部分を彼らのもつほとんど唯一の娯楽についやすのである。*15

 

 文明化の過程を逆向きにたどることによって芸術の起源と発展を類推するという方法にも伺えるように、一見して、同時代人の典型的な感性を抜け出ているものはないように思われるのだが、ここには本稿の最後に戻ってくることにしよう。彼はまず声楽からはじめる。「人間の声はあらゆる楽器のなかで常に最上のものである」*16からだが、その描写は模倣の原理にそってなされる。最初は日常的に用いている言葉を歌っぽく歌い出すとこからはじまり、それは最初は言葉の意味など無視されていたのが、徐々に意味がとおるように整えられていく。アダム・スミスはここに「韻文や詩」の起源を見出し、話題は韻文の誕生と進歩、無言劇の舞踊とそこへの詩と音楽の合流へ流れていく。『アダム・スミス 修辞学・文学講義』の第3講は聴講者によって「スミス氏 言語の起源と進歩」と銘打たれているが、そこで展開される、生活の必要から言語が生成されていくような言語観といい、アダム・スミスの言語および言語芸術にまつわる思考には、人間の生活を機械的にたどるようなそっけないところがあり、とくに日本の現代詩が、言語におけるコミュニケーションの側面と意味の社会性に対してどれだけ敵意に近いものを積み重ねてきたかを思えば、ここでのアダム・スミスの記述は(ここに限らずかもしれないが)「芸術的人間」からは煙たがられそうなものにみちみちている。

 しかし、器楽が現れる。「詩からも舞踊からも離れて、単独で最もよく存在できるのは器楽である」*17と宣言されて以降、それまでおびただしい紆余曲折を経ながらも模倣芸術について語ってきた論文はきしみ始める。意味のある歌詞がありさえすれば模倣によってそれを分析することができる。歌詞は日常的な言葉の模倣から生まれており、意味のある歌詞は歌い手だったり、あるいはオペラにおける役柄の感情や情念を模倣し、聴き手に伝えることができる。音楽が最もよく模倣しうる感情や情念は、人々を社会に結合し、結びつけるものであり、それらは音楽的な情念である。逆に、人と人とを離反させる諸情念、非社交的で、憎むべき、下品で、邪悪な諸情念は音楽によって容易に模倣することができない。プラトンが徳性を美しさのうちで最も輝かしいものと言ったが、音楽的模倣の適切な対象についても同じことが言えるかもしれない。オペラにおいてはそこにさらに演技による模倣の力が加わる。などなど、などなど。しかし器楽を模倣芸術の枠で語ろうとするために、声楽から流れるように音楽全般について語った部分と、言葉を、詩をもたない器楽の語りを噛み合わせることは容易ではなくなる。先述のところで「器楽」の語が初登場してから邦訳で八ページもかけて、ようやく器楽について再度語られるはじめの言葉は「器楽の模倣の力は、声楽のそれよりもずっと劣っている」である。

 

 器楽の模倣の力は、声楽のそれよりもずっと劣っている。器楽の、旋律豊かだが意味のない、発音のはっきりしない響きは、人間の声の明瞭な発音のように、ある特定の物語の事情を明確に物語ったり、こうした事情が生み出したさまざまな境遇を叙述したりすることはできない。また、当事者がこうした境遇から感じるさまざまな感情や情念を明瞭に、しかもすべての聴き手に理解されるように表現することさえできない。器楽がたしかに最もよく模倣できる対象、つまり他のさまざまな音の模倣でさえも、一般にはひじょうにあいまいであり、それだけで、何らかの説明なしでは、模倣された対象が何であるのかを、われわれにすぐに示唆することはできないであろう。*18

 

 「スプーンでも音楽で描写してみせる」といったとかいわないとかされている作曲家が生まれるのは遠い先のことである。が、おそらくかの作曲家の音楽を聴いてもアダム・スミスが意見を変えることはないだろう。コレッリの楽曲のある部分がゆりかごの揺れを、ヘンデルの楽曲のある部分がナイチンゲールの鳴き声を模倣している、と説明されなければ、聴き手には何を模倣したのか、そもそも何かを模倣しようとしたのかさえ伝わらない。また、その模倣が成功していると判断されたとしても、それはその楽曲の美しさの主要な部分ではないということをアダム・スミスは認識している。それでもなんとかアダム・スミスは器楽を模倣を軸として語ろうとする。しかし彼が音楽の魔術性、さまざまな気分や心境に性格に対応することによって音楽と精神に調和や合一をもたらす効果について語る時、ついに「器楽がこの効果を生み出すのは、厳密には模倣によってではない」と書かざるをえなくなる。『道徳感情論』を思い起こさせる次の部分は印象的である。

 

器楽は、声楽、絵画、あるいは舞踊が模倣するように、陽気、平静、あるいはゆううつな人間を、模倣することはない。器楽は、これらの他の芸術のどれでもがわれわれに語りうるように、楽しい、真面目な、あるいはゆううつな物語を語るのではない。器楽がわれわれをこれらの心境のひとつひとつに引き入れるのは、声楽において、絵画において、あるいは舞踊においてのように、だれか他人の陽気、平静、ゆううつ、苦悩への同感によってするのではない、それはそれ自身が、陽気、平静、ゆううつな、対象になるのである。精神は自然に、その注意を引きつける対象にそのときに対応する気分または心境を受け取る。われわれが器楽から感じるものは何でも、本源的な気持であって、同感的な気持ではない。それはわれわれ自身の陽気、平静、またはゆううつであり、他人の心境を反映した心境ではない。*19(強調は引用者)

 

 まるでプラス、ゼロ、マイナスと対応させることを意識して「陽気、平静、ゆううつ」の名詞が充てられたように見えることへ注意が向くが今はよそう。例によって寄り道を繰り返しつつもこのあたりからアダム・スミスの記述する器楽は急速に他の芸術との差異を深め始める。そうしてついに器楽は「模倣か何かによって他の対象を何も暗示することなしに、それだけで精神の全能力を完全に占め、いわば満たしうるのであって、他の何かについて考える余地をその注意力にまったく残さないほど」のものとなり、器楽を聴くことによって「精神は実際ひじょうに大きな感覚的快楽を享受するだけでなく、ひじょうに高度の知的な快楽を享受するのであり、それらはちょうど何か他の学問の偉大な体系について思いめぐらすことから生じる快楽に似ていないわけではない」とまで言われるようになる。器楽は他の何物も随伴することを拒絶する。言葉も身振りも形もない器楽には、何かの物語や事件を語ることをしないどころか、何か特定のものを暗示することもしない。「したがって、その意味は、それ自身において完結し、それを説明する解説者を要求しない」ということになる。ここまで器楽を高みにおいた第二部は次のように結ばれる。

 

 したがって、器楽は疑いもなく、いくつかの点で模倣芸術とみなされうるけれども、たしかに、そう呼ばれるに値する他のどんな芸術よりも模倣的ではないのである。器楽は、わずかな対象しか模倣できず、それもひじょうに不完全にしか模倣できないので、ある他の芸術を伴わなければ、その模倣はめったに理解できない。模倣は、器楽にとって、けっして本質的ではなく、器楽が生み出すことができる主要な効果は、模倣の力とはまったく異なる諸力から生じるのである。*20

 

 ここまで器楽を模倣から引き離しておいて、アダム・スミスはどうして最後までこのような書き方をするのか。このタイトルを隠れ蓑にして、美の源泉をミメーシス=模倣におく芸術の理解に対する隠微な反論を仕込んだということだろうか。それだけではない。このように器楽について書くときのアダム・スミスの感性は彼自身に対して真っ直ぐに現れていると感じるが、彼は同僚から芸術的な趣味に関してほとんどセンスがないと言われていた。ここでの書きぶりはそのように言われる人のものではないように思える。器楽から「本源的な気持」を受け取れる人間が、芸術への感受性を欠いているなどということがあるのだろうか。

 

ある入念なオランダ芸術家の作品である布の絵は、毛織物のけばや柔らかさまで表現するほど綿密に明暗をつけられ彩色されていて、それは今私の前にあるみすぼらしいじゅうたんへの相似からさえ、ある種の値打ちを引き出しうるといえよう。この場合、模写は原品よりもずっと大きな値打ちをもつかもしれないし、おそらくそうであろう。もしこのじゅうたんが、床やテーブルに広げられ、背景と対比して遠近法と明暗との正確な観察を伴って描かれるならば、模倣の値打ちはいっそう大きくなるであろう。*21

 

 これが美術を批評するときの言葉なのだろうか。彼が本当のところどんな趣味を持っていたのか、どのような美学を持っていたのか、それを彼の書いたものから読み取ることができるのだろうか。誰かに正直なところを打ち明けたりしていたのだろうか。ここには「値打ち」だけがあり、「美しさ」という言葉はない。

 

 注意しなければならないのは、彫像や絵画における巨匠の作品が、その効果を欺瞞によってもたらすことはけっしてないということである。その作品が、それが表現する実際の対象と間違えられるようなことはけっしてないし、そうなるように意図されることもけっしてない。彩色された彫像は、時として不注意な目をごまかすが、まともな彫像はけっしてそうはしない。絵画における遠近画法の小品は、欺瞞によって快楽を与えることを意図したものであるが、それらは常に、取るに足りないものであるとともにひじょうに単純な対象、例えば、一巻きの紙、通路や回廊の暗い隅にある階段などを表現する。それらはまた、ひじょうに低級な芸術家の作品であるのが普通である。一度見たあとは、そしてそれらが引き起こすことを意図したちょっとした驚きを、通常それに伴う陽気な気分とともに生じさせたあとは、そうした作品はけっしてそれ以上は快楽を与えないし、その後はずっと気の抜けた退屈なものに見える。*22

 

 この論文の中で名前がとりあげられる画家はレンブラントだけである。作曲家の名がペルゴレージヘンデルコレッリと三人あげられ、別の作曲家の手になる作品名がさらに三つあげられる。絵画作品の名前はひとつもあげられない。「絵画における遠近画法の小品は、欺瞞によって快楽を与えることを意図したものであるが」といわれるそれらの作品が誰の何という作品を指していっているのか、自分が巨匠だと思っている彫刻家や画家は誰なのか、彼は明らかにしようとしない。思うに、彼は紳士たることに強い関心があったのである。「それらはまた、ひじょうに低級な芸術家の作品であるのが普通である」の一文が必要だとはまったく思われないのだが、彼はわざわざ書く。紳士たるためには、己の感受性のうち自分自身紳士的でないと感じている部分を紳士的に矯正する必要がある。美学を構成して、そこに自分の感性をはめ込むというやり方がある。それが充分すぎるほどうまくいったとき、美学と感性は完全に一体化し、そのことに自身気づかないほどになる。彼は基本的に芸術が自身の説明を伴うものであるとみなしている。芸術が理解可能な形をしていることは彼にとって不可欠なのである。直前に引用した部分の次の段落はこうだ。

 

 われわれがこれら二つの模倣芸術から引き出す本来の快楽は、欺瞞の効果であるどころか、それとはまったく両立しないのである。この快楽はまったく、一種類の対象が他のひじょうに異なった種類の対象を表現するのを見た際の驚異に基づくのであり、さらに、自然がそれらのあいだに確立した不一致をこれほど見事に克服する技術への、われわれの驚嘆に基づくのである。彫像と絵画の高尚な作品は、次の点で、自然の驚異すべき現象と異なる、一種の驚異すべき現象であるように、われわれには見える。すなわち、いわば、それら自身が自らについての説明を伴っていて、それらが作り出されるやり方と方法を、目に対してさえ、明らかにするという点である。*23

 

 ここでもアダム・スミスは「高尚な」をつけることを忘れないが、「目に対してさえ」のところに注目したい。極めて常識的である、ありすぎようとするアダム・スミスは、通常説明が目に対してなされる、すなわちイメージによってなされるものではなく、言語によってなされると理解しているだろう。「正確に分析するよりは強烈に感じとる能力のある著者、ジュネーヴのルソー氏は」と、アダム・スミスはルソーの音楽論を引用する。ルソーは、絵画はおおくある感覚のうちの視覚だけにその模倣を呈示するが、音楽はすべてのものを模倣するので、聴覚だけでなく視覚にさえその模倣を呈示する、という。アダム・スミスが決してしない劇的なイメージの多用による修辞を駆使して。音楽家は「時に海を波立たせ、大火災の炎を燃え上がらせ、雨を降らせ、小川を溢れさせ、奔流を増水させるだけでなく、ぞっとする荒野の恐怖を描き出し、地下の土牢の壁を暗くし、嵐を静め、大気と空にのどけさと平静を取り戻し、オーケストラ席から木立と野原に新たな清々しさをゆきわたらせるだろう。」と、ルソーの引用を終えたアダム・スミスのコメントは以下の通りである。

 

 ルソー氏のこのひじょうに雄弁な記述について、私は次のように述べなければならない。オーケストラによる器楽は、オペラの背景と演技の助力なく、背景画家または詩人の、あるいは両者の、助力なしには、ここでそれに帰せられている諸効果のどれも生み出すことはできないであろう。*24

 

 あるいは、『アダム・スミス 修辞学・文学講義』でシェイクスピアを批判している箇所はどうか。

 

 さらにもうひとつ、われわれが注意しておいていいのは、ふたつの隠喩を混合して用いてはならないということで、そのばあいに双方がただしいことはありえないからである。シェイクスピアはしばしば、この誤りを犯している。前に引用した行のすぐあとで、雄々しく武装して苦難の海をくいとめると、かれが続けているばあいがそうである。海をくいとめるために武装するということは意味がないから、ここには明らかな背理がある*25(強調は引用者)

 

 七[八]。対象に矛盾したり適用不能であったりする形容辞を、使ってはならないということは、もしわれわれが、イングランドの最高の書き手たちのなかにも、多くの場所でこのあやまちにおちいっているものがあるのを知らなかったら、諸君に警告する必要はないとおもわれるだろう。ポープ氏はたびたび、名詞にまったくあわない形容詞を適用する。かれが「森の茶色の恐怖」について語るばあいがそうである。〈おちる流のささやきを深め、森のうえに茶色のさらにこい恐怖をなげかける〉

 恐怖とむすびついた茶色は、まったくなんの観念も伝えない。トムスンはしばしばこのあやまちを犯し、シェイクスピアは、ほとんどたえず、そうしている。*26(強調は引用者)

 

 彼の書く文章にはおよそ「文学的想像力」をたのむところがない。文学理解の体系は個々の作品を感受する前にすでに構築されきっており、「雄々しく武装して苦難の海をくいとめる」や「森の茶色の恐怖」の方に自分の側を緩めていくという発想は見当たらない。完全武装の紳士。もちろん完全武装の紳士は紳士ではないのだが、しかしそうであるからこそ器楽に対する彼の入れ込み方がより強く異質なものに映る。先に引用したように、アダム・スミスは器楽が自己完結した意味を持っていると考えている。これ自体アダム・スミスの四角四面なところから遊離している。彼において意味はまずもって言語の形を取るはずであり(彼の時代における視覚芸術は常に他の何かを指し示し、またそのことを含む自分自身を鑑賞者の目に説明するものであるからして圧縮された言語にほかならない)、意味があるかないかは言語の組み合わせによるはずである。だが器楽は自己完結しているのだからそこには音組織しかないわけで、ここにアダム・スミスが感じ取る意味とはどういうものなのか、アダム・スミス自身も明瞭に言えているようには見えない。情念だけでもなければ楽理的構成の方法と秩序、その要素だけでもない。

 

 舞踊について書かれた第三部は邦訳にして五ページほどしかない。音楽と舞踊には共通する原理があり、第二部で声楽についての記述が始まる手前に書かれていたその原理とは「古代人が律動リズムと呼んだもの、われわれが速度タイムあるいは拍子メジャーと呼ぶもの」*27である。この部分はルートヴィヒ・クラーゲスの『リズムの本質』においてリズムと拍子が対置されていることを思い出させるが、アダム・スミス律動リズムと、速度タイムあるいは拍子メジャーの間に明確な対立をおいているようには見えない。しかし、古代人と近代人の舞踊の間には本質的な差異を見ている。彼は「古代ギリシァ人は、踊り手たちの国民であったようにみえる」という。近代の舞踊は器楽を伴奏にするために模倣的でなくなってしまったが、古代の舞踊では声楽を伴奏とするために模倣的であったという。また、「ギリシァ語には踊ることを意味する二つの動詞があり、そのそれぞれが舞踊および踊り手を意味する固有の派生語をもって」おり、その二つの動詞のうち一方は「踊ることと歌うことを同時にすること、あるいは、自分の音楽に合わせて踊ること」を意味し、もう一方は「歌わないで踊ること、あるいは、他の人々の音楽に合わせて踊ること」を意味しているのだという。まるで結語らしい結語もなく、このような温度で唐突に第三部は終幕に向かっていくのだが、ここで一番目を引くのは次の部分である。

 

私は、自分の歌に合わせて踊る黒人の踊りを見たことがある。それは、その人自身の国の出陣の踊りであって、その行動と表情の激しさは、女性とともに男性も、同席者のすべてが、その人の激怒をできるだけ避けるために、椅子やテーブルの上に立ち上るほどのものであった。*28

 

 他の部分を見ても、アダム・スミスは、器楽の伴奏による舞踊よりも声楽の伴奏による舞踊、それも自ら歌い踊る舞踊の方により大きな力を感じている。じっさい、上の引用のすぐ手前で「りっぱな肺と力強い体躯を必要とするが、しかし、この二つの利点と長期の訓練をもってすれば、最も高度の舞踊でさえ、このやり方で演じられるであろう」とあることから明らかだろう。もちろんここで彼は「でさえ」と書く。かれは古代ギリシァ人を野蛮人とはせずに古代人とし、「アフリカの黒人たち」と「アメリカの野蛮諸民族」のような「最も野卑な諸国民」と区別しているだろう。だが振り返ってみれば、彼が絵画や彫刻、建築装飾といった「文明」的な芸術よりも、音楽や舞踊といった、同時代において「文明人」よりも「野蛮人」が親しむ芸術に心を奪われているのは明らかではないか。

 そう、心を奪われているのである。しかし彼は当時のスコットランドに生まれ落ち、知識人階級としてあらねばならなかった。地球にやってきた宇宙人が地球人に馴染もうとするようにして、彼は紳士であることを諦めるわけにはいかなかった。「野蛮人のようでありたい」などと口にすることは難しかっただろう。それゆえ黒人の舞踊に衝撃を受け、その力に魅かれたとしても、それは野蛮人の舞踊であって、同じ方向を目指すときには「最も高度の舞踊でさえ」という言い方をとるほかないのである。その点、器楽は音楽の歴史において最も「進歩」した形態であった。原初にあったはずの模倣から最も遠い位置にあるからである。器楽がもたらす「ひじょうに高度の知的な快楽」は「何か他の学問の偉大な体系について思いめぐらすことから生じる快楽に似ていないわけではない」のであり、彼が『国富論』の執筆に没頭していた頃の散歩のエピソードを思い起こせば、その快楽は没我的なところまで向かうものであることは容易に想像がつく。彼は紳士であるには感受性が鋭すぎたのであり、「模倣芸術について」のほとんど全編に見られる諸芸術との奇妙な距離感は、彼自身の輪郭が溶け出してしまわないために彼が選んだ一つの防衛策であったように思われるのである。そのような中で器楽は、その「進歩」性のゆえに彼がある意味安心して受け入れられる、しかし同時に原初的なものにも通底する突出したエネルギーをもつ芸術であった。

 この論文において、アダム・スミスが鏡について語っている箇所がある。鏡は絵画と異なり、まったく同じ仕方で同一の効果を発揮する。一度光学についての説明を受ければ、鏡のもたらす驚異は消滅してしまう。また絵画と違い、鏡が映し出すのは現在の対象だけであって、「ひとたび驚異がほぼ終わってしまえば、われわれはすべての場合、映像を眺めるよりも実物を眺める方を選ぶ」と彼は言う。面白いのはその後である。

 

 そこでわれわれ自身の顔は、鏡がわれわれに対して示すことのできる最も快い対象、われわれがそれを眺めることにすぐに飽きるということのない対象となる。それはわれわれが映像しか見ることができない唯一の現存の対象である。美醜、老若いずれにせよ、それは常に、われわれがたまたまその瞬間に感じる感情、情動、情念と正確に対応する容貌をもつ、友人の顔なのである。*29(強調は引用者)

 

 鏡に映った自分の顔を「友人の顔」というアダム・スミス。わたしの感情はけして目に見えることはないが(自分の顔を直接見ることはできない)、鏡の上にはちょうど自分の感情を見える形に表出する顔があった。それが友人の顔だとするなら、彼が「われわれが器楽から感じるものは何でも、本源的な気持であって、同感的な気持ではない」と書いたとき、彼はおそらく鏡とは別のところで、かの親しい友人の声を聴いたのである。

*1:ルイス・カーン著, 前田忠直編訳『ルイス・カーン建築論集』p19, 鹿島出版会, 2008

*2:谷川俊太郎『二十億光年の孤独』p72, 集英社, 2008

*3:山崎怜「アダム・スミスの会,大河内一男編『アダム・スミスの味』,https://kagawa-u.repo.nii.ac.jp/records/5411, 2024年6月11日閲覧, pdfあり

*4:言うまでもないことだが、アダム・スミス本質主義的なカテゴリーとして「宇宙人」であるわけではない。というよりも、「宇宙人的」というからして我々は地球人でありながら「宇宙人」になることができる。木下古栗の小説「いい女 vs. いい女」には次のような部分がある。

 

「我々は宇宙人だ。地球人も宇宙人とするならである。バラク・オバマは一見ワイルドなことに将来的な火星への有人飛行をぶち上げたが、それは不都合な真実から目を逸らさせるためでしかなく、我々は火星になど行く必要はない。そんなものはこの閉塞しきった環境にまだ外部があるかのような夢想を抱かせようとする他愛のないまやかしである。なにせヴァージニア州のエリック・ウィリアムソンのように、自宅でさえ全裸で過ごしていると訴えられ一審で有罪判決を下されてしまうのがあの国なのだ。そもそも、我々は既に自分だけのロケットやブラックホールを持っている。もはや選択肢は一つしかない。すなわち、見る影もなくワイルドさを減退させながら締まりなく死に絶えつつあるこの文明、その衰弱を出し抜いて、我々はこの星に移住するのだ。地球の作法など知ったことかとばかりの野蛮さを内に秘めて、ある種の不穏さを唯一の武器にして。」(木下古栗『いい女 vs. いい女』pp216-217, 集英社, 2011)

 

ここには(特に男性性をめぐる)夥しい風刺と冷笑、というよりも、より深い真剣さを秘めた真顔の爆笑が、それ自身をこえて小説自体が決壊するほどに溢れかえっているが、それでもここから示唆される「宇宙人としての地球人が地球に移住する」という観念の設定には、地球人が「宇宙人的」なるものへと生成することの可能性が垣間見えるように思われる。

 

 また、すでに現在の社会において人々が「異星人」と向き合っていると比喩される領域も存在するようである。それは成人ASD自閉症スペクトラム障害)にかかわる精神医学の領域であり、内海健自閉症スペクトラムの精神病理: 星をつぐ人たちのために』(医学書院, 2015)は「宇宙人性」について考えるうえでも示唆を与えてくれる。あとがきを見てみる。

 

「本書のタイトルについては、若干説明しておく必要があるだろう.とりわけ副題の「星をつぐ人たちのために」は,SFファンにとって,J.P.ホーガンの小説をすぐさま連想させるものだろう.ただ直接の関係はない.ASD者はあたかも異星人であるがごとく,この星に棲むための苦悩を重ねている.しばしば使われるたとえであり,それほど的はずれなイメージではない.そして,こうした人たちは今後もさらに増えるだろう.もしかしたら,マジョリティになるかもしれない.そこまでは行かないにせよ,今定型者と呼ばれる者にとっても,支援するためだけでなく,自らがこの星に棲むために,立場を相対化して理解しておく必要があるだろう.そうした思いが込められている.」(p287)

 

本書のタイトルは直接『星を継ぐもの』との関連はないとされているが、「定型発達者」を相対化する意識を基底においたうえで展開される本書を読んだうえで改めて振り返ってみれば、このタイトルの選択から連想されるヴィジョンは「地球への移住者」というにとどまらないだろう。『星を継ぐもの』において提示される「霊長類」的な陽気かつ傲慢なヴィジョン(そこにキリスト教の影響をみないのは難しい)では、はるか昔に異星人が、やがて「ホモ・サピエンス」に進化する人類の祖先として地球に降り立ち、それまで地球上で「人類」の位置にあったネアンデルタール人は「ホモ・サピエンス」に滅ぼされることになる。さてここで地球に棲もうと苦闘するものすなわち「ASD者」と、彼らに接する「定型者」の関係はいかに重ねられるか。後者を「ネアンデルタール人」に重ねれば、地球が「定型者」の星から「ASD者」の星へ変わっていくというヴィジョンは一つの可能性として容易に引き出される。無論、このような表現は拡張されたゼノフォビアの形態へ容易に接続しうるのであって、「人間」という概念はそれがいかに豊かな内実を失ったとしても、そうだからこそ無根拠な共通性を見失わないために保持され続ける必要があろう。あらゆる断絶は名詞が存在しうること自体によって根拠付けられているが、同時にその断絶は、名詞が名詞としてあらわれたということ自体によって乗り越えうるものとしても根拠付けられているのであり、言葉とは境界の手前に広がる朝靄のようなものにほかならない。そして「宇宙人」のきらめきとは、地球人も火星人も同じように見上げる空の向こう側からやってくるものである。

 

 歴史上、宇宙人を含む「地球外生命体」についての思考がいかになされてきたかについては、『地球外生命論争 1750-1900』(マイケル・J・クロウ著・鼓澄治、山本啓二、吉田修訳、工作舎、2001)が参考になる。

*5:「Xとは何か」と「YはXか」は、存在論的差異に類比をとるなら、前者が存在の問いであり、後者が存在者の問いに属することになる。しかしこの混同はしばしば起こることであり、野蛮な言い方をすれば、1945年以降、現代美術がある面において目指したことはこの混同によってついに失敗した。今はなきツイッターのあるアカウントがかつて、現代美術が何をしようとしていたかを「ナチの否定」という一言でまとめており、私も一つの側面としてそれに同意する。ナチズムとは美のもつ全体性(欠けるもののないこと)・純粋性(余計なもののないこと)という性質を国家の建設の原理にまで拡張しようとするエネルギーであり、美そのものを地上に受肉させるという邪神の意志であった(ここにも存在論的差異を巡る混同と同型のものが潜んでいる)。この点でアドルフ・ヒトラーとはあらゆる芸術家がかつて夢みた夢のひとつであり、そしてそれゆえに、芸術家のマキシマムな夢は禁じられたのである。だがそれは禁じられただけであり抹消されたわけでも乗り越えられたわけでもない。美と建設を巡るもうひとつの方向としてあるのは、美それじたいを最初から建設し直してしまうという政治であり、それはベンヤミンが『複製技術時代の芸術』において、あるいはボリス・グロイスが『全体芸術様式スターリン』においてロシア・アヴァンギャルドを経てスターリンに至る道程に見ようとしているものであるが、ここには「美とは何か」すなわち美を、「Xは美であるか」すなわち「美術」の生産によって揺らしうるという誤謬が存在した。無論認識と学習が断絶しているなどということはなく、あらたに獲得された美的認識の再編成が知覚の仕方にフィードバックされるということは十分に有り得る。しかしこのフィードバックの構成はかなり緩いものであるということ、美的感覚が理性に対してシステマティックに従属する形で構成されていないということが、美、それもナチ的なものを駆動させない形をとった美の再構成というプロジェクトをますます不可能なものとしたのである。ここにおいても先述の通り感性の変容は恩寵に属するのであり、それにしたって何を美として感じるかの変化であることを思えば、美という霊的、呪術的、神的とさえいっていい力には、いまだなお傷一つついていないのかもしれない。なお付け加えて言えば、醜悪なものは美醜の対立というそれ自体美的なものの領野においてあらわれるものであり、美それじたいを補完し補強しこそすれ揺るがすことはない。なんにしても、邪神、美と美しいものの間ではたらくあの邪神は、神であるがゆえにそうそう死ぬことなどないのである。

*6:アダム・スミス著、アダム・スミスの会監修、水田洋・松原慶子訳『アダム・スミス 修辞学・文学講義』p360, 名古屋大学出版会, 2004

*7:同上, p348

*8:スミスの文体がもつ「煩雑ながら魅力的」という性質に関しては、『道徳感情論』初版刊行の際にエドムンド・バークがスミスに宛てた書簡から、当時においてもそのような見方があったであろうことを示唆している。

 

「失礼ながらここからは一種の欠点と思われることを述べさせていただきます。貴兄の文体は若干の箇所で、ロック氏がその著作の大半でそうであるように、少々冗長すぎるようになっています。しかしながら、これは許容しうるたぐいの欠点でありまして、鈍感な想像力の持ち主が陥りがちな無味乾燥な文体よりもはるかに好ましいものです。」(田中秀夫+坂本達哉監修、篠原久・只腰親和、野原慎司訳『イギリス思想家書簡集 アダム・スミス名古屋大学出版会,2022)

 

*9:アダム・スミス著、アダム・スミスの会監修、水田洋ほか訳『アダム・スミス哲学論文集』p150,名古屋大学出版会, 1993

*10:アダム・スミス著、高哲男訳『道徳感情論』p330, 講談社, 2013

*11:アダム・スミス著、アダム・スミスの会監修、水田洋ほか訳『アダム・スミス哲学論文集』p150,名古屋大学出版会, 1993,p161

*12:同上,p163

*13:同上,pp151-152

*14:同上,p162

*15:同上,p168

*16:同上,p169

*17:同上,p172

*18:同上,p180

*19:同上,p185

*20:同上,p198

*21:同上,pp154-155

*22:同上,p164

*23:同上,pp164-165

*24:同上,p187

*25:アダム・スミス 修辞学・文学講義』, p50

*26:同上、p133

*27:アダム・スミス 哲学論文集』p168

*28:同上、p202

*29:同上、p166