投壜通信という言葉から連想されるものといえばアガサ・クリスティの『そして誰もいなくなった』や夢野久作の『瓶詰の地獄』など様々あるだろうが、そのものズバリでいえばパウル・ツェランだろう。
詩は言葉の一形態であり、その本質上対話的なものである以上、いつの日にかはどこかの岸辺に おそらくは心の岸辺に 流れつくという(かならずしもいつも期待にみちてはいない)信念の下に投げこまれる投壜通信のようなものかもしれません。詩はこのような意味でも、途上にあるものです 何かをめざすものです。*1
ブレーメン文学賞受賞講演で語られた投壜通信という言葉は、そのイメージがもつある種のポップさから(ほとんど現在とは結びついていないがイメージが容易であることは、伝播において言葉に軽やかさをもたせる)、しばしば「宛名のない手紙」や「誰でもよい誰かへのメッセージ」へと使い道が広がっていく。だが、投壜通信の場面のイメージや、上のツェランの言葉をたどり直した時、投げられた壜詰めの手紙の側から投壜通信ぜんたいのイメージの収束が行われることに気づく。
さっそく投壜通信が行われる場面を想像してみよう。まずそこは大地ではない。壜が割れてしまう。河川は流れと底のある水の領域であり、やはり水底に壜が当たって割れる想像をしてしまう。投壜通信が最もイメージしやすいのは海である。そして、大地ではないことともつながるのだが、コミュニケーションを目的とした探索が断念されていなければならない。もし伝えたい誰かが陸続きにいそうだというなら、きっと投函者はまず誰かを探して歩き始めるだろう。このことから、投函者は孤絶した場所にいる。絶海の孤島、難破船……大事なのはこの孤立した場所に存在する人間がただひとりでなくてもいいということだ(『瓶詰の地獄』を思い出せばよい)。投壜通信はこの単数・複数問わず孤立した存在たちの外部に届かなければならない。投げ込んだ壜が投げ込んだところへ帰ってきてもらっては困るのである。
投壜通信(という比喩)にとって重要なのは最後の部分である。「宛名がないこと」がよく取り沙汰されるが、それなら放送(broadcast)も同じである。どうやら投壜通信の比喩は実現されるにあたってしばしば「幅広く(broad)」+「投げる(cast)」という形へと変容していくらしい。通信の語が入っているということもあるだろうか。しかし投壜通信の本質はそこにはない。まわりに宛名となる人間がいないことがむしろ投壜通信の核心をなす。投壜通信には、当座のコミュニケーションへの断念が先立っている。
ツェランに戻ろう。
ツェランは先にひいた講演で、詩は本質上対話的なものであるという話をしている。それと投壜通信の比喩を続けて用いることにはなにかギクシャクしたものがある。投壜通信は対話をするにはあまりにも不適切な手段である。こんなに送受信の安定しない通信路はない。振り返ってみれば、ツェランは「岸辺」に、「心の岸辺」に到達するイメージを語っている。この段落には人間の影がない。彼はヨーロッパにいた。ヨーロッパにはたくさんの人々が当時も存在している。そこを追われた者、抹消された者もたくさんいるのだが。心の岸辺というコードが人間へと翻訳されるとしたら、海はどうなるのだろう。
上の段落の次の段落を見れば、ツェランにとっての投壜通信のありようが読める。
何をめざすのでしょう? 何かひらかれているもの、獲得可能なもの、おそらくは語りかけることのできる「あなた」、語りかけることのできる現実をめざしているのです。*2
ツェランの生きていた現実は、語りかけることのできる現実ではなかった。語りかけることのできる「あなた」もまた。1958年にこの講演を行ったツェランはのちの1963年、『誰でもないものの薔薇』という題の詩集を出版する。暗い、死の雰囲気に満ちた海は世界へと翻訳されてツェランの周りを囲んでいる。
なにはともあれ言葉の第一義は伝達にある。伝達とは何か、何が伝達されうるのか、伝達されるとはどういうことなのかが見失われた時、もはや言葉であることを失ってしまった言葉がはじまり、したがってあたらしい詩がはじまったのだった。それは確かに言葉が豊かさを獲得したということでもあるのだが、それはそれ自身であること以外のなにもかもを失ったことと引き換えであった。それはそれ自身であることを失うことと同義であるのだが。そのような言葉がかりに伝達されうるとしたら、その宛先は「あなた」であることを失った「あなた」以外にありえない。他の誰でもないこと以外の何もかもを失った者だけが、やせ細り、骨格だけになった対話をかろうじて成り立たせるだろう。ツェランの投壜通信は誰彼かまわず届けばいいというものではない。それはただひとつの宛名を持っており、そこに届くことだけが壜に詰められたメッセージの全存在理由をなしている。「誰でもないもの」とはそのただひとつの宛先、「あなた」の固有名詞にほかならない。
