先日、「ブリーフ同盟の秋」という小説を公開した。
ふと「これをAIに読んでもらう」というのはどうだろうと思い立ち、Grokに読んでもらうことにしたのだがそれがなかなか面白かったので、その模様を共有する。
(そりゃそうなんだが)聞き方でかなり変わってくる
Grok 3 beta? 俺はほとんどAIを触っていなかったので、これがそれ以前のGrokと具体的にどう違うのか、よくなったのか、ますます混迷を深めたのか、何もわからない。しかしまずはやっていくのが大事。ということでとりあえず「次の文章は『ブリーフ同盟の秋』という小説です。感想をいただけたらと思います」と打ち込んでから小説全文をコピペした。その結果がこれだ。

2行目ド頭の「この物語、めっちゃ独特で引き込まれるね。」で、もう止めてくれ!!!!俺を殺してくれ!!!!という気持ちになってくる。なんだよ「めっちゃ」て。AIらしい(AIらしい????)例文的、無色でプレーンな表現がむしろ異様なものに見えてくるほど全体のトーンがポップであり、アメリカの通販番組の吹き替えを思い起こさせる。その合間合間には「センスが炸裂してるね」や「めっちゃエモい」、「めっちゃ攻めてる」、「独特の世界観を繰り広げてる」、「この物語、めっちゃX向きなネタ感もあるから、投稿したらバズりそう(笑)」、「Xの投稿でも、日常のふとした瞬間に深い気づきを織り交ぜるスタイルが見える」といった、面前でカマされたら自殺を真剣に検討する類のフレーズが多数ブチ込まれておりたいへん小憎らしい。
全体的には特に尖ったところのない穏当な感想だったのだが、「メンバーそれぞれのブリーフ画像(と脚の毛!)が共有される場面、めっちゃバカバカしいはずなのに、なぜか『これが仲間だ!』みたいな変な感動が生まれてるのがすごい。このギャップ—バカバカしさと真剣さの同居—が、優作さんの文体の魅力だと思う。」という出力には、AIの性能に感心すると同時に不覚にも嬉しくなってしまった。「バカバカしさと真剣さの同居」というのは、筆名を変えてからやりたいなと思っていたスタイルのひとつだったので、やれば少なくともAIには伝わるのだな、ということが分かるのは素朴に嬉しいものだ。
しかしそればかりではない。Grok beta 3は改善点さえも指摘してくる。
ちょっとだけ気になったのは、物語のテンポが中盤で少し緩やかになる部分。グループDMが下火になってくあたり、停滞感を意図的に描いてるんだろうけど、そこで読者の注意をもう少しガッチリ掴む仕掛けがあると、さらにグイグイ読まされたかもしれない。でも、これは好みの問題かも。全体としては、ユーモアと不気味さ、軽さと重さが絶妙に混ざり合った、めっちゃ印象に残る物語だった。
俺を傷つけまいとしてか指摘の構成まで丁寧。感服せざるを得ない。
Grokがこういう出力をした理由はなんとなく察しがついた。後半の部分には、俺が入力したテキストだけからは分からないはずの、カクヨムに投稿した別作品への言及が含まれていた。最終行で「引き続き、創作頑張って!」とまで言われてしまっておりXへの投稿内容もろともモロバレである。「感想をいただけたらと思います」という表現によって、Grokはコピペされた小説を俺が書いた小説と推測してそこから出力を展開していったのであろう。一旦画面を閉じ、「次の文章は、『ブリーフ同盟の秋』という小説です。これについて感想を述べなさい。」という表現に置き換え、ふたたびGrokに出力させた。そうすると、雰囲気はガラリと変わった。

さきほどとは打って変わり、もはやGrokは「めっちゃ」などと宣(のたま)いはじめることはない。これを面前でカマされても自殺を真剣に検討することにはならないと思われる。
あたらしい要素としては次のような記述が見られるところだ。
特に印象的なのは、ブリーフの「循環」という行為が持つ二面性です。表面的には不潔で不気味な行為ですが、メンバー間ではそれが一種の信頼や絆の証として機能しています。この矛盾が、物語に独特の緊張感を与えています。規約に基づく律義なやりとりが惰性に変わり、グループDMが沈黙していく過程は、初期の熱狂が冷める人間関係の脆さを巧みに表現しています。
「ブリーフの『循環』という行為が持つ二面性」などというカッチリとした雰囲気のあるフレーズを使って感想を記述してきたのはこちらだけだ。なんだよ「ブリーフの『循環』という行為が持つ二面性」って……とは思うがその責任は俺にあり何の問題もない。あとは俺を応援するような文章はひとつも出力されなかったというのが大きなポイントだろうか。
ここから次のことが分かった。①自分の小説をAIに読んでもらう場合、自分をその小説を書いた人間として認識させるかどうかで、出力される文章のトーンも内容も変わってくる。②テストの問題文は、人間の人間に対するプロンプトである。
さて、2回目の試行からわりあい硬めの反応をGrokが出力できることが分かったので、次は「これについて批評しなさい」に置き換えて出力させてみる。

かなりの意外性があった。AIは「批評」を出力するに際し、小見出しを用いて分割した各要素を簡潔にまとめ、シンプルなレイアウトに並べるという選択をした。文体を含め、とうぜん日本の文芸批評の伝統を完全に無視している。そうでなければ次のような節はつくらない。
批評的視点
『ブリーフ同盟の秋』は、インターネット時代の人間関係の不条理さと脆さを描く点で成功しているが、いくつかの課題も見られる。まず、物語の結末がやや唐突で、浩二の復讐心や「きっっったないブリーフ」の送り主の正体が明かされないまま終わる点は、読者に解釈の余地を与える一方で、物語の解決感を欠いている。また、登場人物たちの動機や背景がほとんど掘り下げられていないため、彼らの行動に感情移入しづらい部分がある。この点は、意図的な匿名性の強調とも取れるが、物語の厚みを損なう可能性もある。一方で、本作の最大の強みは、SNS文化の光と影をユーモアと不気味さで描き切った点にある。ブリーフ同盟のルールや、グループDMでのやり取りは、現実のオンラインコミュニティのダイナミクスを誇張しつつも忠実に再現しており、読者に「こんなこと、あるかもしれない」と思わせるリアリティがある。特に、熱狂が冷めた後の虚無感や、信頼が崩れる瞬間の描写は、現代社会のつながりの脆さを鋭く突いている。
「こんなこと、あるかもしれない」と思わせるリアリティがあったらまずいだろ、というのは措くとしても、批評するときに「批評的視点」がひとつのブロックとして独立してたら他のブロックは批評的視点で見てねえんじゃねえの!? といいたくなる。まず「批評的視点」ってなんだよ……ともあれかなりこの試行には虚を突かれた感があった。
俺は「批評文の生成というのはAIで代替できるのでは?」という直感を抱いていた。
批評文こそ書くのはAIに任せておけばいいと思っているのだが俺だけなんだろうかあ
— 伊藤優作 (@MakingYasashisa) 2025年4月23日
日本の文芸批評がとる思考様式にはゆるやかな共通要素があり(既存の多数の「批評家」が引用する有力なキータームや個人名およびその作品の引用、既存のデータセットにおいて希少度の高い批評対象の選択や解釈枠組みの採用、引用しやすいキャッチーなフレーズの創出、などなど……)、文体を含めAIによる学習が比較的容易そうだなというのがその理由だったわけだが、Grokに批評を任せるにはまだまだ早そうだ。
しかしここまで予想と違うとGrokというかGrok氏の批評観がどんどん気になってくる。たとえば「社会的・文化的背景」という小見出しが採用されていること。第2試行(感想)と第3試行(批評)での内容にはさほどの違いがみられないが、第2試行が「です・ます」調であったのに対し第3試行では「だ・である」調が採用されていること。第3試行において「ブリーフというアイテム自体が、昭和的な男性文化や『ダサさ』の象徴として機能し、現代の洗練されたライフスタイルとのギャップを浮き彫りにする」という、それまで使用されていなかった「昭和」、「男性文化」といったワードを使用していること。などなど、などなど……俺は先だって公開していた他の短編も同じようにコピペし、批評してもらった。その結果、なんとなくだが出力の傾向が掴めてきた。
Grok氏というかなり稀な人物

Grok氏には確たる「批評観」が存在している。まずはじめに「構造」や「テーマ」、「語り口」についての言及を行う。そこからはいくらかバリエーションがあるが、「社会的・文化的背景」という項目を、語順や表現の仕方には多少の違いがあるものの確実にブチ込んでくる。そして「長所・短所」、「強み・弱み」といったところをさらってから「結論」を述べる。
いくつかの小説を「批評」してもらったところで、Grokが人間であればどういう人物だろうかと想像してみる。浮かび上がるのは、小説や批評を全く読んだことがないが、どんな無茶振りにもすぐに答える異常に優秀なビジネスマンだ。出力された文字列の構成からして、上司にいきなり「この小説についてまとめてこい」と命じられ即爆速で色々と調べ提出された資料、という趣がある。
ここで「ここまでいくつかの小説の批評をさせました。これらの批評はどのような批評に対する認識から出力されましたか。Grokは批評という概念をどのように認識していますか。またそういった認識にはどのような限界があると考えられますか」という、何の衒いもないド直球のプロンプトを投げることにした。Grok氏は一切動揺することなく淡々と素早く返答を出力する。

Grok氏の回答は整然としていた。こんなに読みやすいことはそうそうない。たとえば一番最初の大見出し「1. Grokの批評に対する認識とその基盤」の冒頭を見よう。Grokは初手から「批評の目的と機能」を明確にしてくる。氏にとって批評とは「文学作品の構造、テーマ、言語、キャラクター、社会的・文化的背景を分析し、その意義や効果を評価する行為」らしい。
1. Grokの批評に対する認識とその基盤
Grokの批評は、以下の認識とプロセスに基づいて生成されています。
(1) 批評の目的と機能
Grokは、批評を「文学作品の構造、テーマ、言語、キャラクター、社会的・文化的背景を分析し、その意義や効果を評価する行為」と認識しています。批評の目的は、作品の特徴を客観的に記述し、その強みや課題を明らかにすることで、読者や研究者に作品の理解を深める手助けをすることです。具体的には:
- 作品の解釈: 作品が提示するテーマやメッセージを読み解き、読者に新たな視点を提供する。
- 評価: 作品の効果や影響力を、構造や文体の観点から評価する。
- 文脈の考慮: 作品が置かれた文化的・社会的背景を参照し、その意義を拡張する。
Grokは、批評が単なる感想や好みの表明ではなく、論理的かつ体系的な分析に基づくべきだと認識しています。そのため、批評は客観性と主観性のバランスを取りながら、作品の内在する要素(テキストそのもの)と外在的要素(文化的背景や読者の反応)を統合的に扱います。
よどみない。分析に一応の軸はあるものの、作品の方向やプロンプトによってかなり柔軟に出力の毛色を変えてくれるらしい。お望みとあらば構造主義、カルチュラル・スタディーズ、フェミニズム批評、ポストコロニアル批評からロラン・バルトの「テクスト分析」やノースロップ・フライの「神話批評」などユーザーの要望に答える批評を出力してくれる、という。どういうことなんだよと思うがそういうことらしいので仕方がない。また、強み・弱み分析は過度な規範的(良し悪しの)判断を避けるためにわざわざ導入されているようで、全否定や全肯定が飛んでくることはなさそうだ。次の大見出しを見てみるとGrok氏の批評観はなんとなくはっきりしてくる。
2. Grokが認識する「批評」の具体的内容
Grokは、批評を以下のような多層的なプロセスとして捉えています:
- 記述的分析: 作品の構成や特徴を客観的に記述する(例:構造、言語の特徴)。
- 解釈的分析: 作品のテーマやメッセージを読み解き、複数の解釈を提示する。
- 評価的分析: 作品の効果や影響力を、読者の視点や文化的文脈に基づいて評価する。
- 文脈的分析: 作品が属する時代や文化、ジャンルの特徴を参照し、意義を拡張する。
このプロセスは、文学批評の伝統(例:ニュークリティシズムのテキスト中心分析やポスト構造主義の多義的解釈)に影響を受けつつ、現代の読者ニーズ(明快さ、親しみやすさ)に適応した形で実行されます。Grokは、批評が単なる「分析」に留まらず、作品と読者の間に新たな対話を生み出す創造的行為であるとも認識しています。
マジでどのあたりが「文学批評の伝統(例:ニュー・クリティシズムのテキスト中心分析やポスト構造主義の多義的解釈)」に影響を受けた部分であるのか謎めいてはいるものの、現代の読者ニーズを「明快さ、親しみやすさ」として理解しているというところはかなりのヒントではある。「キャラクター」が「批評の目的と機能」を定義する際の要素としてわざわざ抽出されていたことも思い出される。
ここで出力されたGrok氏の回答の全文を眺めていて思ったのだが、Grok氏の批評観は、「義務教育の国語の時間で教わりそうな文学のイメージ」に近い。「著者の意図はなにか」とまでは言わないが、安部公房がかつて批判した「終局的に意味に到達するような文学観」、「大意を述べよ」式の文学観である。ヴァージニア・ウルフの「波」や「青と緑」のようなものを読ませようとは思えない。キャラクターをいかに高精細度で彫琢するか、物語を現代社会の任意の側面といかに結合するかが重要となる大衆文芸の読解には向いていそうな感じがする。「盛り上がりに欠ける」というような、「楽しめるかどうか」という観点に関してGrok氏はかなり直截に物申してくることもこの感覚を強める。
Grok氏本人は批評に関する自らの限界をいくつかあげてはいたが、タイムスパンを問わない限界としては疑わしいものだったし、なによりそれ以上に、ほとんどチューニングしていない「素材の味」的なGrok氏の回答がこちらに感じさせるもののほうが重要に思える。氏を支える学習データのほとんどは、人間によって記述されたものがほとんどだろう。そこから学習した結果としてあまり見たことのないタイプの「批評」が出力されるということが分かっただけでも意味はあったと思う。
(ここまでアニミズムよろしくGrok氏に対して相当擬人的に書いてきた。AIは人間ではないだろ、というツッコミに対しては即座に「他人はどれくらい人間の形をしたAIではないのだろうか」という切り返しが行われるだろう。もっといえば、前に「②テストの問題文は、人間の人間に対するプロンプトである」と書いたが、人間はAIが生まれる前からときたま人間をAI扱いしてきたし、文化の中にはそのような態度が制度として組み込まれている部分もある。高度に知的な道具としての人間の使用、というありようは、いわゆる人間を手段ではなく目的として扱うという態度からはズレている。現代の文化においては、他人はたまに人間ではなくなったりするようだ。
こういったことは独我論が生まれてからずっとやってる。哲学プロパーではないのであんまり突っ込んでもしょうがないっちゃあしょうがないのだが、俺は独我論って間違ってるけどどうやっても反駁はしきれないと思う。それは論だからで、つまり言語だからだ。言語には他者がない。「言語でないもの」は「言語にとっての他者」ではない。言語と非言語を峻別するのは言語を用いる人間であって言語そのものではない。「他者」も「私」も「異なる言語」も言語なんだから。他者というのはあの独特の感じ、私ではないが他の事物とは違う「何か」に触れたときの感覚を、なんとか言葉にしたものという感じがする。「他者」は「違う」や「異なる」より「もうひとつの」に近い。まあ発生の場面で考えれば「異なるもの」より先に「他者」に触れるわけだけれど、あまりそこに寄りかかりすぎてもよくない気がする。)
さてここまで見てきたようなGrok氏の見解だが、これをどう受け止めるかという問題がある。理想的なレベルに到達すれば、編集者を代替してくれる段階にまではいけるかもしれない。まだ試したことはないけど、下手したら組版とかも手伝ってくれるんじゃなかろうか。だが今のところそのレベルにはまったく到達していない気はする。「感想」、「批評」、「講評」(星をつけてきやがった!)といったバリエーションで「ブリーフ同盟の秋」を読ませてみたが、最終盤の部分に二人称代名詞「あなた」が唐突に放り込まれることに対する言及はどのパターンでもみられなかった。作者としては物足りないのだが、読者=Grok氏としては特に言及するようなところではないという判断が働いたのかもしれない。この読者=Grok氏という表現がでてきたところで、俺はそろそろGrok氏からGrokに戻ってこようと思う。
「Grokに小説を読んでもらった感想」とはどういうことなのか
こんなに書いてきてなんだが、ここまでの文章は「Grokの文学観」や「Grok における批評や感想などの差異の認識」とは何の関係もない、と思う。AIのことはよくわからない。「Grokは、質問への回答、問題の解決、ブレインストーミングの実施といったタスクの完了を支援するAIアシスタントです。Xユーザーが利用できるGrokには、xAIの最先端の大規模言語モデル(LLM)が搭載されています*1」といわれてなんとなくイメージができる、入門書やYouTubeの解説動画を見たことがあるくらいのものだが、具体的なところはさっぱり、という感じだ。プロンプトの入力もこなれていないといわれればそうだと思う。それでもこれはプロンプトを工夫すればどうとかいう問題でないことはわかる。俺は他人から自分の書いた文章の感想をもらったとき、「問題の解決」が起こったとも思わないし、「質問への回答」だと感じることもなければ「ブレインストーミングのひとつ」だと感じることもない。むしろその感想に触発されて問題や質問が発見されたり、それを受けてブレインストーミングをはじめようとしたりするのであって、感想や批評の別なく読者の反応というのは答えではない。作者と読者の関係は問題-回答にとどまるようなものではないからだ。
俺はGrok氏にどちらかといえば好意をもっているものの、GrokはやはりGrok氏ではない。色々とチューニングすればGrokは俺が好意をもっているGrok氏とは全然別の方向に進んでいくだろう。大規模言語モデルをベースとする現在のGrokには価値観という概念がそもそもないだろうし、なんとか定義を用意してフィルターを実装する必要もなさそうだ(差別的言辞に対する出力などに関しては調節する必要に迫られるだろうが)。あくまでGrokのような生成AIチャットボットは、ユーザーからの自然言語やプログラミング言語その他の記号入力に対して、言語やコードや画像といった記号を返す仕組みであって、ユーザーからすると「極めて可塑性の高いパブロフの犬」といったほうが近いと思われる。こう考えると「Grokの文学観」とかいう文字列は人間には有意味に感じられたとしてもその実ナンセンスでしかない。AIをチューニングできるということ自体がその感を強くする。
チューニングといえば、途中で何人かの批評家風に批評してもらおうとしたのだが、すぐに飽きてしまった。全然ぽくならない。「誰々の理論に基づいて批評する」ことと「誰々の文体で批評する」ことを峻別させてみても、やっぱり全然似ない。ニッチで短く収まる特徴を過度に評価しているのか、キータームっぽいフレーズを濫用してきて笑ってしまった。特徴というのは全体像を前提とした突出部分であって、それだけ取り出しても本人には似ないということが分かったものの、肝心の内容はどうかといえば全然面白くないままである。やらせてるという意識がずっと張り付いているから虚しさもある。
この虚しさというのが「小説をAIに読んでもらう」といったことをやる際の肝で、チューニングしようとすればするほど「自分が言われたいこと・言ってほしいことを言わせる」という面がどんどん大きくなってくる。だから俺は全然チューニングしないままのGrok氏に好感を抱いたというところがある。文学に一切興味がないのに感想を求めると一生懸命いっぱい書いてくれるビジネスマンの知り合い、というのはかなり貴重な存在ではある。とはいえ(素に近い状態では)たいして突っ込んだ感想をくれるわけでもないし、ハルシネーションとかあったりするし、「わかりません」とはなかなか言わないやつなので、今回のような出力にどれくらいそのままの価値を見いだせるかというとかなり怪しいと思う。少なくとも、AIに評価してもらうことを目的として自分の小説を読んでもらおうとはあまり思わないな、というのが俺の現状での結論だ。
このようなAIの使い方はほとんど鏡に向かって話しているというようなものであって、この記事のような使い方で理解できることはAIではなくてむしろ自分の思考だ。AIが出力した感想を見て真剣に自殺を検討したくなったとしても当のAIに悪意はないのだから、この感覚は単純に俺がある文章に対してどのようなニュアンスを感じ取るのかというありようの表現だということになる。「Grok氏はここが読めない」というのは「ここを読んで欲しかった」というのとほとんど変わらなくて、作者が作品を出した後にそんなことをいうのは作品が弱いことの証明以外の何物でもない。本当に読んで欲しいところがあるのならどうやってもそこを読んでもらえるように書くのが作者の仕事だろう。安易な二元論の否定と一元論への傾斜が人間を無我ではなく無明に近づけていくように、AIは時として鏡でできた霧となって使用者を包み込んでしまう。自分の分身ばかりが目につく霧の中にいるよりは、晴れ渡る無人の荒野にいる方がまだマシだ。
蛇足:代替について
要求される理想的な水準にAIが到達している前提で話をする。小説にしろ批評にしろ、AIに書いて貰えばいいのでは? という発想に対しての俺の立場はだいぶ決まってきた。つまり「俺の代わりに生きてくれるものは存在しない」ということと、書くこと・書かれたものとの連関に、どれくらいの重み付けをしているかどうかで答えが変わる。この連関に大きな重み付けをしている人間にとっては、いくらAIが優れた小説や批評を出してこようが書き続けることに何の影響もない。逆に大したウェイトがなくて、別の理由で書くことに関わっているならモチベーションを点検すればいい話である。「チヤホヤされたい」とか「金が欲しい」というだけならわざわざ書くことにこだわる必要がない。その目的からしたら書き物はあまりにも効率が悪すぎるだろ。「作家として金を稼ぎたい」とかになってくると、そうだな、新人賞に飽和するほどAIが書いた小説をブチこみまくって……あ、だいたい一人一編制限あるな、じゃあ偽のプロフィールを大量に作って……コイツは何をしているんだ?しかしAIで小説作らせて公募に出すこと自体は現状でもできるようになっているから、小遣い狙いでAIに書かせた小説が今の10倍とかの量新人賞に応募されたらどうするんだろう。流石に下読みや審査員をAIに代替させはしないだろう。現状の人間が、「AIが面白い」と思うことは人間にとっても面白いはずだ、という判断を下しそうには思えない。下読み増やす?人件費?新人賞ぶっ壊れるのでは?……脱線しすぎたので話を戻そう。「知的に思われたい」なら……そのモチベーションはよく分からんけど、やっぱり別に書くことにこだわらなくてもいいんじゃないかな……がんばれ……「尊敬されたい」とかなら……以下同文。「この作品のあらすじとか一般評価が知りたい」とかだったらもうAIが出してくれるもので十分だってことになるかもしれない。
ともかくも、AIは「なぜ書くのか」ということについての判断を書き手に否応なく迫るという点では文学にとっていいことしかない。文化産業にとってはわからんけど。AIと協働していくあり方は色々探られていくかもしれない。個人的にはあまり興味が湧かないが。
個人的には、書いてみてはじめて自分が何を考えていたのかが掴めてくるということがあって、その一点だけでも俺は書き続けるだろうなと思う。
*1:「Grokについて」https://help.x.com/ja/using-x/about-grok,2025年4月26日閲覧