先日街を歩いていたところ、ある施設があり、その掲示板に次のようなポスターが掲示されていた。
一目で魅了されてしまった。その様子は以下の通り。
土日一斉閉所キャラクターやすみんさん、「土日は、やすもう」、委細承知しました pic.twitter.com/SlQL93lRF1
— 伊東黒雲 (@Itou_Cocoon) 2024年5月18日
まだ土日一斉閉所キャラクターやすみんのこと考えちゃってる https://t.co/ciB8JXgr1q
— 伊東黒雲 (@Itou_Cocoon) 2024年5月20日
一番上に添付したポスターの画像だが、まさにこのキャラクターを作成した一般社団法人・全国建築業協会のホームページからダウンロードした。日付を見ると2024年4月1日となっており、どうやら土日一斉閉所キャラクター・やすみんさんが生まれてからまだ2ヶ月ほどということらしい。ああ、さん付けがはじまってしまっている。そう、「土日一斉閉所キャラクター・やすみん」を呼び捨てにできない、そのように出会いが始まってしまっている。まだ生後2ヶ月弱なのに。
土日一斉閉所キャラクター・やすみんさんのビジュアルから確認していこう。まずこの朗らかなあたたかみを見てほしい、つぶさに。太い黒に縁取られた逆三角形の小さい口、その色はネーブルオレンジを連想させ、夏みかんのような橙色の頬、バックの抜けるような薄水色と相まって、全体からは瀬戸内の休日のような雰囲気が漂ってくる。やすみんさんもうれしそうだ。それに、目。この真円に近い眼球の内側、斜線をわずかにゆるませたような瞳が、こちらを見てくれているのかは定かでない。しかしそんなことはどうでもいい。休日、やすみんさんがリラックスできればそれ以上何が必要だというのだろうか。
このゆるい、あまりにもゆるい、晴れた湿度の低い休日、五月初頭の午後といった雰囲気。しかし土日一斉閉所キャラクター・やすみんさんから漂ってくるゆるさは、顔の輪郭に採用されているぼわぼわした線のみによるものではない。土日一斉閉所キャラクターの名を背負い、やすみんさんはヘルメットを装着している。やすみんさん、休日なのに、どうしてヘルメットを? どうみてもワーカホリックの顔ではないやすみんさんがなぜこのHOGARAKA FACEにもかかわらずヘルメットをしているのか。おそらくこれは休日のやすみんさんというより、金曜日の、休みを明日に控えたやすみんさんの休憩時間を切り取った一枚なのではないか。明日のことを思い、顔がほころんでしまうやすみんさん。愛おしい、あまりに。しかしまだ仕事中だと思う。適度に気を引き締めて、安全第一で金曜日を終えてほしいところだが(あご紐をちゃんと締めていてくれてありがとう)、土日一斉閉所キャラクター・やすみんさんのゆるさはそれにとどまらない。頭頂部、ヘルメットと両耳をまたぐようにして「土休日」の文字が浮かび上がっている。一体どういうことなんだろう。ヘルメットを脱いでしまったら、「休」がなくなってしまうよ、やすみんさん。土日、一斉閉所するんじゃなかったのかい。もしこれでヘルメットを脱いだところ、額に「休」の文字が浮かび上がるのだとしたら、あまりのことに泣いてしまうかもしれない。しかし、今はただここに、このポスターだけに集中したい。この朗らかさにおいて、やすみんさんは働いているんじゃないだろうか。安全第一にヘルメットをきちんと着用、しかしその仕事は皆を休めることなのだ。この、無理をして朗らかを装っているようには到底見えない幸福に満ちた表情はどうだ。やすみんさんは生後2ヶ月で天職に恵まれたとしか思えない顔をしている。一日一日を、やすみんさんは見守っている。平日は、週末になれば安らかな白日のような休みがあるということを皆に思い出させながら、そして、休日はひとり掲示板の中で、ほうぼうに散り、めいめいに休日を過ごす皆に思いを馳せながら。やすみんさん、ありがとう。
次に先述のホームページを見てみると、土日一斉閉所キャラクター・やすみんさんが誕生した経緯を窺うことができる。
建設業においては、技能労働者の高齢化に伴い近い将来大量に離職することが 想定されていることに加え、少子高齢化に伴う若年労働者の厳しい人材獲得競争の中 で、週休2日(土日閉所)の定着は喫緊の課題となっています。
更に2024年4月からは労働基準法に基づく時間外労働の罰則付き上限規制が適用さ れます。時間外労働を抑制し、同規制をクリアするためには、労働生産性の向上と週休2日(土日閉所)の定着が必要不可欠です。
こうした状況に鑑み、日建連、全建、全中建、建専連では、大手、中小を問わず業界を挙げて、建設現場(緊急工事、工程上やむを得ない工事を除く。)において土日 閉所を目指すこととして「目指せ!建設現場 土日一斉閉所」運動を行うこととしま した。
急にシビアな話になったな。一読、労働力確保への切迫した危機感を感じられる。ここでは引用部分の「(緊急工事、工程上やむを得ない工事を除く。)」に注目したい。ふたたびポスターに目をうつしてみると、よく見れば土日一斉閉所キャラクター・やすみんさんの右下に、小さな小さな文字で、「※緊急工事、工程上やむを得ない工事を除く。」と書かれているのが分かる。そんなところに目がいくなんてことないよ、やすみんさん。ぼくは君に夢中なんだ。やすみんさんの表情は右下を経てもなおとろっとしている。資本の規模に比例する企業の基礎体力が絡みつつも単純化して言えば、「囚人のジレンマ」と同型の構造が見られる休業日数の増加問題。そんな問題に対して、個々の団体や企業の枠を超えた上位レイヤーからルールを下ろすという方法は十分にとられうるものだろう。しかし、そんないかつい話があったとしても(なかったとしても)、やすみんさんはこの朗らかさを失うことはないだろう。
そして、このキャラクターという問題。「土日一斉閉所キャラクター」とは一体どういうことなのか。キャラクターとは特徴であり、特徴へと向かわせるものは抽象化である。ここで抽象化とは、その対象から構造的に情報を圧縮していく操作にほかならない。ミャクミャクの場合を考えてみよう。ミャクミャクは「大阪・関西万博」の公式キャラクターである。公式ホームページを見てみると、こうしたイベントの公式キャラクターにありがちなプロフィールが練られていたりするが、ここでは「大阪・関西万博のシンボル」という部分が大事なところだ。といってもこうしたイベントの公式キャラクターの役割はだいたいそうだろうが。
シンボルは、当の対象と同一ではないことによってシンボルたりうる。「大阪・関西万博」という名詞が含む意味と広がりのポテンシャルは、「ミャクミャク」に完全に回収されるものではない、だろう。たぶん。まだ行われていないイベント、しかも万博のような、一回ごとに相貌を大胆に変えることもありうるイベントの場合、開始前から可能的に多様なイメージを抱くことは難しく、「なんかそういうのがあるらしい」といったことになる。だからこそ、その未来のイメージを集約するような先行イメージが、シンボルが、したがって公式キャラクターが誕生することになる。
さあ、やすみんさんに戻ろう。やすみんさんは「目指せ! 建設現場土日一斉閉所運動」のイメージキャラクターとして生まれ、その名称として冠に「土日一斉閉所キャラクター」が選択され、やすみんさんの掲載されたポスターの下には「土日は、やすもう」とある。
これは、キャラクターなんだろうか?
キャラクターへと生成される過程で、情報量が変わっていない。「建設業労働環境改善キャラクター」とかだったら分かる。よりよい労働環境を作っていきましょうという運動のシンボルが、その一つの方向として土日一斉閉所を訴える、この構造なら通常のキャラクターの運用だなと思っただろう。だが、「土日一斉閉所キャラクター」が「土日一斉閉所」を訴えるのはもはやトートロジーじみている。何ら抽象化を経ないまま意味と機能の原液をかけられ、そのフィルムから浮かび上がるやすみんさん。もはやキャラクターの域を超え、なにか確かな手触りを持った存在として現れてくるのが分かる。ただ一つの意味と機能が、やすみんさんを通って世界のこちら側に抜けていく。やすみんさんを介しているというこの場には過剰があるように思えるかもしれない。しかし、幸福に満ちたやすみんさんの表情がこちらに教えてくれること、それは、存在はそこへ至っているというだけで十全であるということ、過剰な存在などないということかもしれない。雲の白、空と海の青さ、柑橘の甘酸っぱさ、夏の光。四月生まれのやすみんさんは、ただ存在している。ほんとのほんとは十全なやすらぎであるはずのここに。残酷であるはずのない、ここという世界に。
あと、普通に僕も土日休みたいと思った。