今年は体感2年あったけど全然足りてねえ
と思った。やりたかったけど出来なかったことが結構ある。映画館にもほとんど行けなかったしよく考えたらアマプラほとんど使わなかった。「観る」がほとんど欠落していたので説得力もなにもどうしようもないけど今年観た映画で一番印象に残ったのは河瀨直美『東京2020オリンピック Side:A/B』です。
やりたかったことの一つは音楽で全然動かせていないが、まあ本気で動かす気がなかったという方が正しいのかも知れない。来年はちゃんと曲あげたいね。即興日記というのを動画を上げる練習がてら一時期やっていたのが以下の様子です。
時間を得るために、時間を売って金を買っているという感覚があって、これは時間が肉体だとすればよりしっくりくる。この一年でどうやら「名前」と「時間(と呼ばれているもの)・空間(と呼ばれているもの)」には結び付きがあるなと思い始め、これには荒川修作があれだけ所与への戦いを挑んでいながら名前についてあまり言及しないなということが気になり始めたということもある。多分マドリン・ギンズとの「+(プラス)」が鍵で(多分あまりうまくはいかない鍵なんだけど)、とりあえずはマドリン・ギンズのまだ荒川との共同制作ではない文章も載っているこれを買ったが全然積んでいる。
あとはやっぱずっと読まないっぱなしにしてるドゥルーズ+ガタリとかのことも考えたほうがいいのだろうなと思うが「名前」へのアプローチの仕方は他にも色々あって、だいたいペンネームがそうだろという思いもあり、引き続きやっていきたい。今年書いたもので買えるものはこれらになります。本当にありがとう。よしなによしなに。
↑短編小説(『(折々の記・最終回)また会うための方法』)が載っています。
↑巻頭言と短編小説(『歩調たち』)、詩(『題名』)が載っています。
健康は大事にしたほうがいい
今年は色々大変だったけど腹痛で寝れなくて死ぬかと思って病院行ったら便秘とのことだったため拍子抜けしたがそれはそれとして寝れねえんだから便秘だろうがなかろうが大変なことよこれは? と思いながら薬飲んで良くなったので良かったが、健康は大事にしたほうがいいと思った。全然思い込みだけど「死ぬかもしれん」の文字列にそれまでにない切迫感があり、そうか俺は「死ぬかもしれん」と思ったときにああいう感じになるのかというところを一つ得られた。
音楽はどのジャンルにしてもどんどんボーダーレスな混淆と洗練が進んでいってて最近は疲れるなという気持ちがないではない。いやしかしIT革命なんてまだまだ黎明期だし「デジタルネイティヴ」が多数を占める/しかいなくなった世界だと人類の知覚や知識論が旧人類の俺とはだいぶ断絶してそうだな〜なんて感じたりしてどんどん感性が固陋になっていく。後半期は特にクラシック音楽を再び掘り返し始め、エディット・ファルナーディのラフマニノフはヤバすぎる……とか、ミクローシュ・ペレーニ生まれてきてくれてありがとう……とか、グスターボ・デュダメル & シモン・ボリバル交響楽団のマーラー『復活』奇跡だ……とか、やはり戦前から活動してる奴らの演奏は全然ステージが違う……とか完全に厄介な人間になる未来が見え始めており、Open Your Heart......と自らに語りかける夜が続いているがまあそれはそれとして、今年出てよく聴いたアルバムはこんな感じ。
もうそろそろ20代が終わる
たいして長生きしてはいないけどそれでも2022年は多分今まで生きてて最悪の世相となっており、日本が最悪なのは今に始まったわけではないけどここ数年は特にひどい。とはいえ「あなたは言葉をたくさん知っておられるのですね」状態になることにはもう特に意味を感じなくなったし、俺(の生活)自体が世界やこの国の変化と競うようにして最悪に近づいていっているため、特にヴィジョンとか言いたいこととかはなくなっていくという感じである。友人と家族の健勝以外はどうでもいい。昨日青空文庫で読んだ二葉亭四迷の『平凡』が面白すぎたので、それに引っ張られているのかもしれないが、別に引っ張られていいし、四方八方から引っ張られて生まれる変な均衡を「わたし」とか名付けてあたかも何かがある気になってるんだろうが、みたいな気持はある。例によって新刊を大量に買ったりしないので、今年出てないのばっかりだが良かったやつです。
引っ越してえ。では良いお年を。