第4回阿波しらさぎ文学賞落選作と雑記

 特に使い回す可能性もないが他に出すところもないし、かといって仕舞ったままにしておくには個人的に惜しいという温度感のあったタイトル通りの応募作品について、全文を掲載した後、雑記が載ります。

 

『遊弋』伊東黒雲(15枚)

 

 ちょっと出てくるわ―んー海まで散歩―うんあー了解了解ってキラリのママチャリ乗って線路沿いにキコキコ鳴らしてたらすぐJR須磨駅に着いたんだけどもう日は沈みかけてたから砂浜を縫っている赤レンガの舗装がちょっと不気味な質感でというか寒い! 七月中旬だぞまだ気まぐれなのかよ。微風でも半袖の腕にはしりしりくる。押してくかー自転車で潮風をカバーできるしってまあ無理だけどこういうのは気持ちの問題だからって俺は水族園の方に歩き出す。散歩ってしようと思ってするというより身体が玄関の方に引っ張られててそれに気づくとああ俺散歩したいんだってなるんじゃないか。目的がないことを目的にしてる行動というかああでもお使い頼まれちゃったなビールかーマックスバリュは遠回りだなーまあ運動と思えばいっか。あるやつ適当に選んであ、でもまだ俺散歩感感じてるな。買い物感はない。「ついでに」をつけると主目的を乗っ取らずにお願いできるわけだな策士キラリめって水族園が遠い。やー気づいてるんだよ。水族園が遠いんじゃなくて俺が進んでない。海にくると嫌でも明石海峡大橋が目に入る。観念すっかーって俺は踵を返す。そういやカネダ死んだってツイッターで誰か呟いてたなユキノだっだっけか? 三〇過ぎたら知り合いも少しは死ぬだろうなとは思ってたけどこれでオケの同期二人目か。ハヤサカは自殺でカネダは病死。二人ともそんなに仲良くならなかったせいだと思うけどしょうがねえよなそういうこともあるよな色々あるしなくらいで考えが続かなくなるのは年齢のせいって部分も確実にある。留年してた頃は自分の年齢なんか忘れてたのにスゲー色々悩んで考えてた気がする。今とは逆だな。戻りたいかって言われたら別にって感じだけどてかいま親父何歳なんだっけっていよいよ俺は親父のことを考え出し足が重くなる。しょうがないから砂浜に自転車を置いて俺は波打ち際に腰を下ろす。もう死ね親父みたいな勢いはなくなったけどやっぱ帰省は毎年気が重かったのが去年は世のゴタゴタで帰省しなくていい雰囲気になってホッとしたし今年もどうやらそうなりそうでますますホッとしてるはずなんだけどキラリもコースケも割と残念そうでホッの上前歯裏の付け根あたりがもよもよしてくる。いや鳴門だぞド田舎だぞそんな楽しみか?って俺は思うけどキラリもコースケも東京生まれ都会育ちだから目に映る世界が俺とは違うのかもしれない。毎年手渡しで貰ってたすだちは去年から宅配便で送られてきていて今年の分も既に冷蔵庫に入っている。アレをみるとイラッとするのは今も治らないけどキラリとコースケがワイワイしながらざるうどんにすだち絞りまくってるのを見ると顔に出すのは良くないからきゅいって笑顔に持っていく。多分今年もあの橋を渡ることはないんだろう。あー綺麗に光ってんのが余計くるな。奥さんに逃げられた親父はあの橋が完成する前に俺を連れて瀬戸内海を渡ったらしいけど詳しいことは特に聞きたくないで済ませてきたから知らないし当時は三歳だったから記憶もないけど確か大鳴門橋はもうあったはず。親父は鳴門高校近くに小さな庭付きの一軒家を借り俺より育てたいんじゃないかってくらい庭にすだちを繁茂させて無口だった。休みの日にはよく千畳敷の展望台まで俺を連れて行ってぼけーっと淡路島の方を見たりしてて俺は会ったことねーけど母さんのとこ戻りたいならはっきりしろよって思うようになった頃あの明石海峡大橋ができて絶対に親父が逃げ出した東京にダッシュ! ってメラメラ燃えていたけど親父は国立じゃないとダメだとかぬかすのでマジで厳しく行けたのは結局名古屋。でも良かった。都会で鳴門が遠けりゃどこでも良かった。夜行バスでバイバイしてこんなとこには二度と戻らんぞクソボケと思ったあの座席はまー狭くて全てが硬かったけど最高だった。それから爆速で名古屋に飽きて授業も特に興味湧かなくてばんばか留年してチャイ五とかハルサイとかめちゃくちゃ練習した。一番楽しかったのはシェーンベルクの室内交響曲第一番。なんであんなプログラムが通ったんだよ。メインはブラ四だったけど釣り合い取れてるか? ってやってたら当然帰省なんてしないしそもそも俺の生まれは巣鴨のはずで俺は東京に帰るべきなのになんで親父は鳴門にいるんだってどうしようもないことにムカムカしていた気はするけど本当かどうかはもう渦の底。大学四年目まではまだ殺意があったはずだけど留年し始めてからはやけに細かい「哲学」的な問題に凝り始めてそのくせ後から振り返ると思考の記憶が曖昧に溶けていて何やってたんだか完全に分からないという風になっている。あまりに典型的で寒かったなーあの頃はうわー「あの頃は」なんて考えてるよもう老だな三三ってもうそんな感じなのかどうなんだろう大人になるって全く想像も実感もできないままなんだけど俺ヤバイのかな? まあ学部七年も行った奴は普通にヤバいかー七年目でようやく卒業と就職が決まって一応連絡したら親父はおめでとう良く頑張った一度帰ってきて呑まないかとか言ってていや絶対お前とは呑まんがって頭がカッとなったけど今考えるとカッてなりたいなるべきだって感情させてたような気がしなくもないっていうのはいくら留年しても親父が特に俺を叱らないどころか最初に留年した時俺も八年行ったからなとか衝撃の告白までしてきて頭の中がもんじゃみたいになったそりゃなるよずっと無口でいりゃいいのに口を開けば常識を盾にか弱い子供を激詰めしてきやがってお前もレール外れてんじゃねえかよって思ったのは些事でもう意地張んなくて良いんじゃね? っていう考えがあのあたりで生まれた気がするせいでもう長い間親父と俺の一部が結託して俺を負かそうとしてくる卑怯すぎるしでも二対一じゃ勝てないから希望に目を輝かせているフリして追い立てられるように東京で働き始める頃にはもう名古屋で都会への憧れなんか擦り減ってしまっていたからHPMP共に削れた状態で労働にブン回されてノックダウンしてもっと友達を大事にすべきだったなーってすごい思ったんだよなだって都会って結局趣味や気の合う奴が身近にいるから色々楽しめるみたいなことばかりでモノが好きなだけなら通販とかだけで良くて釧路だろうが舞鶴だろうが北九州だろうが一緒だろあー寂しい寂しい寂しい! ってマッチングアプリ始めて出会ったのがキラリでキラリは本当に優秀で俺より年下なのに年収が三倍違った上に二歳のコースケの育児放棄し浮気までした夫をすっぱり切ってガッツリ慰謝料も取って本当にちゃんとしている自分と真逆の俺のどこが良かったのか今でもはっきりとは分からないんだけどキラリに言わせると前の夫と真逆な感じだし一緒にいて息がしやすいらしいけどそんな簡単な感じで良いのか良いよーってことで結婚した。流石に報告しなきゃいかんだろと思って親父のとこ行ったらまあ嬉しそうだしそれはそれはよく喋る。孫に血の繋がりがないとか全然気にしてなさそうな皺の目立ち始めた笑顔でコースケーおじいちゃんと一緒に橋見に行かんかーとか言うしその勢いそのまま俺にまで話しかけてくるから俺は記憶の中の親父みたいにどんどん無口になっていくし普通にこの部屋から出てーと思ったけど庭のすだちが相変わらず元気いっぱいでげんなりするからどうしようもないってタイミングで何で縁もゆかりもない鳴門なんかに引っ越したんだよ親父って聞くべきだった気がするけど今の今まで聞けてない。そういや未だに再婚してないな親父ってロマンチストなのかはともかくロマンとは違う感じで結婚した俺がママチャリのチャイルドシートにコースケを乗せて走ったことは一度もなくて出会った時にコースケはもう小学一年生だったからもう一人で乗れたあのかわいいサイズの自転車とママチャリ連れてキラリの仕事の都合で俺達は神戸に引っ越して俺はのんべんだらりと自宅でWebデザインの受注しているがこう振り返ってみると親父からできるだけ離れてはみたけど結局引き摺り込まれるように鳴門に近づいているんだよなーって電話が「今どこー?」「海きてるよ」「良かったー。ちょっと今手が離せないから駅にコースケ迎えに行ってくれる? そろそろ着くから」「オッケー」ということでジーンズの砂払い落して須磨駅に向かうとコースケはもう北口の外に立ってて英単語帳をぱらぱらめくっている。コースケ、と発音する直前は未だに気道が一瞬細くなる気がする。「お疲れ」「うん」「今日は何やったんだ」「線形代数」「そんな難しいことやってるんだな」「お父さん、母さんから聞いてないの?塾がプログラミングとかAIとか大事っていうから教えてくれるんだよ。まあやってることは行列の足し算引き算みたいな簡単なことばっかだけど」いや知ってるけど改めてヤバすぎるだろまだ小四だぞというか話すたびに思うがコースケしっかりしすぎてて怖いって別にキラリは母さんで俺がお父さんって部分は逆に年齢相応でちょっとかわいいとさえ思うし俺がいきなりコースケお前は確かに最初は「ついでに」だったかもしれないけど今はそんなことないしというか別に今も「ついでに」だったとしてそもそも人生に意味なんかないしでも意味がないからこそ散歩と同じような良さがあるわけだからさお前も俺を軽い「ついでに」だと思って一緒にもっと楽しく仲良くやっていこうよついでに俺を「お」を付けずに呼んでくれよコースケって言い出すの異様すぎるから当然そんなことしないけど俺小四の時ってどんなんだったっけ? 少なくとも勉強はしてなくてヴァイオリン弾いて本読んで寝だった気がするがコースケは俺のヴァイオリンや本を触る上にガンガン勉強するので小四俺の完全上位互換でノックアウトだがママチャリ押してコースケと並んでマックスバリュに向かって歩く三三の俺がぶっ倒れるとコースケが困るしママチャリのライトはちゃんとつけてる。あああコースケ後ろに乗るかーって言ってみようかなでも絶対恥ずかしいだろコースケもってかチャイルドシート使ってなさすぎて汚れまくりだし純粋に嫌だろうなーでもまた三年後くらいには使うことになりそうだしいつかは綺麗にしなくちゃなー何が要るんだろう古雑巾と洗剤とついでにチェーンも綺麗にしたほうが良いよな異音が凄いしってこれはコースケから逃げてるのか? もっと俺から話しかけた方が良いのか? っていっつも思ってるな結局俺もコースケから見たら無口な父親なのかもなー意識して軽い感じで話しかけているつもりではあるんだけど結局俺は親父の息子かー「お父さん、帰らないの? 家から離れてるけど」「ん、ああ、母さんにビール買ってこいって頼まれたんだよ。マックスバリュまで行こうかと思って」「そんな遠くまで行くの? この辺コンビニあるよ」そうなんだよな。家を出た時は気の済むまでぶらぶらしようと思ってたけど今はお前がいるからなコースケお前が正しいよ。ほんとに。「なあ、コースケ。父さんは」「ん?」「いや、何でもないよ」ってセブンイレブンにきた。そしたら思わず手に取ってしまったビールがあってその理由が澄んでさらさらした琥珀色のせいか産地のせいか分からない。メキシコかーメキシコまで行ってたら渦から逃げ切れたんだろうかっていうのは郷愁で実際のところ今はそこまで逃げたいわけじゃないし逃げちゃいけない理由もあるし第一メキシコも俺の玩具じゃない。なあコースケもし弟か妹ができたらお前はもう一生俺を「お」なしで呼べなくなるのかって一旦考え始めてしまうとキツくなってコースケ欲しいものあるかって聞くと「サクレが食べたい」ってメチャ素直に言うので嬉しくて俺とキラリの分も買ってしまう。自然と足が速くなる。「食べていいよ。溶けるだろ」「行儀悪いよ」「それが良いんだよ」「えー」「四時間も塾いて何も食ってないんだろ。おなか減ってんじゃないか?」「んー」あれ、俺今結構喋ってないか? 何も考えてねーぞ。「今アイス食べたらご飯おいしくなくなるよ」「お? 母さんの晩ごはんがアイスに負けるというのかねコースケ―」「そんなんじゃないよ」「じゃあいいじゃん」「でもお父さん両手塞がってるし」「いい、いい。大人はビールを飲んでからアイスを食べるって贅沢があるから」「なんかそれ、ズルい感じがする」「そうだコースケ。大人はズルいぞー」って言ってたらコースケは観念してビニール袋からサクレを取りだした。幸いまだあまり溶けてなかったらしい。「やっぱ行儀悪いよ」「はは」「はい、お父さんの分」って小っちゃいコースケが背伸びして木匙に乗せた甘酸っぱい欠片を差し出してきて俺の知らない俺のどこかで「どう」「旨すぎる」「味、違う?」「違うね」「分かんないなあ」壊血病に罹った忘却たちの船団が難破すべき瞬間を探して「今度友達とやりなよ。メッチャ楽しいからさ」「買い食いなんて先生に怒られるよ」ある小舟が橋脚に接触して砕けた船体から零れ落ちるそれたちは例えば「バレないさ」「バレるバレないとかじゃないよ」(小四の時近所に生えてたすだちを他人んちのものとは思わずにどっさり取ってその家の人から親父がメタクソに怒られて)「先生に叱られたことないのか」「そりゃそうだよ。怒られるようなことしてないし」(親父がすだちを庭に植え始めたのはそのあたりからだった気もする)として裂け水中花火みたいにきらめいた後海峡に眠り落ちていって交差するように浮上する「コースケは真面目だなあ。疲れたりしないのか」「お父さんほど真面目じゃないよ」俺が取り下げた質問に対して思いがけずコースケが口にした答えを何度も聴き取り反芻しながら家に着くと「おかえりー」「ただいま」「ただいまー。ほい、これビール」「あ、コロナじゃん」「コンビニに売ってるの珍しくてさ。あとアイスも買ってきた。コースケはさっき食べた」「えー、家で一緒に食べれば良かったじゃん」あーやっちゃったと思ってコースケの方見ると何故かニヤついてやがる「コースケ、お母さんの分いるー?」「いい、ごはんでおなかいっぱいになるし」「そう?欲しくなったら分けたげる。あ、ライムないじゃん」「確かすだちあっただろ。あれでいいよ」「えー、合うかなあ」「まあ物は試しよ」と俺はタッパーの中から一粒摘んでパパッと切って絞っては瓶の中に詰めてたら三切れで限界がきてどれどれーって青苦あああっっっ!!! やっぱコロナビールにはライムだよライム。

(了)

 

雑記

 今回の公募結果については、何らかのアナウンスが出るまで珍しくじりじりと緊張していた。普段は公募の結果が出る時期など忘れてしまうのだが、これは割合自信作だったからなのだろう、と最初は思っていたが、どうもそうではなく(毎回自分史上最も良い出来と言いたいものだ)、単純に〆切から発表までの期間が短かったがために発表期日を意識してしまった、というのがより真相に近い感じはする。あと最近個人的に設定している、あるいは正式に抱えている〆切がまだ先なため、ダラダラしていたのが効いた。これは一般論ではなく個人的な話なのだが、シャキッとしていないと心身が淀んでくる。落選を知った後、(大したものではないが)筋トレの負荷を上げた。

 

 唐突に新人賞をどういう機能として見るかという話をするが、基本的に新人賞は(小説に絞って話をするが別に何でも良い)小説家として一般的に認知されていない人間の文章の中から比較的優れた小説を選別する機能を持つと考えることができる。ここで大事なのはその文章が確かに中立的立場の人間によって小説として認識されているということで、早い話、新人賞は「小説とは何か/何でないか」という問いについてある程度中立性をもった実験として捉えることができる。

 既に小説家として一般的に認知されている人間の出した文章は、何かジャンルを指定するような惹句でもなければ(あるいは逆にあることによって。例:「これは小説なのか!?」は大抵の場合、惹句の対象がメタ小説的機能を持った小説であると主張している)、内容を確認される以前に小説としてある程度先入見が発生してしまう。そしてそれが覆ることはまずない。

 ところが新人賞の場合、「文章になっていない」「これは小説というより現代詩」など、必ずしも文章が読者にきちんと小説として認識されるわけではないと考えられる。新人賞というシステムこそまだ小説家として認知されていない人間にのみ利用可能な実験装置であると言える。ただこの実験装置は、n次選考を通過したり受賞したりした場合には上記の意味を解釈として適用することが出来るが、1次選考で落ちている場合や結果が公表されるラインに到達できていなかった場合には、全作品に講評がつくような特殊な例外を除けば、その結果の意味を解釈することができない。

 

 今回私は「上の空」で行動している人間が意識と無意識の間で行っている思考とも思考でないとも言えないものを言語化しようと試みた。これには数年前に池澤夏樹個人編集=世界文学全集所収『アブサロム・アブサロム!』を最初の十数ページ読んで挫折した(そして今に至るまでフォークナーを読めていない)という経験、そしてその後にヴァージニア・ウルフの『波』は読めたのにこの差は何であろうか?というのがおそらくどこかで燻っていたのだと推測される。

 まず敵は改行であった。改行は意識的な行為であり、主に意味の大まかなまとまりを形成しかつ切断する。今回の場合主人公は明確な輪郭を持った考え事をしているわけではないため、改行を使うだけで不自然になる。そのため改行は使えなかった(余談になるが、改行をほとんど用いない小説となると横光利一の『機械』が当然のように思い浮かぶが、私は創作に入る近い時間に摂取したものにすぐ影響される性質なので執筆前に当該作品を読むのを避けた)。

 次に句点をできるだけ避ける必要があった。句点も同じように意識的な行為である。段落よりも微小な区切りであり、私にもっと実力があれば句点は最後の一つだけになるまで圧縮するべきだったと思われるがその実力はなかった。そのために接続詞や読点の数を操作し、出来るだけ一文を長くし、一文中における、類似による併置に限定されない意味の密度を出来るだけ上げる必要があった。

 読み返して分かったことだが、「けれども」や「だが」といった逆接はかなり主観的な強度が強いものであり(おそらく接続詞の手前に対する操作的な意味合いが含まれるところが順接よりも強度が強い理由である)、主体的に思考の流れをコントロールしきれていないという状況を表現するにはあまり適切ではないということが分かった。これはもっとよく考えるべきだったポイントだったと今にして思う。この主人公の場合「けど」は流れるように処理されているのだが、物質的な表れとしてこの小説の文字の流れを見た場合、この主人公がどういった位相でこの「思考」を行っているのかが不明確になるように感じた。

 
 この小説を書いていく中で気づいた非文化、というか文の骨組みを完結させず破壊するという方向性は今後も有効な使い道を探るに値する技術のように感じている。

 
 改行がなく一文も長い文章を普通の人間は読むことに耐えられないため、文章の速度を上げる必要があった。対策の一つとして、小説の意味内容としての物語を、意味を受容するためのコストが低い凡庸で分かりやすいものにすることにしたが、これが正しい選択だったかは分からない。自分の実力に不安があったというのが第一だが、形式的にかなり壊れているのにさらに内容も壊すとなると単なる異常な文章の羅列にしか見られないという事態を恐れたというのが正直なところである。だがこの決断は明らかに守備的であり、もっと適切な舞台を設定すればこの形式が活きたような気はしないでもない。

 

 作中、会話の途中に主人公の思考のようなものが混ざるのは主人公と息子がアイスを分けあうシーンのみだが(会話しながら別の行為を行うことはできるが、会話しながら全く別のことを純粋に思考することは恐らく出来ない)、ここでは主人公には全く意識できない無意識の領域を書くことを試みた。無意識が言語のように構造化されているのかは知らないが、ここで私が取り出したのは記憶と思考を曖昧に取り纏めたイメージであり、現代詩をやろうとしたわけではないのだが読み返してみてもここはやはり浮いていると言わざるを得ない。端的に実力不足というものであろう。

 

 この節は雑記であるため、まとめは特に存在しない。